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お母さんピアノを弾いてください

優しい母が認知症、強制入院。介護で体を壊し退職。弟とのメールのやりとり、詩や短歌で介護の現実を紹介していきます。

人間の尊厳、、、自分でするということ

2008-04-27 23:50:18 | Weblog

 写真は14年間我が家にいた猫です。猫嫌いな母が最後は猫が盗まれると言う妄想すら抱いたほど可愛がっていたのです。

 どうも、元気なうちに母のことを書いておきたいのだが、つい思い出すとふがいなさや憤りをどうしても抑えきれないです。そのことは十分理解してるつもりでも、感情を抑えきれません。
 光市の母子殺人事件の本村さんのように冷静になれればいいのですが、私などそこまでいきません。
 お見苦しいのはお許しください。

・・・・

 こうして記念会は済んだ。

「みんないなくなったね、、。」
 母はお客が去ったあとそう言った。
 もう長く生きられないから、皆にお別れをいったそれが母が最後に自分でしたことだった。
 
 思うに、どんなに歳とっても自分で何かしたいという気持ちを人間ん持ち続けないといけないのでしょう。
 本当の介護は、そうした人間としての尊厳をできる限り維持させることだと思う。
 今の日本では申し訳ないけど

「食べさせ」「あとはテレビ」見る「歯を磨く」「寝る」

 だけなのだもの。個々の状況に応じたリハビリなど毎日してはいない。

 有料の老人ホームなどは何千万円払っても、80歳だか85歳になったら出なくてはいけない。
 しかも毎月何十万も払い、病気になったら出ていかなければいけない。

 まるで詐欺だ、、、。そんなことをしている業者など正直老人から金をむしり取っているような気がする。
 
 国がそこまで手を回してないからこんなことが起こるのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2000年9月12日 23:50○○

AMANO YUKIMICHI wrote:
昨日は、母は風呂に入らないとか言っていたので、風呂にはいると例の人が来るとい
う妄想があるからかなあと思ってしまった。
 今日は、6時になりしだいすぐに下校しました。
母はうとうとしてました。その姿を見るとなんだか、悲しくなってしまった。もう一 度昔のお母さんに戻って欲しいとしみじみ思いました。
 O先生の奥さんは、23日は都合でこられなくなったそうです。母としては、い
くら浮気者の夫であっても、けじめを今回付けたいのでしょう。だからできるだけ多くの人に来てもらいたいのでしょう。
 そう思うと、叔父達に、現況を伝えたいような気にもなるし、兄貴やAさんに
言ってやりたい衝動もわく。が、しかたがない。せいぜいできる限りのことはしてやろうと思う。
 Yさんにはお金を払うのかとか聞いてきたのでただよと言っておきました。時間
は、とも聞いたので、制限ないよと言ってしまったが、考えたら他にも予定があるだ ろうなあ。
 眠れるようになったと聞いて、本音の所、うれしい思いです。良くなるといいが。
 記念会が終わると少しほっともするでしょう。
 私も10月になると下校時刻が5:30になります。11月には5:00に12月には4:30になります。もちろん進路の時は残業しますが、今よりは早く帰れます。

注)下校時間は部活動を含めた時間です。勤務時間は基本5時までです。少なくとも年休を取りやすいかなと言う意味です。実際には5時に帰れることなどありません。
 朝も家を5:45分に出てましたから。





 
 



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母よ不詳であることを許してください。

2008-04-25 01:53:23 | Weblog
写真は母を強制入院させた年のクリスマス。


母が席を立ったのを見て、堰を切ったかのように私は現状を説明した。
感染症の退院後、虫がいると言って、薬を大量にまき、蚊取り線香を5本もつけたり、寝る前にクレゾールをトイレに蒔き、畳を何度も何度も長い長い時間消毒液で拭いている。
 やがて不審者が天井や床下に住んでいる妄想から、何度も訴えてきて私たちも心が痛く、いないよと言っても「なんで信じれくれないの」「あれはおかあちゃまだけが見えるの」と言い行動をエスカレートして行った。
 パトカー、消防自動車(火をつけられたと言う妄想から)救急車を呼んでしまう。
 一気に話した。
叔母が「真佐子ちゃん年賀状に、今は言えないけど怖いことがあって、、と書いてあったけどそのことなのね。」

