デュ・バリー夫人とアントワネットの争い。オスカルは「この面白い女の一騎打ちを、ゆっくりと観戦させていただくさ。」のスタンスでいるはずだったが、とうとう巻き込まれることになる。
↓ ルイ15世の娘たちに焚きつけられ?ジャルジェ夫人を自分の首席侍女にするよう、王太子に頼む事にしたアントワネット。
↓ デュ・バリー夫人かアントワネットか?どちらに自分の母を差し出すか?オスカルは正当な王位継承者の妃であるアントワネットを選ぶ。
↓ 侍女の中でも最も位の高い首席侍女と聞き喜ぶばあや。
首席侍女ってどんな人?どんな務めを果たすのだろう?
↓ アントワネットの最初の侍女だったカンパン夫人。15歳の時、ルイ15世の末娘の朗読係として宮廷入りし、アントワネットが御輿入れすると彼女の第二侍女となる。そして1786年、正式に首席侍女となった。アントワネットが14歳で嫁いでからずっと彼女のそばにいたことになる。
首席侍女の仕事とは・・・カンパン夫人の場合、王妃の友人かつ相談役として絶大な信頼を得て、18年間にわたって宮廷生活の内側や秘密を共有した。会計係、そして宝石の管理係の任務も任された。王妃の身の安全を守るため、夜も王妃の近くで休んだ。ルイ16世は重要な機密書類の束を、最も信頼できる彼女に託した。夫人は革命派がいずれルイ16世を裁判にかけることを想定し、国王に有利となる書類とそうでない書類とをふるいにかけた。カンパン夫人はアントワネットの身の回りの世話をしただけでなく、彼女の相談相手になったり財産管理をするなど、聡明な女性だった。
↓ プチ・トリアノンの中二階にある侍女の部屋。カンパン夫人はここで、アントワネットにいつ呼ばれてもいいように控えていたかもしれない。
「ベルばら」でアントワネットから首席侍女の指名を受けたジャルジェ夫人は、単にオスカルの母だからという理由だけでなく、賢さ・慎ましやかさ・聡明さを買われての抜擢だったはず。だからばあやは喜んだ。けれど首席侍女はいざという時、身を挺して王妃を守らなければならない。命を落とすこともありうる。だからオスカルはばあやのように、母の登用を喜べなかった。むしろ母を宮廷の権力争いに 巻き込みたくなかった。けれど国王の命令とあれば断れない。当時、貴族も実はそれほど自由に生きられなかったのかもしれない。
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