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お母さんピアノを弾いてください

優しい母が認知症、強制入院。介護で体を壊し退職。弟とのメールのやりとり、詩や短歌で介護の現実を紹介していきます。

本格的な相談

2008-04-12 00:21:32 | Weblog
2000年6月25日 19:39 ○○弟の名

兄上様

本日教会に於いて、母の事を牧師に話して下さり感謝致します。
太田先生も少しは動いて下さると思いますが、何にしても私たちが、結束を
堅くしないと駄目ですね。

 今日夕方前に、S(お隣の方)さんが来られまして、お庭の物置の戸を見ました。
 Sさんも、母の被害妄想である事を認識しておられます。
母には「また大工さんに来て戴き、中を見て貰ってハッキリと調べた方が
良い」と言っておりました。其れはそうする事により、此処には居ないという
事を明確に母に認識させる為です。
Sさん自身、内心は其の様な事をしても無意味と感じているでしょうが、
其れも良いかも知れません。
母親は、Sさんにも被害妄想である事を言われ、相変わらず悲しんで(悲しむ
必要性は無いのですが)いました。
私としても、母の泣いてる顔を見るのは辛いです(かく言う私も随分母を泣かせ
たかも知れません)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 関係者しか理解できないですね。
 家の物置に不審者が入り込みいろんなものを入れ込んでいる、それを見たからとお隣の人に確認してもらいに何度も行ったのです。
 お隣の方は、奥さんをとうに亡くして母も気遣っていたのです。でも、どんなに親切にしてても家族でさえ耐えられないような妄想には、誰でもそれまでの良い関係とかすべて忘れますよ。
 またそれ以上を期待できません、、、、。

 母はともかく自分が見たことが現実だと信じてるわけですから、それを信じてもらいたいのです。でも絶対に無理です。
 無責任にも
「そういうときはね、うんうんと聞いていればいいのだよ。」 
 と多くの人は家族に言うでしょうね。

 母は誰にも信じてもらえないから泣くのです。
 ですから、家族に決して分かり切ったようなアドバイス?は禁物ですよ。
 
 私たちはようやく糸口を見つけました。それを見つけるまでは家族の模索です。
もっと素早く見つけられたらと思います。

 保健所で認知症を抱える家族向けの相談日があったのです。それに申し込みました。


 写真は少女時代の家族写真、母は向って左。

 




「あなたも気をつけなさい」言ってはいけないこと

2008-04-10 19:22:21 | Weblog
藤棚を切ろうとははそはの母が言う 母よあなたも消えるのですか
                      抒情文芸  2001冬季号

 1998年(平成10年)~200年(平成12年)までは、母の行動になすすべがなかった。
 と言うよりは他のことは今まで通りでしたから、なんとか落ち着くかどうか期待感もありました。
 相談も随分しました、しかしすでに書いたように紋切り型の答えしか出てきません。

 ここで、家族に言ってはいけないことを紹介したいのです。

・認知症は遺伝するよ、あなたも気をつけた方がいいよ。

・お母さんがおかしいのね、だからあなたもおかしいのね。

・誰だって歳とればそうなるのよ。

・まじめな人ほどそうなるのよね。

 最初の2つは常識で考えても口にしてはいけないでしょう。
 でもそれを、なんらためらいもせずポロっと口をついて出されたのですよ。

 それも学校の教師がですよ、、。しかも年下の者がです、男女に関係なくそうした発言をしたのですよ。

 次の2つはかなり誤解されてます。

 歳とればそうなる、、、じゃあどうしたらいいんですか?
 まじめな人、、、、不真面目な人生を送ればいいのですか。

 歳をとれば判断力は低下するでしょう、でも何も分からなくなるのではないのですよ。
 母は長谷川式検査では、30あったのが今は15。
相当進んでます。

 しかし、今でも突然英語を思い出したり、話したりします。
 ピアノ曲を聴くと指が鍵盤をたたく動作をします。

 それを見る我々子供たちは一方で悲しくなることは事実ですが。

 虫の幻覚はやがて、不審者の妄想に変わります。
 近所の造園業者が天井裏に住んでる、床下に住んでる、夜中にお化けの格好をして驚かそうとする、床を掘ってる音がする、大きな音をたてて驚かそうとする。