 我々にはできすぎた母、悔しいと言うか悲しいと言うか、母をここで没落させてしまうのか、、、、何と和我々は親不幸なのか、、、、。

 そんな思いが苦しめる。

 母は小学校から英文科まで首席を通した。英語のみならず、ドイツ語にも通じ、後年独学でハングルを学習した。
 風俗学民族がを好み我が家には「定本柳国夫」全集があり、私などもずいぶん教えてもらったのものだ。

 家に来たフランス人、ジョエル:プランティエールさんは、我が家に住み込んで母が私たちを育てる姿を見て、私たち兄弟の教育から日本の教育に関する本を書いたのです。
 ソルボンヌ大学を出て今はフランス国立教育研究所の教授なのです。

「あなたのお母さんは、行ったこともない場所や道を知っていたから本当に驚いたわ。」

 まあ母のこういうところは子供のころからだからそんなには驚かないけど。

 確かに、音楽を聴くとすぐに譜に書いたり、、叶わない才能だった。
 父親は父で、戦前日米学生会議でアメリカに渡り、同期に故宮沢喜一氏がいたり
、私には近寄りがたい。英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語。中国語、、5ヶ国語を操った。

 戦後何不自由なくらさせてもらったが、、、、。

 父の浮気には悩まされていた。私が少年ノイローゼになったのもそのためである。誰にも相談できず、苦しんでいた、、、、。これは成人してからも定期的に精神の変調を私に襲ってくるものである。
 誰にも相談できないこの苦しみ、それが母の認知症で加速した。

 母方の祖父は、昔の国家官僚。威張る人ではない、風雅を愛し、歌を詠む。それは私も受け継いだようだ。

 でもノイローゼ質と父の女好き、自慢、短気は継承してしまった。

 母は何度も泣いていた、子供の頃いつも母がいなくなるんじゃないかという恐怖感があったよ。

 ただでさえ感受性は人より強い私、絵を書けば金賞で東京まで展覧会で掲げられる。でも肋膜に膿がたまり学校に行けなくなる、、、血を吐く経験もした。
この辺だけ、文化人、、、と同じ。

 母は私たちを、真面目に育てようと思ったのでしょう。つまり、アマノの血筋を立とうとしたのでしょう。
 それは固い教育をさせましたよ。
今はその反発でしょう。。

 母にとっては理想の父親は、実の祖父ですから。
旧内務省に入り高等文官として、地方の県庁をまわり、名古屋の学校教育課長(これは今でいえば教育委員長)、警察本部長、最後は県知事だった。
 風雅を好み、速水御舟とも親交があり、家には多くの絵手紙もある。
子煩悩で子を愛する人で、子にはよきものを与えよという考えであった。

 それと名古屋の綿谷の息子である父親と結婚したのだ、子供心にも二つの世界の違いは良く分かりましたよ。

 でこの頃父の浮気は会社でずいぶん盛んだったようだ、私も見たが、、、、、。

 母方はみな男子は東大に進み、いとこたちも皆東大か東大でと結婚して行った。みな敬虔なクリスチャン家系だった。

 違いすぎる親も子には不幸です。それは幼いころから感じてきたことです。
 
 

記念会、保健婦さんの訪問、妄想の激化

2008-04-23 21:48:18 | Weblog
 写真は母が植えたつつじです。


 父親の記念会が近付くに連れ、母の行動はエスカレートして来た。
夜中でも、休日でも

「変なこと聞いてもいい?」

 この言葉は、必ず不審者を見た、変な音がした、なぜあなたはそれを信じないのか、、、になる。

 時に耐えられず私も泣きだしながら
「どうしてそんなになっちゃったんですか!」
と聞くときもありました。いやかなりありました。

 一方で通院は定期的になり、弟が半日年休を取り付き添うことになった。私は学年主任でとても休める状態でなかった。
 保健所の保健婦さんも定期的に尋ねてくれるようになった。

