赤い血の滴が
冷たく暗い地面に
そして雨が降っている
教会の扉は開け放たれたままで
オルガンの音が耳に届く
会衆は去ってしまっているのに
僕の荒れ果てた故郷の街
荒廃した僕の故郷
憐れむような甘い鐘の響きが
木々の間を漂ってくる夕方
街角には若者が
落ち葉のように散り散りに立っている
窓に板を打ち付けた空き家
人気のない通り
兄弟はひざまずいているけれど
僕の故郷は荒れ果ててしまっている
荒廃した僕の故郷
さあ 立ち上がろう しっかりと
さあ 立ち上がろう 心を立て直して
さあ 立ち上がろう 立ち向かおう
枕は涙に濡れている
ダーリン 僕らが共に眠ったところ
君は去り 僕の心まで持って行ってしまった
優しいくちづけなしには
僕の魂は道を見出せない
どうすればやり直せるだろう
僕の故郷の街は荒れ果ててしまった
荒廃した僕の故郷
さあ この手で
僕ら自身の手で
僕は神に祈る
自らの手で
僕ら自身の手で
どうか力を与えてください 神よ
この手に
僕らの手に
信じる心を与えてください
愛を注いでください
僕らは迷える人々のために祈り
この世界のために祈り
強かであれるよう祈ります
どうか僕らに力を与えてください
さあ 立ち上がろう
しっかりと
さあ 立ち上がろう
心を立て直して
さあ 立ち上がろう
立ち向かおう
さあ 立ち上がるんだ
ENGLISH
</object>
いろいろなことを書こうと思って、何時間も悪戦苦闘をしたけれど、今の私にはまだ今日のこと(正確には9年前の今日のこと)を文章化するだけの力量はどうしてもないみたいだ、と考えるしかなさそうです。私は9年前には中学2年生で、それ以降、自分が何をしたいのか、何をするのかという選択の機会が幾度かありました。それらの選択はかなりのレベルで2001年9月11日の出来事に左右されてきたように思います。今、アメリカについて学びたいと思っているのも、ブルース・スプリングスティーンが大好きなのも、大きなきっかけの1つに9/11を挙げない訳にはいかない。けれど、何故そうなのか、具体的にそれがどういうことなのか、ということをうまく言葉にすることは今はまだできないのです。でも、ある意味では今やっていることはどれも、それを語る術を見出すということに結びつくのかもしれない。
今日、それでも敢えて1つの記事として残そうと思ったのは、いつか語る術を見出すことができた時に、その成長の証が自分で確認できるように。それから、改めて歌詞を見直してじっくり聴いた”My City of Ruins”が素晴らしかったからです。もともと寂れてしまったアズベリー・パークの復興のために書かれたこの曲は、テロ直後のテレソン『America; Tribute to Heroes』の冒頭で歌われ、ニューヨークに捧げられました。故郷への慈しみと、その荒れ果てた姿に対する押し殺した悲しみが結晶化したような1曲です。
そして、アズベリー・パーク、ニューヨークを意味してきた「my city」を、アメリカそのものと考えると、この曲は優しく、しかし決然と背中を押す歌として、今でも必要とされる歌ではないかと思います。本当は歴史を通じてアメリカが真に理想とされるような時代なんてなかった。建国期からずっと、その時その時に「アメリカ人」と呼ばれた人々はそうでない誰かを虐げてきていたけれど、2001年以降は特にそのイデオロギーの弱さが露呈して、進むべき方向を失ってしまったように思えます。私はかつて、ハリウッド映画や音楽なんかから得られるアメリカのイメージが好きで、英語もうまくなりたいと漠然と思っていました。その前向きなイメージが、2001年以降、どんどん崩れていくのはとても悲しかった(時間の問題ではあったかもしれないけれど)。だからこそ、ブルースが”The Rising”を歌う姿に出会ったことにとても意味があったのかもしれません。彼は、アメリカの理想や夢をある意味ではナイーブなまでに信じていて、アメリカはきっともっといい国になると言って、”Working On A Dream”と歌っている。私にとって、それはずっとずたずたになっていくアメリカに残された魅力と希望でした。そうしたヴィジョンを持てるということは、間違いなくアメリカの大きな強みであるし、その中でブルースが「僕ら自身の手で」と歌うように、ロックミュージシャンとしてできる限りのことをするだけの受け皿があるということは、アメリカの可能性であるように感じられたからです。そしてそれは、日々の窮屈さの中で自由に振舞える余地を必要としていた私が個人的に強く惹きつけられる点でもあったのだと思います。