 こうした状況で、もう医者に通わせるしかない、しかし医者に行きたがらない母をどうしたらよいか、そこでみんな悩むのですよ。

 母を連れ出したりします、しかし留守中泥棒が入ると怖がり出たがらなくなります。
 休みの日でも
「話していい、、、」

 で不審者がいるから、追い出してほしい、出て行ってくれるように話して来てほしい。
 
 限界に達したのが2000年(平成12年)です。


 写真は戦争中、航空研究所にいたころの母です。
 




ケアマネ be careful o fcare

2008-04-09 02:54:11 | Weblog
最初のケアマネ

「去年までは私は○○で不動産会社をしておりましてね、今度介護の方のお仕事もし始めたのですよ。」
 ははの介護度を決めるために来たケアマネはそう言った。
 介護がビジネスになるから、異業種が参入したことくらいは知っているが、
「大丈夫なのかなあ、、、」
それが私の第一印象
母は質問のすべてに、
「できます」
と答えてしまった。
 母はその人に不信感を抱いていた。

「これはもう、介護認定がおりますから。今後は専属のケアマネを設定しますが、私がそのままなってもいいですよ。」
「お母さまはお風呂は大丈夫ですか?よくお風呂で転ぶ方が多いのですよ。お風呂用の良い椅子があるのですが、ご紹介したいのですが。」

 その夜、再びこの人から電話があってしつこく
「お風呂の椅子を買いませんか。」

 これで母はますます、介護への不信感をつのらせてしまった。

 私はすぐ保健所に電話して事の次第を連絡し、

「介護が認定されるなどと言うこと自体おかしい、しかも盛んに椅子を買わせようとしている、ケアマネを変えてほしい。」

 この時期、多くのニワカ介護業者が続出して、問題多発の時期だった。

 これに類することはしょっちゅうだった。

 後にケアマネで親切な方に出会ったが、家で手すりをつける時、確かに大工は容量を得て、うまい。
 しかしなぜ、25万ぴったしなのか。
 国が払える目いっぱいの限度額までで見事に請求書が来た。
それでまた不信感を抱いた。

「介護の指定業者になることは金のなる木だと思ってます」
 テレビで覆面インタビューで 業者が答えていた。

 一つの家で、1年間で使える限度額は25万だとしても、一度に使わせるのは何事か。
 ほかにもお金の入用なことは沢山ある。

 このように、政府の介護制度はコロコロ変わりそのつど、業者に金が行くようなシステムを必ず入れていたのだ。

 今のケアマネは相当セレクトされてきていますけどね。
私のようにすぐ、行政に連絡するは文句を所長に地下に言うは、クレーマーではないのですが、身を守るためにはしょうがないです。
 そういうケースが増えたのでしょう。

 世知辛い、、、、人の不幸まで利用するとは、、、、
  
 おかしいと思ったらすぐに担当の、保健所の職員に連絡してください。
 税金をむさぼろうとする不当な輩がいますから。

 次の面接では、母にあまりできると言うと、サービスが受けられないよとアドバイス、この頃はまだ意思が通じて、
「介護度が上がったわ、あなたができませんと言うようにと話してたから、ずいぶんできませんと言ったから、、」
 と笑える余裕も、事情も理解していたが。



 写真は両親の結婚式
 

聞くことの限界・・・悪質リフォームもどきの大工

2008-04-07 19:36:54 | Weblog
 話をともかく良く聞きなさい、、、
 一番大事なのは家族の支えだよ
 まず兄弟で、家族でよく話し合ってから

 もし、あなたが認知症を抱えている人から相談を受けたら、これらの答え方はしない方がいいです。
 いや、止めてください。

・聞きすぎるくらい、聞いてますから。
・家族の支え、分かりすぎるくらい分かっているのです。まるで、知ったような顔 をして言われることこそ不愉快な思いをしないことはないです。
・話し合っても具体的な方策を見つけられないのです。ですから相談したいので  す。

