昨年の秋だったか近所を歩いているとき
「最近美術館に行ってないなあ」と
ふと思った。
コロナ禍の影響で事前予約制をとる美術館が増えて
気軽に行けなくなったことや
物価高の影響でチケット代が高くなったこともある。
勤め人の頃は毎月のように
美術館に行っていたような気がする。
それは普段の生活が美しいものからかけ離れていたので
休日は「美」に逃げ込んでいたのだと思う。
それが最近、美術館に行く気がとんと失せてしまった。
「美術館に行ってないなあ」と思ったとき
ふと空を見上げると
すばらしく美しい夕焼け雲が
空にひろびろと浮かんでいた。
オレンジ色、茜色、紫色のグラデーション。
色は多彩だが色調はやわらかい。
雲のかたちは丸くてかわいくて
まるで羊が仲よく並んでいるよう。
その夕焼け雲を見ていたら
「美術館に行かんでもええな。空を見るだけで美しい」
と思ったのだった。
そしてこれまたふと
「見るところ花にあらずということなし」
という言葉が浮かんだ。
ちょっと調べてみると
松尾芭蕉の『笈の小文』序文の中の言葉だった。
しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。
見る処花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。
像花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。
夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。
自然の中に美を発見するというより
「自然はすべて美しい」と言っているような。
勤め人をやめて3年。
少しは芭蕉の境地に近づいてきただろうか。
(↓ これは夕焼けではありませんが雲が印象的な栗林公園の写真です。)
(↓これも夕焼けではありませんが雲が印象的な大阪城石垣とOBP(大阪ビジネスパーク)の写真です。)
(↓これも夕焼けではありませんが雲が印象的な大阪府警の写真です。)
(↓これも夕焼けではありませんが雲が印象的な四天王寺の写真です。)
雲というものは美しい。
しかも毎日毎時毎分毎秒
縮めていうと
時々刻々と
違う表情を見せてくれるのだ。