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かかりつけのお坊さん 奮闘編

転勤も定年もリストラもない、失うものは何もない最強な坊主が日頃の“感謝”を言葉にこめて、日常を綴ります。

僕は兄のコピー

2014-04-15 11:18:25 | 日記
加害者の家族というのは幸せになっちゃいけないんです

「加害者の家族というのは幸せになっちゃいけないんです」
秋葉原事件の加藤被告の弟が自殺・・・彼が亡くなる1週間前に語ったこと

『週刊現代』の中で記者に明かした加藤被告の実の弟の悲痛な叫びが胸に刺さる。

このインタビューの1週間後、彼は自ら命を断った。

「あれから6年近くの月日が経ち、自分はやっぱり犯人の弟なんだと思い知りました。
加害者の家族というのは、幸せになっちゃいけないんです。
それが現実。僕は生きることを諦めようと決めました。
死ぬ理由に勝る、生きる理由がないんです。どう考えても浮かばない。
何かありますか。あるなら教えてください」

「秋葉原連続通り魔事件」が起きたのは2008年。
事件後、母は精神的におかしくなり離婚してしまった。
父も職場にいられなくなり、実家でひっそりと暮らしている。
弟は事件によって職を失い、家を転々とするものの、マスコミが執拗に追いかけて来る。

そんな暮らしの中にもわずかな希望があった。
事件から1年ほどたったあと、恋人が出来たそうだ。
ようやく心を開いて話ができる彼女との出会いは、彼に生きる喜びを与えてくれた。

「正体を打ち明けるのは勇気のいる作業でしたが、普段飲まない酒の力を借りて、自分のあれこれを話して聞かせました。
一度喋り出したら、後はせきを切ったように言葉が流れてました。
彼女の反応は『あなたはあなただから関係ない』というものでした」

しかし、事情を知りつつ交際には反対しなかった女性の親が、結婚と聞いたとたんに猛反対したそうだ。
二人の関係が危うくなるうちに彼女から決定的なひと言が口をついて出たという。

「一番こたえたのは『一家揃って異常なんだよ、あなたの家族は』と宣告されたことです。
これは正直、きつかった。
彼女のおかげで、一瞬でも事件の辛さを忘れることができました。
閉ざされた自分の未来が明るく照らされたように思えました。
しかしそれは一瞬であり、自分の孤独、孤立感を薄めるには至らなかった。
結果論ですが、いまとなっては逆効果でした。持ち上げられてから落とされた感じです。
もう他人と深く関わるのはやめようと、僕は半ば無意識のうちに決意してしまったのです。
(中略)僕は、社会との接触も極力避ける方針を打ち立てました」

弟は手記に繰り返しこう書いているそうだ。

「兄は自分をコピーだと言う。
その原本は母親である。
その法則に従うと、弟もまたコピーとなる」

「突きつめれば、人を殺すか自殺するか、どっちかしかないと思うことがある」

また、加害者家族も苦しんでいることを知ってほしいと、このように書いている。

「被害者家族は言うまでもないが、加害者家族もまた苦しんでいます。
でも、被害者家族の味わう苦しみに比べれば、加害者家族のそれは、遙かに軽く、取るに足りないものでしょう。

(中略)ただそのうえで、当事者として言っておきたいことが一つだけあります。
そもそも、「苦しみ」とは比較できるものなのでしょうか。
被害者家族と加害者家族の苦しさはまったく違う種類のものであり、どっちのほうが苦しい、と比べることはできないと、僕は思うのです。

だからこそ、僕は発信します。
加害者家族の心情ももっと発信するべきだと思うからです。
それによって攻撃されるのは覚悟の上です。
犯罪者の家族でありながら、自分が攻撃される筋合いはない、というような考えは、絶対に間違っている。(中略)

こういう行動が、将来的に何か有意義な結果につながってくれたら、最低限、僕が生きている意味があったと思うことができる」

彼は兄と面会したいと願い、50通以上の手紙を書いたという。



しかし兄から返事が来たことは一度もなかったそうだ。
自分より早く逝ってしまった弟のことを知らされたとき、加藤被告は何を思うのだろうか。



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