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私的考察 “医療事故” no 3. 追記 子宮頸がんワクチンを巡る混沌を振り返って - 「何か違うと思うのです - 明治大学コミュ研究所・疑似科学性評定サイト様」

2019-01-10 23:39:27 | 子宮頸がんワクチン

 現代社会に生きる私たちは多くの医学的発見、発達からの恩恵を受けています。
 ワクチンもそのひとつです。

 側弯症とは関係のない事案ですが、このブログを読まれている皆さん自身が
 ワクチン接種を必要としたり、将来皆さんの赤ちゃんがワクチン接種するときが来ます。
 そのワクチンを巡ってインターネット上で様々な議論が展開するのを目にして
 ここに、もう一度「子宮頸がんワクチン」について私見を述べさせて頂きたいと思います。

 本論を書く契機となったのは「明治大学科学コミュニケーション研究所: 疑似科学と
 されるものの科学的評定サイト
」を目にしたことが背景にあります。


 
 最初に同サイトを作成・運営されている方に謝罪することがあります。それは、これから
 ここに記載するのは私の一方通行の意見開示になってしまう。という点についてです。
 私の意見に対する反論等を期待しているわけではなく、双方向の議論を展開する意図で
 作成しているものではない、という意味でフェアとは言えませんので、その点はお許しを
 いただきたいと思います。


 私は基本的な部分において同サイトが取り上げている様々な「疑似科学事件」に対する
 同サイトの展開されている説明や考え方に賛同し、支持するものです。
 しかし、「ワクチン有害説」の項目で、特に問題として取り上げた「子宮頸がんワクチン」
 に対する説明には賛同できませんでした。

 日本がWHOの見解をベースとする欧米諸国の動向に反して、ほとんど世界で唯一
 「子宮頸がんワクチン」接種が実質的に行われていない国であるという実態を
 「ワクチン有害説」を展開する一部の非科学的思想のものたちの扇動によるものである。
 という論旨展開には「それは違うでしょ」と言いたいのです。


 「子宮頸がんワクチン」が実質的に行われない状態になってしまったのは、次のような
 理由によるのではないでしょうか?


 1. 性体験のない女の子を対象とする大規模ワクチン接種を展開する社会的背景、
   医学的背景を十分に検討・説明せずに、あまりに性急に導入したのではないか?

  →産婦人科学会が主体となって導入を図ったわけですが、子宮頸ガンを治療する 
   産婦人科の先生がたの考え方は理解できるのですが、
   安全性の根拠が「WHOの方針」「医薬品メーカーのデータ」であって
   それをもって全国の女の子に期間限定で無償接種する、という導入の仕方は
   医療の不確実性を無視したやり方であったと思います。

   医療にはつねに不確実性が伴います。その不確実性というリスクを減らし
   より確実性のあるものへと持っていくためには、医療側の理解とともに、
   患者側の理解というものが必要です。

   いま、目の前で死にそうになっている患者さんではありません。

   健康そのものの年若い女の子たちに「WHOの方針」「医薬品メーカーのデータ」を
   根拠として「安全」と言い切って接種が勧められたところ
   副反応(副作用・有害事象)の発生によって、「いったい何が起こっているの?」
   というお母さんがたからの素朴な疑問・質問に対して、
   導入を進めた産婦人科学会等からは「思春期の女の子のヒステリー症状」という
   その子どもの個人的な体質に転嫁してしまったこと。

   あるいは、ワクチン接種には必ず伴うものであって、公衆衛生という社会の安全を
   守るためには、わずかばかりの犠牲は許容範囲だ。という社会学的見解で
   ワクチン接種で発生した患者さんがたを切り捨てようとしたこと。

   残念なことですが、日本では、戦後期から現代に至るまで、ワクチンや医薬品を
   巡っては何度も類似の事件が発生してきたこと。

   それらに共通するのは、安全性の検証は十分であったか? という疑問。

   犠牲者はその個人に起こった「他の病気であって、ワクチンが原因ではない」
   あるいは「それとワクチンとの因果関係が証明されていない」という切り捨て。
   「因果関係が証明されていない、ということは因果関係はないということ」
   という紋切型の論理展開。

   日本には、いまだに薬害被害者を救うという思想で準備された被害救済システムが
   存在しない、ということ。.....副作用救済制度はありますが、その内容は貧弱で
   あって、この制度の内容を詳しくは知らない多くの国民がもしその内容を知った
   ならば、きっと「これではとても安心とは言えない」と感じることでしょう。

