2頭の馬に鞍を付け、アンドレは遠乗りの準備をした。厨房からパン、チーズ、ハム、りんごそれに赤ワインを1本もらい、馬の背にしっかりとくくり付けた。
カラッとした南風が頬を撫でて気持ち良い。遠乗りには絶好の日和だ。久しぶりにオスカルが馬術用のジャケットとパンツを纏い、アンドレが用意した馬に近づいてきた。そういえば最近、遠乗りに出かけていなかったな。今日はとことんオスカルの行きたい場所に、付き合ってやろう。
「ばあやに悪いことをしただろうか?」
「いいんだ、オスカル。おばあちゃんの気持ちもよくわかるけれど、今のお前に必要なのは、少しの間現実を離れることだ。でないと結婚式の準備が負担になってくる。おばあちゃんには俺からうまく言っておくから、お前は心配するな。」
「ばあやを悲しませたくないのだが----。」
「オスカル---」
「次の休みは必ず今日の埋め合わせをする。ちゃんとエステにも行くから。」
「それでよし。さて今日はどこへ行く?とりあえずヴェルサイユを離れよう。」
「初めて父上から遠乗りを許された時、私たちは10km離れた隣村まで行ったな。覚えているか?」
「もちろんだとも。あれはお前が9歳の時だったな。『日が沈む前に戻ってくる』条件付きで、旦那さまが許可してくださった。片道わずか10kmの道のりだったけれど、とても長く感じたのを覚えている。」
あの時旦那さまは、俺たちが道に迷ってはいけないと、気づかれないように後ろからそっと厩番のシモンにあとを追わせていた。
「久しぶりに同じ道を走ってみないか、アンドレ?」
「よし。」
ピシッ!馬に鞭をあてると、勢いよく走りだした。オスカルが先頭を走り、アンドレがあとに続く。風に乗り、豊かなブロンドの髪が後ろに勢いよくなびく。やがてその姿がぐんぐん遠くなっていく。アンドレは遅れまいと必死であとを追う。俺はいつだってこうしてオスカルを絶対に見失うまいと追いかけてきた。あいつはどんな場所でも巧みに馬を操り、突き進んでいく。ある時は大雨で水かさが増した川を渡り、またある時は谷側が絶壁の狭くて急な坂を下り、まるで第3、第4の脚が生えたかのごとく自在に突き進んでいく。俺は馬から振り落とされないよう、いつもヒヤヒヤしながらあとを追っていたなあ。
乗馬---私にとって、自分の意思で自分の行きたい場所に行くための手段。自由への第一歩。幼い頃はいつも大人に御者を務めてもらって、目的地まで連れて行ってもらった。乗馬を覚え、父上から遠乗りを許された時、少し大人になった気して嬉しかった。これからは人に頼らなくても、いつでも自分で行きたいところに行けるのだと。つらい時、悲しい時、一人でよく馬を走らせた。馬なしの人生は、私にはあり得ない。
お屋敷を出て30分くらい走った頃だろうか、急にオスカルが止まった。
「どうした、オスカル?」追いついたアンドレも馬を止める。
そこはひなびた小さな田舎の教会。今まさに神の前で永遠の愛を誓ったばかりの若い二人が、家族や親せき、友人らの祝福を受けながら、建物の外に出てきたところだった。
「結婚式か。」
二人はこの村の農民だろうか、質素だがおそらく手持ちの中から一番上等な服をまとい、新郎のジャケットの胸元と新婦の髪には、お揃いの淡いピンクのラナンキュラスが飾られていた。新婦のドレスの襟と袖口には、この地方独特の繊細な白いレースが施されている。それ以外はこれといった凝った装飾はなかったが、幸せな二人には婚礼衣装が豪華か否かはどうでもいいことだった。ここに至るまで、この二人にはいったいどんなドラマがあったのか?花嫁の母と思しき女性は、あふれる涙を何度もハンカチでぬぐっている。
「人生最良の日の幸せな笑顔を見るのはいいものだな。私たちの結婚式も、こんな感じになるだろうか?」
「そうだな。今は準備で何かと大変だが、絶対に良い式にしたいな。」
「ああ。」