 私自身は、そのころもう主任は辞めて、家の近くにともかく転勤させてもらい、部活も辞め介護に集中しようと思っていた。せっかくなった主任だけどもう体力の限界だった。

 母は訪ねてきてくれた保健婦さんをとても気に入ったようだ。この方には感謝している。
 私たちは男三人であったから女性がやはり良いようだ。後にヘルパーをつける時でも、年配の方を嫌がった。
 年配のヘルパーさんが母のやり方に異議を唱えたり、「こうした方がいいですよ」とか口を挟むかららしい。
 この辺は今はだいぶ改善されたようですが、、、たぶん。
 若いヘルパーさんは、ともかく話を聞いてくれるから良いのだそうです。この辺は心理的にも納得がいきますし、かなり重要な問題です。

 いよいよ記念会。

 何日も前から、料理やら掃除やら私たちも手伝った。あの歳でよくできた思う。完璧主義なところがあって、日増しに大丈夫か不安になってくる。
 すべて母は済ませて皆にさよならを言うつもりなのだろう、それが身にしみる。事実すこしでも正気な状態で会うのが本当に最後になる。

 当日、母の弟の妻、母の妹、父親の弟夫婦、教会の牧師、兄、私、弟だけだった。

 兄は最初だけいてすぐに帰った。

 食事後、二階でお茶を飲んでるとき、窓につけた防犯灯がついた

「あの人が来た」
と母がベランダに出た。

 それを見計らって、その場にいた人に現状を話し始め。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2000年9月12日 19:33○○

兄上様

本日、Yさんに連絡し、14日の〇九〇〇時に来て戴く事になりました。
母が、Yさんを気に入ってくれると良いのですが。
此からは、母も沢山の人と会った方が良いと、考えます。
14日は、一応私も立ち会います。
最近は、多少眠れる様です。
以前は、寝入り端に変な人の声がしたそうですが、最近はしなくなったとの事。

多少は良くなったのでしょうか。
此のまま良くなって戴きたい。

              ○○


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セレネース

2008-04-22 20:53:14 | Weblog
 写真は強制入院させた年のクリスマスに外出させた時のものです。
 今は認知症がさらに進んでしまい、掲載を私はためらってます。母が見せた母らしい雰囲気が出ている貴重な写真です。


2000年9月2日 9:48 ○○(弟の名)

兄上様

○○から、父の記念会及び私の書面に対する回答が戻って参りました。
正直申し上げて憤慨致します。
先ずは書面の内容を私が長男に送ったのは緑色で、○○からは青色にて添付致します。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この後は省略します、少々なまなましいので。同じ家族でも離れると、理解できないこともあります。
結婚する前から家を出ているのと、身近で介護する家族とでは意識が大きく違ってきます。

 同じような思いをする方もまた多いでしょう。
いや、職場でも家族の介護をしている方と話をしたら、やはり介護をめぐり兄弟姉妹でもめたとか、葬儀の時だけかいがいしくするとか、人間のいろんな部分が見えるのも、また見るのも介護を通じてなのは、昔から変わらないのでしょう。

 この頃医師から処方されていたのは、セレネースだった。
今思うとそれほど強い薬ではないようだが、、、。

 老人が処方する以外にも副作用を気をつけるからだろうが、投薬の効果を今か今かと待つ家族には歯がゆい思いもします。

 この辺が難しいところです。




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家族の疲労…多くが睡眠不足・過労・本当の疾患へ

2008-04-20 00:19:25 | Weblog
 写真は幼少の母、かなり古いあまり美人に写ってない、、。 

 かなりこの頃になると家族の心労も相当なものになる。
 私自身今に至るまで、睡眠導入剤、抗鬱薬を飲み続けている状態。

 人間にの生活にはリズムがある、それがなんども中断され、興奮、緊張が繰り返されれば、睡眠だっておかしくなる。
 何度も寝られない夜も過ごした。

 私は数年後、在宅酸素療法をするまでになった。歩くときは酸素ボンベまでもって行った。

ここでまた注意すべき一言

「あまり気にしないで」
「大きな気持ちで」
「寝る時はみんな忘れて、、」

 およそ無責任な発言にしか思えません。私もつい言ってしまう言葉です。でもストレスがたまってる人に直に言うと、カチンと来ることがあります。

 それほど家族の悩みは深刻だということです。

 父親の記念会が近付くにつれ母が興奮することが多くなりました。
母は手を抜くことができなかったのでしょう、、。

・・・・・・・私の記憶も日々曖昧になってきました。話しが前後します。メールの内容は医療センターに行く前のものです。

2000年7月13日 22:30

兄上様

本日は休暇を取って○○センターに赴いて戴いた事、心から感謝申し上げます。
此を機会に僅かでも、前進来れば幸いです。
22日(火)は、私が会社に許可を貰って伺おうと思います。
0先生やAさんは、あてにしたくないのですが、最早其の様な事を申してる
場合ではなさそうですね。

