親鸞聖人は、「極樂」という言葉を、
あまり用いられていません。
それは、私たち凡夫が、「楽」を人の世の延長線上で
受けとめてしまうからでしょう。
私たちが探し求める快楽と、
仏さまのお浄土の極樂とはどう違うのか。
浮世の楽のはかなさと、真の樂とは何かを
語っていただきました。
(創作 極樂物語の紹介文より)
曇鸞さまの『往生論註』(巻下)に、
★経にのたまはく、「身を苦器となし、心を悩端となす」と。
しかるにかしこに身あり心ありて、樂を受くること
間なし。
「樂」とは、阿弥陀さまの徳用のこと。
徳とは、そのかたち・すがた、
用とは、そのはたらき。
そのはたらきは、自由自在。
★苦を抜くを「慈」といふ。
樂を与ふるを「悲」といふ。
★慈悲に三縁あり。
一には衆生縁、これ小悲なり。
二には法縁、これ中悲なり。
三には無縁、これ大悲なり。
大悲はすなはち出世の善なり。
安樂浄土はこの大悲より生ぜるがゆゑなり。
むかし、三楽主義とかいうのを聞いたことがあった。
考え方は、気楽に。
生活は、安楽に。
余暇は、享楽で。
僕は、もうちょっとの間、
この、娑婆世界で、道楽にふける予定。
きょうも来てくださって、ありがとうございます
あまり用いられていません。
それは、私たち凡夫が、「楽」を人の世の延長線上で
受けとめてしまうからでしょう。
私たちが探し求める快楽と、
仏さまのお浄土の極樂とはどう違うのか。
浮世の楽のはかなさと、真の樂とは何かを
語っていただきました。
(創作 極樂物語の紹介文より)
曇鸞さまの『往生論註』(巻下)に、
★経にのたまはく、「身を苦器となし、心を悩端となす」と。
しかるにかしこに身あり心ありて、樂を受くること
間なし。
「樂」とは、阿弥陀さまの徳用のこと。
徳とは、そのかたち・すがた、
用とは、そのはたらき。
そのはたらきは、自由自在。
★苦を抜くを「慈」といふ。
樂を与ふるを「悲」といふ。
★慈悲に三縁あり。
一には衆生縁、これ小悲なり。
二には法縁、これ中悲なり。
三には無縁、これ大悲なり。
大悲はすなはち出世の善なり。
安樂浄土はこの大悲より生ぜるがゆゑなり。
むかし、三楽主義とかいうのを聞いたことがあった。
考え方は、気楽に。
生活は、安楽に。
余暇は、享楽で。
僕は、もうちょっとの間、
この、娑婆世界で、道楽にふける予定。
きょうも来てくださって、ありがとうございます