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美の渉猟

感性を刺激するもの・ことを、気ままに綴っていきます。
お能・絵画・庭・建築・仏像・ファッション などなど。

豪華絢爛の権化・西本願寺唐門

2021-11-14 14:02:25 | 京都

先日、西本願寺の修復された唐門を見に行った。40年ぶりの修復だという。

「豪華絢爛」という画数の多い修飾語をそのまま具現化したような様に圧倒された。


日が暮れるのを忘れて見とれてしまうほど美しい、ということで
「日暮門」(ひぐらしもん)とも呼ばれているそうである。
日光東照宮の陽明門も同じように呼ばれているが、京都にも日暮門があったのだ。

この唐門は、もとは伏見城の遺構であったという。牡丹、獅子、虎、龍など、見た目がハデで威圧的なモチーフが選ばれている。

昨日、映画『土竜の唄』をテレビで見たが、ヤクザが好みそうなモチーフだ。

庭でも、安土桃山時代の庭は巨石を使ったハデさが特徴だ。
巨石をふんだんに使った某暴力団組長の自宅玄関を新聞で見たことがあるが、
某所にある安土桃山時代の巨石の石垣を連想した。

言うなれば現代ヤクザが好むデザインは、安土桃山時代の武将が好んだデザインの直系の子孫。
つまり桃山文化の突き抜けたハデさは、「極道」という言葉に象徴されるような極端さを好むヤクザの気質につながっている気がする。

 

さらに、唐門の中央で足を踏ん張り、見上げる人間を眼光鋭く見下ろしているのは、
孔雀である。

緑、赤、青、そして金。シビれる極彩色。さらに、両足、両翼、羽根にみなぎるパワー。パソコンの背景画像にしてしまったほどだ。

但し、ただハデなだけではなく、そのハデさは、どこまでも緻密な技術力から生み出されている。

唐門を見たのと同じ週に京都迎賓館を見学したが、こちらは打って変わって優美繊細であった。

しかし共通するのは美を創造する技術力の確かさだろう。ベクトルの違う美を、それぞれ最高の技で生みだす京都という町のすごさ(それは日本のすごさでもある)を、改めて感じた一週間だった。


7月の八坂神社・動かない御神輿

2021-08-05 17:44:34 | 京都

7月のある日。

昼食のあと、八坂神社へ。

思い切り暑かった。

 

拝殿の前の「舞殿」というところに、

御神輿が。

吊られた提灯には、

聞いたことのあるお店の名がズラリ。

 

浴衣を着たお嬢さんがチラホラ。

タクシー運転手に連れられた、修学旅行生らしきグループも。

 

コロナ禍だけど、

何となく観光気分に浸れた日。

 

でも、動かずに展示されているだけの御神輿に、

コロナ禍のやるせなさも感じた日。


青空の下の大文字

2021-08-04 21:06:50 | 京都

昨日は少し涼しかったが、

今日の京都は暑かった。夜になっても、まだ暑い。

 

所用のため、お昼前に出町柳で駅を降りた。

死ぬほど暑かったが、

ふと前を見ると、大文字が。

ちょっと得した気分。

空の青と、雲の白と、山の緑が鮮やかだった。

 

今年は送り火、どうするのかしら。

昨年の6点点火も、

いかにも「先祖を送る」という、しんみりした風情で良かったけど。


四条大橋より

2021-06-15 16:47:47 | 京都

買い物して、四条大橋からの眺め。

山並みが、絵に描いたようだった。

こういうのを見ると、

自然に勝る芸術家はいないな、と思う。


夏の京都

2013-07-06 23:01:43 | 京都

 夏の京都が好きだ。夏特有の濃い青色の空に、力強さをみなぎらせて湧く白い入道雲、こんもりとした量感を見せる緑色の山と、その下にしんと静まっている寺社の黒い瓦屋根。これらの明快な色と形で構成された景色から受ける、容赦のない感じが好きだ。そして夏の強烈な日差しが、この容赦のなさを強調する。
 この容赦のない感じは、おそらく、ここがかつて政争の地であったことから来るものだと思う。政権交代が殺戮によって行われていた時代、政治というものが常に血に塗れていた時代を、もっとも長く経てきたのがこの町だ。その歴史が、今は観光地となったこの町に「凄み」を加えている気がする。夏という季節が持つ容赦のなさが、そういう京都の町の性質をあぶりだすのだ。

 ということで、お盆恒例の家族旅行は、また京都だ。わらじやの「うぞうすい」(デザートのメロンは熟しているだろうか)と、鍵善良房の「くずきり」(今年は白蜜にしてみよう)が楽しみだ。その前に、今年は久しぶりに祇園祭に行くことになった。しかも着物を着て。絽の着物ではあるが、浴衣とは違って、長襦袢を着て帯を締めて足袋をはく。自分で決めたこととはいえ、酷暑の京都の夏を、耐えられるだろうか。誠に容赦のない夏ではある。