                ○○

AMANO YUKIMICHI wrote:

> 本日、○○センターへ行きました。
> 保健婦のFさんと最初話し、その後精神科医のN先生と相談。
> ・昼間、一人にさせないことがいいとのこと(だから、一週間に一回くらい0先生とかAさんとか来てもらうとかするといい。あるいは婦人会で交替できてもらうと
> か、、、。)
> ・○○医療センターに、DR K(老人医療の専門家)がいるのでN先生
> から紹介状を書いてもらいました。明日、とってきてください。場所は同じ××番窓口。担当はYさんだけど、他の人でも大丈夫とのこと。今後の方法としてはK先生に相談し、総合内科に今、母が通ってるからそこの医者と連携してもらい、母を精神科に行かせるか、家族で相談し(つまり私やあなた)、こっそり薬をもらい、食べ物とかに混ぜるかする、ことも考えられる、とのこと。
> ただし予約がいっぱいで、8月22日(火)を押さえてあります。予約名は母です。
> 10:00ころ一般受付で受付し、精神科外来を頼み、後、精神科で待つそうです。
> ここでこまったことに私はこの日どうしても休めないのです。実は司書教諭の講習会中で欠席すると単位がもらえないのです。
> 医療センター(0000-0000 代)には私の電話を教えてあり、キャンセルがあると私の電話に入れてくれるそうです。携帯にワープするのでそのときは伝言にしてくれとも頼んでおきました。



・・・・・ちなみに食事に混ぜるなど言うことは現実にはできません・・・・





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悪質リフォームもどき大工とのやり取り

2008-04-17 19:54:47 | Weblog
 写真は母の植えたヒマラヤ雪の下

 母は亡き夫、つまり私の父親の記念会を催したいその一念を抑えきれなかったのだと思います。
 床の間を直したいというのです。そのお金を少しでも負担したいと息子としては考えるわけですよ。

 この大工は最初は頼りになると感じていたのですよ、私たちがいないときに母が大工に電話すると、家に来て天井やら床を覗いてくれるのです。
 ところがどうも母の話からおかしいと思う言葉が出てくるのです。

「ふすまと畳を変えたいの、今はもうお金を貯めないのよ、どんどん使っちゃおうと思うの。」
 その夜大工に電話をした

「お母さん大変だね、この間も見に行ったんだよ。」
「いつもすみません、ありがとうございます。」
「ああ、あなたは学校の先生だとかいう話だね。」
「改装費を少し負担したいのですがおいくらかかったのですか?」
「ええとね、、50万だよ。でもねえ、相続の時大変だよ、どんどんね、つかわしちゃった方がいいよ、私も女房の貯金どんどん使ったよ。ね、そのほうがいいでしょ、ね、ね、」

 思わず怒りが込み上げてきた、そんな理屈が通るとでも思っているのか。よほどなめられているのか、世間で教員バッシングが強いとはいえ、ここまでなめられているのか、、少なくとも同じ4年制大学だけどね、、、。

「いや、それは違う。私はもともと法学部出身だし、もとは行政にいた。税計算もやったが、、。」
「・・・・でもそれは計算した時と違うでしょ。」
「またやり直したけどね。」
「、、はあ、、そうですか、、。」
「で改装にかかる費用はいくらですか?」
「五十万です、、」
「そんなにかかるのですか、母の話だと二十五万位と言う話だったので、私は二十五万ボーナスを使わずにいたのですが。」
「もう、請求書切っちゃったよ。」
「ですから、私は前々から用意していたのですよ、それと母がこういう状況ですから、今度母が何か電話したら必ず私に連絡をしてください。」

