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遠い家への道のり (Reprise)

Bruce Springsteen & I

Bruce Springsteen "Backstreets" live in Boston Music Hall (1977/03/25)

2011-01-14 01:11:08 | Bruce Springsteen Live
降り注ぐ雨で
その涙を洗い流してしまえ
目を開けて
涙は流れるままにすればいい
胸に焼き付き
最早お前と分かち難くなった
だから、どうかリトル・ガール 泣くんじゃない
泣くことはない
すべて過ぎ去ったことなのだから
今夜
今夜は
俺に身を預けるんだ
そして俺たち2人でここを去る

穏やかで多くの連中が群れていたある夏俺とテリーは友達になった
俺達が生れ落ちた炎を吸い込もうとしつつも叶わず
行き合う車をつかまえながら街外れまで足を伸ばし そっと信義を交し合った
打ち捨てられた海辺の小屋で暑さにうだりながら眠り
そして裏通りに身を潜めていた 裏通りに
激しい愛と敗北感でいっぱいになりながら
夜には生きがいを求めて裏通りを駆けていた

暗がりの中 スローなダンスを踊った浜辺のストックトンズ・ウィング
望みの無い恋人達が車を停める場所 
俺達は最後に残ったデューク・ストリートの王者達と一緒に腰掛けた
車の中で抱き合い 鐘が鳴るのを待っていた
夜が深まり 何もかもから自由になれるのを
裏通りに出て駆けるのを 裏通りで駆けるのを
俺達は誓い合った 永遠に生きるのだと この裏通りで そう信じ合った

止むことのないジュークボックスと
バレンティノのパーティで涙を拭う踊り手達
通りの先 ぼろぼろになった服で暗闇の中へと走っていく
ひどく傷つき 中には死の瀬戸際にある者さえいる
夜には うらぶれた街の叫びが聞こえたろう
俺達を殺した嘘を恨み
俺達をくたびれさせた真実を呪って すべて俺のせいにしてもいい
もう俺にはどうでもいい事だ 
深夜には全てが挫かれてしまう今となっては
言うべき事など何も無かった
俺はあいつが憎かった そしてお前を憎んだ お前が去って行ったから
お前は確かに言った!
もうこれきりで終わりにすると!

暗闇の中でこうして横たわっていると 俺の胸の上のお前は天使のよう
不実を嘆き 行くあてもなく彷徨う心を持つ1人に過ぎない
俺達がよく観に行った映画は テリー どれも覚えているか
こんなふうにならなければと思った英雄達の歩き方を真似たっけ
そして結局最後には思い知るんだ 俺達も他の連中と変わらないと
広場に立ち尽くし 無理にも打ち明けざるを得なくなる
裏通りに身を隠していた事を 裏通りに身を隠していた事を
俺達は誓った この裏通りでいつまでも仲間でいようと 最後まで 
裏通りに身を隠しながら 

最後の時まで
俺とお前とで
俺とお前と2人で
思い出すんだ 駆け戻って行ったことを
あの車を捨てて行った男のことを
町から1マイル半ほど離れた広野だった
夜 俺と彼女とビリーだけでそこまでヒッチハイクをしていった
若い奴らが車の外枠を取っちまって
殆ど何にも残っちゃいなかった
だけど内装の方は 内側はまだ大丈夫だった
それで俺達は線路沿いを走ったり
バックシートでライドに繰り出したりしたんだ
彼女がライドに連れ出してくれた バックシートで
あの古びたキャデラックのバックシートで
あいつはスパイク付のブーツを履いていて
彼女は高いヒールの靴
そう バックシートで
俺を傷つければいい
テリー
俺をぼろぼろにしてしまえ
世界も そして世界は回る
ぐるぐると
そして落ちていく
ぐるぐる
そして俺達は身を落とすばかり
思い出すよ あの夜連中は
農家の廃屋に火を放った
通りを半マイルほど行った先にあって
奴らはバイクで集まっていた
消防車も来ていた
激しい炎が空をもなめるのが俺達にも見えた
火が平野をとらえるまで
俺達はボンネットに座って炎がこちらに向かってくるのを見ていた
炎が広野を越えて俺達に迫ってくるのを見ていた
そして俺達は再び通りに出る
町へ帰ろうと
そして そして
そして彼女は俺にキスをした
そして彼女は俺にキスをした
そして約束をしたんだ
彼女は俺に誓った
そして彼女は嘘を告げた
彼女は欺いた
優しい嘘を
甘い嘘を幾つも重ねて
そして俺は祈るばかりだった
覚えている 俺は祈っていた
神が天使をよこしてくれますようにと
そしてこのろくでもない町を丸ごと海に吹き飛ばしてくれるようにと
海に向かって
すべて追いやってしまえ
吹き飛ばしてしまえ
すっかり粉々になるまで
消し飛ばしてしまえ
一切を ことごとく
消し去ってしまえ

