<メンバー>
安達、加藤(記録)、後藤(進行)、大洞、高野、松尾、渡辺
「“住まい”に対する思い」
後藤:
卒業論文のテーマに通じているし、現在の住まいについて皆がどう思っているかが聞きたい。
加藤:
木造建築がやっぱりいいと思う。プラモデルのように立てられてしまう現代の住宅はいかがなものかと思う。
松尾:
直接住まいにかかわることではないかもしれないけれど、プロジェクト(日本再発進 若者よ田舎をめざそうプロジェクト)にこれから関わっていく上で感じているのは、田舎暮らしって実はいちばん裕福なのではないかということ。しかしながら、現状では都会に出て行ってしまう傾向がある。
安達:
西洋の文化も入り混じって、色んな住宅がある中で、一体どのようなカタチの住まいが現在の様式にあっているんだろうと疑問に思う。というのも、昔の生活スタイルと今のそれとがあまりに異なっているから、どこを取り入れるべきで、どこが要らないかがごちゃごちゃになっている気がする。
大洞:
“「縁側」の思想“という本を読んだことがあり、そこでは家を建てようとする若者に「どんなに狭くても縁側を作りなさい」とアドバイスしていた。また、縁側がフレキシブルに使える場所だと書かれている。
「ちなみに、みんなの住みたい家は?」
加藤:
子供のころは、煙突のあるログハウスに住みたかった。自分でも建てられそうだと思った。今は茶室、畳のある日本の木造住宅がいいと思うようになった。
松尾:
ゴルフ場の見える家。ゴルフ好きなんです。自分で手入れしなくってもいつも整備されたゴルフ場が見えるし、あたかも自分の庭のような感じになれる(笑)
安達:
移り住むなら、昔のままの設備が残っている家がいい。燃料がなくなってもどうにかなるのが昔の家。今の家はメンテナンスが自分では出来ない。
大洞:
図書館。本棚に取り囲まれた空間に住みたい。
後藤:
昔の家は床も壁もスカスカで、今とはつくりが全然違った。空気や風、光を全て有効に取り入れる、パッシブシステムと呼ばれる形式。これは戦前からもう合った建築様式で、かなり伝統がある。自分は、今の高気密高断熱の家よりも、こっちの方がいいなぁっておもう。
渡辺:
今でも住んでいるところは田舎だけれど、やっぱり田舎に住みたい。つくりは木造で、平屋の家。風呂場から絶景が見えると最高かな。山並みとかそういう景色もいいけど、自分の田んぼや畑が見渡せるって言うのも最高にいい。
「縁側っていいですよね。でも縁側の役割って・・・?」
大洞:
縁側があることで、各家とご近所との境界がうまい具合に曖昧なものとなる。縁側は一見余分なものに見えても、近隣の方々との心の交流の場である。
安達:
今借りている家は古民家だけれど、交流の場という意味では家の表玄関の前に広がる空間と、そこに置かれたベンチが縁側の役割を果たしているといえる。
加藤:
自宅の縁側は祖父の定位置。冬はすごくあったかい。お坊さん(おくりさん)が来るときは、なぜかいつも正面玄関ではなく縁側だし・・・。
松尾:
自分がこれからプロジェクトの受け入れ先として滞在するのはお寺だけれど、もちろん縁側はある。そこからの眺めを楽しみたい。
高野:
昔はお寺が地域の縁側的な存在だったといえる。そこで地域の人々の交流が図られた。お寺は教育・生涯学習の場でも合った。
昔は「講」という概念があり、いわゆる村落の共同基金なのだけれど、それで各家の台所を直すなり、壊れたところの修理をみんなで労働を提供しながらやっていた。だから地域の人々のつながりも強かった。
「昔と今では全然建築様式も違いますよね」
後藤:
今の高気密高断熱の住宅もいいけれど、エアコンかけて外と空気まで別のものを循環させてしまうのは、外の世界に対するシャットドウンになる気がする。ご近所さんのことは関係ないよって雰囲気も強くなってしまうのでは。
その点では、昔のスカスカの建築様式は一緒の気候や空気を感じることで、いろんな問題をみんなの共通のものと感じることが出来ると思う。
安達:
今の生活様式というのは、色んな不便さ・使い勝手の悪さを改善してきた結果なのだから、だんだんシフトしてきたものである。でも、もともとは何とかやってきたのであるから、何とかうまい具合に今の生活様式と織り交ぜていけないだろうか。