 この大工その後何度も母の要求を聞いていた。
 それゆえ、転勤後そういう事実もあるから早く帰宅したいと管理職やら同僚に話したのだけど一切、考慮はしてもらわなかった。

 私がこのブログを書いてるのも、介護を理解しない現状がまだまだひどいとしか言いようがないからです。

 どうしたら周囲に理解してもらえるか、同じ悩みを抱えている人は数多いはずです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
2000年8月28日 16:08○○(弟の名)
on 00.8.27 8:50 PM,

兄上様

母から今朝1週間前から変な臭いがすると言っておりました。
あの人が原因と思っている様です。

嫌われ役は私も同じです。


> 修養会ご苦労様。
> 不安感はまだ母から消えてませんが、母に自立させするため、わざと家では寝ません
> でしたが、「何かあったら電話する」と言ってましたが何も言ってきませんでした。
>  大工には経過を話しました。その方が、無理難題をしなくなりますから。何とか50万円台に抑えてもらいました。
>  今、薬のリバウンド状態でしょう。最初の3日くらいから、一時期症状が戻ること
> があります。それを越えると徐々に効果が出てきます。私は憎まれ役に徹します。言
> うべき所は、母にも、関係者にも言います。あなたは母にはいい子でいてください。
> 私も早くあの世に行くでしょうから。
>
>

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そして通院が始まった

2008-04-16 19:26:37 | Weblog
 前回の日記で書いたように、もう何とでもなれという気持ちでやったことが功を奏して母を通院させることに成功しました。
 また一方で保健所の保健婦さんが訪ねてくれるようになりました。

 こうした記事を書いておく必要があるので、書きます。
 ともすれば
「家族の愛情が足らない」
「何もしなかったのか」
 とか猫の毛を逆なでにするような、人の神経に触るような発言をする人が多いのですよ。
 結局はマニュアルに書いてないところで家族は苦労するわけで、それは家族しかできないものです。
 それゆえに、周囲の理解は本当に必要なのです。

 最初の通院は、私も弟も同伴しました。

 ここでの第一印象
 医者の言葉使いが嫌だ、、、、。
「あのね、だからね、じゃあね、うん、そうだよ、面接は10分と決まっているんだ」

 年功序列の問題でなく、こういうため口は患者や家族にすごく不愉快なものです。
 少なくとも丁寧語で話してもらいたいものです。患者や家族は医学には素人です、ですからまるで人質に取られたような気がして文句も言えないのですから。

 これも後で分かるのですが、私の同僚の教え子だった、、、。それが分かった時態度が変わりましたが、、。

 医師は投薬に関しては相当慎重で「本人の同意なくては」と言う言葉を選んでいた。
 これが曲者で、認知症の患者にその判断をゆだねるのはいかなものかと思わざるを得ない。

 母がこの時期、神経が興奮状態に達した背景にには父が亡くなって30回忌を迎える前に
「父の記念会をしたい」
と母が言いだしたことによる。
 「自分がもう30回忌まで生きていけないから、早くやる家も直したい」
 それが何でも自分でもやりとおそうとする母の気質に火をつけた感じだった。
自分はもう死ぬ、だから妻としてなすべことをしておきたい、親戚にお別れを言いたい、それが本音だった。
 だから床の間を改築しようと言い始めた、これが大工のつけ入るいい口実にもなった。
 
 人をだましても金儲けをしようとするのを目の前に見るのは実にいやなことだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2000年7月16日 21:22 ○○(弟の名)

兄上様
御多忙にも関わらず、母上の事で遁走して下さり感謝致しております。
長男には、此の際何も報告しない方が良いと思います。
恐らく、自分自身の事で頭がいっぱいでしょうし、まして財政的援助を彼に求めるのは、酷というものです。
 私の場合、今月21日に賞与が出ますので、僅かですが10万円程出したいと思います。
如何でしょうか?
母上から本日、兄上様が記念会の為の資金援助をされた事を聞きました。
愚弟の私も、僅かですが協力致します。
O先生の協力も、最早期待致しておりません。
先日、出勤途中に教会に行き、先生に相談しに行ったのですが、お話した通り「先ず、兄弟3人で話し合って解決するべきだ」と何度も言ってました。