裏通りに逃げ込み 裏通りに身を隠す
裏通りに姿を隠す 裏通りの中で
言えよ!そうだろう!
裏通りで ひっそりと身を潜めて
裏通りに姿を隠しながら
いいんだ
俺たちは裏通りでひっそりと生きるのだから
裏通りで 裏通りで そして俺達は去る

ENGLISH

</object>
今日は年末にリクエストを頂いたものを取り上げました。1977年3月25日、Boston Music Hallで行なわれたブルース・スプリングスティーンのコンサートから、"Backstreets"の壮大な演奏です。こんなことを言っていてはいけないのだけれど、ご紹介くださった方にとって、とても思い入れの強い大切な内容だと思うと、何だか私が日本語に置き換えるという意味で、解釈をしてしまうのは、とても僭越なことに思えたし、気を引き締めさせられる作業でした。英語を日本語にするということは、結局、私のイメージや言葉が作り出す世界から逃れられない作業です。もし、「この部分はこんなふうに解釈していた」だとか、「こうも解釈できる」というような点があれば、ぜひどなたでもお聞かせ願えればと心から思っています。私自身のイメージも膨らみ、今後の解釈にも発展させていけると思います。

さて、この日のボストンでの演奏は、『Darkness on the Edge of Town』(1978)のスタジオレコーディング作業に入る前の最後のコンサートでした。『Born to Run』(1975)のリリースから1年半以上経っている時期ですが、その間ブルースはマネージャーであったマイク・アペルとの訴訟に巻き込まれ、スタジオ作業も差し止められる中で、コンサートによって音楽的衝動の表出させると共に、生活を立ててもいました。デイヴ・マーシュによる『明日なき暴走』(ソニー・CBS出版、1982年)、3月22日に法廷でブルースにとって前向きな展開がありました。そのため、この25日の演奏を最後に一旦、ツアーに区切りがつけられたのでした。けれども、この日の演奏にそうしたことから生じる解放感や喜びが反映されているかといえば、それはどうかな、というのが私の印象です。もちろん、22日の決定が彼のアーティストとしての自由を完全に保証したのでもなかったけれど、それ以上に、ブルースの心のありようは『Darkness』を作り上げるような、何があっても浮かれる訳にはいかない重しを抱えたものだったと思います。意識的にも無意識的にも。

取り上げた"Backstreets"の演奏も始まりからして、何とも言えない苦みか胸を刺されるような痛みがあるように感じます。そういう意味で、とても個人的なことだけれど、私がこの演奏を好んで聴きたいかと問われれば、心が沈んでしまって辛いと答えてしまうかもしれません。試しに、私が持っていた、77年以降のツアー音源で3月25日に1番近い日の"Backstreets"の演奏を聴いてみたのだけれど、やっぱり全然違っていました。私が聴いたのは1978年7月7日のコンサートで、演奏自体は同じ後半に3月25日とも重なる言葉を用いた、似て非なる語りがはさみ込まれた長いものではあります。でも、歌い方も違えば、語り手が求めているものも違う。78年7月は既に『Darkness』が世に出た後で、ブルースは自分に起きたことを少なくともひとまず、飲み込む心の奥行みたいなものを得たように思われるのです。テリーに対して、語り手は「理由を知りたいだけなんだ」と迫るのが78年。「町も何もかも海へと吹き飛ばしてしまえ」と言い放ってしまう外ないのが77年3月25日でした。

