甲賀市水口町にある大池寺の由来
---大池寺の碑文より---
「臨済宗 大池禅寺
当山は、天平年間に行基菩薩が開
創されたと伝えられている。潅漑用に
心字の池を掘り、その中央に寺を建
て、一刀三礼の作と称せられる丈六座
像の釈迦如来像を安置し、邯鄲山青蓮
寺と称して国泰安民の祈願所とされた。
南北朝元亨の頃、京都東福寺開
山聖一国師の高弟 当山中興の祖であ
る無才智翁禅師によって、天台の寺院
を禅刹と改められ七堂伽藍も整備さ
れたという。
その後、天正五年の戦火により釈迦
丈六座像の仏像のみ焼失を免れ、これ
を寛文七年当山の再興開山である丈
巖慈航禅師によって仏殿(本堂)方
丈(書院)茶室(松濤庵)等が再
建された。尚 寺号も周囲の池に因み
龍護山大池寺と改められた。
大池寺蓬莱庭園は、江戸初期寛永
年間に小堀遠州作と伝えられる サツ
キ一式の大刈り込み 観賞式 枯山水
庭園である。」
拝観09:00~17:00(冬季~16:00)
大人¥400-中学生¥300-小学生¥200-
サツキの刈り込み庭園が有名で、サツキの咲く時期には観光バスも来るらしく、
バスも止められる広めの駐車場に車を止め、切通しを抜けると、
左右に池を従えた中に、山を背にしてお寺が建っています。
※庫裏の入口付近にも数台分の駐車場があるので、奥まで車で行ってもOK
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大池寺の由緒書きを見て不思議に思ったのが、
「天正5(1577)年に織田信長の兵火によって焼かれた」
と、されている点で、
甲賀地域と信長の戦いは、
永禄11(1568)年の信長上洛戦の時に、観音寺城から
六角義賢が甲賀へ逃げ延びた時に始まり、
元亀元(1570)年6月の野洲河原の戦い、
元亀2(1571)年の比叡山焼き打ちに伴う天台寺院焼き打ちなどを経て、
天正2(1574)年に石部城から六角義賢が信楽に逃れた事で、
甲賀地域の土豪が信長の配下に組み込まれるので、
天正5年になって、焼き討ちされるほどの抵抗ができるとは不自然です。
また、
大池寺には平安末期の感じのする丈六釈迦座像があるのですが、
池と山に囲まれている大池寺の境内に、
信長軍の兵士が攻め寄せて来た、と考えた場合、
七堂伽藍に火が放たれる事態にまで事が至れば、
もう逃げ場所は裏山しか無いのだが、
これほどの大きな丈六仏を持って山道を逃げるのは不可能に近いし、
池に沈めて難を避けたにしては仏像がほとんど傷んでいないので、
信長軍に攻められて七堂伽藍が焼かれたのに、
釈迦丈六座像のみ焼失を免れた、という寺伝はすこし不自然であり、
また、
甲賀地域の寺社で、焼き討ちにあったという言い伝えは、
ほぼ元亀年間に集中しており、天正5年というのは元亀5年の書き間違いでは…
と、一瞬思ったのだが、元亀は4年までしか無かった…!
ということでもう一度、甲賀郡志を読んでみると、
甲賀郡志の大池寺の記事では、石碑の表記と少しニュアンスが違っていて、
「天正五年兵災に罹り」(甲賀郡志下P803)、と書かれていました。
兵災というのは、兵士による災いの事なので、
火事でなくても使える表記で、
安土城の建設は天正4(1576)年から始まるので、
天正5(1577)年に、見寺用の建物が徴発されても不自然ではなく、
以前の考察から、
見寺の本尊は一字金輪仏頂尊(2008-12-01| 資料)
と考えられるので、
平安期の丈六の釈迦は、信長にとって不用の仏像であり、
大池寺に伝わる天正5年の兵災とは、
信長軍によって伽藍の建物が持ち去られた事なのではないでしょうか。
大池寺に伝わる釈迦丈六座像や寺伝から考えて、大池寺は、
平安時代末期頃に丈六仏が作られる規模の寺院として存在し、
鎌倉末期頃に禅宗寺院となった事がわかります。
これまでの見寺本堂の考察で、見寺の前身寺院は、
三間堂として作られたものが、
平安末期~鎌倉期に五間堂に拡大され、
室町時代に二重仏殿に改造される、と考えられ、
禅宗の建築の類例を見ると、鎌倉期の建長寺指図では、
法堂の二階に千仏閣と書かれているので、
天台宗の本堂である単層の密教本堂を、
禅宗の仏殿に変えようと思った場合、
鎌倉~室町時代頃であれば、
密教本堂の上に二階を増築する事は、
十分あり得るのではないかと考えられ、
以上の事から、
見寺本堂は、大池寺(青蓮寺)から移築されたものと考察します。
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