冷たく暗い地面に
そして雨が降っている
教会の扉は開け放たれたままで
オルガンの音が耳に届く
会衆は去ってしまっているのに
僕の荒れ果てた故郷の街
荒廃した僕の故郷
憐れむような甘い鐘の響きが
木々の間を漂ってくる夕方
街角には若者が
落ち葉のように散り散りに立っている
窓に板を打ち付けた空き家
人気のない通り
兄弟はひざまずいているけれど
僕の故郷は荒れ果ててしまっている
荒廃した僕の故郷
さあ 立ち上がろう しっかりと
さあ 立ち上がろう 心を立て直して
さあ 立ち上がろう 立ち向かおう
枕は涙に濡れている
ダーリン 僕らが共に眠ったところ
君は去り 僕の心まで持って行ってしまった
優しいくちづけなしには
僕の魂は道を見出せない
どうすればやり直せるだろう
僕の故郷の街は荒れ果ててしまった
荒廃した僕の故郷
さあ この手で
僕ら自身の手で
僕は神に祈る
自らの手で
僕ら自身の手で
どうか力を与えてください 神よ
この手に
僕らの手に
信じる心を与えてください
愛を注いでください
僕らは迷える人々のために祈り
この世界のために祈り
強かであれるよう祈ります
どうか僕らに力を与えてください
さあ 立ち上がろう
しっかりと
さあ 立ち上がろう
心を立て直して
さあ 立ち上がろう
立ち向かおう
さあ 立ち上がるんだ
ENGLISH
</object>
いろいろなことを書こうと思って、何時間も悪戦苦闘をしたけれど、今の私にはまだ今日のこと(正確には9年前の今日のこと)を文章化するだけの力量はどうしてもないみたいだ、と考えるしかなさそうです。私は9年前には中学2年生で、それ以降、自分が何をしたいのか、何をするのかという選択の機会が幾度かありました。それらの選択はかなりのレベルで2001年9月11日の出来事に左右されてきたように思います。今、アメリカについて学びたいと思っているのも、ブルース・スプリングスティーンが大好きなのも、大きなきっかけの1つに9/11を挙げない訳にはいかない。けれど、何故そうなのか、具体的にそれがどういうことなのか、ということをうまく言葉にすることは今はまだできないのです。でも、ある意味では今やっていることはどれも、それを語る術を見出すということに結びつくのかもしれない。
今日、それでも敢えて1つの記事として残そうと思ったのは、いつか語る術を見出すことができた時に、その成長の証が自分で確認できるように。それから、改めて歌詞を見直してじっくり聴いた”My City of Ruins”が素晴らしかったからです。もともと寂れてしまったアズベリー・パークの復興のために書かれたこの曲は、テロ直後のテレソン『America; Tribute to Heroes』の冒頭で歌われ、ニューヨークに捧げられました。故郷への慈しみと、その荒れ果てた姿に対する押し殺した悲しみが結晶化したような1曲です。
そして、アズベリー・パーク、ニューヨークを意味してきた「my city」を、アメリカそのものと考えると、この曲は優しく、しかし決然と背中を押す歌として、今でも必要とされる歌ではないかと思います。本当は歴史を通じてアメリカが真に理想とされるような時代なんてなかった。建国期からずっと、その時その時に「アメリカ人」と呼ばれた人々はそうでない誰かを虐げてきていたけれど、2001年以降は特にそのイデオロギーの弱さが露呈して、進むべき方向を失ってしまったように思えます。私はかつて、ハリウッド映画や音楽なんかから得られるアメリカのイメージが好きで、英語もうまくなりたいと漠然と思っていました。その前向きなイメージが、2001年以降、どんどん崩れていくのはとても悲しかった(時間の問題ではあったかもしれないけれど)。だからこそ、ブルースが”The Rising”を歌う姿に出会ったことにとても意味があったのかもしれません。彼は、アメリカの理想や夢をある意味ではナイーブなまでに信じていて、アメリカはきっともっといい国になると言って、”Working On A Dream”と歌っている。私にとって、それはずっとずたずたになっていくアメリカに残された魅力と希望でした。そうしたヴィジョンを持てるということは、間違いなくアメリカの大きな強みであるし、その中でブルースが「僕ら自身の手で」と歌うように、ロックミュージシャンとしてできる限りのことをするだけの受け皿があるということは、アメリカの可能性であるように感じられたからです。そしてそれは、日々の窮屈さの中で自由に振舞える余地を必要としていた私が個人的に強く惹きつけられる点でもあったのだと思います。
