遊びをせんとや

人生総決算!のつもりで過去・現在のことなどを書きます
といっても肩肘はらずに 楽しく面白く書きたいと思います

「石橋湛山の遺志を継ぐ人々~その16~二人三脚の日々#10」

2024年07月10日 | 人物


引続き、佐藤昭子が見聞・体験した「ロッキード事件」を要約記述引用する。

【終戦記念日】~1976/S51年 8月15日
“政治家とは薄情なもの。田中の逮捕後は殆ど事務所に拠り着かない。
事務所の女性職員に、’誰が来てくれたか、毎日記録しておいてね‘と頼む。"

"翌々日、田中がようやく保釈された。保釈金2億円。数日たって事務所へ。
思ったより元気で、やつれた様子も無い。
議員たちがまた集まって来る。田中は一人一人に、
‘俺のことでみんなに迷惑をかけて済まなかった’と頭を下げた。"

"検察の取り調べは丁寧だったようだ。
‘俺はロッキードなんて初めから知らん。検事も殆ど訊かなかったよ。’
'それじゃ、何をしていたの?'
'毎日、政治というものについて、検事に教えていた'
事情聴取しないなんて、どうして?!・・・何かがおかしかった。"

~田中・榎本の他に、政治家では以下の2名が収賄容疑で逮捕された。
運輸大臣・橋本登美三郎 運輸政務次官・佐藤孝行~

【三木下ろしの風】
8月19日 主流各派が挙党体制を作り三木内閣の退陣を求める。
12月5日 
総選挙実施(NHKアーカイブス)
 自民党過半数割れし三木退陣 田中はトップ当選。
12月24日 福田内閣成立。

弁護検討
"公判を控え、弁護団との打合わせが、毎月曜日、事務所一室で行われた。
訴追された田中と秘書の榎本が参加。
田中と高齢者ばかりの弁護団の意見が噛み合わない。
‘金を貰ったことを認めて、総理大臣の職務権限で争ったらどうか’
‘俺は金を貰っていない。それに総理大臣が’外国企業から金を貰ったら歴史に汚点を残す。何としても冤罪を晴らさないといけない’
・・・こんな頼りない弁護団で法廷で争うのか"

【公判開始】~1977/S52年 1月27日
“丸紅ルートの公判が始まる。
一審、二審・・・田中が死ぬまで16年続くことになった。"


【福田下ろし】~1978/S53年 11月26日
"自民党総裁予備選で、福田・大平・中曽根・河本の争いとなる。
田中は大平支援を決め、事務所では秘書たちが電話作戦を行う。
私は地方議員、田中は各県の実力者を受け持ち、電話をかけまくる。
結果は、大平748票・福田638票・中曽根93票・河本64票で、大平が制した。
ニューヨークタイムズ紙が、'田中は日本のキングメーカー'と書く。
中曽根は'金の力に負けた'とコメントしたが、とんでもない。
田中派の費用は、私が秘書団へ渡した電車賃・食事代200万円だけ。"



先はまだまだ長い。次回は公判証言からの流行語の数々ほかを。
今日はここまで。それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]