寛政三年の「境内坪数並建物明細書」によると、
見寺本堂の屋根は出組と書かれています。
「匠明」の木割では、
出組の軒の出は地垂木の出7支、飛檐垂木5支となっていて、
垂木本数でいうと丸桁から地垂木6本、飛檐垂木5本で
軒を構成することになっています。
実際の類例を見ても、出組の五間堂の場合、
地垂木6本、飛檐垂木5本が一般的のようなので、
見寺の軒も、地垂木6本、飛檐垂木5本で構成すると考えると、
一枝寸法0.66666尺の時に、柱真から茅負まで9.33尺、
室町時代頃の瓦屋根の場合、裏甲の出がそれほど大きくはないので、
瓦の先端まで10尺程度とみることができ、
ちょうど瓦敷遺構に雨を落とすことが可能になります。
ということで、
見寺本堂の一枝寸法は、2008-09-28の考察で一度捨てた方の、
正面中央間の8尺を12支で割った、0.6666尺と考えます。
ちなみに2008年頃は遺構尺は1.005尺と考えていたのですが、
滋賀県の類例で、長命寺本堂の0.9990尺や石津寺本堂の0.9944尺のように
現行の一尺より短いものもあり、礎石の測量図上では誤差の範囲とも取れるので、
厳密にいえば同じはずはないのですが、
遺構尺一尺は現行の一尺寸法と同じ303mmとして計画します。
見寺本堂の屋根は出組と書かれています。
「匠明」の木割では、
出組の軒の出は地垂木の出7支、飛檐垂木5支となっていて、
垂木本数でいうと丸桁から地垂木6本、飛檐垂木5本で
軒を構成することになっています。
実際の類例を見ても、出組の五間堂の場合、
地垂木6本、飛檐垂木5本が一般的のようなので、
見寺の軒も、地垂木6本、飛檐垂木5本で構成すると考えると、
一枝寸法0.66666尺の時に、柱真から茅負まで9.33尺、
室町時代頃の瓦屋根の場合、裏甲の出がそれほど大きくはないので、
瓦の先端まで10尺程度とみることができ、
ちょうど瓦敷遺構に雨を落とすことが可能になります。
ということで、
見寺本堂の一枝寸法は、2008-09-28の考察で一度捨てた方の、
正面中央間の8尺を12支で割った、0.6666尺と考えます。
ちなみに2008年頃は遺構尺は1.005尺と考えていたのですが、
滋賀県の類例で、長命寺本堂の0.9990尺や石津寺本堂の0.9944尺のように
現行の一尺より短いものもあり、礎石の測量図上では誤差の範囲とも取れるので、
厳密にいえば同じはずはないのですが、
遺構尺一尺は現行の一尺寸法と同じ303mmとして計画します。
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