 要するに抽象的な理想論は誰でも言えるのです。
 しかし、具体的なことは誰も言いません。

○家族で支えあう、、、では仕事をお互いに休みあい家にいるべきでしょうか。
           兄弟の家族に家に来て、我々が仕事に行っている間、母の           そばにいてくれと頼めるでしょうか。
           ホームヘルパーは24時間いるわけではありません。ではそ           のお金を兄弟で出したとしても、月に何十万も負担するこ           とになります。

 家族が思い余って、殺人に走る事件が後を絶ちません。
 その人は残酷な人だったのでしょうか?いいえそうではありません。むしろ生真 面目で一生懸命だったのです。
 その人の悩みに具体的に、助けを出した人がいるのでしょうか?
 いないのです。
 今の制度では、家族が認知症になった、では保健所などに相談に行ったそうしたら、すぐにヘルパーが来て助かった。などと言うシステムはありません。

 本人が望まなければ、デイサービスもいけません。老人保健施設も入れません、精神科の治療も受けられません。薬を飲みたくないと言えば、飲ませることもできません。

 ですからそうとひどい状態になるまで、つまり措置入院(強制入院)させるまで手が出せません。

 あくまでも我が家のケースです。

 私は、家庭内暴力の少年事件の話を思い出すのです。
カウンセラーの人は
「まず子供と向き合いなさい」
「頭から否定せず、なんでも聞いてあげなさい」

 有名な「仮面の家族」はこれにより最後は父親による殺人で終わるのです。

 暴力的な強制力が必要と言うのではありません。
医療的に、医師の判断で認知症の投薬が必要ならば家族の同意なりで、早期に治療ができるようにしてほしいのです。

 我が家でしたこと。

・不審者がいると言うから、防犯灯を私は買いました。
・鍵を付け替えました。
・虫よけに窓や網戸の隙間と言う隙間をふさぎました。

 その結果、母はますます欲求が高まったのです。

 母のしたこと

・欄間をふさぎました。
・床下を全部コンクリートで固めました。
・天井をふさぎました。
・畳の部屋を1部屋だけ残し全部、板の間にしました。日本間をですよ。

 大工に警告を出していたのに、合間を縫い大工は母の要望で施工をしたのです。

「相続の時大変だからさ、お金をどんどん使わせた方がいいよ、ねっねっ。」

 これが大工の言葉でした。
 悪質リフォームもどきです、ここまで金銭にこだわるのでしょうか、、、、。
 最初は家を改築したときは親切な人でしたが。

「私は大学の専門は法学部で、ちゃんと税計算をしてますが。」

 大工は沈黙してしまいました。





通院までの裏ワザ

2008-04-07 00:10:06 | Weblog
発病が1998年、平成10年だと言うことをブログを書きながら改めて確認しました。

もう10年たつんだなあ、、、。

 本格的に、母を医者に通わせることができたのは、発病後2年、2000年、平成12年の夏からだ。

 これは知ってほしいのですが、医者に通わせることがまず大変なのですよ。

 簡単にヘルパーをつけたり、介護認定してもらえばとか、デイホームに通わせたらと言うけれど、家族にとって、それをさせるまでが大変なのですよ。

 誰だって自分が認知症だと思わないし、思いたくない。
最近は自分でアルツハイマーだと、宣言する人も多くなってきたけど、ほとんどの人はアルツハイマーであることに気がつかないし、気がつく機会がないのだもの。

