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美の渉猟

感性を刺激するもの・ことを、気ままに綴っていきます。
お能・絵画・庭・建築・仏像・ファッション などなど。

タイムズビル 一棟貸

2022-03-17 20:03:22 | 建築

京都に移住してから、京阪三条近辺に用事があってときどき行く。

安藤忠雄設計のタイムズビルの前を何度か通っていた。

今日も通ったら、

テナントがなくなっていた。

「あら?」と思ったら、

こんなお知らせが!

びっくり!テナントビルで一棟貸!

これもコロナ禍の影響か?


村野藤吾LOVE~あふれ出る愛

2021-07-02 17:31:36 | 建築

大阪の実家の近くに(と言っても徒歩約20分)、

近鉄上本町駅、近鉄百貨店、シェラトン都ホテル大阪がある。

私が子供の頃、ホテルのある場所はボーリング場だった。

 

この都ホテル大阪は、村野藤吾設計。

上本町駅の周辺は、もうぐちゃぐちゃの町並みであるが、

駅舎やホテルには、

目を凝らせば、村野藤吾らしさがいっぱい残っている。

 

まず、ホテルから。

地上から地下へ降りていく階段。

村野藤吾と言えば、手すりの優美さだ。

 

ホテル前の柵。優美かつ軽やか。

 

この外灯のデザインは、

「ザ・プリンス京都宝ヶ池」の部屋のスタンドと同じ。

電球部分を掃除するのがコワいくらい、繊細な感じ。

 

と思えば、こんなのもある。

梅田吸気塔を思わせる、骨太なモダンさ。

 

次は上本町駅。

地下に降りる階段横の柵。

とってもラブリー。

 

柵の前には、隠れるように日本庭園が。

 

駅の地下、エスカレーター横の壁の、

排気口?の穴だろうか。

穴までカッコいい。

 

エスカレーターと階段を分ける境目の造形。

力強い。しかも角が丸くて安心。

 

村野建築の特徴は、

とっても優美繊細なところと、

骨太なモダンさの、

両方があるところだと思う。

 

それは、言ってみれば、

優しくて美しい母親と、

無条件に信頼できる父親の、

両方を体現しているような。

 

そして、細部の特徴は、

人が触れそうなところは、徹底して、

角を「面取り」していることである。

 

それは、デザインというよりも、

利用者にとって安全なようにという配慮の部分が大きいと思う。

手すりの先端を「クニュ」と丸めているのも、

同じ理由だと思う。

 

要するに、村野建築には、

建物を使う人への「愛」があふれているのだ。

 

日本のホテルは、外資系の系列になると、

一部あるいは大幅に改装されてしまうことが多いけれど、

村野建築の唯一無二の素晴らしさは、どうか残しておいてほしいと

切に願う。

 

※ご参考

細部にまで行き渡る「程のよさ」―ウェスティン都ホテル京都「佳水園」 - 美の渉猟 (goo.ne.jp)


建築とは記憶の入れもの 建築レクチュア217 田根剛氏

2018-08-04 18:59:36 | 建築
 7月27日(金)夜、久しぶりに建築レクチュアを聴きにいった(職場のあるビルの4階で、2カ月に一度開催されている)。ゲスト建築家は田根剛氏。26歳でエストニア国立博物館の国際コンペティションを勝ち抜いたことで一躍名前が知られた人だ。現在39歳。自分の経験から得た見解を、わかりやすく力強い言葉で表現できる人だと思った。
 エストニア国立博物館は旧ソ連の軍用滑走路を延長した土地の上に建つ。ソ連統治時代というエストニアにとっては「負の記憶」をあえて取り込んだ。建国100周年の記念行事もこの博物館で開かれ、田根氏も招待されたそうで、「一つの国の歴史に関わることができた」という感慨を持ったという。「記憶は未来をつくる原動力ではないか」という言葉が強く印象に残った。
 また、現在パリに事務所があるが、パリでは古い建物は残されているけれどモダニズム建築は壊されており、それに違和感を持っているという。場所には記憶があり、それを残すことが建築ではないか、と。
 会場から「負の記憶を扱うとき、どんなことに注意しますか」という質問があった。田根氏は「負であるかどうかはあまり考えない。記憶は『失う』ということが一番悪い。東京ではホテルオークラが壊されたがそれは罪だと思う。どこの誰が何をしてきたかを、建築は語り尽くすことができる」と答えた。
 この答えで思い出したのは、辻邦生の小説『嵯峨野名月記』の一節だ。主人公の一人、角倉素庵が、家業に追われて空しく日々が過ぎてゆくことを悩み、師(藤原惺窩)に相談をする。それに答える師の言葉である。

