「満員電車に揺られながらこう考えた
利に働けば蔵が建つ
情に棹させば溺れてしまう
意地を通せば出世は無理だ
とかくに会社は窮屈だ」
若い頃 背広のポケットに
漱石の「草枕」文庫本を忍ばせ
何と不埒なことを考えていたんだろ!
電車が揺れた隙には
若い美人女性の方によろけたりして
ほんと恥曝しもいい加減にせんかい!
本物の「草枕」冒頭を掲げておく ちょっと長いが読んでね
~山路を登りながら、 こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住み にくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
《人の世》を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。
ただの人が作った《人の世》が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば《人でなし》の国へ行くばかりだ。
《人でなし》の国は《人の世》よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい 所をどれほどか、
寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降(くだ)る。
あらゆる芸術の士は人の 世を長閑(のどか)に し、
人の心を豊かにするが故に尊(たっ)とい。
住みにくき世から、住みにくき煩(わずら)いを引き抜いて、
ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。
あるいは音楽と彫刻である。~
さて 若い頃から「草枕」を何度読んだことか
でも 何度読んでも難しくて 今でも理解できていない
小説のような エッセイのような 芸術論のような
日本的文化批判のような 近代文明批判のような・・・複雑!
この「草枕」第3章に以下の記述が出てくる
~四角な世界から常識と名のつく一角を磨滅して、
三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。~
ここが「草枕」の英語訳版のタイトルの出どころだ
すなわち「三角の世界(The Three Cornerd World)」
この本の存在は以前から知っていた
以前このブログでも紹介したGllen Gouldの愛読書だったからだ!
この際 思い切って読んでみるか!
英語に堪能でもない私には無理なんじゃない?
何とかなるさ とKindle版を購入(といっても0円だけど)
でも あの難解な「草枕」をほんとに英訳できるの?
ともかく英訳版「三角の世界」をGoogle翻訳の力を借りて挑戦してみましょ!
さあ どうなることか・・・
話は日本語の「草枕」に戻る
二章から登場する奈美さんが魅力的だ
彼女は夫と別れ 画工(絵描き=漱石)の泊まる実家の宿に戻っている
彼女は美しく 画工の前に着物姿でたびたび現れる
時に浴室で裸の姿を見せたりする
謎めいていて 見目も所作も美しい女性に出会って 彼の絵心が動き出す
奈美さんからも「私の絵を描いてください」と頼まれる
彼も絵筆を持って描き始めるのだが 彼女には何か一つ足りないところがあった
最終十三章は停車場のシーン
奈美さんの従兄弟が日露戦争に召集され 奈美さんや画工は連れだって見送りに行く
列車が動き出すと 最後の車両から奈美さんの元夫の顔が覗いた
彼は勤めていた会社が倒産 満州へ出稼ぎに行く費用を奈美さんから貰っていた
元夫と顔を合わせて呆然とする奈美さんの顔に
今まで見せたことのない「憐れ」が一面に浮く
「それだ! それだ! それが出れば画になりますよ」
奈美さんの肩を叩きながら画工は言った その瞬間 画工の胸中で画が完成した
この「憐れ」とは何なのだろう と私は思った
「憐憫の情」という言葉があるけれど 人は結局は「情」なのだろうか?
「さらば愛しき女よ」の台詞「優しくなければ生きてゆく資格がない」
もまた「情」である
また図工の先生の言った「きれい」と「美しい」のt違い
そこにもまた「情」を抜きにはできない世界がある気がするし・・・
ともかく道草ばかりで「三角の世界」になかなか辿り着かない
ややこしい「草枕」をどうやって英訳するのだ?
その英訳本を読んだグールドがなぜ「草枕」の世界に耽溺するのか?
わたしはまず翻訳者のアラン・ターニーという人を知る必要がある
ここでもまた「道草が好き」の性分がつきまとう
考えてみれば「草枕」も 道草の大親分という感じの本だけどね
ここまでで3千字近く 体力の限界だ この先は明日へ ビデオもお休み
[Rosey]