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夏への扉、再びーー日々の泡

甲南大学文学部教授、日本中世文学専攻、田中貴子です。ブログ再開しました。

ご隠居さん?

2010年08月20日 | Weblog
 きなこがいつものスタイルで窓の外を楽しんでいます。しかし、そのしぶい感じの顔

と丸まった背中(猫だからね)がいかにも「ご隠居さん」ふうに見える・・・。隠居に

は早いのに。

 さて、昨日は夕方、細雪の姉君が平城京へ行って来たというので京都駅で待ち合わせ、

食事しながらいろいろお話を聞きました。私が大学へ通っているときには「平城宮址」

という大きな石碑しかなかった原っぱが、今はテーマパークのようになっているらしい。

平城京のCGと遣唐使船が見所ありということで、涼しくなったら行ってみようかと思い

ましたが、ここって、近鉄電車の線路が真ん中を突っ切っているので、やや危険ではと

いらぬ心配。

 平城京1300年も案外がんばっているものだと思いつつ、帰宅したらくりこときなこと

がご飯くれーの合唱で迎えてくれました。

 夜は、解説を書くために近藤ようこさんの漫画を再読し、メモをとりました。詳しく

は解説に譲りますが、中世後期のお話に新たな登場人物が加わって、不思議な味わい。

これは「中世日本紀」に似ていると思いつつ、メモは完成。あとは書くだけです。

 いつもの寝床読書は中川越氏『文豪たちの手紙の奥義』(新潮文庫)。「ラブレター

から借金依頼まで」とあり、実例豊富なのですが、おもしろいのはこの本、手紙の書き

方教室ふうになっているところ。「私たちも参考にしたい「手紙の心得」」という章が

あったりして、三島由紀夫の『レター教室』をふと思い出しました。

 ラブレターですごいのは、斎藤茂吉の「道ならぬ恋」の手紙。恋人の写真をじっくり

眺め、「くいつきたい」と書く茂吉に、これもふと、茂吉は鰻が好物であったことを思

い出し、鰻食べているとこうなるのか、などと阿呆なことを考えつつ就寝。

 だんだん夏がなくなってゆく・・・。宿題してない子どものような気分です。

スキマスイッチきなこ

2010年08月16日 | Weblog
 猫は隙間が好きですね。この暑さですが、クーラーで涼みすぎたら、きなこはキャッ

トタワーと壁とのスキマに入り込んで寝ています。頭の上にあるのはコードです。危険

なのでこの後は取り外しましたが、おつむの上に乗っていてもかまわず熟睡。ちょっと

ウルトラマンの頭に似ています。

 きなこは実のお母さんがペルシャのせいか、ちょっと毛が長めです。スキマをちゃん

と掃除しておかないと、きなこの毛が「掃除」してしまうので、要注意。

 最近、ちょっと鼻ぐずぐずになったのでお薬を飲んだくりこ。ところが、そのままで

は飲んでくれないので、猫缶にまぜまぜしてスプーンで食べさせたら、それが習慣にな

ってしまい、私は毎日4回、きなこにスプーンでごはんを食べさせる羽目になりました。

これは乳母日傘としかいえませーん。おかげで私は朝4時に起こされます。

 睡眠時間を難とかしなければ・・・。もう、うちのぼんぼんったら。

残暑お見舞い申し上げます

2010年08月12日 | Weblog
 あっというまに8月も半ばになってしまいました。今年の猛暑で夏ばてのうえ、くり

こが食欲の権化になって「くれーくれー」とつきまとうので、ちょっと疲れ気味。

 さて、『思想』のヘイドン・ホワイト特集は充実の読み応え。今、じっくり読みこんで

います。歴史のある種の「欺瞞」について考えさせられることしきり。歴史と文学との

関係にも大きな示唆がなされています。
 
 高田公理氏『語り合うにっぽんの知恵』(創元社)は、以前朝日新聞大阪版で連載

していた「にっぽんの知恵」をまとめた第二弾。私は「音の風景」で高田氏、中川真氏

と語り合ったのですが、それも入っています。ほか、「女子大生」で某女史が、女子大

の未来はセレブの妻養成機関、などとすごいことをいうたはるのが見物です。さて、誰

でしょう?ふふふ。

特製きなこバッグ

2010年08月11日 | Weblog
 二ヶ月ほど前に、転写バッグというのを申し込んでいたのですが、このたび出来あが

