夏への扉、再びーー日々の泡

甲南大学文学部教授、日本中世文学専攻、田中貴子です。ブログ再開しました。

二つの展覧会

2009年10月26日 | Weblog
 諸事のあいまをぬって、行ってきました「道教の美術」大阪市立美術館)と「日蓮と法華の名宝」(京博)。
 前者は、東京でやったときより出品数が多かったらしく、非常にボリュームある図録でした。しかし、10月8日まで出品というのが多く、展示替えのため、後半は今一つの感あり。また、知っている資料がかなりあり、それを「これは実は道教のものですよ」といって読み替えたものが多かったように思いました。「走り大黒」もその一つ。そう、奈良博で「げんきのでるぶつぞう」のキャラクターとして知られる、奇妙な像です。本当に道教といってよいのか、また、日本において、道教がそれほど「純粋に」単立しているものなのか、やや問題に思いました。鎮宅霊符神もいくつか出ていましたが、これも前は陰陽道の関係といわれていたはずです。そのへんが苦しいものの、これほどの展示は今後あまりないと思われます。東京で見た方は、大阪の図録のほうが内容豊富なので、ぜひ入手されたらよいでしょう。
 後者は、某氏のおはからいにて解説つきでゆっくり拝見させていただきました。こういうとき、厚かましく顔を出して、「これは○○ですか?」などと聞いて回るのがおばちゃんになった証拠でしょうかね。「日蓮と法華の秘宝」と言い違えて、「秘宝館と違うで」とたしなめられたこと多々。「国際秘宝館」というあやしげな展示が、伊勢などにありましたが・・・。
 京博の某氏が教えてくださったポイントがいくつかあり、『立正安国論』(おお、今、「あんこく」で変換したら「暗黒」が出たよ。なにやら日本の行く末を案じしているようなATOKであります)で、日蓮は「くに」を「くにがまえ」の中に「民」という字で書いているということが印象的でした。日蓮さんの筆は、それだけで辞書が作れるくらいのものですが、「くに」を「くにがまえ」に「王」と「民」で使い分けしているのでした。人民の、人民による法華経というような感じでしょうか。
 また、日蓮さんの木像彫刻では、「黒目が真ん中に寄っている」のが多いとのこと。ほぼ三等身の彫像もありましたが、かなりの割合で「目が寄って」います。団十郎のにらみみたいなもんですか?と聞くと、苦笑されたものの、ある種の威力や意欲の表象ではないかという某氏のお答えでした。日蓮さんの目は団十郎の家系に特徴的などんぐりまなこです、ほんと。
 日蓮宗(法華宗)は、明治時代を経た現在、ややとらえにくい印象がありますが、中世後期のとくにパトロンとなった有力な町衆が信仰した点において、また、貴顕にも浸透していた点において、もっと勉強すべきだと痛感しました。そして、吉田神道や禅宗との関わりも・・・。

 前日夜、NHK教育TVで、片岡仁左衛門の「一世一代」(もうやらないという)の「女殺油地獄」を、仁左衛門さんの解説つきで放映されていたのを見ました。数年前、海老蔵が(当時は新之助だったか)初めて与兵衛を演じたとき、あまりにひどくてショックを受けていたら、数日後に海老蔵が風呂場で足を切って、仁左衛門が代役に出ることになり、私は慌ててもう一回見に行きました。やはりこれは仁左衛門の当たり役。大阪生まれの男のいやらしさと粋さ、残酷さが見事だった記憶があります。仁左衛門ファンになって三十数年ですが、あのときの海老蔵のくどくてどんくさい与兵衛との対比を思い出しました。
 そして、あのときの海老蔵のどんぐりまなこが、日蓮さんそっくりだったのです・・・。
 なお、私の畏友である武田雅哉さんの新刊『中国乙類図像漫遊記』(大修館書店)には、チベットの高僧の絵に写楽の役者絵そっくりなものがあるとの記述があります。ご本にはその図も掲載されていますが、それが、どう見ても私には団十郎の系統の顔にしか見えないんであります。
 興味ある方はお確かめください。
 

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