「お兄さま、入ってもいいかしら?」開いたドアからソフィアが声をかけた。
「庭に水仙が咲いていたから摘んできたわ。ようやくストックホルムにも春が来たわね。」左腕に黄色い水仙の花束を抱えながら、ソフィアは兄の部屋に入った。
「雪割草もブルーベルも咲き始めたわ。お兄さまったら、部屋の中で書類ばかり眺めていないで、たまには外の空気を吸ってみるのもいいわよ。」
そう言いながら慣れた手つきで、ソフィアはサイドテーブルの花瓶に水仙を活けた。
「ほら、ご覧になって。部屋の中が明るくなったでしょ?」
「ありがとう、ソフィア。花はいいものだな。何も言わないけれど、ただそこに咲いているだけで人の心を和ませてくれる。」
「北欧にいるせいかしら、暖かい日差しや色とりどりの花を見ると本当に嬉しくなるわ。ようやく長い冬から解放された気分になるわね。」
フェルゼンはしみじみ思った。いくたびかの春がまた巡ってきた。ある年はフランスで、またある年は別のヨーロッパの国で、数年前はアメリカ大陸で迎えたこともある。今年は自分の国で迎える春---寒い地方で暮らす人々には日の出が少しずつ早くなったり、厚いケープコートやマントを脱いで外出できることがどれほど心を明るくするか、ソフィアもフェルゼンも十分に承知していた。
「お兄さま、つい今しがた、フランスからお手紙が届いたわ。」
「フランスから?」
「しかも女性からよ。」
「----------------」
「あら、お兄さま、どうなさったの?急に険しいお顔をなさって?」
フランスから女性の手紙?もしかして王妃さまの身の上に、何かあったのだろうか?
「はい、これ。」
フェルゼンは、動揺を気づかれないように手紙を受け取った。しかしソフィアは兄の心を見抜いていた。
きっとお兄さまは、王妃さまからのお手紙だと思っているわ。口には出さないけれど、お兄さまの心の中にはいつだって王妃さまがいらっしゃるもの-----。
封筒を裏返す。差出人はオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ。オスカル---いったいどうしたのだ?
「オスカルからの手紙だ。何だろう?」
引き出しからペーパーナイフを取り出し、丁寧に封を切った。白い便箋がきちんと折りたたまれており、青いインクで美しい文字が書かれていた。最初は緊張して読み始めたフェルゼンだが、次第に穏やかな表情に変わっていった。
「オスカルが結婚するそうだ。」
「えっ!」
オスカルさまがご結婚!?それでお相手は------もしかしてジェローデルさまかしら?
「あのオスカルさまが!!----で、お相手はどなたなの、お兄さま?」
「アンドレだ。お前は会ったことがないかもしれないな。オスカルの幼馴染で従卒だ。平民だが、子供のころからずっとオスカルと共に育ち、彼女が軍人になってからも常に補佐し続けてきた。オスカルのためなら、自分の命さえ差し出すことを惜しまない。誠実でとても信頼できる男だ。」
「国王陛下と王妃さまが、よく二人の結婚を認めてくださったわね。それだけオスカルさまは両陛下から信頼が厚いということね。」
と同時に「お相手がジェローデルさまでなくて良かった。」と思い、ホッとする自分がいることを悟ったソフィアでもあった。
「お前は知っているかどうか----あのジェローデルがかつてオスカルに求婚したことがある。ヴェルサイユ中の予想どおり、彼はこっぴどく振られたそうだがね。」ふふっと口元に笑みを浮かべながらフェルゼンが言うと、ソフィアは珍しくやや怒った表情で反論した。
「お兄さま、お人が悪いわ。もう時効だからお話しするけれど、私、ジェローデルさまに助けてもらったことがあるの。」
「ああ、覚えているよ。パリでお前が乗った馬車が溝に取られた時だろう?」
「それもだけれど、お兄さまから王妃さま宛てに託されたお手紙を届けるため、私が宮殿に行った帰りのことよ。衛兵に見つかってしまい捕まりそうになったところを、偶然通りかかったジェローデルさまが助けてくださったのよ。」