 また「ぼけ」の言葉に象徴されるように、人格を否定する言葉で定義づけられてしまうのです。

 歳をとろうが、認知症が進もうが「自尊心」や「恥」は人間である以上持ち続けます。

 歳をとれば、何もわからなくなるというのは誤った認識です。人格を持った人間です。

 幻覚や幻聴は本人は本当のことと思うのだから、
医者に行くことを説得するまで、本当に大変なのだもの。

 それこそ、制度としての介護よりも、こうした裏ワザの方が家族にとっては必要な知識ですから、、、。

 私の場合は母をだましたのです。

 先に病院を予約(これは家族でもできる)し、不審者がいると言う妄想を少しでも和らげるために、警察の方が来ていただいて

「息子さんも心配してるから、一度お医者様に行かれては。」

と話してもらい、間髪を入れず

「そうそう、○○(弟の名)が心配して実は診察の予約を取ってますよ、行きますか?」

 弟を可愛がる母はそれで納得したのですよ、、、。

 ここまで2年かかったのです。 


介護はマザコンではない

2008-04-06 14:00:13 | Weblog
凝固

夕方
音もなく木は上を指している
私は しがらみを脱いでいる
一つの固まりになる
仕事も女も地下水になっていく
境内は都会の中に
私の田舎を作っていく
フィルターの様な世界が広がる
その中に幼い私がいる
そして母が私を連れて歩いている
すまなさと さけびたい気持ちをかみしめて
私は固まったままであった
からみつく糸は切らずにおこう・・・
                                        抒情文芸1992春季号


 母親の介護をしてて、屈辱的な言葉を浴びることがあります。

 マザコン・・・・・です。
 実の親を思うことがそんな言葉で評価されていいのでしょうか。あまりにも人の心を無視した発言です。

 もし、そのような気持ちを介護している人に抱いたとしたらそれは二度と持たないでください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 発病した、1998年当時はおかしいと思いつつも、数年前に泥棒が入ったことや、夫を亡くし、老いてもきれいな母親をストーカーしている変な老人がいたのも事実で、渡したちは交番に行ったり、防犯灯をつけたり、さまざまなことをしました。

 それが良かったかどうかは分かりません、他に手がないですから。
 少なくとも、親孝行を放棄するわけにはいきませんから。

 またそのほか以外の行動はそれまでと変わらないのですから、一人で税金の申告もしましたね、英語で手紙を書いたり、何ら変わりがありませんでした。

 ただ、筋肉が弱ったと感じたのです。でも、それも老人特有のことかしらとか思いました。

 アルツハイマーが頭の方でなく体の方にも影響を与えることに気がつかなかったのです。

 写真は母の見合い写真です。弟にこのブログを始めたことを知らせたら、古い写真をスキャンしてくれたのです。
 少しずつ載せていきます。

 

母の変化、毎日が家宅捜査、戦い

2008-04-06 03:43:22 | Weblog
母は、徐々に悪化して行った。
私たち兄弟も手をこまねいていたわけではない、当然あちこち私的にも公的機関にも訪ねて行った。
 母が感染症で入院した病院の医者にも母を説得してもらい精神科に通院させた貰えないかと聞いた。

 しかし
「本人が希望をしないものは、強制できません」
というのだ。

 よほどひどい状態で、家族にも手に負えない、そこではじめて強制措置がでる。

母の妄想はひどくなり、警察、消防車を自分で呼んでしまう。

 そのたびに事情を話し、あやまる。

 家に帰ると、電話のチエック、どこへかけたか調べるのです。

 そこで、どんなことを話したか聞いて回るのです。
 お隣には、近所の誰それが床に住んでいるから出ていってほしいが弁護士に頼んだ方が良いのだろうか、とかそんな話をした。

 もう一人のお隣に行くと非常に迷惑そう顔をされた、
「倉庫を見てくれると言うから行ったら、足をぶつけてしまった。」

 そのご母がこの人へ頼みに行くと
「なんですか!」
と怖い顔をされたらしく、母親はもう頼みに行かなくなった。

 母が正常な頃は、奥さんを早く亡くしたお隣の方のお留守やら、病気をした時のお食事を作ったりしていたのだが、実にそっけないものです。

 やがて女を作り、家を売りどこかへ行ってしまいました。

 私はそれからは、あらゆる行政機関に母のことを知らせました。

 それがかえってマイナスの効果で、行政機関は母の相手をさらっとかわすので、母は話をする人を失ったのです。

 それでますます妄想を高め、母は自衛手段に出ます。

 財布や通帳を隠すのです。

 後に私が体を壊し退職後、すべて再発行するのですが、その時の苦労はまた書きます。

 毎晩、弟と家宅捜査です。
「どこを探しても見つからないよ」
と母は不審者が持って行ったと言い張るのです

 しかし見つけると
「みんなで馬鹿にして、、、」
と涙ぐむのです。

 こんな状態が毎晩数年間続くのです。

 それでも、私たちは悪い無何もしない息子でしょうか?