私も1999年から2002年まで、毎年夏に必ずNYCを訪れていたので、ちょうどあの事件の前後の変化を目撃したことになります。
はじめから漠然と、最初の海外旅行はNYCと決めていたふしがありました。
というのも、自分にとって大きな影響を与えたアーティストたちが皆、NYCにたどり着き、そこと切り離せない形で生きてきたからです。
そんな中、ニューアークからニュージャージー州を抜け、マンハッタンに入った瞬間の感動は今でも覚えています。
1999年に確かめた場所の数々は、かつて彼らが活躍した息吹を感じさせる物でした。
とりとめの
しかし、2002年を最後にNYC訪問も止めることになりました。
これは全く個人的な感想でしかなく、共感していただけないことも承知でいいますと、訪問を繰り返すうちに、エトランジェやボヘミアンを許容していた街の懐が削り取られている感覚を覚えてしまったからです。
折しも地価は高騰し、全米のあこがれの街としてのマンハッタンは、裏を返せばお金を積めばすめる場所になっていたのかもしれません。
ちょうどその頃、あの事件がおこりました。
2002年は仕事で訪問する機会にも恵まれ、6月と8月と、2度訪れることができました。
最初の訪問のときに上った、ワールドトレードセンターは、ハドソン川から船で跡地を見つめる機会を得ました。
ただ、静かに黙想を捧げるしかありませんでした。
この最後の訪問で思ったのは、この地を再度訪れるときは、自分の何かを持っていこう、手ぶらのままでは行けない、ということでした。
それから8年すぎましたが、いまだにそれが何なのか、自分には掴めていません。
とりとめのないコメントでごめんなさい。この曲を聴き、この映像を見ると、そんなことを思い出すのです。
とりとめのない、だなんてとんでもないです。もう9年前のこととは言え、思い入れや結びつきが強いほど、9/11とご自身について語ることはまだまだとても大きな困難を伴うことだと私は思っています。けれども、自分と2001年(以降)を考えるにあたっても、他の方がどんなふうに当時を経験されたかを伺うことはとても貴重なことなので、こうしてお話を聞かせていただけてとてもうれしく思っています。また、私は2008年までニューヨークには1度も行ったことがなかったので、2000年前後を訪れられた時の空気についても興味深く拝読しました。2001年以前から、ニューヨーク市の寛容さが失われつつあった印象を受けられたことは驚きました。けれど、ブルースが"41 shots"で歌った事件も丁度その頃のことだということも思い出しました。ブルースも、あの事件だけを問題だと感じた訳ではなくて、そうした事件を生み出してしまう街全体の空気が強まるを憂いたのかなと感じました。
「再度訪れる時は・・・」というくだりは胸がいっぱいになってしまいました。yoshinari_hさんのニューヨークへの思いや憧れや愛情は私が漠然と持っていたものよりもずっと具体的で強いものだったのだと思います。それをかつてのように保つことができない、ということの喪失感は私には思いも及ばないものです。もしも、持って行くものが見つかり、再びニューヨークを訪問される日が来た時には、ぜひ教えてほしいです。何を持って行かれるのか、ということも。
ついでに再生回数は少ないようですが、個人的に好きな動画のURLを貼っておきます。(既にご存知かもしれませんが。。)
以前ネットサーフィン中に、偶然見つけたものです。
動画のタイトルは"Bruce is driving for Asbury Park's streets "で、タイトル通りの内容です。
最後の方にちらっと、アズベリーパークで"my city of ruins"を歌う映像が出てきますよ。
ttp://www.youtube.com/watch?v=2woWIsAZcvE
ブルースが何か過去に求めているものがあるとすれば、コミュニティの連帯とか、人と人との具体的なつながりではないかな、と私は感じています。9/11後のインタビューの中で、彼は教会が1つの人が集まる場所としての役割を果たしていたと述べていて、この曲でも冒頭に「教会」のモチーフが現れますが、これは必ずしも宗教的な意味ではなくて、町の人が集まり、交流できる所のことのように私は受けとめていました。
動画のご紹介もどうもありがとうございました。本当に素敵な動画ですね!初めて観ました。これは『The Rising』のリリース日にNBCの『トゥデイ』で放送された映像でしょうか。アズベリー・パークに行きたくなります.。o○