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お母さんピアノを弾いてください

優しい母が認知症、強制入院。介護で体を壊し退職。弟とのメールのやりとり、詩や短歌で介護の現実を紹介していきます。

バネ指

2008-10-26 22:45:05 | Weblog
2001年 秋

 母の症状が次第に落ち着いてきた。そう感じたのは、11月頃だった。
一緒に、・・○○医療センターに行った時だった、

「例のひとはまだきますか?」

と医者が聞いた時

「家を出ていきましたが、まだ時々来ます。」

 この医者の治療法というか、カウンセラーにもならないのだが、医者の言葉を引用すると

 息子さんたちを交えて、母親と医者の会話の中でそれはおかしいよというような話になり、本人が

「やはりおかしいのかなあ、じゃあ入院してみようか。」

 という気持ちになってくれることを期待しているのだ、というの、、。

 このドクターは、老人医療の専門だというのだが、、、どうも家族にとっては納得がいかない。だが患者にとってはいわば人質を取られたようなものであるから、逆らうこともできないし反論もできない。

 ただ素人考えだが、認知症で妄想が激しいのに、しかも二週に1度の診断、それも10分でこんな方法がベストなのか、、、激しく疑問だ。

 変化を感じたのは、妄想をあまり言わなくなったことだ。どれだけ精神的に家族は楽なことか、、、、。

 ただ副作用は出ているので、手足が衰えてきた。でもそれはヘルパーや帰宅後の私たちの世話でも十分できる範囲だ。

 12月のクリスマスは楽しくやろうよ、弟とそんな話をしていた。

・・・・・・携帯のメールで覚えているのは

 母の指はバネ指で衰えている、薬の副作用だと医者に言われた。


 これが、1月に大変なことになる、、。

 私も仕事で土日も部活に出ていてふらふらの頃だった。

 こうした事実は、学年主任、教頭、校長、部活の顧問にも逐一話した、、しかし
校長などは
「あっそう、、」
で終わりなのだ、、、。
 学年主任は、

「町田の老人ホームに入れたら職場から近くていいじゃないか」
という。
 
「それじゃあ弟や休みの日に帰って負担じゃないですか、それに家から遠いところは嫌がるのです」

と話すと、何も言わない、、、。

 部活熱心な教員は

「ここを最後の学校と思い、部活で最後に花を咲かせて、、、」

 部活は仕事じゃない、、優勝すれば学校でのすべての発言権が強くなるなんておかしな話だ。


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28年前、、、、父の突然死

2008-10-26 01:26:42 | Weblog
28年前父が突然死、、、

二階の私の部屋へ朝の四時すぎたころだった

「おとうちゃまが息をしてないのよ。」

すぐに下に行った、脈もないし、呼吸もしてない。

「動機がない」

「どうしたらいい?」
母が聞く
「、、、、救急車を呼ぶ」

 二度ほど住所を聞き直された、自分ではちゃんと話したつもだったけど。

 救急隊が来て蘇生を試みるが駄目だった、、

「24時間以内に医者にかかってますか?」

 かかってはいない、、司法解剖だった。

 この間テレビ局に渡した写真、、、後で気がついた、、父が亡くなるひと月前の写真だった。

 フィリピンからお客さんが来て、我が家に泊まり(我が家は年間200人外国人が宿泊して行った)、ビジネスの話がまとまった頃だった。

 あのあと葬儀やら相続やら母を手伝っていたのは私だった、、、あっという間に数か月、、、、。

 まさかその母がその後認知症になるとは、、、今度は母のことで奔走した。
 
 父の亡くなる一か月前、、、口をきかなかった、、、だから火葬場から帰るバスの中で号泣した。

 母にはできうる限りの孝行をしたい、、、それゆえに母の介護は真剣なのだ。
だからそれを妨げた管理職や、職場の人間、無理解な教会の人、、、どこにでも同じような人がいるのか、、、救いとか話を聞いてくれる人はどこにいるのか、、、

