安土城にある見寺の鐘の銘文
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安土山見禅寺者
贈大相国一品泰岩大居士信長
公之開基也奕世佼其後裔
住山矣宗哲蔵主其葛而
敲磕干余門庭者有年乎茲
今也鑄洪鐘掛着於梵塲之
次乞銘之仍綴蕪詞充其請云
銘曰
日域靈刹 近左名區
高城陳蹟 效以鴻盧
寄相國廟 拓安土居
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家業繼述 荘厳綿敷
圓通榜閣 清浄滞湖
巨鐘鍠爾 勤備緇徒
發賢聖 徳到獨孤
上達無上 麁久三麁
依聲覚性 記事啓愚
禮樂重器 法道要樞
時不可失 何離須臾
伏冀
大樹誕膺景福
長祝
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寛永二十年癸未十月良辰
長徳山主特英壽采識焉
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大意
安土山の見寺は、信長によって作られました。
その後、信長の末裔が住職となり、
宗哲さんがいろいろ境内を整備して、
鐘を作ることになり、鐘に刻む銘文を
頼まれたので、こんな感じに文を作りました。
(銘文は省略)
寛永二十(1643)年十月
知恩寺住職の特英壽采が書きました。
(長徳山主特英壽采識焉)の後、
間隔が空いて、枠の後ろのあたりに、
製造者の名前らしき物が彫ってあるのだが、
写真の撮り方が悪くて読めなかった(T-T)
さて、この銘文からすると、
寛永二十年の鐘は、安土城の見寺と、
大坂の吹田市にある大光寺の、
二つ存在することになります。
同じ時に二つも鐘を作るとは考えにくいので、
どちらかの鐘が、天保二年の製作で、
造られた時に以前の鐘の銘文を写された、
いわゆる旧銘という事になるので、
両方の鐘を見てみないと、判断ができない、
ということで、この続きは、
吹田市の大光寺の鐘を確認してからということで……。
っていったい、いつになるのだろう?
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