けれども、3月25日の演奏に挿し込まれた語りは、自分の今いる場所を忘れさせてしまうような具体的な情景を描き出していて、これは本当に素晴らしいです。ドラマティックな演奏に乗せて、すべてを語りきらないからこそ、断片的なイメージが強く心に残ります。夜の闇を照らし出す不良少年たちが放った火を、次第に熱気が迫り、草の焼ける匂いがする中で、見つめていたような気がしてしまう。そして外枠が無いに等しい車に乗って、暗い町に帰って行く道のりが見える気がする。鮮やかな火の色と、それと対を為す闇が、その中のテリーが、どれだけ忘れ難く記憶に焼きついているか、自分の一部となっているか、今の自分を駆り立てているか。そして、それに苦しめられているか。最後に"Backstreets"のフレーズにたち返り、「Say it!」と繰り返す部分も胸に迫ります。モノローグであるために、決してそれが報われないやりきれなさもあるのだけれど、感情の高まりに、逆に不思議なことに聴いている自分自身の心は洗われるような気もするのです。少なくとも、始まりほど心を引きずられる感じはしない。演奏が終わった時にはやはり、悲哀を感じてしまうけれど、コンサートの中ではそのまま"Jungleland"に流れこんでいくさまに救われます。

最後に、ブルース・スプリングスティーンのコンサートの音源はこちらで自由にダウンロードすることができます。私も今日取り上げたボストンでの演奏は、このウェブサイトからいただきました。



"Blue Christmas" from Bruce Springsteen's "Songs from the Promise"

2010-12-21 07:51:53 | Bruce Springsteen Live
ブルーなクリスマスになってしまうよ 君なしでは
君のことを考えるだけですっかり沈んでしまう
緑色のクリスマスツリーを飾る赤いデコレーションも
まるでいつもと違うものみたいになってしまう
君とここで過ごすことができなければ

そしてブルーな雪がちらつき始めた暁には
辛い思い出がみんな蘇る
君はきっと楽しく過ごすだろう 君のホワイト・クリスマスを
だけど僕は辛く沈んだブルー・クリスマスを過ごすのさ

ENGLISH

</object>
今日、取り上げた"Blue Christmas"はもともと、1948年に書かれ、57年にエルヴィス・プレスリー歌って人気を博して以降、クリスマスソングの定番に仲間入りを果たしたそうです。

今回私がこの曲を選んだのは、ブルース・スプリングスティーンが今月初めにアズベリー・パークで収録したウェブ配信用のコンサート『Songs from the Promise』で歌っていたからです。昔はメリーゴーランドがあったパラマウント・シアター近くの古い建物(カローセル)に招かれた59人の幸運なオーディエンスにサンタ帽をかぶせ、まるでサンタの国のような様相を呈しながら楽し気な演奏が繰り広げられていました。日本ではこちらで(たぶん期間限定で)、その日の演奏が他の曲を含めて観られます。ブルースは昔から12月のコンサートではいろいろとクリスマスソングを取り上げていて、大切に思っているシーズン、伝統であることをうかがわせます。こんなふうにあっけらかんと、「素敵な休暇を!良いクリスマスを!」と言われると、やっぱりクリスマスもいいものかもしれないな、と思ってしまいます。

この日の演奏は、配信されているものでは"Blue Christmas"を含めて、全部で5曲で、タイトルが示すようにアウトテイク集『The Promise』(2010)からの選曲になっています。映像は『The Promise: The Making of Darkness on the Edge of Town』などを手掛けたのと同じトム・ジムニーで、最初にかつてのメリーゴーランドの映像を組み込んだりして、とても美しい編集になっていると思います。カローセルも私が2009年に訪れた時は、寂しい空き家のようだったのだけれど、こうして観るととても趣があります。そして、わざわざここで演奏しようというのも、やはり少しでもアズベリー・パークに貢献しようというブルース達の思いが感じ取れて心が温まるようです。