   子宮頸がんに目を向けた場合、同ワクチンを開発した医薬品メーカーは

  「ワクチン接種は、子宮頸がんにならないことを生涯にわたって保証するものではない」

  「子宮頸がんを予防するには、定期的検診を受けることが必要」

  「ワクチン接種後も、定期検診は必要である」

   このような内容が「添付文書」に記載されているわけですが、
   子どもたちはもとよりのこと、お母さん方にも、
   その当時、このような内容がしっかりと説明されたとは言えないこと。

   
  同ワクチンによる副反応が HANS症候群 かどうかは、私にはわかりませんが
  HANS症候群と命名されても、逆に「そうではない」と反証するだけの科学的証拠を
  示さず、......なぜなら、同ワクチンの安全性は医薬品メーカーのデータで証明済
  というのが大原則ですから。

  また、その副反応で苦しんでいる子ども達を治療できずに、(治療せずに)
  精神疾患だから、我々(産婦人科)の領域ではない。と無視している状態で

  同ワクチンに反対するのは「非科学的」「反社会的」「多くの人々を危険にさらす」
  戦前の言葉でいえば「非国民」だ。という立ち位置では、どこにも双方が歩み寄れる
  余地がない、ということになってしまいます。


 2. 「子宮頸がんワクチン」を問題視する人たちが、イコール「ワクチン有害説」を
  流している犯人だという捉え方が、この問題をさらに複雑にしているのでは?

  →子宮頸がんワクチンに反対している人たちに対する見かたが
   「お前たちが、非科学的な、あるいは全体の利益を考慮しない反社会的な者たち」
   という論調で、WHOや産婦人科学会などの医療側が論陣を張っているように
   思われるのですが、このような問題は、二項対立的な考え方や、
   白か黒か、加害者か被害者かというような単純な切り口で見てはいけないと
   考えるのです。

   ワクチンという予防医学が世界の多くの人々を救ってきたことは事実であり
   今後もその価値は変わることはないと思います。
   ただ、そこにはつねになんらかの犠牲(者)が発生します。その程度が軽度なものから
   死亡に至るような重篤なものまで、様々なケースがありえます。
   なぜならそれが医学の不確実性というものだからです。

   そのような医学の不確実性に対して、「許容」できるかどうかは
   ひとえに、供給者側(研究者、医薬品メーカー、国、医療関係者等)がどのような
   検証をしたか、ということと、どのような「教育・説明」を一般人(国民)に
   してきたか、ということとの相関関係にあると思います。
   そしてもうひとつ、不確実性による犠牲に対してどういう「対策(救済システム)」を
   設定しているか、ということが YES, NO に作用するのではないでしょうか?

   例えば、飛躍した論旨ですが、役人が書類を廃棄したとか、隠したとか、忖度したとか
科学者がデータを改竄したとか、大学教授が論文を盗用したとか、
   そういう「行いのひとつひとつ」が、多くの人たちに不信感を植え付けていく、
   というサークルを考えてみる必要はないのでしょうか?

安全性は科学的に証明した、といったとしても、仮に 1万人のうち9999人には
   まったく問題は起こらないが、「ひとり」はこのクスリの副作用で死亡することが 
   わかっていたとき、9999人(社会) vs ひとり(個人) という ベネフィットと
   リスクの話でケリをつけてしまえることなのでしょうか?

   しかも、その「ひとり」に対しても「因果関係は証明できないから、何も救済する
   必要もない」と切り捨てることは、いったいどういう理屈によるものなのでしょう?
   

   あるいは、自閉症がワクチンのせいだと主張したドクターを持ち出して、
   実はそのドクターが嘘をついていたという出来事と、今回のワクチン問題を指摘している
   こととがどうして同じ土俵で語られるのかが、私にはわかりません。

   もしこの論旨が正しいとすれば、今後どのような問題が発生しても、
   ワクチンを問題視するドクターは嘘つきに決まっている、
   なぜなら過去にもこういうことがあったから、という一言で切り捨てすることができる
   ということになってしまいませんか?



 この子宮頸がんワクチン問題が今後どのように展開し、どのような結論を迎えるかわかりませんが

 この問題は、医学(科学)と同時に、国の施策として「国民の健康」をいかに守っていくか、という
 
 多くの視点からのアプローチが求められていると感じるのです。

 単純ではないだけに、ここに何も解決策を示すことはできませんが、ただひとつ言えるであろう

 ことは、この問題を単に「ワクチン反対者による論争」で終わらせるのではなく

 この国のワクチン行政とはどうあるべきなのか、という息の長い討議を、冷静に、じっくりと

 していく為の契機にすることが必要なのではないでしょうか?


august03




 

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