2001年 秋
母の症状が次第に落ち着いてきた。そう感じたのは、11月頃だった。
一緒に、・・○○医療センターに行った時だった、
「例のひとはまだきますか?」
と医者が聞いた時
「家を出ていきましたが、まだ時々来ます。」
この医者の治療法というか、カウンセラーにもならないのだが、医者の言葉を引用すると
息子さんたちを交えて、母親と医者の会話の中でそれはおかしいよというような話になり、本人が
「やはりおかしいのかなあ、じゃあ入院してみようか。」
という気持ちになってくれることを期待しているのだ、というの、、。
このドクターは、老人医療の専門だというのだが、、、どうも家族にとっては納得がいかない。だが患者にとってはいわば人質を取られたようなものであるから、逆らうこともできないし反論もできない。
ただ素人考えだが、認知症で妄想が激しいのに、しかも二週に1度の診断、それも10分でこんな方法がベストなのか、、、激しく疑問だ。
変化を感じたのは、妄想をあまり言わなくなったことだ。どれだけ精神的に家族は楽なことか、、、、。
ただ副作用は出ているので、手足が衰えてきた。でもそれはヘルパーや帰宅後の私たちの世話でも十分できる範囲だ。
12月のクリスマスは楽しくやろうよ、弟とそんな話をしていた。
・・・・・・携帯のメールで覚えているのは
母の指はバネ指で衰えている、薬の副作用だと医者に言われた。
これが、1月に大変なことになる、、。
私も仕事で土日も部活に出ていてふらふらの頃だった。
こうした事実は、学年主任、教頭、校長、部活の顧問にも逐一話した、、しかし
校長などは
「あっそう、、」
で終わりなのだ、、、。
学年主任は、
「町田の老人ホームに入れたら職場から近くていいじゃないか」
という。
「それじゃあ弟や休みの日に帰って負担じゃないですか、それに家から遠いところは嫌がるのです」
と話すと、何も言わない、、、。
部活熱心な教員は
「ここを最後の学校と思い、部活で最後に花を咲かせて、、、」
部活は仕事じゃない、、優勝すれば学校でのすべての発言権が強くなるなんておかしな話だ。
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母の症状が次第に落ち着いてきた。そう感じたのは、11月頃だった。
一緒に、・・○○医療センターに行った時だった、
「例のひとはまだきますか?」
と医者が聞いた時
「家を出ていきましたが、まだ時々来ます。」
この医者の治療法というか、カウンセラーにもならないのだが、医者の言葉を引用すると
息子さんたちを交えて、母親と医者の会話の中でそれはおかしいよというような話になり、本人が
「やはりおかしいのかなあ、じゃあ入院してみようか。」
という気持ちになってくれることを期待しているのだ、というの、、。
このドクターは、老人医療の専門だというのだが、、、どうも家族にとっては納得がいかない。だが患者にとってはいわば人質を取られたようなものであるから、逆らうこともできないし反論もできない。
ただ素人考えだが、認知症で妄想が激しいのに、しかも二週に1度の診断、それも10分でこんな方法がベストなのか、、、激しく疑問だ。
変化を感じたのは、妄想をあまり言わなくなったことだ。どれだけ精神的に家族は楽なことか、、、、。
ただ副作用は出ているので、手足が衰えてきた。でもそれはヘルパーや帰宅後の私たちの世話でも十分できる範囲だ。
12月のクリスマスは楽しくやろうよ、弟とそんな話をしていた。
・・・・・・携帯のメールで覚えているのは
母の指はバネ指で衰えている、薬の副作用だと医者に言われた。
これが、1月に大変なことになる、、。
私も仕事で土日も部活に出ていてふらふらの頃だった。
こうした事実は、学年主任、教頭、校長、部活の顧問にも逐一話した、、しかし
校長などは
「あっそう、、」
で終わりなのだ、、、。
学年主任は、
「町田の老人ホームに入れたら職場から近くていいじゃないか」
という。
「それじゃあ弟や休みの日に帰って負担じゃないですか、それに家から遠いところは嫌がるのです」
と話すと、何も言わない、、、。
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