 だからいろんなことを学んだ、、、苦しみを共に感じてくれる人は友と呼べると。











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テレ朝 10月30日放送予定・・母の介護をテレビで取材されました 10月30日放送

2008-10-23 22:31:36 | Weblog
 前後してしまったが、今のところ弟と母についてのパソコンでのメールはこれが最後のようだ。

 のようだというのは、パソコンがあれこれ変わったからである。一応すべてのパソコンから、関係のメールは拾い出したが、再セットアップで消滅してしまったものもある。

 少なくとも4台のパソコンから拾い出した。

 あとは携帯であるが、大部分は保存していなかった、返す返す口惜しい、、、特に強制入院させるまでの過程は生々しいのでむしろ残しておきたかった。

 先日の月曜日、テレビ朝日が取材に来た。介護で仕事を辞めざるを得なかった人の例として、、、、。

 認知症になった母を人にさらすのはつらいし、語るのも実は苦しい。

 でも、あまりにも理不尽で無理解な周囲には、それを知ってもらいたい。また同じような苦労を今抱えている人が周囲から理解されてほしい、それだけである。

「大げさに言ってるのだろ」「甘ったれるな」「同情を買いたいのか」

 教師からも、教会でも言われた。ひどすぎる、、、、。
 

10月30日(木) テレビ朝日 スーパーJチャンネル 5:30頃

オーストラリアへ1週間、、、、狂いだしそうな私、、弟が出してくれた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2001年8月9日木曜日 20:21○○

差出人: 弟の名
送信日時: 2001年8月9日木曜日 20:21
宛先: 幸道
件名: 海外旅行

兄上様

母の事は気にせず海外に行ってきて下さい。
神様が守って下さいます。
私も、これから土曜日は外出する事が続きます。
折角の休みだから、海外に行って骨休みして下さい。

母もいつか海外行かれるようにしよう。


           ○○

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最初のケアマネはもと不動産屋、セールスばっかり

2008-10-22 20:58:56 | Weblog
 まだヘルパーが決まらない。
 最初に要介護か要支援になるか認定してもらわねばばらない。

 最初に来たケアマネは、まるで信用できない。区から委託された業者だというのだが、、、母へ質問をするのに、母はすべてできますと答えてしまった。
 信用してないからだ。年寄りだと思い何でも言うことを聞いてしまうという、姿勢が相手に見え見えだった。

「私は不動産屋をしていたのですが、介護の事業を始めました。
必ず介護になりますから、○○も買った方がいいですよ。
なんらな私が引き続き専属のケアマネになりますよ。」

その夜も、

「風呂場での椅子を買いませんか」

 と母に電話してきた。認定もされないうちにとんでもない業者だ。

 すぐに福祉センターに事情を話し、この人を担当から外させた。
 福祉や介護を金儲けにしか考えない、ビジネスチャンスとしか思わない人々が急に増えた。
 そのために余計な支出を増やしたり、真面目に誠意をもって仕事を行う業者までが疑われてしまう。

 事実、コムスンの事件以後、知り合いのNPOの介護業者が倒産してしまった。介護の依頼が途絶えてしまったのだ。
 とばっちりも良いところだ。

 母にふさわしいケアマネを選んでもらえるよう要望を出した。
 保健婦さんには感謝してあまりある。決まるまで家に母を訪ねてくれるし、話相手になってくれる。母を一人にしておく危険を察知してくれたのだ。