演奏は、割と肩の力が抜けていて、伸びやかで心地良いものでした。始まりの"Racing in the Streets"や"The Promise"はドラマティックで心をかき乱される演奏ですが、私の印象では、やっぱり78年のような痛みは克服されている、その幸福感、或いは自負を感じさせる演奏であるように思います。『The Making of Darkness on the Edge of Town』の中で、ブルースは『Darkness on the Edge of Town』(1978)の中で表現されているのは、「限界や妥協」であると同時にそれを「跳ね返す力(resilience)」、「人生に積極的に関わっていくこと」だと話しています。また、"The Promised Land"を引きながら、そこには、「深い絶望と共に、何かを見つけ出そうとし、跳ね返す力、そして決意」が歌われていると言っています。『Darkness』が作られた78年当時は、そうした限界、妥協の必要、そして絶望はすぐ目の前にあって、それに飲み込まれないことが何よりの課題だった。それぞれの曲の中では、そうした自分を引きずり落とし、駄目にしてしまう現実とそれを跳ね返す力や強い決意が拮抗して、まさに現在進行形の闘いを表現していたように思います。自分がその闘いに勝てるかどうか、それは未決の問題であるけれども、闘わないまま終わってしまう訳にはいかない。だから、それだけ切迫した緊張感と生き抜くことへのオブセッションが強く表れていたし、特に『The Promise: Darkness on the Edge of Town Story』に収められた1978年のフェニックスでのライブの前半にはそれを強く感じました。それに対して、この12月に行なわれたカローセルでの演奏や、同じく『The Promise:...』に入っている『Darkness』の再現ライブでは、自分の「跳ね返す力」が持ち得た強かさに対する信頼と自信を感じさせるように思うのです。そして、決して否定的な意味でなく、かつての焦燥や苦悩とは逆の、ある種の余裕というか、今当時の自分と同じ境遇にある人に対する包容力のようなものを持っているように私は感じました。

それにしても、最初は"Racing in the Street"や"The Promise"はやはり既出の演奏が良いと思っていたのですが、聴くほどにこの古い演奏に心を奪われていきます。特に、私はブルースのハーモニカの演奏にとても弱いので、"Racing in the Street"はたまらないです。胸を鷲掴みにされるようです。歌い方は、最終的にアルバムに収められたものの方がドライで洗練された感じがするけれど、楽器の演奏は私は好きでした。

カローセルでの残りの2曲について。"Gotta Get the Feeling" は、『Working on a Dream』(2009)を経たブルースの魅力がよく表れているようにも感じました。私は『Magic』(2007)から『Working on a Dream』にかけて、ブルースは新しい声を獲得したような気がしています。"Girls in their Summer Clothes"や"Kingdom of Days"で聴かれる声は、それ以前の曲にはない深い温かみがあるように思います。"Ain't Good Enough for You"は私は『The Promise』の中でも最も好きな1曲で、ここでの演奏もとても楽しいけれど、より魅力的なのはやっぱり78年の演奏だと思います。78年の演奏は、ブルースのセンシュアリティを楽しさと共にとてもうまく引き出している曲だと思うのだけど、それはやはり27歳の彼でないと表現しきれないものです。でもその代わりに、今のブルースには"Gotta Get the Feeling"で聴かれるような声があると思うと、本当に良い歳の重ね方だと思います。若さやセクシュアリティに固執するよりも、歳を重ねることで潔い成長をすることに私は惹かれます。

ブルースは最後に"Blue Christmas"の演奏の中でこう言います。
「みんな、近いうちに会おう!(We'll be seeing you soon!)」
この言葉で、早くも沢山のブルースファンの間で次のツアーへの期待が高まっているし、私ももちろん例外ではありません。サンタさん、来年にはブルースがEストリート・バンドと共にツアーに出てくれますように!



Bruce Springsteen "Seeds"

2010-08-01 17:02:43 | Bruce Springsteen Live
黒く淀んだ大きな川を見つけ
男は有り金をすべて土に埋めた
そして鋼の機械を動かす仕事をしていた
今じゃ俺はヒューストンの通りで寝起きする身

冬が来たから妻子を車に乗せて
着の身着のまま 南へ向かった
だけど、奴らが言うには「悪いがもう何も残ってないんだよ」

鉄道の脇 男達が膝を抱えて寄り集まっている
エルクホーン特急が俺の髪をなびかせる
薄汚れた月明かりの下 ハイウェイ沿いに並ぶテント
俺は今夜どこで眠ればいいのか

材木置場に車を止めたが 凍えるように寒い
後部座席の子ども達は死にそうな咳をしている
俺はフロントシートで妻と眠っているが
深夜 警官がフロントガラスを警棒で叩いて言う 
「今すぐここから出て行け」と

