理代子先生が「ベルばら」を執筆されたのは24~25歳の時。自分の24歳の頃を振り返ると、何て精神的に幼かっただろうと思う。24歳でよくあれだけの大作が描けたと思う。当時、池田先生には神が降臨していたのだろうか?
私が10代前半で初めて「ベルばら」に出会った時は、男装のオスカルのかっこよさ、アンドレの優しさに惹かれ、二人の愛に憧れを感じ涙した。あれから私も人生経験を重ねて○十年。今「ベルばら」を読み返すと、若干24歳の女性がよくここまで丁寧にキャラたちの心理描写を描いたものだと感心する。
例えばオスカルの両親ジャルジェ将軍夫妻の親心。革命の嵐が吹き荒れる中、娘を心配し安全な巣に逃がしたいと思いやる心情は、ある程度年齢を重ねないとわからないのではないか?そんな親心をしっかりと捉えて描いている。もしかしたらベテランの担当編集者と相談しながら、ストーリーを練っていったのかもしれない。またオスカルに、一切手加減せず厳しい死を与えていることにも驚く。自分が生み出したオリジナル・キャラクターである。オスカルには一番愛着があるのではと思うのだが、そんなことお構いなく、死は貴族だろうと平民だろうと、誰に対しても平等で容赦ないことを訴えているかのように強烈な銃弾を何発も浴びせる。口元から血を流しながら、敵を睨みつけるオスカルの鬼気迫る表情。池田先生ご自身「仮にオスカルがバスティーユの戦いを生き延びたとしても、ギロチンで処刑されただろう。」と仰っている。それを思うと厳しいけれど、軍人としての生き方を全うし、自由を得るための戦闘で命を落とすのが一番オスカルらしい人生の締めくくり方に思えてくる。余談だが「オルフェウスの窓」を読んでいても、手加減なしの死を見せつけられる。
恋愛描写は、ご自身の経験をもとに膨らませただろうか?オスカルがアンドレと結ばれたことについては「すぐそばにいる人と、一緒になるのが自然な流れだと思った。」と仰っているが確かにそう思う。
「ベルばら」がただのメロドラマに終わらなかったのは、オスカルが軍人としての生き方を全うしたからだと思う。7月13日、テュイルリー宮での戦闘で、最愛のアンドレが戦死する。オスカルは悲しみから「お願いだ 撃ってくれ」「わたしの心臓の半分を わたしの半分を おおもぎ取り 引きちぎり それでもなお生きよと 神はのたまうか」「わたしも死んだ お前の死と共に」と慟哭する。だけど決して恋に溺れ、判断を誤ることはない。自分自身の半分いやそれ以上の存在である最愛のアンドレを失っても、自由を勝ち取るための戦いを続けることを放棄しない。そこに私は惹かれる。愛に殉じて死を選ぶオスカルだったら、これほどこの漫画は、私にアピールしないだろう。
そしてオスカルが最期に遺す言葉が、今も変わらぬ池田先生から私たちへのメッセージに感じられる。
自己の真実のみにしたがい 一瞬たりとも悔いなく 与えられた生を生きた 愛し憎み泣き 人間としてそれ以上の喜びがあるだろうか
40年以上経っても、まったく色あせない、普遍的なメッセージでもある。
ただ一つ残念なのは、当時の編集部が池田先生に「オスカルの死後は、10回で連載を終えるように」と指示を出していたこと。池田先生ご自身は、もっともっと先の先まで描きたかったのだが、編集部の方針には従わざるを得なかった。今振り返っても何て惜しいことを!と悔やまれる。池田先生のペン先が「ベルばら」執筆後半から、華やかさを増していっただけに、あのままの勢いで描き続けていたら、どんな世界が広がっただろう。そう思うと、当時の編集部を恨みたくなる。本当に残念。
私が10代前半で初めて「ベルばら」に出会った時は、男装のオスカルのかっこよさ、アンドレの優しさに惹かれ、二人の愛に憧れを感じ涙した。あれから私も人生経験を重ねて○十年。今「ベルばら」を読み返すと、若干24歳の女性がよくここまで丁寧にキャラたちの心理描写を描いたものだと感心する。
例えばオスカルの両親ジャルジェ将軍夫妻の親心。革命の嵐が吹き荒れる中、娘を心配し安全な巣に逃がしたいと思いやる心情は、ある程度年齢を重ねないとわからないのではないか?そんな親心をしっかりと捉えて描いている。もしかしたらベテランの担当編集者と相談しながら、ストーリーを練っていったのかもしれない。またオスカルに、一切手加減せず厳しい死を与えていることにも驚く。自分が生み出したオリジナル・キャラクターである。オスカルには一番愛着があるのではと思うのだが、そんなことお構いなく、死は貴族だろうと平民だろうと、誰に対しても平等で容赦ないことを訴えているかのように強烈な銃弾を何発も浴びせる。口元から血を流しながら、敵を睨みつけるオスカルの鬼気迫る表情。池田先生ご自身「仮にオスカルがバスティーユの戦いを生き延びたとしても、ギロチンで処刑されただろう。」と仰っている。それを思うと厳しいけれど、軍人としての生き方を全うし、自由を得るための戦闘で命を落とすのが一番オスカルらしい人生の締めくくり方に思えてくる。余談だが「オルフェウスの窓」を読んでいても、手加減なしの死を見せつけられる。
恋愛描写は、ご自身の経験をもとに膨らませただろうか?オスカルがアンドレと結ばれたことについては「すぐそばにいる人と、一緒になるのが自然な流れだと思った。」と仰っているが確かにそう思う。
「ベルばら」がただのメロドラマに終わらなかったのは、オスカルが軍人としての生き方を全うしたからだと思う。7月13日、テュイルリー宮での戦闘で、最愛のアンドレが戦死する。オスカルは悲しみから「お願いだ 撃ってくれ」「わたしの心臓の半分を わたしの半分を おおもぎ取り 引きちぎり それでもなお生きよと 神はのたまうか」「わたしも死んだ お前の死と共に」と慟哭する。だけど決して恋に溺れ、判断を誤ることはない。自分自身の半分いやそれ以上の存在である最愛のアンドレを失っても、自由を勝ち取るための戦いを続けることを放棄しない。そこに私は惹かれる。愛に殉じて死を選ぶオスカルだったら、これほどこの漫画は、私にアピールしないだろう。
そしてオスカルが最期に遺す言葉が、今も変わらぬ池田先生から私たちへのメッセージに感じられる。
自己の真実のみにしたがい 一瞬たりとも悔いなく 与えられた生を生きた 愛し憎み泣き 人間としてそれ以上の喜びがあるだろうか
40年以上経っても、まったく色あせない、普遍的なメッセージでもある。
ただ一つ残念なのは、当時の編集部が池田先生に「オスカルの死後は、10回で連載を終えるように」と指示を出していたこと。池田先生ご自身は、もっともっと先の先まで描きたかったのだが、編集部の方針には従わざるを得なかった。今振り返っても何て惜しいことを!と悔やまれる。池田先生のペン先が「ベルばら」執筆後半から、華やかさを増していっただけに、あのままの勢いで描き続けていたら、どんな世界が広がっただろう。そう思うと、当時の編集部を恨みたくなる。本当に残念。
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