「海外から戻って、日本は明るすぎると思ったんです」
松尾:
私はフランスとかいろんな国に行ったけれど、日本の色は明るすぎると思う。向こうは明かりといったらランプやろうそくで必要なところだけ。日本に来ると隅々まで照らされている。
後藤:
田舎にいれば、月明かりは本当に明るいんだって実感できる。今の都会の人はそれに気づいていない。
加藤:
明るすぎて、見てほしくないところまで見えてしまう(苦笑)でも、清潔感は明るさゆえ生まれたのだと思う。
安達:
私の兄弟は、背中に暗闇があると妙な不安感を持ってしまって落ち着けない様子だった。そういう感じ方もあるんだと知った。
○最終的な議論としては。。。
・日本で古来から培われてきた気候や湿度の条件に合わせた建築様式を現代に生簀ことは出来ないのだろうか。
・戦前、戦後で文化が大きく分裂している。仮に、そこが繋がっていたとしたら今の文化はどうなっていただろうか。そこを考えてみることがかぎとなる気がする。
・おじいちゃん世代とお父さん世代は交流が絶えてしまいがちだけれど、最近はウマい具合に孫世代とおじいちゃん世代の交流が測られている。
・これら世代間の交流を深めることで、昔の文化と今の文化をつなぐ新しい生き方、すみ方を生み出す鍵が見つかるのではないだろうか。
以上、興味を持ったこと、思いつきの会話を続けていたので、グループメンバーは全員思いっきり話しを楽しんでいたのですが、結論がぼんやりした形でまとまっています。しかしながら、楽しかった!という様子は皆さんにも伝わるのでは・・・と思いますww家の間取りやポンチ絵を描きながらのおしゃべりだったので、それらを見せられないのが残念です。
グループメンバーの皆様、今回はありがとうございました。もし、足りないところや間違いがありましたらご指摘よろしくお願い致します。
文責:加藤
安達、加藤(記録)、後藤(進行)、大洞、高野、松尾、渡辺
「“住まい”に対する思い」
後藤:
卒業論文のテーマに通じているし、現在の住まいについて皆がどう思っているかが聞きたい。
加藤:
木造建築がやっぱりいいと思う。プラモデルのように立てられてしまう現代の住宅はいかがなものかと思う。
松尾:
直接住まいにかかわることではないかもしれないけれど、プロジェクト(日本再発進 若者よ田舎をめざそうプロジェクト)にこれから関わっていく上で感じているのは、田舎暮らしって実はいちばん裕福なのではないかということ。しかしながら、現状では都会に出て行ってしまう傾向がある。
安達:
西洋の文化も入り混じって、色んな住宅がある中で、一体どのようなカタチの住まいが現在の様式にあっているんだろうと疑問に思う。というのも、昔の生活スタイルと今のそれとがあまりに異なっているから、どこを取り入れるべきで、どこが要らないかがごちゃごちゃになっている気がする。
大洞:
“「縁側」の思想“という本を読んだことがあり、そこでは家を建てようとする若者に「どんなに狭くても縁側を作りなさい」とアドバイスしていた。また、縁側がフレキシブルに使える場所だと書かれている。
「ちなみに、みんなの住みたい家は?」
加藤:
子供のころは、煙突のあるログハウスに住みたかった。自分でも建てられそうだと思った。今は茶室、畳のある日本の木造住宅がいいと思うようになった。
松尾:
ゴルフ場の見える家。ゴルフ好きなんです。自分で手入れしなくってもいつも整備されたゴルフ場が見えるし、あたかも自分の庭のような感じになれる(笑)
安達:
移り住むなら、昔のままの設備が残っている家がいい。燃料がなくなってもどうにかなるのが昔の家。今の家はメンテナンスが自分では出来ない。
大洞:
図書館。本棚に取り囲まれた空間に住みたい。
後藤:
昔の家は床も壁もスカスカで、今とはつくりが全然違った。空気や風、光を全て有効に取り入れる、パッシブシステムと呼ばれる形式。これは戦前からもう合った建築様式で、かなり伝統がある。自分は、今の高気密高断熱の家よりも、こっちの方がいいなぁっておもう。
渡辺:
今でも住んでいるところは田舎だけれど、やっぱり田舎に住みたい。つくりは木造で、平屋の家。風呂場から絶景が見えると最高かな。山並みとかそういう景色もいいけど、自分の田んぼや畑が見渡せるって言うのも最高にいい。
