




1月某日、京都迎賓館プレミアムガイドツアーへ。
「明日から寒波到来」と
前日の天気予報でさんざん聞かされたので
レッグウォーマーをはいて京都へ向かったが
まだそれほど寒くなくて良かった。
京都迎賓館は京都御苑の敷地内にあるのだが
迎賓館に近い入口とは違う入口から入ってしまい
砂利道を延々と歩くことになった。
砂利道は疲れるな。
やっと迎賓館の受付「清和院休憩所」にたどり着いたら
道をはさんで向かいにこんな看板が!
ええっ、こんなところに仙洞御所が!
三島由紀夫が激賞した庭のある御所である!
しかも当日受付!
迎賓館が終わったら行こう!!!
ということで、まず京都迎賓館。
最近は海外の賓客もいらっしゃらないようで
ほぼ連日ガイドツアーを開催中。
迎賓館は二度目だが相変わらず美しかった。
まだ行かれていない方は、ぜひどうぞ。
迎賓館プレミアムガイドツアーが終わって外へ出て
さあ仙洞御所である。
受付の女性に「料金はおいくらですか?」と聞くと
なんと無料!タダである!
迎賓館プレミアムガイドツアーが5000円だったので
うれしい衝撃であった。
「ガイド形式のご案内で、ガイドが始まれば
1時間ほど歩きますが、大丈夫ですか?」と聞かれ
大丈夫や!
いや、「大丈夫です」と応じ、受付していただいた。
(健康保険証などの身分証を見せる必要があります。)
こちらは「御所」というだけあって
門の周辺に警備員の方々が立っていて
いささか物々しい雰囲気。
たまたまキックボードに乗った若者が門の前を通りかかったら
警備員のおじさまが
「降りて!降りて!ごめんね!禁止されてます!」と
すごい勢いで注意していた。
(若者は素直に降りていた。)
そんなこんなで無料の仙洞御所ガイドツアー。
参加者はほぼ中高年(私もその一人だが)。
待合室でパンフレットを見ていたら
梅、桜、ツツジ、藤、緑の若葉に紅葉と
色とりどりだが
今は1月なので
花は何にも咲いておらず
松以外は草木も苔も枯れ気味であった。
けれども
皇太后の御所、大宮御所・御常御殿の
女性皇族がお住まいになるにふさわしい
たおやかな雰囲気や
仙洞御所の庭のおおらかな伸びやかさは
花が咲いていなくても十分に感じられた。
庭を歩くほどに「修学院離宮(後水尾上皇が造営)によく似ているな」と
思っていたら、それもそのはず
仙洞御所は後水尾上皇の御所として
江戸時代初期の寛永7年に完成。
庭はそれに引き続いて小堀遠州が作庭とのこと(パンフレットより)。
ガイドさんの説明では
「後水尾上皇は小堀遠州がつくった庭がお気に召さず
やり直しをさせたそうです」ということだった。
※ちなみに仙洞御所とは
皇位を退かれた天皇の御所のことです(パンフレットより)。
そして最も心に残ったのは
一升石で有名な州浜(すはま)である。
一升石とは
州浜に使われている丸い石のこと。
ガイドさんの説明では
石一つを米一升(1.5キロだったか)と引き換えにして
集められたという。
角のとれた丸い石を使って
なだらかな曲線を描く州浜。
この石の丸みと州浜の曲線を見ていたら
俵屋宗達の丸い象の絵(養源院の杉戸絵)を思い出した。
それから正伝寺の庭の丸い刈込みも。
宗達は江戸初期の寛永期に活躍した絵師。
正伝寺の庭も江戸初期の作庭(正伝寺のパンフレットより)。
「寛永の丸み」とでも言えようか(勝手に命名)。
一方で、江戸時代初期には
小堀遠州の直線的で斬新な「綺麗さび」の世界がある。
小堀遠州が深く関わったとされる桂離宮は
直線による構成が目立つ。
同じ時代なのに直線と曲線という正反対の世界。
時代の息づかいは美にあらわれ、保存されるというのが私の持論。
どういう時代背景があるのだろうか。
探っていきたいところである。
今日から南禅寺塔頭の天授庵の庭について
執筆中。
庭の歴史の本にはまず出てこない庭だが
たまたま訪れたこの庭が、私は昔から好きである。
紅葉の季節以外は人も少ない。
ここの特色は
本堂前庭と書院南庭が
まったく違うつくりになっていること。
それはこのお寺の歴史に由来する。
入口。幾何学的な意匠がモダン。
背の低い松。
石も、立てずに伏せられ
主張しすぎない存在感。
白と緑とグレー。洗練された配色。
その一方で
苔の厚みが豊麗な雰囲気を醸し出す。
ところが
この洗練と豊麗が融合した世界が
この小道を抜けると
野趣を感じさせる南北朝の庭に一変する。
鯉もいる。
天授庵の創建は南北朝時代(14世紀)。
応仁の乱で荒廃し
慶長7年(1602)に
細川幽斎が再興したとのこと。
庭の様式の違いもそれで納得。
紅葉の季節は
うって変わって燃えるよう。
きれいだけど通路は人で渋滞気味。
白砂と緑苔と石の静謐さと
錦秋の華やかさ。
両方が魅力的なお寺である。