
ロココ時代の子ども服、女児の場合、基本的に大人の女性の服装を小型化したものが多い。どれも体にピタッとしたデザイン。素材もそれなりに重そう。幼少期から体を締めることに慣れさせていったのかなあ。
↓ ボディス(bodice)と呼ばれる腰の上までの長さの胴着。前をホックで留めるか紐で締めあげるものを呼ぶことが多い。下着ではない。こちらは1720年~30年のもの。
↓ デンマークのボディス 7歳児向け 1770年
↓ 1750年頃
↓ イギリスのシルク・ボディス 1730年~40年
↓ こちらは子ども用コルセット。素材はウールとリネン。
↓ 金色のドレス スペイン 1780年頃
↓ シルクダマスク織 金襴のドレス 18世紀初期。
↓ 絹のドレス 1770年~80年
↓ 金糸で刺しゅうした、絹のドレス 1735年~55年
↓ キルトで作られたスコットランドのドレス 1750年~70年
↓ 花の刺繍が施された絹のドレス イギリス 1760年 ウエストが細い!
↓ 銀糸で刺しゅうした絹のドレス イギリス 1760年~70年
↓ パニエを付けて膨らませたドレス イギリスorフランス 18世紀
↓ ウールとシルクの混紡 イギリス 1740年代
↓ シルクジャケット オランダ 1775年~1780年
↓ 幼児服 オランダ 1750年~80年
↓ こはく織り(=タフタ)のガウン デンマーク 1780年~85年
↓ ガウン イギリス 1775年~85年
↓ コットンのコート イギリス 1720年
オスカルの姉たちもこうしたドレスを着ていただろうか?18世紀ヨーロッパ、王侯貴族の娘たちは幼少期から体をしっかりと締め付けた重い服を着せられ、自由に動き回ることを束縛されてしまった様子。子どもがこれを着続けるのは、さぞ重労働と察する。だから遊びといえばペットの犬をかまったり、クラブサンを奏でる、動きの激しくないダンスを興じるなどおのずと制限されてくる。日々のドレスの着付けや脱がすのは侍女の役目。これではオスカル、姉たちと遊んでいても物足りなくて楽しくないだろう。だからばあやの孫の男の子が屋敷にやってくると聞いた時「やった~!これでもう、剣の相手探しに不自由はしないぞ。いやさせないぞ。」と思ったのでは?
読んでくださり、本当にありがとうございます。
少女時代、姉上の結婚式に、ドレスを着ることはなかったのでしょうか。ばあやと姉上たちに無理矢理着せられてふてくされるけど、その姿を見たアンドレは…❤
>少女時代、姉上の結婚式に、ドレスを着ることはなかったのでしょうか
ジャルジェ将軍が、オスカルにドレスを着せることを禁じていたかもしれません。フェルゼンと踊るため、生涯でただ一度、ドレスを着る時でさえ「父上には内緒だぞ。」と言っているくらいですから。幼児期から徹底的に男の子として躾けられていたかもしれません。でも夫人とばあやは、オスカルにドレスを着せたかったと思います。
>その姿を見たアンドレは…❤
子ども心に、オスカルを「可愛い。」と思ったでしょうね。