 先生の助言は当然至極ですが、我が天野家の場合は環境上、普通の兄弟とは異なります。
然し、其れを先生に説いたところで、理解は出来ないでしょう。
然も、結構言いたい放題言っていたので、正直言って頭にも来ています。
結局、関わりたくないのかなとも思いました。ならば、先生にはもう頼まない・・・と私自身は、意を決した次第です。
 教会の人々は当てにならない。此が本音です。ですから我々だけで、解決致しましょう。

写真は母の育てていたつつじ
 
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ようやく通院、その裏ワザは「だますこと」、、、

2008-04-15 01:00:26 | Weblog
 ほとんど何かに操られていたような気がします、もう無意識に車を走らせ行きついたところは、最寄りの警察署だった。
 前から考えていたことを実行した。
 
「すみません、K県の学警連の者ですが、生活安全課に用があるのですが。」
 補導員証を見せた。
「そうですか、少々お待ちください。」

 学校や地域によっても異なりますので説明します。
 学警連とは学校警察連絡協議会のことです。通常は学校の生活指導担当の教員が代表して会議には出てます。それ以外に学年の生活指導担当がいます。勤務していたところでは、学年主任が生活指導担当を兼ねていたので、補導員証を持っていたのです。
 ただし、これは法的に何ら権限がありません。

 相談室に通された。
「K県の先生、で、今日はどんな御用で?」
「実は母のことで伺ったのです。かなり厚かましいお願いなのですが、、。」

そこで、私は話しました。
・母が近所の人が天井や、床下に住み込んでいる妄想を抱いてること。
・日中一人になり、ますます不安になっている。
・病院へ行きたがらないが、予約はしている、もしパトロールついでに家にきて声 がけでもしてくれたら安心するのではないか。
・その後はフォローして通院につなげられると思う。
・数年前に実際泥棒が入り、それが不安につながっている。
・私のこと、父のこと、祖父のことなど話した。私はこうした個人的な話をした方が人間関係を構築するには良いと思いますし、相手に安心感を与えると思ってます。まして初対面で大事なことをお願いするのですから。

「分かりました、で、先生は家においでですか?」
「明日と、○日はいます。」

*かなり無謀だったけど、全く無謀でもないのです。
 私は大学を出て最初は教員ではありませんでした。法律が専門だったのに配属先が青少年相談所だったのです。
 これは戦後、孤児が巷にあふれ第一期の非行のピークと言われる、昭和25年に全国の主要都市に置かれたもので、厚生労働省の管轄下にあるものです。
 ここには、行政側から事務職、学校側から指導主事、警察から警部補、婦警、婦人相談員が常駐していたのです。
 今はかなり状況が違います。
 私はここで街頭補導、プレイセラピー、心理判定もしたのです。それで興味をもって教員試験を受けなおして転職したのです。
 そこで、警察の方から
「派出所は、市民相談の窓口で、青少年問題も扱うのです。」
と教えてもらったのですよ。
 ですから、市民相談として、一人住まいの老人を見守る、と言う意味で訪問してくれないでしょうかを頼んだのですよ。
 それはその方が頼まれた警察の方にも動きやすいですから、、。

 それから家に帰ると、電話があった。
「明日お伺いします。」
 母に
「あのね、心配したから警察に行ったらね明日来てくれるって。」

 翌日
「あの人は昨夜は来なかったは、おかげで安心してよく眠れたわ。」

 午後一番で、警部補と婦人警官が来た。
 余談だが、婦警さんは相当な美人だった、、、、。

 母は不審者が住み着いてると言い張る、裏の倉庫に手招きした。
 その姿を見て、母はもう昔の母でないことを痛感した、、悲しい。
一通り家の内外を見回り、部屋に戻った。

「おかあさんね、色々見させたもらいましたけどね、異状はないですよ。」
「さようでございますか、安心しました。私はおかしいのでございましょうか?」
「いいえ、でもだいぶお疲れのようですよ。ここは息子さんも心配しておられるから病院で少し落ち着かれたらどうでしょうか。」
 来た、ここしかない!
「あのね、○○(弟の名)がね心配してね、○日に病院を予約してくれたんだよ、行きますか?」
「そうありがたいわねえ、じゃあ行くことにしようかしら。」