 町医者の診断書のために、母は要介護にならなかった。この医者とは後にケンカすることになる。


 すべてを面倒臭そうに話すし、私に
「家族の支えが一番大事なんだよぉ、、」

 ものすごく偉そうに言う、、、むかむかしてしょうがない。
こういう言い方は、

「お前らが悪い、」

 と言われてるような気がしてしまう。えてしてこういう言い方をする者が実に多い。そんなこと分かり切っている。

 それとこの言い方には実は
(何ら具体的な手立て)
 が言われていない。多くの担当者を含め人々はこんな言い方を一番多くする。

 この医者、国立病院の処方した薬と全く同じ薬を出し続けていた。つまり二倍の量を処方していた、、、。

 その時も非を認めず、
「ああじゃあ、僕はもう診断しないから。」
 と逆切れしていた。

 まるで、岩登りのようで手探り、、、、でもヘルパーをつけられる見込みは出てきた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
送信日時: 2001年8月16日木曜日 21:05

 国立病院へ弟が付き添いで通院する際に必ず、弟に母の様子をレポートしていた。詩的な内容もあるけれど、これが介護の現実だと思うので、掲載します。


母の件 2001,8、17

 その後の経過。最近は妄想を次男である私には話さないが、三男に話すときもある。
 4月に介護保険の更新の訪問調査が来宅し、兄弟も同席した。調査員は、いわゆるケアマネージャーである。母は医者の診断書を行きつけのS医院に書いてもらう。母はこの調査員を嫌忌した。理由は「あの人は何かを買わせようとしている」とのこと。確かに、決定がなされる前から「必ず介護になるから、使えるお金は利用した方がいいですよ」とも言う。
 母は私次男に「椅子などまだいらない」と電話で言ってくれと頼む。電話をしたが、結局要介護にならず要支援のままである。
介護認定が定かでないので大工への手すり工事も中断していた。私も4月に母の病気を理由に転勤し、今は中央林間の近くの学校に勤務してるが忙しいのに変わりはない。
 業を煮やし、福祉センターにいきさつを話し、保健婦に来てもらった。母はこの人は気に入り、つれてきたケアマネージャーも気に入った。
 今、・・にある「・・ステーション・・・」がケアマネージャーの主体である。

 今までの大工に母は手すりを頼みたい様子であったが以前、金を使わせることばかりしたので兄弟で忌避。

 新しいケアマネージャーを通した大工がよいと兄弟で合意、母も納得。8月22日に来る予定。
 またケアマネージャーとの間に、福祉センターの保健婦、私、次男が立ち会いのもとで週、2回くらいのヘルパーを手始めにやつてみることにした。内容は、掃除機をかけてもらう、時に昼食の手伝い、病院への送り迎えなど、私から性格が温厚で母の話し相手もしてもらえるような人を希望した。保健婦もそれがよいとのこと。
 ただし、適切なヘルパーはまだ見つからないとのこと。
 健康面では、歩行力が衰え、手に力もない。雨戸も閉められない。買い物も以前よりはずっと少なくなった。寒がるようだ。
 福祉センターの話では「要介護にならなかったのはS医院の診断が詳しくなかった。」「Kドクターの方が詳細であった」とのこと。「次回の更新の時はドクターに書いてもらうよう」話をされた。
 妄想はまだ消えないようだ。日中もガラス戸を閉めてる。ただエアコンのドライにしてはいる。





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CHOPIN

2008-10-20 22:06:39 | Weblog
 老人ホームに母を訪ねた、ピアノの好きな母に昔弾いていたピアノの楽譜とピアノのCDを持って行って聞かせた。

 ピアノ音に合わせて指が動く、それを見てるだけで嬉しい。

 それよりも
楽譜を見て「ソナタ」
CDのタイトルを見て

CHOPINを ショパン
BEETHOVENを ベートーベン
MOZART をモーツアルト
BACH をバッハ

と読んだことが嬉しい、、、涙が出るほどうれしい。
認知症 長谷川式検査法15(30が境目)で85歳の母がですよ、、。

 母が好きで得意だったのは、英語とピアノ、、それがまだ母を支えてるんだなあ。
 楽譜は戦前のドイツの楽譜、母はそれを独学で弾いていた。


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転勤

2008-10-20 02:07:54 | Weblog
 転勤、今の不幸はここから始まってると言っていいだろう。
32歳で転職してようやくなった学年主任、でもいい生徒と良い先生に恵まれもい残すことは無い、そこでできるだけ近い学校、S市のもっとも南、T中に転勤希望を出したらストライクで移動になった。