りました。もちろんきなこの写真を使っています。背景にいろいろな画像を組み合わせ

られたのですが、「NYっぽい道路」だと「捨てられた猫」みたいになるし、「LAっぽい

海岸」だと「漂着した猫」みたいだし、やはりここはイングリッシュローズ咲き乱れる

「ええしの猫」ふうに決めました。これはうちの自宅ではないので念のため。

 表面にビニールカバーがかかっているので、あんまりきれいに写らなかったのですが、

雨の日なんか便利そうです。なんとかA4が入る大きさで、サブバッグ用かな。

 写真のデータを持参して作ってもらうのですが、きなこの鼻横にちょっと目やにがつ

いていたので、「修正」をしてくれました。女優さんの肌もこうやるのや~、と納得。

 きなこ本人に感想を聞いてみたところ、匂いをかいだだけでした。ちなみに、これは

京都伊勢丹でのフェアで作ったもので、デパートのバッグ売り場で定期的に行われてい

るそうです。

キナメカ文明展ポスターモデル候補

2010年08月09日 | Weblog
 キナメカ文明とは、紀元前5000年前にいったん滅びたといわれる「鼻の低い猫」を

活仏として祀る高度な文明であった。人間によって活仏が愛玩されたり、犬の脅威

に負けたりしながらも活仏は細々とその命を長らえ続け、ついに1980年代のアメリカ

で、活仏そっくりな猫種「エキゾチック」が生まれるに至ったのであった。その伝播

のすさまじさは筆舌に尽くしがたく、全世界の猫好きを席巻しつつ、活仏の血脈を受け

継ぐ猫たちが人間の生活に浸透していったのである。そして、ここ日本西部の町では

ことさら活仏に似た鼻のめり込み方の激しい猫が、密かに「キナメカ文明」を再興し

ようと企んでいたのだ。彼、きなこは「オルメカ文明展」のポスターを見たとき、思

った。「ボクの血が神話の世界を呼んでいる」と。オルメカ文明展と同じく、きなこは

キナメカ文明展の開催を企図した。そして、その浄財はこの濁世に再び活仏を祀るため

の資金として使われるべく、「ねこども銀行」へ貯金されることになる。もちろん

ポスターのモデルは、オルメカくん(とよんでええのか?)に代わることのできる自分

だと、きなこは信じているようである。


*念のためですが、これは全部フィクションです。

誰かに似ている・・・

2010年08月09日 | Weblog
 現在、京都文化博物館では「オルメカ文明展」が開催されています。そのポスター

などに頻繁に登場されているこの方・・・あれ? ちょっとお絵かきしたら誰かに似て

いませんか? とくにへこんだ鼻あたりなど。

 ああ、「キナメカ文明展」だったようですね。

実は代筆者?

2010年08月08日 | Weblog
 研究者というのは、自分の研究の業績を記録した「業績書」というものを必ず持って

いるものです。いろいろな場面で必要になりますし、大学や勤務先を変わるときや、勤

務先にも毎年申請するものです。ここには、「著書、単著・共著」、「論文。単著、共

著」、「その他(翻刻、研究余滴、エッセイなど)」、「社会的活動(講演、公開講座、

監修など)」に分類された、その人のすべての研究業績が記されています。

 で、うちの猫たちの業績書も作ってみました。


*氏名  田中 くりこ   1995年8月25日東京都生れ

その他著作(共著) 書評、河合隼雄『猫だましい』、『新潮』○○年○月号

社会的活動  写真掲載 『京都新聞』「我が家の家族」○○年○月○日

*氏名  田中 きなこ   2008年7月26日神奈川県生れ

社会的活動  テレビ出演「動物奇想天外」 ○○年○月○日


 ○○年は今思い出せないだけで、これらは本当のことであります。
 
 まだきなこには著作がないので、今、私の代筆をしてくれているところです。何を

書いているかはまだ秘密。

 それにしても仕事部屋、散らかってるな・・・。書類の位置を変えるとわからなくな

りますので、仕方ありませんが。

きなごだいご天皇、御寝の図

2010年08月07日 | Weblog
 「後」のつく天皇はみなおもしろい人ばかりですね。後冷泉、後白河、後鳥羽、

後醍醐・・・・。私の専門にもっとも近い後醍醐天皇の本を抱きしめるようにして、

「きなごだいご天皇」が昼の御座にて御寝なさっておられます。その、民草(私だ)

