
きょうは、連研第7期10回目の研修会でした。
「国のために、愛するものを守るために戦死された方を、
靖国神社に祀るのは当然だと思いますが」という問いに
対して、
戦争で亡くなった人は功労者ですか? 犠牲者ですか?
戦死者に対して、感謝するのがいいのですか?
謝罪するのがいいのですか?
「国のため」か「国のせい」か?
そんな視点で、話し合い法座を行ないました。
そもそも、連研受講者の皆さんにとって、
「何で、真宗で、ヤスクニのことを考えるのか」という
素朴な疑問を持たれます。
裏返せば、ヤスクニ問題が念仏者としての一つの課題であると
いうことの意味を考えてみるのが、連研の狙いでもあります。
そもそも、ヤスクニ問題には、
① 感情の問題
遺族の感情 追悼と顕彰に揺れ動く遺族の感情があります
② 歴史認識の問題
戦争責任の問題 戦死者は被害者なのか加害者なのか
③ 宗教の問題
靖国神社ははたして、神道、宗教なのかという問題
④ 文化の問題
死(者)にどう向き合うかという日本文化の根幹の問題
この場合は、戦争で亡くなられた方とどう向き合うか
という、極めて、特別のものなんです
⑤ 施設の問題
国家が、その戦死者・英霊を祀る施設を管理していいのかと
いう問題です
そして、それに加えて、
本願寺教団が、教えを捻じ曲げてでも、戦争に協力していったと
いう歴史事実の問題があります。
「ご本典」の中の、「主上臣下」を黒塗りにし、本願寺飛行機
献納運動を起こして、飛行機を贈ったり、戦時教学指導本部の
発足など。
1945年5月21日の「皇国護持」の消息

には、
わけても教導の大任を負ふ一宗の僧侶は率先門徒の陣頭に
立ち、粉骨砕身 衆を率いて奉公の誠を致し、以て皇国護持
の重責を完うせらるべし。
おくれをとりて六字のみ名をけがすことなからむやうに
とあります。
念仏を守るということが、驕敵撃滅に突進すべきことに、
みごとすりかえられていく、戦時教学。
以前に、このテーマで連研をやったときに、最後の質疑応答の
中で、このような思いを述べられた方がありました。
「将来、戦争が起こりそうになったときには、絶対に
ヤスクニが政治利用されないようにしなければならない。
それが、過去の歴史から学ぶということです」

スタッフの反省会

きょうも来てくださって、ありがとうございます
「国のために、愛するものを守るために戦死された方を、
靖国神社に祀るのは当然だと思いますが」という問いに
対して、
戦争で亡くなった人は功労者ですか? 犠牲者ですか?
戦死者に対して、感謝するのがいいのですか?
謝罪するのがいいのですか?
「国のため」か「国のせい」か?
そんな視点で、話し合い法座を行ないました。
そもそも、連研受講者の皆さんにとって、
「何で、真宗で、ヤスクニのことを考えるのか」という
素朴な疑問を持たれます。
裏返せば、ヤスクニ問題が念仏者としての一つの課題であると
いうことの意味を考えてみるのが、連研の狙いでもあります。
そもそも、ヤスクニ問題には、
① 感情の問題
遺族の感情 追悼と顕彰に揺れ動く遺族の感情があります
② 歴史認識の問題
戦争責任の問題 戦死者は被害者なのか加害者なのか
③ 宗教の問題
靖国神社ははたして、神道、宗教なのかという問題
④ 文化の問題
死(者)にどう向き合うかという日本文化の根幹の問題
この場合は、戦争で亡くなられた方とどう向き合うか
という、極めて、特別のものなんです
⑤ 施設の問題
国家が、その戦死者・英霊を祀る施設を管理していいのかと
いう問題です
そして、それに加えて、
本願寺教団が、教えを捻じ曲げてでも、戦争に協力していったと
いう歴史事実の問題があります。
「ご本典」の中の、「主上臣下」を黒塗りにし、本願寺飛行機
献納運動を起こして、飛行機を贈ったり、戦時教学指導本部の
発足など。
1945年5月21日の「皇国護持」の消息

には、
わけても教導の大任を負ふ一宗の僧侶は率先門徒の陣頭に
立ち、粉骨砕身 衆を率いて奉公の誠を致し、以て皇国護持
の重責を完うせらるべし。
おくれをとりて六字のみ名をけがすことなからむやうに
とあります。
念仏を守るということが、驕敵撃滅に突進すべきことに、
みごとすりかえられていく、戦時教学。
以前に、このテーマで連研をやったときに、最後の質疑応答の
中で、このような思いを述べられた方がありました。
「将来、戦争が起こりそうになったときには、絶対に
ヤスクニが政治利用されないようにしなければならない。
それが、過去の歴史から学ぶということです」

スタッフの反省会


きょうも来てくださって、ありがとうございます