 弟は風呂に入れたり、料理を作ったりけなげでした。

写真母の結婚前に家族で撮ったものです。母は真ん中です。


次第に気がつくがなすすべがない

2008-04-05 10:27:16 | Weblog
 医者の診断が家族の判断を遅くさせることになる、、、、。

 医者に悪気はないと思うが、大きな国立系の病院でさえ、老人のたわごとで済ませてしまうことはあまりにも多いでしょう。

 また医者に頼んで、精神科に行くよう説得してくれと頼んでも、

「あなたが診療という形で訪れてくれないと、そのことについてもお話はできない
、また本人が拒否すれば精神科の診療は受けられないのです。」

こういう返事が、ほとんどです。

 つまりやりようがないのです。ですから、なすすべもなくと言っていいほど、と役を伴う治療など無く、最終的に強制入院しかないのです。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私から弟へのメール
1999年4月7日   母について

メール受領しました。

私も気になっていました、又かという気持ちは同じである。

多分、春になりそういう傾向が顕著になったのでしょう。悲しいことだです
が、、、。私が通っている心療内科の先生に母のことを話したら、こういうことは老 人にあり得ることなので、否定するよりそうかそうかと聞いてやっていればよいと話 していました。一番いいのは心療内科で薬をもらうことですが、、、。

 その機会があればいいが。
 この間母が私は老人性鬱病だと自ら話した時だったが国病での診察の結果(もっとも母 は虫のことも、変人のことをメインではなく、腹痛のことで行ったのだが)、内科の異常はないということだった。

  今は私の方も心痛く毎晩祈っているが、太田先生当たりに話しもしてみようかと思う。

交番に電話をしろと言ったが果たしてははするかどうか。ただし、母に私が以前交番 に行ったときは確かに安心したようだった。

要するに心療内科のドクターが言うように頭から否定せず、そうかそうかでいくのがベ ストと思う。

4/7 幸道


才媛から不幸への道のり

2008-04-05 01:20:29 | Weblog
 発病してからは、自分の世界に入り込んでいきました。
否定すれば機嫌が悪くなり ます、本人には見えていることですから。でもかといってすべて受容したいいものでもない。
 虫がトイレを汚す、うんちを運んで壁を汚す。。

 それを聞いた時

「おかあちゃまは、なんでそんなになっちゃんたんですか!ぼくらはみんな心配で何もできないじゃないですか」

 よくあるパターンです、家族がニコニコとして、優しく接ししていれば、、、、無理ですよ。普通の家庭では。。。

 誰かが犠牲になるのです、仕事をやめたり、体を壊したり、かといって親戚は何もしないですから。血を分けた母をですよ。
 号泣しました、、、、。もう耐えきれなくなったのですよ。
「あっそ、自分でやるから言い」

 同じような経験をした人は数知れないことでしょうか。

 やがて虫の妄想から、他の妄想に変わってきます。
天井裏に人が住んでいる、床下に人が住んでいる、ものが無くなる、人が入った形跡がある、裏の倉庫~は二階に侵入できるだから二階をふさぎたい、、、。

 この後悪質医者と大工と戦うことになる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・弟のメーる  1999年4月6日 19:33

兄上様

率直に申し上げて、母にはもうウンザリです。
昨日(月曜の夕食時)、母が貴方様に「またあの人が入ってきて、戸のレールを

壊した・・。」とか話し掛けていたのを覚えていますか。
多分、其の時貴方様は「また始まったな・・。」という気持ちだたっと思われま
すが、
不快な表情をされてました。
母も其れに気が付いた様で、気分を害した様です。
 一応私は母の事が気になったので、貴方様が部屋に戻られた後、
一言二言、気遣う意味で言葉をかけたのですが、母は大変無礼でした。
其れには流石に私も腹が立ちました。此処まで育てて戴いた恩義は忘れません
が、
気を使ってる相手に対して、昨日の母の態度は大変無礼であると思います。
今まで幾度となく其の様な事が有りましたが、其の度に私が折れるか、又は母が
折れるかして参りましたが、此度は本当に私も気分を害しました。
其れ故、もう母の事は一切気にしない事に致します。
はっきり申し上げれば「どうなろうと俺の知るところではない。」という事で
す。
只今、私も興奮状態に有りますので、的確な表現になっていないかも知れません
が、
一応私の心中御理解戴きたいと思います。
突然、此の様な電文を送りまして申し訳有りません。