「おい、ソフィア!それは初耳だ!そんなことがあったのか?」
ソフィアは慎重に言葉を選びながら、その時の状況を話した。ただジェローデルとくちづけしたこと、二人だけで一晩明かしたこと、夜の明けるまで本当にいろいろな話をしたことには触れなかった。実の兄妹だからといって、何でもオープンにすればいいというものでない。黙っておいたほうが好都合のこともある。もう大人なのだから。
「ソフィア、お前をそんな窮地に追いやってしまったとは知らなかった。本当にすまない。」
「いいのよ、お兄さま。でもこれだけはわかってほしいの-----ジェローデルさまは紳士よ。」
「オスカルさまからのお手紙には、他にどんなことが書いてあったの?」
「結婚式にお前と私を招待するとある。遠いところからすまないが、ぜひ出席してほしいと。」
「お兄さま、もちろん行くわよね?」
「ああ、そのつもりだ。オスカルは私がフランスで得た最高の親友だからな。」
「でしたら私もぜひお供させてください。オスカルさまに直接お祝いの言葉を申し上げたいの。私、あの方は生き急いでいるように見えて、とても不安だったの。いつか突然、私たちの前から姿を消してしまうのではないかと----。」
「ソフィア----。」
「でもこれで安心したわ。あの方は愛する人と結ばれ、これから幸せな人生を歩まれるのね。そして----よく決断なさったわ、平民の方と結婚すると。あの方の心を射止めたアンドレさまは、さぞ素敵な方なのでしょうね。ぜひお会いしてみたいわ。」
「結婚式はまだ3ヶ月先だが、その前に私はグスタフ3世の名代で、ウィーンのヨーゼフ2世に謁見に伺う予定がある。式当日はオスカルもアンドレも忙しくて、私たちとゆっくり話す時間はないだろう。だからウィーンでの用事が済んだら、フランス経由で帰国しようかと思う。ソフィア、お前も一緒に来るかい?」
「もちろんよ、お兄さま。そうとなれば、さっそくオスカルさまにお手紙を書かなくてはいけないわ。それからジェローデルさまにも。私、まだきちんとジェローデルさまにあの時のお礼を伝えていないの。」
「それがいい。」
「ねえ、お兄さま---。ううん、何でもない。」
一瞬ソフィアは、「コンテ大公妃の舞踏会で、お兄さまと踊られた外国の貴婦人って、本当はオスカルさまだったのでしょ?」と言いそうになったがやめた。いいのよ、あれは。もう過去のこと。オスカルさまはあの時、ドレスを着てお兄さまと踊り、自分の気持ちにけじめをつけた。そして今新たな道を歩み出そうと決心されている。だとすれば私もあの時のオスカルさまのお姿を、永遠に封印するわ。そしてこれからのオスカルさまの人生が、たくさんの愛に満ちたものとなるよう神さまにお祈りしよう。
「何だい、ソフィア?言いかけてやめるなんて。」
「ごめんなさい。いつかオスカルさまがスウェーデンに来られるといいなと思って----。」
「そうだな。フランスから見れば北方の田舎かもしれないが、オスカルたちにも見せてやりたい。」
けれど---ジェローデルさまはこのたびのオスカルさまのご結婚について、どう思っていらっしゃるのかしら?あれだけの方だもの、普通のお嬢さんと結婚なんてありえない。何にしてもジェローデルさまにお手紙を書くわ。
「部屋に戻って、さっそくお手紙を書くわ。何だか一気に春が来たようね。」
「ソフィア、お前のほうはいったいどうなっているのだ?まさか、この兄に付き合って独身を通すつもりではあるまい?」
「さあ、どうかしら-----?ではまたのちほど。」
またジェローデルさまにお会いできる----ソフィアの心が波打った。嬉しいような、胸が苦しくなるような複雑な想いをどうすればいいのか、自分でもよくわからなかった。
続く
(追伸)
火傷は、巨大な水ぶくれが破裂し新しい皮膚が再生しつつあります。お気にかけてくださってありがとうございます。次回のボランティア演奏に向けてのピアノ練習には支障なく助かりました。