ぴかぴかの黒くて巨大なリムジン
前も後ろも気にしちゃいない
打ちのめされても立ち上がれるのは何回までだろう
そんな余裕があるんなら
その光る車体に唾を吐いてやりたい
そして家に送り返してやる
もしも北風の吹く町を出て
甘いソーダ水の流れる川を目指して南へ行こうと言うんなら
考え直した方が身のためだ
売れ残りのショットガンでも手に入れろ
ここには何1つありゃしない
南風に吹かれて舞い上がる種子だけ
あてもなく移動するばかり 何もかも失われて

ENGLISH

</object>
残念なことにイントロと最初のヴァースが入っていません。すみません

今日も昨日の続きです。ブルース・スプリングスティーン『London Calling: Live in Hyde Park』(2010)の中で、特に意識的に作られた流れである "Seeds," "Johnny 99," "Youngstown"の3曲の冒頭の"Seeds"を今日は訳しました。この曲は、これまでの作品の中では『The Live 1975-1985』(1985)に1985年9月30日の'Born in the USA' ツアー終盤のロサンゼルスでの公演で演奏されたものを聴くことができます。出だしからニルス・ロフグレンのトワンギーなギターの音がとてもかっこいいし、84年~85年頃には割りと聴かれたブルースの搾り出すような苦みのある歌い方も、歌詞が描き出す荒れた寒々しい光景よく合っているし、内臓に響くようなマックス・ワインバーグのドラムも迫力があって、ライブで聴くととてもインパクトがある1曲です。私もオルバニーでこの曲を目の前で聴いて、何てかっこいい曲なんだろうと思ったのを覚えています。

この曲の物語は「ジョニー99」が辿ったかもしれないもう1つの可能性の歌だと思います。1985年9月30日の公演では、この曲を演奏する前にブルースは歌詞を聴けば分かる歌の内容を敢えて言葉で説明し直しています。ピッツバーグやヤングスタウンなど具体的な北東部の街の名前を出して、それらの街から仕事を求めて妻子を連れて南下しても、何も見つからず、蹴り出されるような扱いを受けるばかりの境遇にある人達がいると伝えることで、この歌は架空の物語でなく、今現在(1985年)にアメリカで起きていることなのだということを強調するためだったと思います。当時のアメリカではレーガノミクスがアメリカを牛耳る政策となって、格差がぐんぐん拡大していたけれども、個人主義と小さな政府が持ち上げられる中、ろくな保障もないまま各地で工場閉鎖などが相次いでいました。「ジョニー99」も自動車工場の閉鎖によって、どん底に突き落とされることになったけれど、"Seeds"の主人公は期待をかけて南部に移動します。しかし、どこへ行っても職がないどころか追い立てられて居場所もない。リムジンに乗ったお偉方は周りには目もくれないで自分のことで満足し、どんな種も南部では根を張ることもできない。

だとしたら、こんなにも絶望的な現実を歌うことには一体どんな意味があるのでしょうか。私は『Two Hearts -The Definitive Biography, 1972-2003』(Routledge, 2004)の中でデイヴ・マーシュが書いている考え方が好きです。少し長いけれど、その部分を引用して今日の記事を終えたいと思います。ブルースは"Outlaw Pete"について語る時にも「歴史」というキーワードを出していましたが、歴史をきちんとふまえ、内省的になり、自らを律していくということは常にアメリカが不得手としてきたことでもあります。ブルースはもうずっと長い間、そのことを何とかしたいと思っていたし(それは、そうすればきっとアメリカはもっと良くなるという希望の裏返し)、彼自身は「振り返ることを忘れない」からこそ、今でも"Johnny 99"や"Youngstown"と共に"Seeds"を歌い続けるのだと思います。