「そこのお二人さん、そんなところに突っ立ってないで、よかったらこっちに来て、一緒にお祝いしていかないか?これから隣の庭で、パーティーが始まるんだよ。さあさあ、こっちへ----。」
二人に気づいた40歳ぐらいの男が、声をかけてきた。
「どうする、オスカル?」
「せっかくだ。お言葉に甘えちょっとお邪魔していこう。」
「あんたたち、ここの人ではないね。どこから来たんだい?」
「ヴェルサイユから来ました。」
「ヴェルサイユ!?見たところ、着ているものも立派だし、どこかのお偉いさんかな?」
「軍人です。」
「おお、兵隊さんかい?どおりで顔立ちも姿勢もキリッとしている。さすがヴェルサイユの人は違うね。さあさあ、ヴェルサイユに比べれば何もないけれど、一緒にお祝いしてってくれ。」
その男は、オスカルとアンドレを新郎新婦のもとに連れて行った。
「ユルバン、アニエス、こちらはヴェルサイユの軍人さんだ。ええと、失礼、お名前は?---オスカルとアンドレだ。教会の外でお前たちを見ていたから、ぜひこっちへと俺が連れてきた。」
オスカルは幸せなカップルに近づき、新郎に握手を求め、新婦の手の甲に軽くキスをした。
「初めまして。オスカルと申します。お幸せそうな二人の様子を見て、思わず足を止めてしまいました。」
「ユルバンと申します。こちらはアニエス。俺たちは幼馴染なのです。この村で生まれ共に育ちました。」
「幼馴染!」思わずオスカルが声を上げた。
「ええ。家が近所で、小さいころから何をするのも一緒。まるで兄妹のように育ちました。昨年アニエスの父親が亡くなり、男手のいなくなった彼女の家にいろいろ手伝いに行っているうち------。」
「そうでしたか、幼馴染でしたか。」
「こいつは俺の全部をお見通し。何も悪いことはできません。あはは---。」
傍らで恥ずかしそうにアニエスも微笑む。ああ、だからさっき母親と思しき人が泣いていたのだな。
「失礼ですが、お二人はどういった間柄で?」ユルバンが尋ねた。
「どう見えます?」ニヤッとしてオスカルが聞き返す。
「親友同士ですか?」
「そうとも言えます。」
「では兄弟?でも髪の色も目の色も、全然違いますね。」
「あなたがたと同じですよ。」
「幼馴染ですか?」
「そうです。でもそればかりではない。」
「えっ、何だろう?」
「もしかして----」アニエスが小さな声で呟く。
「もしかして---恋人同士でしょうか?」
「そのとおりです。」
「---------------------」
「オスカルさん、あなたは女性でしたか?これは気づかず大変失礼いたしました。で---お二人はもう結婚しているのですか?」ユルバンがすまなそうに尋ねた。
「いえ、まだです。これからです。偶然あなたたちの様子が目に入ったので、つい立ち止まってしまいました。」
「いつ、式を挙げるんですか?」
「3ヶ月後を予定しています。」
「そうでしたか。」
「さあさあ、みんなで乾杯しようじゃないか!」先ほどオスカルとアンドレを教会の中に招き入れた男性が、ワイングラスを2つ持って、オスカルたちに手渡した。
「ジャン、このお二人は婚約中だ。」ユルバンが言った。
「えっ!あんた、女だったのかい?しかも軍人さん?そいつはすげえや。」ジャンと呼ばれたその男は、大変驚いた様子でオスカルの顔をまじまじと見た。
「っていうと、こちらがあんたの亭主になる人か?いやあ、男の俺から見てもなかなか男前だ。確かアンドレさんと言ったね。こんな別嬪さんを嫁にできるなんて、あんたは幸せ者だ。さあ、グラスを持ってみんなで乾杯しよう。」
新郎新婦、オスカルとアンドレ、ジャン----5人の周囲に人だかりができた。
「乾杯!」ジャンが音頭を取り、その場にいた人たちは隣同士でグラスをカチャンと響かせ、祝杯を挙げた。
続く
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