「たしかに一日をどのように充実して過しても、その時間の通過した痕跡を何かの形でとどめることがなかったら、結局その一日は砂のうえにこぼれた水のように、永遠に消え去って、戻ってはこない。十年そのように過ぎたとしても、おそらくその十年の経過は一瞬の夢にも等しい。与一殿の苦しみはまずこうした日々の空しさから生れている。それから逃れるには、一日一日と過ぎてゆく時の滴りを、たとえ些細なものであっても、両手で受けとって、眼に見える形として、この地上に残してゆかなければならない。それは大工たちが堂塔を建立するさまに似ている。一日、大工たちにできる仕事といったら、それこそ眼に見えないほどのものにちがいない。大工たちは木を刻む。柱を削る。木口を合わせる。彫刻師と協力する。屋根をかける。欄干をとりつける。複雑な軒飾りを組みあわせる。こうして一日が過ぎさっても、そこにはさしたる変化もないにちがいない。まるで昨日と同じ状態が、今日も続いているように見える。だが、そうした時の滴りは、一滴一滴と堂塔の土台にそそがれて、ちょうど蠟がとけて滴り落ちるように、すこしずつ、そこに積み重ねられてゆくのだ。それは、時間の流れを眼に見えるものに変えて、箱に入れ、しっかり手許にとどめておく様に似ている。堂塔の建立に十年かかったとすれば、そこに、大工たちの十年の歳月が、層々と積み重なり、閉じこめられ、永遠に流失するということはない。そしてさらに恐ろしいことには、一度こうしてできあがった堂塔伽藍は、それから一年一年と自分の歳月をそこに蓄積してゆくことになる。三百年経過すれば、その三百年の歳月が、その堂塔のなかに蓄積している。ほかでは三百年の歳月は茫々と流れさって、何の痕跡もとどめぬのに、そこには、歳月が目覚め、生き、私たちに語りかけているのだ。私たちの日々も、同じように、何か形あるものに変えて、そのなかに閉じこめなくては、ただ流失するほかない。だが、ひとたびこうして一日、一日を、営々と閉じこめはじめれば、人はいつか十年二十年の歳月さえも、眼にみえる形で、閉じこめることができるようになるのだ」
(新潮文庫『嵯峨野名月記』より)
  
 長い時を経過した建築を壊すということは、ここに語られているような人間の生きた証を、人間自らの手で壊すということだろう。それは「罪」なのだと、田根氏は強い言葉で表現した。

 他に、ミラノ・サローネでのインスタレーション“LIGHT is TIME”が印象深かった。日本の時計会社CITIZENを紹介するインスタレーション。金色に輝く腕時計の基盤が天井から無数につり下げられた光景はうっとりするほど美しかった。時計という「時」を刻むものをつくる会社が、記憶というものの大切さを知る田根氏にこのインスタレーションを依頼したことは、けだし炯眼だと思った。

細部にまで行き渡る「程のよさ」―ウェスティン都ホテル京都「佳水園」

2009-08-23 20:17:12 | 建築
 8月の京都旅行が終わった。宿泊先のウェスティン都ホテル京都「佳水園」(ホテル内の数奇屋風別館)は、予想以上にすばらしかった。ロビーも部屋も直線で構成され、室内の灯りまで長方形で、すっきりとモダンな印象なのだが、鋭い感じも冷たい感じも全くない。訪れる人をやわらかく受け入れてくれる、穏やかな雰囲気に満ちている。
 正面玄関はりっぱな檜皮葺きの門で、これから非日常に向かう気分を盛り上げてくれる。ひょうたん型の芝生のある庭は、芝生の緑と白砂のコントラストがあざやか。夏に来て良かった。私たちの部屋は「雪の8」。特に特徴のない部屋だなと感じたが、時間が経つにつれて、細部が目に入りだした。部屋の玄関の壁に、角が出っ張っているところがあるのだが、その角には細い竹が埋め込んであって、きちんと「面取り」(?)されている。ふすまの唐紙には、水紋のような同心円の模様がついていて、なんだか可愛らしい。「唐長」の唐紙だろうか。床柱はおおげさでない、凸凹の少ない木が使われている。ただし、色は濃いエンジ色。これで部屋全体の色彩を引き締めている。そういえば、ふすまの縁の色も、トイレのスリッパの色も、同じ色だった。窓辺に置かれた籐椅子は、一見ただの籐椅子に見えたのだが、その背もたれの角度といい、肘掛部分に黒い革(と思う)が張られていることといい、じわじわと「これはただものではないな」、最後には「なんて格好いいのだろうか」と思えてきた。なにより、座り心地が良い。
 これらの魅力を一言で言うなら、何だろう。「趣味の良さ」だろうか。と言って、「あたしセンスいいでしょ」と押し付けている感じはもちろんなく、「わかる人にだけわかればいい」と突き放してもいない。しかし、控えめすぎることもない。「程の良さ」だろうか。それが途切れることなく、細部にまで行き渡っている。これが村野藤吾の建築の魅力なのだろうか。
 部屋のしつらえのことばかり書いたが、女将(ホテルだが、この別館には女将がいる)のもてなし、夕食も良かった。夕食の中では、「冬瓜のすり流し 雲丹 イクラ添え」、「うなぎの飯蒸し」そして「丸なべ」が絶品であった。そういえば布団の敷き方も、これまで見たことのないものだった。よくわからないが上等そうなマットレス~敷布団~シーツ~掛布団と、ミルフィーユのように重ねていく。寝具類はすべて白の無地で、変な模様がついておらず、すっきりモダンにまとめられていた。つまり寝具の選び方、布団の敷き方にも手抜かりがないのだ。
 「佳水園」の裏手には山が広がり、自然が近い、というか、都会の中だけれど自然に接しているという感じだ。夕方には蜩が鳴いていた。夜中、廊下を歩いていたら、窓にカエルがへばりついているのを見た。翌朝、すっぽんと湿潤な空気のおかげか、化粧のノリが良かった。これで1人1泊2食付23,000円(税サ込)はとてもお得だ。今度は秋に来て泊まりたい。庭の芝生は枯れているだろうが、紅葉が見事だろう。