三月の事前面接で、校長に母のことを話し

「主任でなくても結構です、担任でも生徒会でもなんでもやります、でも介護があるから運動部だけは勘弁してください。」

 しかし校長の聞いてくることは
「国際教室ができるかどうか」
それだけだ、、。

 で運動部、、それもしたことのないソフトボール、、、。で二学年副担任、、。

 校長に抗議したら
「やってもらいます!」
もう一人の顧問は
「校長に言ったら、俺が引率で行く」
とか言ってたとか。

 このもう一人の顧問が曲者だった。
 家から車で10分なのに放課後、部活は私に任せきり、それでいて生徒の前で私にクレームをつける、、、私より8歳下のくせに命令口調。
 

 今まで以上に忙しく、体を疲れさせた、、、この時運動部でなければ、この校長がもっと配慮してくれていれば、そして学年にこちらの大変さを話しておいてくれれば、、、。普通はそうする、だけどこの校長は校長になったばかり。

 しかもこの後3年後に校長会長になる、、自分の出世しか頭にないのだろう。私が外見大人しく、年上であるから文句も言わないだろうと思ったのかもしれない。

 もう一人の顧問は文句の塊のような自己中だった。

 今思い出しても悔しくて悔しくてしょうがない、、。

 午前中部活に行ったら、、、結局一日潰れる。ただでさえ睡眠が足らないのに、ますます体に負担がかかる、、実際この夏検査入院で「無呼吸」の診断が出てしまった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2001年4月5日 20:45
幸道
母の件2001.4.6

・最近手足が弱っている。その反面、あの人のことをいわなくなったが、ネズミがでるという(実 際天井をよく走り回る)。
・おととい、体が虫に刺されたという。実際赤いポチポチができている。(私も時々でる)。思う に私がアジア旅行して拾ってきたダニではないかと思うが、、。母は例の虫だという。
・春先になり、ホルモンが変わるせいか、多少不安がつのっているように思える。
・体が弱くなって、気も弱くなってる。本を処分したいとかいう。
・保健婦さんから電話があり、喜んでいた。ただ人事異動で担当からはずれたということでがっか りしているが、別の人が来ると聞いて安心している。

私どもとしてはこれ以上の改善はあまり期待できないが、体が弱っているので要支援から要介護にでもなると、人がきてくれるのでその方が閉じこもりから逃れる機会かもしれぬとも思う。来年母を海外に連れて行くとはなしたら喜んでいたが、背骨が痛いからなんとかしたい、とも話していた。

↑これが大事なのです。リフレッシュ休暇で行こうと思っていたのが、妨害されてしまうのです。全然休むどこじゃないのです。

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母のことを書いた詩

2008-09-17 21:17:19 | Weblog
  2000年の弟とのメールは省略します。

 というよりはそろそろこの頃になると、携帯でのメールの方が多くなるのです。
 母の方は症状が改善されることはありませんでした。医者は相変わらずのらりくらり、、、常に責任を回避することだけを考えているようで、言葉の端々に

「診察時間は15分なんだ、、」

とかムッとするような言葉使い。

 医学の中にもムント・セラピーが取り入れられて久しいはずだが、現実は言葉使いが乱暴というか、敬語がなってない。
 
 帰りはますます遅くなってきてしまっていた。クリスマス、正月はできうる限り母の喜ぶようなことをしてあげた。
 歌を歌ったり、、、、食事をしたり、、、それも限度がある。