「縁側っていいですよね。でも縁側の役割って・・・?」
大洞:
縁側があることで、各家とご近所との境界がうまい具合に曖昧なものとなる。縁側は一見余分なものに見えても、近隣の方々との心の交流の場である。
安達:
今借りている家は古民家だけれど、交流の場という意味では家の表玄関の前に広がる空間と、そこに置かれたベンチが縁側の役割を果たしているといえる。
加藤:
自宅の縁側は祖父の定位置。冬はすごくあったかい。お坊さん(おくりさん)が来るときは、なぜかいつも正面玄関ではなく縁側だし・・・。
松尾:
自分がこれからプロジェクトの受け入れ先として滞在するのはお寺だけれど、もちろん縁側はある。そこからの眺めを楽しみたい。
高野:
昔はお寺が地域の縁側的な存在だったといえる。そこで地域の人々の交流が図られた。お寺は教育・生涯学習の場でも合った。
昔は「講」という概念があり、いわゆる村落の共同基金なのだけれど、それで各家の台所を直すなり、壊れたところの修理をみんなで労働を提供しながらやっていた。だから地域の人々のつながりも強かった。
「昔と今では全然建築様式も違いますよね」
後藤:
今の高気密高断熱の住宅もいいけれど、エアコンかけて外と空気まで別のものを循環させてしまうのは、外の世界に対するシャットドウンになる気がする。ご近所さんのことは関係ないよって雰囲気も強くなってしまうのでは。
その点では、昔のスカスカの建築様式は一緒の気候や空気を感じることで、いろんな問題をみんなの共通のものと感じることが出来ると思う。
安達:
今の生活様式というのは、色んな不便さ・使い勝手の悪さを改善してきた結果なのだから、だんだんシフトしてきたものである。でも、もともとは何とかやってきたのであるから、何とかうまい具合に今の生活様式と織り交ぜていけないだろうか。
「海外から戻って、日本は明るすぎると思ったんです」
松尾:
私はフランスとかいろんな国に行ったけれど、日本の色は明るすぎると思う。向こうは明かりといったらランプやろうそくで必要なところだけ。日本に来ると隅々まで照らされている。
後藤:
田舎にいれば、月明かりは本当に明るいんだって実感できる。今の都会の人はそれに気づいていない。
加藤:
明るすぎて、見てほしくないところまで見えてしまう(苦笑)でも、清潔感は明るさゆえ生まれたのだと思う。
安達:
私の兄弟は、背中に暗闇があると妙な不安感を持ってしまって落ち着けない様子だった。そういう感じ方もあるんだと知った。
○最終的な議論としては。。。
・日本で古来から培われてきた気候や湿度の条件に合わせた建築様式を現代に生簀ことは出来ないのだろうか。
・戦前、戦後で文化が大きく分裂している。仮に、そこが繋がっていたとしたら今の文化はどうなっていただろうか。そこを考えてみることがかぎとなる気がする。
・おじいちゃん世代とお父さん世代は交流が絶えてしまいがちだけれど、最近はウマい具合に孫世代とおじいちゃん世代の交流が測られている。
・これら世代間の交流を深めることで、昔の文化と今の文化をつなぐ新しい生き方、すみ方を生み出す鍵が見つかるのではないだろうか。
以上、興味を持ったこと、思いつきの会話を続けていたので、グループメンバーは全員思いっきり話しを楽しんでいたのですが、結論がぼんやりした形でまとまっています。しかしながら、楽しかった!という様子は皆さんにも伝わるのでは・・・と思いますww家の間取りやポンチ絵を描きながらのおしゃべりだったので、それらを見せられないのが残念です。
グループメンバーの皆様、今回はありがとうございました。もし、足りないところや間違いがありましたらご指摘よろしくお願い致します。
文責:加藤
いい具合に盛り上がっていたようですね。私も参加したかったです。次回は是非・・・
私も最近、住まいに興味を持っています。勿論、心底惚れた田舎を見つけて、そこに住むことが第一なのですが、邪(よこしま)な物欲も芽生えてしまっています。
ログハウスなんかいいなぁ、薪ストーブなんかで暖まっちゃって・・・
大きな家は要らないんです。小さいハウスを1戸、また1戸と少しずつ自作していきたいなぁ、なんて思っています。
来月は千年ゼミ、楽しみにしています!!