「ベルばら」に出会った10代の頃、オスカルが息を引き取る間際、ロザリーに静かに語りかけるこのページの言葉の意味を、表面的にしか理解していなかったように思う。あれからウン十年の歳月を経て、オスカル最期の言葉の重みをずしりと感じるこの頃である。
誰も自分の寿命はわからない。仲の良い友人と会って話し、「じゃあ、またね。」といつものように別れたが1週間後、彼女は突然旅立ってしまった。いまだにその事実が受け入れられない。人の命はなんてあっけないのだろう。そして改めて自分の持ち時間について考えた。もうとっくに人生の折り返し地点は過ぎている。だったら残りの人生、オスカルが言う「自己の真実のみに従い 一瞬たりとも悔いなく与えられた生を生きた。愛し…憎み…泣き… 人間としてそれ以上の喜びがあるだろうか。」の言葉どおりに生きたい。極力負の感情を持たず、一瞬たりとも悔いなく。しかし『悔いなく』は難しいな。オスカルは生まれて間もなく、父親が彼女を軍人として育てることに決めてしまったが、そのような運命を与えてくれた父親に感謝している。どのような境遇におかれても、そこに幸せを見い出せる人がオスカルなのかもしれない。
「ベルばら」は奥深い。オスカルの言葉に励まされながら、これからも歩んでいきたい。
重い内容ですみません。読んでくださり、本当にありがとうございます。
そんな悲しい事があったとは知らず、呑気なコメントを書いてしまいすみませんでした。
そして、お辛い中お返事もありがとうございました。
ご友人の方は突然だったのでしょうか。
私も友人ではありませんが、遠縁の親戚と、祖母のお葬式で会い話したのですが、その一週間後、阪神淡路大震災で亡くなりました。普段付き合いのある親戚ではなかったのですが、1週間前に元気な姿を見たばかりだったので、とてもショックだったのを覚えています。
りら様の仰る通り、人の命は儚くて、でも悔いなく生きることは難しい。
オスカルのような気持ちで最後を迎えられたら素晴らしいですが、少しハードルを低くしても良いのかなと思います。
りら様にとって、ご友人の事はとてもお辛いことだったと思います。きっと、神様が最後に会うように采配してくれたのもしれませんね。
ご友人との楽しかった想い出を沢山思い出してあげてください。
あまり、慰めにもならなくてごめんなさい。
でもりら様が元気を取り戻されることをお祈りしています。
お返事はお気遣いなく。
お体には気をつけてくださいね。
>ご友人の方は突然だったのでしょうか
自分と1つしか年が違わない友人でした。最後に会った時も別段体調が悪そうに見えず、いつもと変わらぬ感じでしたので、1週間後に彼女の死を知らされた時は、絶対に何かの間違いだと思いました。
今日も一日、無事過ごせたことに感謝です。人を憎んだり恨んだりする負の感情を持たずに生きる。これからの日々、できるだけやり残しのないようにしたいと願っています。一見当たり前に見えることが、実はとてもかけがえのない、ありがたいことなのだと感じています。
marineさまのコメント、とても嬉しかったです。事実を受け入れるにはまだまだ時間がかかります。時が解きほぐしてくれるといいのですが…。
最近読んだ本の中に次のような言葉があり少し救われました。
『亡くなった人に対して後悔が残るのは当たり前のこと。それが突然の別れだったとしたらなおさらです。また後悔しないようにと懸命に介護や看病をしたとしても必ず何らかの悔いは残ります。それを打ち消そうとせず後悔を抱えたまま生きればよいのです。するとそのうち、その後悔の中に「意味」を見出す時が来ます。身近な人が家族の看取りを迎えたときに自分の体験をアドバイスしたり「私も同じだったよ」と寄り添えればそれも1つの「意味」です。後悔は否定せずにどう取り扱っていくか 後悔や切なさを抱いたまま生きていく、と腹を据えることが必要です』
泣き顔を見られたくなくて毎晩風呂場の中でシャワーを全開にして「お母さん、ごめんなさい~‼」と大声で泣き叫んだ当時のこと、3回忌法要の時も まだ悲しみが癒えずにお寺のトイレで泣き続けたこと、その当時よりはだいぶ気持ちが落ち着いてきましたが、やっぱり悔いは消えないです。
消そうとすることは無理ですが、時が解決してくれます・・少しづつ。
