摠見寺 復元案

安土城にある、摠見寺(そうけんじ)の復元案を作成する プロジェクト日記

窓のない仏龕

2012-04-22 15:54:21 | 考察
フロイスの「日本史」(松田毅一訳)によると、

見寺の創建時に、二階に置かれた物について、

「神々の社には、通常、日本では神体と称する石がある。
 それは神像の心と実体を意味するが、安土にはそれがなく、
 信長は、予自らが神体である、と言っていた。
 しかし矛盾しないように、すなわち彼への礼拝が
 他の偶像へのそれに劣ることがないように、

 ある人物が、それにふさわしい
 盆山と称せられる一個の石を持参した際、
 彼は寺院の一番高所、すべての仏の上に、
 一種の安置所、ないし窓のない仏龕を作り、
 そこにその石を収納するように命じた。」

と書かれています。

この「窓のない仏龕」について、

秋田裕毅氏の「織田信長と安土城」P192の本の中では、

「この閣の部分は、見寺の一番高所、本尊の頭上、
 窓のない部屋となり、フロイスの記述と一致する。」

と書かれ、
二階部分は窓のない部屋になっていると解釈しているのですが、

木曽路名所図会の記事では、
「閣上より見下せば湖水渺々として風色いちじるし」

と書かれるように、閣からの眺めが記載されているのですから、
二階には窓があったと考えられ、
窓のない仏龕は、部屋の中に作られていたということになります。



そこで、「窓のない仏龕」の形態について考えてみると、
わざわざ「窓のない」と説明を付けて記述しているという事は、
フロイスにとっての仏龕とは、
窓のある状態が普通であると思っていた、ということになるのですが、

ヨーロッパの大聖堂の壁龕を考えてもらえればわかるのですが、
仏龕や壁龕というものは、本来壁の窪みの部分なので、
窓の付いている壁龕というものは、ほとんど例がありません。

ほとんど例のないものを、一般的なものだと考える人はいないので、
フロイスの言う仏龕の窓とは、通常言う所の「窓」では無いと考えられます。

それでは、何を窓と考えていたかというと、語源から考えれば、
そもそも「窓」というのは壁に開けた開口部の事なので、
壁龕の入口も、壁に開けられた一種の窓と言える事になります。

壁龕の入口が常に閉ざされて開けられることが無ければ、
それは「窓(開口部)のない仏龕」と表現するのにふさわしい状態ではないでしょうか。

また仏龕というからには、基本的な形状は、
壁に開けられた開口部であると考えられ、

以上の事から、見寺二階に作られた「窓のない仏龕」とは、
和歌山県にある善福院釈迦堂のような、
来迎壁に扉が付けられ、壁の後ろ側が廚子になっている状態であれば、
資料に書かれる条件を満たすことができます。


さらに、フロイスの日本史では、
信長は仏ではなく「予自らが神体である」と言っているので、
祭祀にあたって神道の方法で行った可能性が高く、

盆山は、信長をあらわす御神体として、通常の神社の御神体と同じように、
開けられることのない扉の奥に安置されていたと考えます。
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