 今でもお二人の警察の方には感謝してます。

 ただしその後症状が悪化したとき、安心感を味わったためでしょうか、何でもかんでもパトカーや消防車を呼んでしまう様にりましたが、、、。

 認知症の家族が一番困っているのが、通院させること、デイケアなどに通わせること、ヘルパーを家に来させること、仕事のある人は仕事が休めないこと、ホームなどに入所させること、、です。

 いとも簡単に
「なんでヘルパーつけないの。」
「デイケアに行かせればいいじゃん。」
「親戚とか兄弟の嫁さんに来てもらったら。」
 そんなことは絶対に家族の者に言うべきではないのです。 

 手引書に書いてなくて、一番難しいことなのです。これができないから、家族で殺人が起きたり、家庭崩壊したり、離婚したり、するのです。
 嫁がいるかどうか全く関係ありません。第一奥さんだけに任せられない問題です。またそんな負担を要求するのはおかしなことです。

 私のやり方は、どのケースにも当てはまりません。でも、手引書に書いてないときは裏ワザしかないのです。
 悪く言えば「だました」のです。
 認知症の家族を抱えた方から、「どうやって通院させた」「どうやって入所させた」とよく聞かれます。
 私は「だましました」と答えてます。精神的にはすごくつらいです。でもとんでもないことでうまくつながることが多かったのです。
 それは後々書きますが、強制入院させた時も、
「健康診断の結果すぐにでも入院しなければいけないよ」
 と嘘をついたのです。

 車の中で泣きそうになりましたが、、、。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2000年7月11日 23:47○○弟の名
兄上様

いろいろと本当に有り難う御座います。
何とか、母には元の様に元気になって戴きたいと願います。
兄上、早く適当に種を植え付けて下さい。
何人でも構いませんから。(宇宙人でもいいよ!)
私は女が苦手なので、そのあたりはちょっと厳しいです。
先ずは、木曜日のカウンセリングに期待したいと思います。

2000年7月13日 22:30○○弟の名

兄上様

本日は休暇を取って福祉センターに赴いて戴いた事、心から感謝申し上げます。
此を機会に僅かでも、前進来れば幸いです。
22日(火)は、私が会社に許可を貰って伺おうと思います。
O先生や兄嫁は、あてにしたくないのですが、最早其の様な事を申してる
場合ではなさそうですね。
 
 
2000年7月19日 23:36○○弟の名

兄上様

母の事では、兄上のお陰で少し安心致しました。

 
 写真は母が可愛がっていた猫です。14年いて母が強制入院した後も一時帰宅した時でも母を覚えていて膝に乗ったものです。でも今年、二月亡くなりました。






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老人医療専門医

2008-04-13 20:57:36 | Weblog
 区の相談日に行ってきた。
 面談してくれたのは「元医者」だというのだが、元医者と言う意味が良く分からない、、、。

 母の状況を話した結果、「老人医療専門の医師に見せた方がいい。」
とのことだった。
「知ってるお医者様は老人医療のスペシャリストですよ。」

 その場で○○医療センターの医師を紹介してもらった。もう躊躇と言うか考えている場合ではない。

 その後すぐに携帯電話で、○○医療センターに電話した。
「本人を連れてこられるか。」
「それは無理です。」
「ご家族だけでも来てほしいのですが。そういうケースは多いです。」

 予約するしかない、どうやって医者まで連れて行くかは考えが及ばない。

 弟にメール、この頃はもう携帯でのやり取りの方が多くなってきた。

「でもどうやって母を医者に連れていくの?」

 病院の予約日一週間ほど前、母が私に言う。

「あの人に出て行ってくれるように、○○会社へ行って説得してもらえないか。」

 母は近所の○○会社に勤める男の人が床や天井に住んでいると思いこんでいるのだ。家に住み込んで家を乗っ取ると信じている。

「いいよ、そこの経営者が中学の先輩だから。」

 とっさのウソだった。もしかしたらその人に頼みこんで芝居をしてもらおうかとか思ったのだ。

 家を出て車に乗った。前々から考えていた無謀な計画を、ほとんど無意識に実行しようとしていた。

 車はその会社の前を通り過ぎた、もう自分でも何か知らない力に引かれているように感じた。



写真は庭に咲いた鈴蘭。母が植えた花です。今年も咲きました。

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いよいよ相談へ

2008-04-13 04:16:06 | Weblog
2000年7月11日 10:18 ○○弟の名


兄上様
福祉センターの明細です。御多忙と存じますが、何卒宜敷お願い申し上げます。
日時:7月13日(木)15:30時~
名称:○○(  )福祉センター
住所:世田谷区 ○○力 ○-○-1
   ○○○駅の眼前。出張所の2階です。

