Vばら 

ある少女漫画を元に、エッセーと創作を書きました。原作者様および出版社とは一切関係はありません。

中野京子さんの「怖い絵」

2015-05-07 22:42:45 | つぶやき

 中野京子さん著「怖い絵 3部作」は、西洋史や西洋絵画が好きな人なら、聞いたことのある本だろう。第1作には20枚の絵画について、中野さん独自の解釈が加えられている。その中の1枚がこれ「マリー・アントワネットの最後の肖像」(ダヴィッド作)

 中野さんが「怖い絵」シリーズを書くきっかけになったのが、まさにこのアントワネット最後の姿。まえがきで「この絵が衝撃的なのは~略~描き手の悪意をひりひりと感じさせられるからだろう。ダヴィッドという画家は、生き残るためなら平気で政治信条を変え、仲間を裏切り、権力者におもねり続ける人生を送ったのだが、このたびは国王処刑に賛成票を投じ、元王妃に対する憎悪を隠していなかった。~略~本当に彼女がこんな顔つきだったかどうか、今となっては誰にわかるだろう。ダヴィッドの悪意に歪んだ眼に、こう見えたというだけかもしれない。つくづく怖いことだと思った。」と書いている。

 なるほど。写真ではないから、この絵があの日のアントワネットのありのままを描いているとは断定できない。実際はもっと凛とした表情で、死に臨んでいたかもしれない。以下、中野さんの文章を一部引用させていただく。

 アントワネットが乗っているのは、動物死体運搬用の荷車。10か月前、ルイ16世が処刑される時は、まだ王家への敬意が残っていて、カーテンを閉めた宮廷馬車で、ギロチン台に向かった。だがアントワネットの時は、パリ中の見物人を楽しませるため大きく遠回りの上、ゆっくりとした歩みで、遮るものがない晒し者状態で、コンコルド広場に運ばれていった。手を縛る綱の端は処刑人サンソンに握られ、隣には平服の神父が付き添う。アントワネットが引き回される時、行く手を遮ってからかう役者や、唾を吐きかける女もいた。けれどこの絵にはそうしたものは一切描かれていない。

 さりげなく欠点が誇張され、美化ならぬ醜化がなされいる。女性ならこんな姿を後世に残されるのは嫌だと思うだろう。無残なのは髪の毛。ギロチンの刃の邪魔にならぬよう、襟足よりずっと上のほうで鋏を入れられている。刑場に出発する直前、監獄の中でサンソンによって乱暴に切り取られた。髪はとかす暇も与えられなかったらしく、不揃いにはねている。剥き出しになった首には、若さの消失を示す筋まで描き込まれている。有名は「ハプスブルク家の受け口」は、アントワネットにも受け継がれていたが、若いころはそれがかえって可愛いおちょぼ口に見えたし、宮廷画家たちが肖像画を描くときは、その部分をぼやかしていた。しかしダヴィッドははっきりと真横から下唇が突き出ているのがはっきりわかるし、その唇の端は、頬のたるみで下へ曲がり、底意地の悪そうな印象を与える。

 けれどアントワネットは毅然とした態度で断頭台に向かう。おそらくギロチンの刃が落ちるその瞬間まで、王妃としての誇りを失わなかっただろう。前代ルイ15世の愛妾デュ・バリー夫人は、ギロチン台の上で泣き叫び、懇願し逃げ回ったとある。

 ほんの微かな唇の歪み、ほんのわずかの鼻の曲げ方、ほんの短い一本の線で、印象をまったく変えることができる。悪意の持つ怖さだ。おべっか遣いの宮廷画家たちが営々と美化してきたアントワネット像を、たった一枚のスケッチで粉砕してやろうと意図したにもかかわらず、仕上げてみれば、外見こそ醜く老いているものの、心は何ものにも屈せざる大した女性を描いてしまったことに、ダヴィッドは内心うろたえただろうか?相手を傷つけようとしたのに、自分の悪意ばかりがクローズアップされたことに、驚いただろうか?

 中野さんの、ダヴィッドに対する皮肉っぽい解釈が何とも痛快。アントワネットに代わって、彼女の名誉のためにダヴィッドにお仕置きしているよう。後世の人が冷静な目でこの絵を見れば、この絵は中野さんが指摘するように、アントワネットのありのままの姿を描いているのではなく、ことさら加齢や精神的苦痛から来るやつれを誇張しているかのように、作為的に描いたと解釈することもできる。

 ところでこの本の表紙は、エピソード6で話題になった、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの代表作「いかさま師」。

 ジョルジェットのひいおじいさまであるド・ラ・トゥールについて、中野さんはこう書いている。(以下引用)

 記録によればルイ13世に召し抱えられ、「王の画家」の称号をもらったほどなのに、奇妙にも再発見されるのは20世紀初頭になってからだった。~略~残された文書からわかるのは、後年の彼がかなりの財産家として暮らしながら、一方で暴力をふるって貸金を取り立てたり、召使に盗みをさせたなどとして、頻繁に訴訟沙汰になり、近隣の嫌われ者だったという事実。記録だけ読めば、画家と言うより強欲な金貸しの姿が浮かび上がってくるほどだ。

 あらあら、中野さんの手にかかると、ジョルジェットとレニエの恋の橋渡しをしたひいおじいさまは、欲の塊のような人物だったようで----。どんな人も切り口や調理法次第で、甘くも辛くも変身できる。それって怖いような、面白いような----。

 カメラがない時代の、やんごとなき姫君や威風堂々とした王たちの肖像画は、絶対に実物以上に美しく、かっこよく、ゴージャズに描かれているだろう。実際は偽物の宝飾類も、魔法をかけて本物のように見せかける。お会いしたらジャガイモのような顔をしたプリンセス、恵比寿かぼちゃのような顔立ちの王子が各国にいたかもしれない。ただただ王家・貴族の家に生まれたというだけで、修正付きの肖像画が描かれ、それが今日に至っているとしたら、それはある意味、幸せな時代に生きた人たちと言えるのかもしれない。

 読んでくださり、ありがとうございます。



2 コメント

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「恐い絵展」見に行ってみたいと思いました。 (CHIE)
2017-10-08 14:29:04
つぶやきを読んでいて見に行ってみたいと思いました。作者の描き方によっても感情が出るものなのかと勉強になりました。りら様のブログのおかげで調べたりして探求心が芽生えました。
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CHIEさま (りら)
2017-10-09 08:12:29
 コメントをありがとうございます。

 中野京子さんは「怖い絵」シリーズを、4冊くらい書いておられたかな?10月7日から、東京の上野の森美術館で「怖い絵展」が始まりましたね。神戸でも大盛況だったそうです。目玉は「レディ ジェーンの処刑」。隙間時間を見つけて、見に行きたいです。
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