               正道           
       (本人の了解で私たちは実名をつかうことになりました)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

弟と私は8歳半違う、人への物腰は私よりかなり良いのです、
なぜ8才も違うか、私が膿胸(海が肺の肋膜)にたまる病気をしたから、私がたぶん、すぐに死んでしまうと思ったのでしょう。

 母は弟のことは可愛がって言うことを聞くのです。
私はかなりきついことも言います。それでバランスを取っているようなものです。

 でもね好きでやってるんじゃないんですよ、死にそうな私を一晩うちわであおいで出くれた母親ですよ。

 この後さらに、悪質大工、悪質ケアマネ、、責任逃れの医者、、、、よくもまあ出てくるものだ。

 母の妄想近所の植木屋の従業員が配管を自分でやって、ガスや水道を天井や
床下に敷いているとい主張なのだ。

 どんなに否定しても、母にはそう見えるらしく、後で保健所の女性にと話している時、いきなり、植木屋が夜枕もとでお化けの格好をして脅かそうとするのよ、でも私が気がつかないふりをするの、人に話してもだめですね。

 とのことです。


 母は小学校から、英文科まで首席です。ピアノは曲を聴くとそのままコピーします。演奏もするし、譜に起こせます。
 語学は専門は音声学だけあって発音はとてもきれいな発音です。
他にドイツ語、英語、韓国語を話します。

 父親は戦争前に日米学生会議で渡米したので、英語はペラペラです。同期に宮沢元総理大臣や愛知喜一外務大臣もいます。
 父はそれが自慢だったようです。氷川丸で渡米したので、父は私たしたちを氷川丸に連れて行ってくれました。

 戦後、英語の話せる兵隊がいないので武装解除の折衝をすべて父が行なったのです。位があがり、さらに馬をもらったらしい。
 でも役にも立たないから馬はさっさと売ってしまったようだ。

 戦後、語学を買われGHQに雇われ通訳をする。父親は大学の専門は商業であるから商業英語などは得意中の得意、他にドイツ語フランス語、中国語はペラペラ話す。
 そこに仕事をいよいよしなきゃいけない、両家の子女である母が来るのである。

 父親は自信家でした、私は今でも偉そうなことを言う人間や自信家は嫌いだがこういう所に原因がある。
 とびきり難しい入試問題を作ってしまった。
 母だけがその問題を全部解いてしまった。。。。

 その後父は母方の祖父で、東洋レーヨンに就職し(これで意味が分かる人もすくなくなった)、初和40年代まで大学生の人気ナンバー1はトウレなど繊維会社なのだ。

 私の子供時代は、ほとんど父は家に、いや日本にいなかった。
海外を飛び歩き、繊維交渉から販売までして来る。
  あの当時、それができる日本人は数えるほどしかいなかったでしょう。

 私も羽田飛行場へ迎えにいき、飛行機から降りてくる父親を目前に見ている、双発機ですから。

 

害虫駆除 虫の妄想

2008-04-04 13:51:53 | Weblog
 ブログを描き始めてまだ、数日です。
 でもこのわずかの間にランキングが一気に100番以内に入りました。皆さんのおかげです、本当にありがとうございます。

 同じような経験、思いをされている方が多いのだと思います。

 でも、現実の社会では本当に介護を理解してるかと言うと全然違います。

・なぜ兄弟で協力し合わないのだ(職場から、母の知り合いから)

  協力し合わないわけがないです。ゆえにこのブログを起こしたのです。

・親がおかしいからあなたも変なのよね(職場から)

・母親が施設に入ったらもういいでしょ、土日仕事変わってよ(職場から)

・老人ホームって有料なの、国がやってくれるからただじゃないの?(職場から)

・ヘルパーつければ、医者に行けば、近所に頼んだら、親戚とか頼んだら(すべての人から)

