近所の疏水べりから見た空。
雲の下から光が放たれているのは
時々見るが(「天使の梯子」などと言うらしい)、
上に向かっての放射は初めて見た。
こういう現象を目の当たりにすると
美を生み出しているのは自然すなわち神であって、
人間はその美を写し取っているだけだと
つくづく思う。
近所の疏水べりから見た空。
雲の下から光が放たれているのは
時々見るが(「天使の梯子」などと言うらしい)、
上に向かっての放射は初めて見た。
こういう現象を目の当たりにすると
美を生み出しているのは自然すなわち神であって、
人間はその美を写し取っているだけだと
つくづく思う。
疏水べりの木漏れ日。
自然は、ときどきびっくりするぐらい感動的。
自然の美しさに感動して、
画家は絵を描き、
作曲家は曲をつくり、
詩人は詩を書き、
歌人は歌をよみ、
作家は文章を書く。
そして作庭家は庭をつくる。
それぞれが得意とする方法で
自然を讃えるのである。
本物の芸術とは、
人間が、自分という枠を超えて、
自然を讃えることに
力を尽くしているものだと思う。
言い換えると、
人間が、自然すなわち神の御前に近づき、
神の偉大さに頭(こうべ)を垂れること。
その時、人間は「美」を生み出すことができる。
でもそれは、
ただ自然の有り様を、人間の手で表現しただけ。
「美」の真実は、自然の側にある。
その自然が今、危うい。
自然への畏敬の念を復活させるために
庭の本を書こうと思って
私は勤めを辞めて
京都までやってきた。
早く本、出せたらいいな。
今日の鴨川は清らか。四条大橋から撮影。
何気なく橋の上を通っているけれど
大雨のたびに増水する川が
市内で一番の繁華街の中に流れているなんて
何か不思議。
ふだんの鴨川では
アオサギが憩い、トンビが飛び、鴨が泳ぐ。
四条大橋の上から八坂神社の方を見ると
八坂神社の赤い楼門の背後の
東山の濃い緑が
手を伸ばせば触れられるような
思いがけない近さで目を奪う。
1960年代の高度経済成長期、
川端康成が東山魁夷に
「京都は今描いといていただかないと
なくなります。
京都のあるうちに描いておいてください」と
お願いした頃よりも
町並みはもっと醜くなっているだろうと思うけれど
東京や大阪とくらべたら
京都はやはり山紫水明の都だと思う。
今日の京都は大雨。
スマホの緊急アラートが何度も鳴った。
そんな中、所用のため外出。
バス停までの5分で
びしょぬれになった。
鴨川は濁流となっていた。
この写真ではわからないが、
流れも、とても速かった。
いつもは悠然としている鳥たちも、
川岸で「あら、どうしましょう」と
戸惑っているように見えた。
鴨川の濁流を見ると、
白河法皇の有名な言葉、
「私の思い通りにならないものは、
鴨川の水、サイコロの目、
比叡山延暦寺の僧兵」を思い出す。
(「天下三不如意」というらしい。)
鴨川は昔からよく氾濫してたんだな。
と思うと同時に、
この3つ以外は思い通りだったのか。
と思う。
7月15日、何十年ぶりかで知恩院へ。
立派な三門である。
礎盤と礎石も大きい。
この写真では大きさがわからないが。
階段横の石垣にはほどよく苔が。
階段は、一段の高さが高くて
チビで短足の私にはキツい。
でも階段の先に見えるお堂の屋根が
「もうちょっとや!」と
勇気づけてくださる。
知恩院のお堂は、
葵の御紋のオンパレード。
賽銭箱にも葵の御紋。
そんなに徳川幕府との縁が深かったとは。
ご奉仕の男性が、いろいろと教えてくださった。
何より驚いたのは
国宝「御影堂」の内陣が
キンキラキンだったこと。
(撮影不可でしたが、
知恩院のウェブサイトで見られます)。
ご奉仕の男性によれば、
2020年に大修理を終えて
いざ公開しようとしたらコロナ禍の真っ只中。
ようやく最近、
ご覧いただけるようになったとのこと。
道理で、人の目にまだあまり触れていない感じで、
金箔も貼りたて感を保っている。
ご興味のある方は、ぜひどうぞ。
西本願寺の唐門に負けないぐらい、
目が覚めるような豪華さである。
桃山文化の華麗さを
ここでも見ることができる。
※西本願寺の唐門については、
よろしければこちらをご参照ください。
豪華絢爛の権化・西本願寺唐門 - 美の渉猟 (goo.ne.jp)
階段はキツいが、
お坊さんが運転する無料シャトルバスが
三門前から御影堂前を随時往復している。
行きは息を切らしながら階段を上り、
帰りは仏恩に感謝しながら無料シャトルバス。
が、いいかもしれない。
(どうぞご自由に。)