電話:*****-****

*出張所の2階、26番窓口に行き、「F」さんを訪ねて下さい。
 実際の担当は「Y」さんだそうです。

以上です。              天野 ○○
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 区の施設、老人の介護にかかわる相談をしている日を見つけてくれたのだ。
こればかりは弟に感謝している、彼がこれを見つけてこなかったら、ずっとそのままだったでしょう。大きな事件が起きるか、我々の我慢も限界に達して爆発してたことでしょう。それこそ流血騒ぎもありえた。

 こうした相談には私が年休を取って行っていた。なぜかと言うと、弟は民間企業で休みにくい、、私は公立学校の教員、それも学年主任。
 本来休める場合ではないのですが、学年のスタッフも管理職も良く理解してくれていて、介護でお休みしたいのですが、と話すと「どうぞどうぞ」と気楽に言ってくれる雰囲気だった。

 この学校ではだ、、、、、。次の学校で、、、、今は詳しくは書けない、、、。


 私のことをあまり書きたくないが、私は32歳で教職に転職して、母の介護で体を壊し療休、早期退職をしてしまったのだ。
 中途採用だから、学年主任はこの学校が最初で最後だった。次の学校には校長の計らいで家から一番近い、それでも1時間15分かかるが異動させてもらったのです。
 次の学校の管理職や職員に転勤そうそう、母のことを話して、主任でなくてもいい、担任でも何でもやる、ただ運動部だけは介護が危機的な状況だからさせないでくれと話した。
 それを全く無視され私自身が体を壊し、しかも療休を取ったことにしてハンコを取り上げられ、実際は仕事をさせられていた、、、、。


 





   



お母さんピアノを弾いてください

タイトルとなった「お母さんピアノをひいてください」は抒情文芸平成13年春季号に掲載されたものです。 オリジナルモジュールで設置したので、常に上に来てしまうのですが、詩の形が崩れてしまいます。 妄想の中に一日いて おびえ閉じこもる母よ 死ぬほど私は辛いのです 小学生から大学まで首席の母 数カ国語を話し、独学で弾くピアノ 簡単なメロディーはすぐに採譜してしまう母私には できすぎた母だった 高等文官の娘に生まれ 私にも明治流の武士の作法を教えた母 母よ、あなたは私には重かった 父が浮気症でなかったら あなたはもっと幸せでおおらかに私を育てたろうに 悲しみとやり場のない怒り 私はもう子供じゃない 母には私はまだ十五の子供に見えるらしい 二度目の童子となった母 母を悲しませまいと自分を殺して生きてきた少年時 代、青年時代 母よ時には恨みもあるのです 私は普通の人なのです、あなたの家族のようなエリ ートにはなれません それもあなたの悲しみの一つです 私は独りです、それもあなたには悲しみですか 両親の不仲が私を学習に集中させなくなったほとん ど上の空の授業、とうとう不安神経症になった私 荒れた少年時代、机も椅子もよく投げた 立ち直らせてくれたのはあなただった 母よそのあなたが目の前で狂ってく なぜ、なぜ、なぜと叫ばずにおられない 心優しき弟はけなげに母をいたわり料理を作る 他の親族は己の主義に走り、以来家には無関心 挙げ句の果てに「お前達でやれ」とはそれがあなた の主義が出した正義ですか 私だって弱いのだ、いや本当に私は弱いのだでも仕 事でも、家でも強い自分を演じてきたそうしなきゃ 誰があなたをはげませたでしょう 私の救いはどこにある 私を慰める人はどこにいる 二度目の童子となった母 もう一度ピアノを弾いてください 私は歌うから、、、、、、。