 その時の思いを詩にしたのが、抒情文芸に入選しました。それがこのブログのタイトルで使っている詩です。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2001年3月7日 23:52○○
兄上様
拝読させて戴きました。
状況を理解しているだけに、ヘヴィーな感情が伝わってきます。
大変素晴らしい文章です。
自分にはとても書けません。
父の浮気性=天野家の伝統ですね。お祖父さんもそうでしたし。
僕等も女遊びに明け暮れます。
僕は心優しき弟では有りません。
かいかぶりですよ。
長男は・・・主義者・・・やはりね。
密告しなきゃ(^^)

                ○○

・・・ wrote:
投稿雑誌に母の詩を書いたら載ってしまった。読んでみて。



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敬老の日

2008-09-16 20:36:18 | Weblog
敬老の日

弟と母を特別養護老人ホームに訪ねた。

母は何か催し物をしてることは理解できるが、時間がたつと敬老の日だったことも忘れる。

その後家族会。

所長とかが 「看取り介護」について説明した。

家族会だけど質問はほとんどない、、というよりは質問のしようがない。

法律が変わり終末医療が変わりました。選択の範囲が増えました。

・病院で最後を看取る。
・家で最後を看取る
 だったのが

・ホームで最後を看取る。

 が加わりました。

 すごく素晴らしい、、、、、ことではないのです。

 ホームでは治療もできない、いやしてはいけない。提携病院の医者へ兼sこう診断には来ても治療はしない。

 急患でホームに行ったとしてもその費用は出ない、だから来ない。

 救急車で運ばれてもホームに帰るときは、ホームの車は使えない、福祉タクシーを使う。

 最後をホームで家族のそばに、医者・看護師が立ち会う、、、そんなことはあり得ない。

 入院三か月でホームを追い出される。再び戻るにはまた最初から申し込む。

 母は6年待ったのだ、、、。


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先進国ではない日本 

2008-06-24 23:46:56 | Weblog
 よく不平不満ばかり言って、誰でもあることだとか、またその話か、、、、色々なことを言う人がいる。
 それは介護だけでなく、仕事でも、教育のことでも、恋愛でもおなじことだ。

 それほど今の時代、他人に無関心である。

 だがひとたび、少しでも自分がそうした立場になると、こういう批判をする人ほど自己主張してやまない。

 それほど他人の痛みを理解しようしない、分からないのでなく、最初から拒否してるのだ。

 ひと昔前、介護施設では男女を同じ部屋で平気で着替えさせたりしてた。
 病院でも、カーテン越しに男女が寝てた。
 小学校で健康診断は男女一緒に裸でさせたいた。

 それがおかしいと今では思うだろう、だが当時はそれを批判することが批判されていた。

 派遣社員で不況を乗り切ろうとか、無秩序に海外に工場を移転したり、金融機関の法人税をいまだに徴収しないとか、年金問題、つにはばかばかしい後期高齢者医療制度この日本のどこが先進国なのか。


 介護で休暇を取ること、うつ病にかかること、今ではそれを批判する人はないだろう、、。
 ただし完全に無くなったと思えない。

 母は日中薬のおかげで眠ることが多い、だがそれが夢うつつの妄想をうむことにもなる。一時間でも早く帰宅せねばならない状況だった、、、職場からは二時間かかる距離だ。
 家は朝は5時45分に出ていた状況だった。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2000年11月19日 21:25○○

兄上様

お心遣い感謝致します。
お袋は今、炬燵で熟睡している。
風呂に入らないのかなあ。
日中少しでも寝ていれば、疲れは取れるでしょう。
明日も私は帰りが遅いです。


             ・・・・



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痛みを伴う改革は、痛みを知らないやつにしろ

2008-06-18 14:48:48 | Weblog
どうも5つもブログを抱えていると、毎日すべて更新するのはかなりハードだ。
でも伝えるべきことは伝えておかなければ、、、。