原作を捻じ曲げているようで、書いていて心が痛む時もあるのです。でももしオスカルとアンドレが共に幸せな人生を歩めたなら---の仮定を考えるのは、ファンとして心が癒される時でもあります。
>ソフィアのジェローデルに対する友人以上恋人未満のような気持ちも痛いほど共感出来るので、
そうなんですよ!男女を超えた「同志」のような結びつきだろうかと想像してみたりします。まだ考えがまとまっていません。この二人も、ちょっとボタンを掛け違えれば、十分恋人同士になれるのになぁと思います。
>次回のボランティア演奏に向けてのピアノ練習には支障なく助かりました。
まいさま、火傷のダメージから回復されているようで安心しました。そしてもう次のボランティア演奏に向けて、練習されているのですね。その心意気に頭が下がります。今度はどんな曲を弾かれますか?秋らしい曲でしょうか?朝夕寒くなってきましたので、お体を大切にしてくださいね。
北欧には行ったことがないのですが、やはり春の訪れは心が浮き立つのでしょうね。それと共に知らされたオスカルの結婚。
フェルゼンにとってオスカルは大事な親友であったけど、自分への女性としての気持ちに長らく気づかず、また応えてやれなかった事できっと済まなく思っていたでしょうが、馬車襲撃の際の「私のアンドレ…」との言葉から、2人の新しい関係に気付き、今回の招待状が届いたことで、とても嬉しかった事でしょう。それがあのダンドリ最後のはじけた笑顔でグー!につながるのかもしれません。
花の名前がいくつか出てきましたが、黄色のスイセンやブルーベルは、私も大好きな花です。
昔、ハワーズエンドという映画でブルーベルの森を月夜に歩くシーンが出てきて、映像の美しさもあり、いつかどうしても見たいと思い、ロンドンに行ったときに王立植物園まで見に行きましたが、残念ながらまだ満開ではなく、でもとても感動したのを思い出します。ラッパスイセンはどこも満開で、西洋芝の濃い緑にまぶしい位の黄色が映えて美しかったです。
北欧も緑が多いのだと思います。ヨーロッパは景観の作り方が素晴らしいですよね。
ソフィアとジェローデルは、ツインソウルのよう。お互いの気持ちが手に取るようにわかる。見てて、くっついちゃえばいいのに!なんて思いますけど、簡単にいかないのがまたいいんですよね。ソフィアも普通のお嬢さんじゃないから、お似合いですよね。
ベルサイユの宮廷庭師が公開されましたね。これは観に行けそうです。
>自分への女性としての気持ちに長らく気づかず、また応えてやれなかった事できっと済まなく思っていたでしょうが
こればかりはフェルゼンも、どうしようもなかったと思います。他のことであれば、いくらでも協力は惜しまないけれど、オスカルを女性として愛することは、できなかった。
>ロンドンに行ったときに王立植物園まで見に行きましたが、残念ながらまだ満開ではなく、でもとても感動したのを思い出します。
marineさま、ブルーベルを見るため、王立植物園に行かれたのですね!ブルーベルがあたり一面に咲く様子は、まるで妖精の森にいるような幻想的な雰囲気なのでしょうか?ブルーベルの咲く時期に、ヨーロッパに行ってみたいです。水仙は春の花の定番と言ってもいいでしょうか?
>見てて、くっついちゃえばいいのに!なんて思いますけど、簡単にいかないのがまたいいんですよね。
本当にそう思います。ちょっと背中を押してやれば、案外すんなりとくっつくような気もしますが、頭が良くてプライドが高いことを自認しているお2人ですから、なかなかうまくいかないでしょうね。
>ベルサイユの宮廷庭師が公開されましたね。これは観に行けそうです。
marineさまがお住まいの近くで、公開している映画館がありますか?この映画、意外と上映している映画館が少ないので、私はもう少し待ちます。marineさま、ご覧になったら感想を教えてくださいね。