舞台はチュイルリー宮殿からタンプル塔へ。
第12章 「牢獄から死刑台へ」
1792年8月10日、パリ市民と義勇兵によってチュイルリー宮殿は襲撃され、国王一家はタンプル塔に移ることになる。
↓ 作者不詳。タンプル塔。ナポレオンによって取り壊されたため、現存していない。
↓ このコーナーで一番切なくなったのが、ルイ・シャルルに関する展示。これは1793年、7歳頃の肖像画。
タンプル塔での生活はどんな様子だったか、Wikiによると…
父からラテン語、フランス文学、歴史、地理を教わり、叔母エリザベート王女からは姉とともに数学を学んだ。数学が理解できない牢番は、暗号の通信文を子供たちが書いていると勘違いした。この頃の国王一家はまだ待遇良く扱われ、庭への散歩も許可されており、ゲームで遊んだり、国王一家に同情した職員からルイ=シャルルに贈られた愛犬ココと過ごした。
↓ 幼いながらルイ・シャルルはなかなか達筆で、1792年に書かれた習字帖には見事な文字が残っている。とても7~8歳の子どもの字とは思えない。父ルイ16世譲りの知性を感じさせる。ではいったいどんな文を書いていたかといえば、
国民から愛される 国民から愛される 国民から愛される 国民から愛される
人間にとって有害な快楽から目を背けること ああ、それらの快楽は空しい
とある。ルイ16世が「こう書きなさい。」と指示したのだろうか?7歳の少年は、内容を理解した上でお習字していたのか、それとも単に文字を書き写していたのか?革命がなく、父の英才教育を受け続けていたら、シャルルはかなり教養のある王太子に成長したように思う。母親と引き離されてから、彼がタンプル塔で受けた虐待を思うと本当に切なくなる。
読んでくださり、どうもありがとうございます。
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