パソコンを捨てて本格的に音楽ボランティアなどに取り組み始めた頃だ。
或る日、Roseyの弟の妻から電話がかかって来た。
義弟は当時信州安曇野に住み、木彫りの彫刻家として仕事に取り組んでいた。
「義兄さん、会社辞めてお暇でしょ。実はお願いがあるんですけど・・・」
義弟のホームページを作りたいのだそうだ。
出来上がったら、月に少なくとも一度は私が安曇野四季だよりを書くから、という。
Roseyに相談したら、「ぜひ作ってあげて!」
「パソコン捨てるんじゃなかった?」
「イヤミね~。でも今回だけは作ってあげてよ。お願いだから」
「ホームページなんか作ったことないんだけど、どうやって作るの?」
「わたしに訊いてどうすんのよ。わかるわけないでしょ。とにかく作って!」
「パソコン捨てないでよかったね。ま、何とかなるでしょ」
というわけで、義弟の作品の写真などを送ってくれるよう頼んだ。
2日ほどのちに資料が届いた。義妹もやる気満々のようだ。
日本語版ができたら、英語版も作りたいとも。
冒頭の写真がその時の一枚、先日の写真整理で出てきた。
まずはシステムの設計からだ。設計=デザインでもある。
だからシステム開発に携わるSEは、デザイン・センスも要求される。
とりあえずこんなイメージでどう? こちらからも印刷して郵送だ。
その時作ったトップページのイメージ図をお見せしたい。
と思ったがパソコンには残っていない。
その時のRoseyの反応は「センス無いなあ」の一言。
「じゃあ、知恵貸してよ」「ここはこうすれば? こっちはこうね」
テキは自分の一生をファッション磨きに捧げているオンナだ。
結局はすべてRoseyのデッサン・・・ただタイトルは私だ!
H.Aというのは義弟の姓名の頭文字、「世界」もいいねえ、と自画自賛。
でも、功名争いなんかより、義妹が喜んでくれたことが一番だった。
その義妹が程なくして入院した。
もともと難病を背負っていて、それが悪化してしまったのだ。
「治るまでお預けだ。元気になったら本格的に作るからね」
けれども闘病虚しく、2年ほど後に義妹は50年足らずの生涯を終えた。
夢は実現できなかった・・・彼女にはそれがすごく心残りだっただろう。
義弟はすでに引退して東京近郊で暮らしている。
彼も音楽好きで、読書好きで、美術好きで・・・。
でも、ホームページを作る機会はもう無いのだ。
「今日のビデオ」
安曇野ではありませんが、同じ信州の歌です。
小諸なる古城のほとり(千曲川旅情の歌)~歌はいつものごとく鮫島有美子さん。
これは[Rosey night music]の中の1曲でもあります。
[Rosey]