 連日目を覆いたくなるニュースが続く、介護や福祉に関してもまるでわれ関せずのような、発言を政治家や企業、評論家の人たちは言う。

○ 痛みを伴う改革はもういい

  痛みを味わうべきものが痛みを味わっていない、それで公平とは言えない。

 ここ一か月、教会に行ってない、牧師に頭にきて行かなくなった。常に母のことを言わせないように妨げてるし、私が退職したことも皆に伝える機会を奪ってきている。

 結局、エリートの人たちのしたことのみ紹介している、、、それはおかしいよ。


 私が徐々に老人医療に疑問を持ち始めたのがこの頃です。下は医師にした質問に対する回答です。

 読めば、責任を逃れいる姿勢がありありと見える。

 介護保険は、本人が嫌がれば、加入できない、、、じゃあ誰がどうするのか、、。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2000年11月17日 19:02

本日、母の診察に立ち会いました結果を報告致します。

1:病状は回復傾向にあり(薬物は此度も同種類・同量を出すとの事)

2:薬物投与に依る副作用が無いか、注意する事。
 (例:顎の震え・足の縺れに依る歩行困難・手の震え)等
  上記症状が有る場合は、薬物の量を軽減するとの事。

3:今後、息子としてどのように対処していくのがベターな道でしょうか。
  上記質問は具体性に欠けており、解答困難との事です。
  一番良いのは、兄上も同席されるのが最良との事ですが、多忙故困難なる事は 承知致しております。尚、電話に於ける質問も承るとの事なので、其れも様方法 かも知れません。

4:自分から介護保険等を進める事は難しいとの事。母にノーと言われれば其れ迄だそうです。此は予想通りの解答でした。


概ね上記内容を本日、先生から聞きました。

尚、此のメールは会社で作成、送信致しましたので、私のメールアドレスは会社のも
のです。然し、私専用のアドレスなので、○○○@○○○に送信しても構いません。家から会社宛のメールも見られますし、逆も可能です。

只今仕事中故、電話は差し控え戴きたいと思います。本日も帰宅は遅くなります。
明日またお話申し上げます。

               ○○ 11/17/00





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お母さんピアノを弾いてください

タイトルとなった「お母さんピアノをひいてください」は抒情文芸平成13年春季号に掲載されたものです。 オリジナルモジュールで設置したので、常に上に来てしまうのですが、詩の形が崩れてしまいます。 妄想の中に一日いて おびえ閉じこもる母よ 死ぬほど私は辛いのです 小学生から大学まで首席の母 数カ国語を話し、独学で弾くピアノ 簡単なメロディーはすぐに採譜してしまう母私には できすぎた母だった 高等文官の娘に生まれ 私にも明治流の武士の作法を教えた母 母よ、あなたは私には重かった 父が浮気症でなかったら あなたはもっと幸せでおおらかに私を育てたろうに 悲しみとやり場のない怒り 私はもう子供じゃない 母には私はまだ十五の子供に見えるらしい 二度目の童子となった母 母を悲しませまいと自分を殺して生きてきた少年時 代、青年時代 母よ時には恨みもあるのです 私は普通の人なのです、あなたの家族のようなエリ ートにはなれません それもあなたの悲しみの一つです 私は独りです、それもあなたには悲しみですか 両親の不仲が私を学習に集中させなくなったほとん ど上の空の授業、とうとう不安神経症になった私 荒れた少年時代、机も椅子もよく投げた 立ち直らせてくれたのはあなただった 母よそのあなたが目の前で狂ってく なぜ、なぜ、なぜと叫ばずにおられない 心優しき弟はけなげに母をいたわり料理を作る 他の親族は己の主義に走り、以来家には無関心 挙げ句の果てに「お前達でやれ」とはそれがあなた の主義が出した正義ですか 私だって弱いのだ、いや本当に私は弱いのだでも仕 事でも、家でも強い自分を演じてきたそうしなきゃ 誰があなたをはげませたでしょう 私の救いはどこにある 私を慰める人はどこにいる 二度目の童子となった母 もう一度ピアノを弾いてください 私は歌うから、、、、、、。