今、有料老人ホームで音楽療法グループレッスンとピアノ個人レッスンとお食事の配膳をしています。リウマチを発症してから以前のように滑らかに弾けませんが、ピアノを習うきっかけを作ってくれた母に感謝しながら毎回、全身全霊で魂を込めて演奏しているうちに皆さんの心を掴んでいけていることを(頂くお言葉から)実感出来ています。フランスが大好きで毎年フランスに10年続けて行っていました。もしまだ生きていたら前回の記事で りらさまが御紹介くださった「アントワネットを巡るツアー」に間違いなく誘っていたでしょう。ヴェルサイユ宮殿でのディナーだなんて素敵過ぎます。
何だか記事に関係ないこと沢山書いて申し訳ありませんでした。音楽療法レッスンに参加して下さっていた御婦人も先月亡くなりました、食べなくなってからはあっという間でした。その85のおばあ様にでさえも「もっとああしておけばよかった」と悔いは残ってしまいました。今は、そばにいた人が急にいなくなる寂しさ・悲しみを認めて感情を吐き出してください。 やがては受け入れて いつかは立ち直れる日々が必ずや来ると信じます。
余談ですが・・帝劇での「1789バスティーユの恋人たち」を観劇してきました。かなめさんのアントワネットの心情に涙が止まりませんでした。
同じ日に2度目の赤坂離宮迎賓館の本館・和風別館も行って参りました。
すべて りらさまのブログからの情報です。いつもありがとうございます!
長くなって本当にすみませんでした!
今日という日は二度と来ないので日々、与えられた生を精一杯生きていきましょう。互いに身体第一にいたしましょう!
オスカル様の生きてきた歳月とその苦悩をようやく自分の一部として感じとれる年齢になった気がします。オスカル様よりずっと歳上になってしまいましたが。皆さまの書かれる『ベルばら』への想いがまた私を成長させてくれたのだと思います。京成ばら園ではまた理代子先生のトークショーもあるようです。永遠に咲きほこる作品に出逢えたことに本当に感謝です。
まいさま、お母さまとつらいお別れをされたのですね。読みながらまいさまの心情を察すると、まいさまは後悔その他もろもろの気持ちが今もなお消えず、涙される日もある…何と申し上げてよいかわかりません。
残された者の務め…それは与えられた生を悔いなく生きることですね。私たちが悲しんで日々生活していては、旅立たれた方は喜ばないはず。頭ではそう分かっていても、なかなか気持ちが付いていきませんが。
「バスティーユの恋人たち」で若い方たちが、元気よく歌い踊る姿に励まされました。若さっていいですね。赤坂迎賓館にも、もう一度行きたいです。
>生まれた時から死への旅路は始まっているのだとわかっていても
「ベルばら」の登場人物は、常に死と隣り合わせで懸命に生きているから、私たちの共感を呼ぶのでしょう。それがこの作品の魅力の一つでもあります。
>オスカル様よりずっと歳上になってしまいましたが
そうなんですよね。驚いてしまいますよね。でも精神的には10代の頃とそれほど変わっていない気もしたりして。
>京成ばら園ではまた理代子先生のトークショーもあるようです
オスカーさまは行かれますか?機会があれば、理代子先生のお話を生で聴きたいです。
オスカルの年齢をはるかに超え、来し方行く末について真摯に向かい合う年になりました。「次の機会」は決して巡り来ることなく、すべては唯一度だけなのだという思いを深くします。運命というものがあるのかどうかわかりませんが、同じ生きるならオスカルのように潔く、熱く生きたいものです。
りら様、どうぞお体大切になさってくださいね。
>大切な人を失った悲しみは数年たってもそのまま残っています
そうですよね。「あぁこれ、一緒に見たかった。ここに一緒に来たかった。」など、いまだに思います。この思いは永遠に消えないかもしれません。今、自分にできることは与えられた生を精一杯生き切ることだと思っています。
>「次の機会」は決して巡り来ることなく、すべては唯一度だけなのだという思いを深くします
同感です。どう生きても後悔は付き物ですが、それでも極力悔いなく生きたいと願っています。いつか…などと言わず、できる環境にある時は、先延ばしせずしておこうと思います。
オスカルの人生に、無駄なことは何一つなかったのでしょう。フェルゼンへの切ない想いとて、愛することの喜びと哀しみを知るものだった。「ベルばら」から勇気を得て、これからも生きていきます。