 悔しい思いは多くの人がしてると思います。

 おまけに療休後、仕事の軽減措置で毎日2時間療休を取ることになりましたが、
「職場ではそんなこと無理だけど、取らせないと俺たちが怒られるからハンコ預けてよ、超えた分はその週で闇で取らせるから。」

 でもそんなことはなかったのです。それで再び体調を壊したのです。
 これでは、殺されてしまいます。

 そして去年の3月に早期退職を余儀なくされました。
 早期退職した者には仕事などあるはずもなく、引きこもりにならないように、ぼちぼちとNPO活動をしているのが現状です。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 母は虫がいる、部屋に入る、頭に取りつく、夜寝ると襲ってくる、、、そんな妄想から始まりました。

 最初は私たちも、本当かなあと思いつつも害虫駆除のサイトを探したり、網戸を治したり、保健所に聞いてみたりいろいろやり始めました。

 でもやがて、妄想が不審者に変わっていくのです。

 今思うと典型的なパターンでした。そういう症状が出るのは客観的に分かります。しかし、こと身内になると、それまでの正常な状態を知ってるだけに、本人の言葉を信じざるを得ないのです。

 またおかしいと思っても、本人は自分が間違ってないと思っているのですから、病院に行くことを絶対に拒否します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・弟からのメール 1998年6月8日 0:37

兄上様

母親の件ですが、少なからず精神障害を来しているのではないか、と
推察されます。今日も薬を部屋中に撒いていますし、其れを窘めると
「言っても誰も信用してくれない。」と言ってむずかります。
此のままでは、薬物に依る被害を被る結果となるやも知れません。
如何すべきでありましょうか。仮に母の言う事を肯定し、「其れなれば、害虫駆
除を依頼しては・・・。」と言うと、「お金が何万とかかる。」と言って、聞き
入れません。本当に困った事だと思いますが、何れにしても、
母の体が疲労の為に危険な状態に有る事は間違いありません。
一度精神科医に診て頂いた方が良いかと思います。
兄上の御意見を伺いたいと存じます。


   弟の名○○

 この頃私は、仕事に行くのに毎日家を5時45分に出てました。

お母さんピアノを弾いてください

タイトルとなった「お母さんピアノをひいてください」は抒情文芸平成13年春季号に掲載されたものです。 オリジナルモジュールで設置したので、常に上に来てしまうのですが、詩の形が崩れてしまいます。 妄想の中に一日いて おびえ閉じこもる母よ 死ぬほど私は辛いのです 小学生から大学まで首席の母 数カ国語を話し、独学で弾くピアノ 簡単なメロディーはすぐに採譜してしまう母私には できすぎた母だった 高等文官の娘に生まれ 私にも明治流の武士の作法を教えた母 母よ、あなたは私には重かった 父が浮気症でなかったら あなたはもっと幸せでおおらかに私を育てたろうに 悲しみとやり場のない怒り 私はもう子供じゃない 母には私はまだ十五の子供に見えるらしい 二度目の童子となった母 母を悲しませまいと自分を殺して生きてきた少年時 代、青年時代 母よ時には恨みもあるのです 私は普通の人なのです、あなたの家族のようなエリ ートにはなれません それもあなたの悲しみの一つです 私は独りです、それもあなたには悲しみですか 両親の不仲が私を学習に集中させなくなったほとん ど上の空の授業、とうとう不安神経症になった私 荒れた少年時代、机も椅子もよく投げた 立ち直らせてくれたのはあなただった 母よそのあなたが目の前で狂ってく なぜ、なぜ、なぜと叫ばずにおられない 心優しき弟はけなげに母をいたわり料理を作る 他の親族は己の主義に走り、以来家には無関心 挙げ句の果てに「お前達でやれ」とはそれがあなた の主義が出した正義ですか 私だって弱いのだ、いや本当に私は弱いのだでも仕 事でも、家でも強い自分を演じてきたそうしなきゃ 誰があなたをはげませたでしょう 私の救いはどこにある 私を慰める人はどこにいる 二度目の童子となった母 もう一度ピアノを弾いてください 私は歌うから、、、、、、。