浪速の噂は真実だった
結局のところ
大阪プロレス(以下阪プロ)はプロレス界の
「過当競争」に敗れたのだ
10年前
大阪で「スーパーJカップ」が開かれた頃
間違いなく阪プロは業界トップ7の団体だった
…しかし10年でプロレス団体は増え続け
ほぼ毎週関西にプロレス興行がやって来た
関西のプロレスファンはこう考えた
「今回はそちらを観に行こう
なぁに
阪プロはいつでも観れるから」
阪プロの観衆は徐々に減り
その勢いは鈍り始めた
たったひとつだけの某プロレス雑誌での扱いは小さくなった
阪プロのメンバーはメジャー団体と同じぐらい
嫌 時としてそれ以上のパフォーマンスを見せたのにもかかわらず
負のスパイラルは止まらなかった
将来のエースと育てた人材はメジャー団体に逃げ
終にはプロレス雑誌で扱われない週も出て
とうとう屋台骨が揺らぎだしたのだ
来年の今頃
「いつでも観れる」阪プロがどうなっているか
誰にもわからない
だが
今ならまだ間に合う
…言える事はそれだけだ