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Vばら 

ある少女漫画を元に、エッセーと創作を書きました。原作者様および出版社とは一切関係はありません。

マリー・アントワネット展 (9)

2016-11-29 22:17:00 | つぶやき

 どこまでが真実を伝えているのかわからないが、アントワネットの贅沢三昧な生活を利用して起きた、スキャンダラスな「首飾り事件」。本来なら彼女はこの事件の被害者なのに、火に油を注ぐように悪評がさらに勢いを増し、最終的に悪者はアントワネットになってしまった。

 第10章  「首飾り事件」

 首飾り事件について(Wikiより)

 宝石商シャルル・ベーマーとそのパートナーであるポール・バッサンジュは、ルイ15世の注文を受け、大小540個のダイヤモンドからなる160万リーブルの首飾りを作製していた。これはルイ15世の愛人デュ・バリー夫人のために注文されたものだったが、ルイ15世の急逝により契約が立ち消えになってしまった。高額な商品を抱えて困ったベーマーはこれをマリー・アントワネットに売りつけようとしたが、マリーは高額であったことと、敵対していたデュ・バリー夫人のために作られたものであることから購入を躊躇した。そこでベーマーは王妃と親しいと称するラ・モット伯爵夫人に仲介を依頼した。

 ラ・モット伯爵夫人はこの首飾りの詐欺を計画した。1785年1月、伯爵夫人はロアン枢機卿にマリー・アントワネットの要望として首飾りの代理購入を持ちかけた。伯爵夫人は、前年の夏、娼婦マリー・ニコル・ルゲイ・デシニー(後に偽名「ニコル・ドリヴァ男爵夫人」を称する)を王妃の替え玉に仕立て、ロアン枢機卿と面会させており、彼は念願の王妃との謁見を叶えてくれた人物として、伯爵夫人を完全に信用していた。ロアン枢機卿は騙されて首飾りを代理購入しラ・モット伯爵夫人に首飾りを渡した。

 その後首飾りはバラバラにされてジャンヌの夫であるラ・モット伯爵(及び計画の加担者達)によりロンドンで売られた。しばらくして首飾りの代金が支払われないことに業を煮やしたベーマーが、王妃の側近に面会して問い質した事により事件が発覚した。同年8月、ロアン枢機卿とラ・モット伯爵夫人、ニコル・ドリヴァは逮捕された。

 アントワネットは完全に利用されただけだった。美術評論家でタレントでもある山田五郎氏によれば「もしこれがマリア・テレジアだったなら、こんな事件は起きなかっただろう。国民もまたマリア・テレジアがこのような高価な宝石に関心を示すとは思わないだろう。アントワネットだったから、国民はジャンヌの言い分を信じてしまった。」といったニュアンスのことを仰っていた。彼女の贅沢好きを国民は知っていた。

↓  今回、問題の首飾りのレプリカが、トルソーに掛けられ展示されている。1960年~63年の複製。チョーカーのように、後ろで紐を結んで身に着ける。レプリカを見た時、何とも成金趣味のごってりした印象を受けた。「私、こんなにダイヤモンドを持っているんですよ!」と誇示したいがために作られたようなネックレスに、品が感じられなかった。

↓  このネックレスには550個のダイヤモンドが使われ、現在の価格にして約200億円!大国の王妃といえども、簡単に手を出せる代物ではなさそう。

↓  国税を食い潰すアントワネットを皮肉った風刺画が出回る。題名は「雌のハルピュイア」。作者不詳で1784年頃の作。ハルピュイアとはギリシャ神話に登場する女面鳥身。上半身は人間の女性、翼と下半身は鳥。口にくわえているのは、好物のウナギで、プチ・トリアノンの鍵を表している。アントワネット本人は、この風刺画を見たのだろうか?

↓  フランスに革命の気運が高まってきた1780年代後半の肖像画。「白いペチコートをに、青いダンゴト・ドレスを羽織って座るアントワネット」。描いたのはもちろんルブラン夫人。

↓  「乗馬服を着たアントワネット」。1788年、アドルフ・ユルリク・ヴァットムッレルの作。実際に乗馬する時、花の飾り付き帽子は、邪魔にならないかなぁ?

 ところで師走に入り、人々が忙しくて「ミュージアムに行こう。」となかなか思わない(かもしれない)この時期、「マリー・アントワネット展」では、ウィンタースペシャルと銘打って、特典付きの公開をおこなう。興味のある方は、ご覧になってはいかがでしょう?詳しくは次をクリックしてください。

http://www.ntv.co.jp/marie/information/

 読んでくださり、ありがとうございます。



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