を思うお気持ちは海よりも深く山よりも高い・・・のでしょうか? 民草は今日も、

きなごだいご帝の朝かれいのためにササミをほぐすのでした。


*ちなみに、本は内田啓一氏『後醍醐天皇と密教』ですが、この批評はしたくない。というのは本書の文観の項目は私が書かないといけないミネルヴァ日本評伝選と重なっており、しぜんと批判だらけになるからである。ともかく、歴史の資料だけ引いていて、しかもいろいろ漏れているのがいかがなものかと思う。

一般書における「引用」と「注」

2010年08月07日 | Weblog
 最近、いわゆる一般人向けのある本に関してあたふたしたことがあったので記しておく。ある日、友人から、某氏の岩波の本に『E』という13世紀の注釈らしい本が引用してあるが、これはどこで翻刻されているのか、との問い合わせがあった。八方手を尽くしたけれどわからないという。たまたま「叡山」関係の本を揃えている私だったからであろう。『E』は見た記憶があるが、どこで、となると心許ない。もしかしたら、研究室に置いてある「あれ」かも?と解答するも、どうも気になって仕方ない。
 友人はこの猛暑のなか、「あれ」全巻を探しに入って全部見たらしいが、載っていなかったとのこと。私は自分の記憶の曖昧さを呪いつつ、ふと『昭和現存天台書籍綜合目録』を引いたら、一冊だけ出てきた、『E』が。でも、「稀本ナリ」とある。どこで見たのだろうか、調査ノートにも出てこない。

 結論からいうと、そのある本には「注」として、別の某氏が1988年にS文学会で発表した資料が書かれてあったのである。これって、1988年のその学会に行かなかった人には入手できないではないか。私が見たのもそこでだったことがわかったが、20年以上も前の資料を取り出すのは難行苦行であった。
 これが専門書なら許されることだろう。いくらでも、引用すればよい。他人の報告でも何でも、聞いていたもん勝ちだからだ。しかし、一般書ですよ。誰でも読むんですよ。そこにいきなり「Eには・・・」とあったら、まず一般人は「そんな資料もあるんだ」というくらいの関心の持ちようであろうが、そこを見たい、使いたい研究者にとっては、いつの報告とかいわれても、その頃研究してなかったら無理である。
 本書の著者はしばしばそういうことをする人で、仲良くなれば翻刻や資料も回してもらえるのかも知れないが、某学会の司会で私の質問を途中で切った人だから、推して知るべし。私なら、本文中にどうしても報告資料を使いたいのなら、「今は簡単には見られないが」といった文言をつけるし、引用した文献はすべて本の巻末に載せている。あまりに不親切な「一般書」であることはいうまでもない。「一般書」を書くつもりなら、もっと気をつけるべきであろうし、こういう人に「一般書」を書く資格はないと私は思う。
 また、資料を博捜するといえば聞こえはいいが、「ここにある、あそこにある」だけの指摘では意味がない。その資料の紹介、翻刻か写真版の公開を経て、価値や位置づけを論じることが大切なのであると思う。、「わたしは見た」といった資料の取り合いの醜さを感じた出来事であった。

あっとこすめ@わたし・その4

2010年08月06日 | Weblog
 毎年季節ごとにオーデトワレを変えます。この夏は、細雪の姉君さまにい

ただいた東大プレゼンツの「蓮香」を主に使っていました。また、寝る前に

は鎮静効果のあるといわれるクリードの「ヴェチバー」を枕にほんの少し。

青臭くていい香りです。

 そこで、立秋を明日に控え、秋はどうしようかと残り少なくなったトワレ

の瓶を眺めていたのですが、前から気になっていた「ラルチザン」の赤ラベ

ルを入手することにいたしました。名前は「地獄通り」。いかにも私の好み

ではありますが、これは地獄の香りではなく(そんなもんがあるのか?)、

「ラルチザン」がお店を構えているパリの通り名であるとのことで、百合と

お香のような、シルクのブラウスにあうようなノートです(まあ、「閻魔堂

町」とか京都にもあるから、そのような通り名であろう)。

 ジェルネイルは二回目で、尾形光琳の流水文の写真を持っていってアート

してもらいました。プッチ柄ともいうらしいです。これは夏向けの派手仕様。

これじゃ調査に行けませんから。

 くりこは香りが好きですが、きなこは無頓着。亡き福ちゃんはまったくだ

めでした。猫にも好みあり、です。福ちゃんのいた15年前はほとんど香りを

つけられなかったことを、やや寂しく思い出す夏でした。