先日、西本願寺の修復された唐門を見に行った。40年ぶりの修復だという。
「豪華絢爛」という画数の多い修飾語をそのまま具現化したような様に圧倒された。
日が暮れるのを忘れて見とれてしまうほど美しい、ということで
「日暮門」(ひぐらしもん)とも呼ばれているそうである。
日光東照宮の陽明門も同じように呼ばれているが、京都にも日暮門があったのだ。
この唐門は、もとは伏見城の遺構であったという。牡丹、獅子、虎、龍など、見た目がハデで威圧的なモチーフが選ばれている。
昨日、映画『土竜の唄』をテレビで見たが、ヤクザが好みそうなモチーフだ。
庭でも、安土桃山時代の庭は巨石を使ったハデさが特徴だ。
巨石をふんだんに使った某暴力団組長の自宅玄関を新聞で見たことがあるが、
某所にある安土桃山時代の巨石の石垣を連想した。
言うなれば現代ヤクザが好むデザインは、安土桃山時代の武将が好んだデザインの直系の子孫。
つまり桃山文化の突き抜けたハデさは、「極道」という言葉に象徴されるような極端さを好むヤクザの気質につながっている気がする。
さらに、唐門の中央で足を踏ん張り、見上げる人間を眼光鋭く見下ろしているのは、
孔雀である。
緑、赤、青、そして金。シビれる極彩色。さらに、両足、両翼、羽根にみなぎるパワー。パソコンの背景画像にしてしまったほどだ。
但し、ただハデなだけではなく、そのハデさは、どこまでも緻密な技術力から生み出されている。
唐門を見たのと同じ週に京都迎賓館を見学したが、こちらは打って変わって優美繊細であった。
しかし共通するのは美を創造する技術力の確かさだろう。ベクトルの違う美を、それぞれ最高の技で生みだす京都という町のすごさ(それは日本のすごさでもある)を、改めて感じた一週間だった。