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かかりつけのお坊さん 奮闘編

転勤も定年もリストラもない、失うものは何もない最強な坊主が日頃の“感謝”を言葉にこめて、日常を綴ります。

ヤスクニ問題(連研にて)

2013-11-09 22:45:18 | 日記
きょうは、連研第7期10回目の研修会でした。

「国のために、愛するものを守るために戦死された方を、
 靖国神社に祀るのは当然だと思いますが」という問いに
 対して、

 戦争で亡くなった人は功労者ですか? 犠牲者ですか?

 戦死者に対して、感謝するのがいいのですか?
 謝罪するのがいいのですか?

 「国のため」か「国のせい」か?

そんな視点で、話し合い法座を行ないました。


そもそも、連研受講者の皆さんにとって、

「何で、真宗で、ヤスクニのことを考えるのか」という

素朴な疑問を持たれます。

裏返せば、ヤスクニ問題が念仏者としての一つの課題であると

いうことの意味を考えてみるのが、連研の狙いでもあります。


そもそも、ヤスクニ問題には、

① 感情の問題
 遺族の感情 追悼と顕彰に揺れ動く遺族の感情があります

② 歴史認識の問題
 戦争責任の問題 戦死者は被害者なのか加害者なのか

③ 宗教の問題
 靖国神社ははたして、神道、宗教なのかという問題

④ 文化の問題
 死(者)にどう向き合うかという日本文化の根幹の問題
 この場合は、戦争で亡くなられた方とどう向き合うか
 という、極めて、特別のものなんです

⑤ 施設の問題
 国家が、その戦死者・英霊を祀る施設を管理していいのかと
 いう問題です


そして、それに加えて、

本願寺教団が、教えを捻じ曲げてでも、戦争に協力していったと

いう歴史事実の問題があります。

「ご本典」の中の、「主上臣下」を黒塗りにし、本願寺飛行機

献納運動を起こして、飛行機を贈ったり、戦時教学指導本部の

発足など。

1945年5月21日の「皇国護持」の消息



には、

わけても教導の大任を負ふ一宗の僧侶は率先門徒の陣頭に
立ち、粉骨砕身 衆を率いて奉公の誠を致し、以て皇国護持
の重責を完うせらるべし。
おくれをとりて六字のみ名をけがすことなからむやうに

とあります。

念仏を守るということが、驕敵撃滅に突進すべきことに、

みごとすりかえられていく、戦時教学。


以前に、このテーマで連研をやったときに、最後の質疑応答の
中で、このような思いを述べられた方がありました。

「将来、戦争が起こりそうになったときには、絶対に

 ヤスクニが政治利用されないようにしなければならない。

 それが、過去の歴史から学ぶということです」


  スタッフの反省会


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きょうも来てくださって、ありがとうございます
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