周恩来首相と田中角栄首相
【日中国交回復】~1972/S47年9月
田中は日中国交回復に全力を挙げて取り組む。右翼団体の攻撃が凄まじい。
「国賊・田中角栄」のビラが町中に貼られ、事務所に怒鳴り込む者もいた。
'命をかけて中国に行く。命は惜しくない。'と田中は真剣な顔で言った。
訪中が迫ると、田中は病床の石橋湛山を見舞い、中国行きを報告した。
9月25日
田中総理・大平外相・二階堂官房長官・北京入り。
周恩来首相、飛行機のタラップ下まで出迎え。田中、すごく緊張気味。
ブラウン管を通じて、男の大仕事の成就を祈る・・・と昭子は綴っている。
以下、中国訪問の様子は記録映像で。
以下、中国訪問の様子は記録映像で。
12月 第33回総選挙。自由民主党は過半数確保も議席減。第2次田中内閣。
【仏・英・西独・ソ連歴訪】~1973/S48年9月
【第一次オイルショック】~1973/S48年10月
~昭子の日記より要約記述~
"田中は総理在任中に十七カ国を歴訪した。
米国一辺倒を脱して新たなエネルギー供給源を探す「資源外交」の旅である。
これが後のロッキード事件につながったのだと思う。"
”内政の独自政策として特筆大書したいのは「教員人材確保法」の成立。
公立の小・中学校の先生の給与を大幅に上げ、海外派遣視察制度を設けた。
’大学教授より、白紙の子供を教える小学校の先生が大事’が田中の持論。"
今日はここまで。次回は、「田中金脈問題追及」。
それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]