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春日井市の絵画教室、あとりえPOPアートスクールの教室風景や内容を中心に、アートについて広く記事にします。

47

2014-07-18 14:19:25 | 日記
「47」という数字。
この4と7の並びは嫌いではありません。
近いところでは「46」や「48」よりは、形に丸みがない分緊張感があり、割り切れない奇数美が、私に好感を持たせる理由。

なんでもそうですが、調和や安定など、その空間に予定通り収まるものには少しの魅力もありません。

「何か足りないこと。先を想像させること。」
それが、魅力なのです。

余白。
正しい間ではなく、不安を煽るような間こそ、居心地の悪さを与え、そこに点を打たせようする衝動を生みます。

これこそが「未来」であり「可能性」だと思いませんか?
点を打つ余地を残し、点を打つまでの時と葛藤が人を悩ませ、様々な思考を人に与える。


この点を黒子と考えてみます。
黒子は好きな所にマジックで描くものではありませんね。
黒子は3種類あります。
まず、黒子さえなければ、といわれる「残念黒子」
次に、その黒子が決め手といわれる「絶対黒子」
そして、いくつあろうが無秩序に存在する「無駄黒子」

黒子は偶然の産物です。
偶然であるからこそ「残念、絶対、無駄」などと言われるのです。
「偶然うまれたもの」というだけで本当は全て魅力的なこの黒子ですが、「黒子さえなければ」という違和感は、黒子がなかった顔を想像させます。
「この黒子が決め手」というピンポイントなものも、無秩序に散らばったものも同じ。
どれも「黒子がない」ことが比較対象になる空論であり、想像であり、個人差のある「たられば」な話なのです。

そうです。
黒子は想像の中で自由に消されるものですが、強制的に排除しなければ絶対に消えない点。
この想像こそが、未来との対話であり、人間の深層心理をえぐる空想力の入口。
そして消えない黒子こそが「現実」なのです。
否応なく現実に引き戻す黒点。黒子。

結論としては、あなたの顔に黒子があるだけで、それは深く美しいのです―。


って「47」から何故黒子の話になったのかは、我ながら理解に苦しみます。
いや、なんのこっちゃで、説明に苦しむところなのですが、この「47」
言わずもがな二桁の数字は、つい一週間前に踏み込んだ私の新しい年齢なのですが、この並びが嫌いではありません。
理由は上述の通り。

さて。
47になった私はいったい何をしているんでしょう?

近々ではお盆に開かれる同窓会の幹事をやらされています。
小さなクラス会をやるつもりが大々的な同窓会になりました。
小さなクラス会の予定だったからこそ私が幹事なわけで、初めから同窓会なら私は幹事どころか逆に呼ばれてもいません間違いなく(笑)

事の発端は昨年末。
久々に高校時代の級友が集い、2年前に白血病が元で亡くなった友人を偲んで飲み会を開いたのですが…。
たまたま亡くなった友人と深い繋がりがあって、地元の飲み屋に詳しいだけで「当時」私が幹事になりました。
また春に集まろうか?と、お馴染みの社交辞令で終わったはずのそれが、どこでどう間違ってか大きく成長し「私を幹事に据えたまま」各クラスに委員を生み、その委員が責任者となってクラスを束ね始めました。
そして、私は加入していないラインで話は瞬く間に広がり、ホテルを抑え、気がつけば手に負えない人数になった同窓会の幹事を「未だにやっている」という訳です。
連絡系統の内訳も知らず、任せっぱなしの完全なお飾り幹事。
そんな役立たずは当日、せめて金勘定でもするつもりです。


卒業以来初めての同窓会。
29年という、なんとも中途半端な長い時を経て開かれる同窓会の幹事ともなれば、様々な人生、悲喜交々が見えます。

時代はバブル絶頂期。我ら田舎の進学校でしたから、名簿にはやたらエリートが、また地元の社長たちがメンバーに名を連ねます。
何度も言いますが、その中で売れない絵描きの出張せんせーが幹事をやるのはおかしいんですよ。

そんな不満タラタラな幹事は、連絡を人任せにしたにも関わらず思うのです。
「430人を越したはずの同期すべてにきちんと声は届いたのか?」と。

短い準備期間、当時の名簿の半数はそこに存在しなかった中で、声が届いた男は、私を除けば社交的な奴か、上手く行ってる奴だけなんじゃないだろうか?
女性は子離れに成功した母か、セレブだけなんじゃないだろうか?

手元にある三桁の最終名簿に乗らなかった連中には、本当に連絡が行ったのかな?
風の噂で、良からぬ話を聞く奴の名前はありません。
昔から友達がいなかった奴の名前も、アルバムみて思い出せなかった奴の名前もありません…。

それは仕方ないこと。
そしてそんな同窓会は、きっと楽しいでしょう。
健康で、私を除けばみんなある程度余裕があるのですから、間違いなく楽しい。
ハゲようが肥ろうが、その証なんだから楽しいんだろうなぁ…

でもこれは「黒子のない顔」だと、私は思っていようと思うんです。
次があるなら、できるだけあの日の顔になるように、業者に頼んで調べてみようなんて考えながら。
そして「俺はやめとくわ」と言った奴らと、小さな居酒屋で、小さなクラス会をやりたいと心から思います。

まだ同窓会も開かれていないのに(笑)


47才。
まだまだ発展途上の私。
まだまだ失敗や挫折が笑い話にならない私。
笑われようが呆れられようが、求めて求めて、もがいて探していく日々を受け入れていこうと思います。

安定を求めず、もっと先にあるものに目を向けて。
歪な美しさを見失わないように…。
コメント (4)
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