 今回のブログを書いてみて、日本文化は「矩形の文化」だなと感じた。家屋にしても着物にしても、矩形が人のからだを包み込む。あるいは、屏風、衝立、庭 等々。「矩形の文化」がもっとも端的に現れているのは、お能の舞台だ。矩形で区切られた舞台、矩形で形作られた作リ物、矩形の中に最高の豪奢を織り込んだ能装束。矩形の中に、さまざまな要素が凝縮されている。では、なぜ「矩形の文化」が日本文化の特質となったのか?それを解き明かすのは、私のこれからの宿題の一つである。

洗練と温かさ-前川國男建築の魅力

2009-05-24 18:23:05 | 建築
 今、日経新聞の「私の履歴書」は磯崎新が連載中だが、建築家の中では前川國男が好きだ。10年近く前、バレエを見ている時期があって、東京までシルヴィ・ギエムの公演を見に行った。会場は、東京文化会館だった。「東京文化会館」なんて身もふたもない名前だな、などと思いながら、建物に足を踏み入れた瞬間、これまで感じたことのない開放感を味わった。ああ何だろうこの気持ちよさは。建物の「中」に入って開放感を味わうとは。なんて天井が高いのかしら。それにこの照明のやわらかさ。ホールへ入る。ここも天井が高くて気持ちよい。壁にはまろやかなフォルムの木のオブジェが無数に貼り付けられている。それもなんだか目に快い。シルヴィ・ギエムの公演を見に来たということを忘れ、建物の心地よさにうっとりしてしまった。
 休憩時間、トイレに行こうと廊下に出ると、廊下の壁がオレンジ色。それもどぎつい色ではなく、トイレに並ぶイライラ感を和らげてくれる温かい色(作られた当初はトイレに並ぶ光景などなかったかもしれないけれど)。いったいこの建物は誰が設計したのか?きっと高名な建築家だ。受付のあたりに解説がないかしら?-ない。建物のすぐ外に銅像があるが、これか?-東京都のえらいさんのようだ。シルヴィ・ギエムの公演はすばらしく(「白鳥の湖」だった)、大いに満足したが、建築家の名前がわからないという不満を抱えて大阪に帰った。
 その後、東京文化会館を設計したのは、前川國男という建築家だということがわかった。2005年、前川國男生誕100年を記念して、イベント開催や書籍の出版が相次いだ。やっぱりすごい人だったのだ。運良く東京出張のついでに、東京ステーションギャラリーでやっていた生誕100年記念の展覧会を見ることができた。平日なのに結構な人出だった。特に、若い学生らしき人たちが熱心に模型を見ていたのが印象的だった。
 「好きだ」と言いながら、実際に行ったことがあるのは東京文化会館だけだが(でも2回行った)、その印象と、写真で見たその他の作品から、私なりに前川建築の魅力を探ると、それは「洗練と温かさ」なのではないかと思う。モダニズムの旗手だから洗練されているのは当たり前だが、洗練と同時に、使う人をやさしく包みこむ温かさがあるのだ。この温かさはどこから来るのか?それは「他者に対する愛情」ではないだろうか。人柄が表れているのだ。芸術作品も、舞台上の演技も、それを生み出す人の人柄が隠せるほど甘いものではないと感じることがある。むしろ他人の目にさらされるものだからこそ、人柄が見えてしまうと言えるのではないだろうか。