『「自分のことは自分で救わなくちゃならないし、
  それには随分と助けも必要になる。」(ブルース)
 『Born in the U.S.A.』の残りの部分、或いは彼のそれ以降の作品はと言っても構わないだろう、そうした助けを提供し、また同じように重要なこととして助けを得ることについて扱っている。アルバムは「死人の町に生まれ・・・」というフレーズで始まる"Born in the U.S.A."で幕を開ける。しかし、曲の終わりで刑務所の影に佇みながら、歌い手は走り、走り続ける決意を固める。しかし、振り返ることも決して忘れない。常にこれまで経験してきたことを心に留め、ケ・サンの友人や彼がサイゴンで愛した恋人や、ヴェトコンに起こったことも決して忘れない。その記憶こそが、どんな未来であれ、彼の未来を形成するのだ。「クールでいかしたアメリカの男」になるためにはウディ・ガスリーが曲にした声に耳を傾けるだけでは十分ではない。その声に応え、加わらなければ。そしてそれこそが、"Seeds"や"The River"、"The War"が果たした役割だった。』
(pp. 635-6. 拙訳)



Bruce Springsteen 『London Calling: Live in Hyde Park』

2010-07-27 22:31:34 | Bruce Springsteen Live
"Out in the Street"

とっておきのドレスを着て
髪はアップにしなよ
パーティがあるから
向こうの方で ネオンの光の下
1日中きついラインで働いた後
これから夜にはお楽しみが待っている

俺は週5日
船着場で積荷の仕事
苦労の末の給料を持って
君に会いに行く
月曜日にボスが上がりを告げる時には
早くも金曜日のことで頭がいっぱい

あの警笛の音がしたら
俺は一目散に
家に帰り 仕事着を脱ぎ捨てて
通りに繰り出す
好きなように歩くんだ
街に繰り出す時には
好きなことを話すのさ
街に繰り出す時には

街に繰り出す時には
孤独も感じない
街に繰り出せば
仲間の中に居場所を見つけられる
警官の車がゆっくりと行き交い
俺達をそっと見ている

だけどここでは怪しいことなんて何もない
自分達でやりたいようにやる
通りに繰り出したら
好きなように歩くんだ
通りでは
好きな話をさせてもらう
ベイビー 表じゃ悲しくもブルーにもならない
ベイビー 通りで君を待っているから

街では
素敵な女の子達が歩いていく
通りに繰り出して
曲がり角からその子達を思わせぶりに見るのさ

通りに繰り出せば すべて完璧に思える
今夜通りで会おう リトル・ガール
通りで会おう 通りで

ENGLISH

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何だかすっかり出遅れてしまったけれど、ブルース・スプリングスティーンのDVD『London Calling: Live in Hyde Park』(2010)の感想を書こうと思います。私はブルースの公式サイトからアメリカ盤を取り寄せたのですが、オマケのTシャツが品切れで暫く待つことになったのでした。女性用SサイズのTシャツが品切れというのは少し意外でした。そんなに女性がブルースのDVDを買っているとは思わなかったからです。という訳で、私のDVDはアメリカ盤ですが、今回はリージョンフリーだったので日本のプレイヤーでも再生できます。けれど、通して観た結果、全曲に字幕を付けたという日本盤の試みはとてもいいものだったなとつくづく思いました。

ハイド・パークでのセットリストは、普段のブルースのコンサートとは違ってブルースなんて殆ど聴いたこともないような人達もたくさんいる場での演奏の筈だったのに、去年の『Working on a Dream』Tourの基本セットリストと大体同じ構成になっていました。セットリストを変えるのはブルースにとっては難しいことではないし、もっとロックンロール一色(どちらかと言うと歌詞の面で)のセットにしなかったのは、とても印象的でした。特に経済的不公正を訴える"Seeds,""Johnny 99,""Youngstown"の3曲の流れをそのまま残したところに今のブルースが音楽に携わる時に持っている信条の固さを感じる気がしたのです。3曲ともライブでも映えるとてもかっこいい演奏ではあるし、私もこの3曲をコンサートで経験した時に楽しみました。でも、まとめてこの3曲が演奏されたら、否応なしにその底流にあるメッセージは意識させられると思うのです。この3曲の歌詞はぜひこれから取り上げていきたいです。同じようなことは"Working on a Dream"の演奏でも感じました。ブルースは昨年のツアー中、決まってこの曲の途中で長い語りをはさんでいました。自分たちEストリート・バンドがここで、何のために演奏しているのかを滔々と語るのです。それはともすれば、説教じみてしまいかねない内容だし、あまりにもストレートな表現で少し気恥ずかしくなってしまうかもしれない。(でも実際にその場にいると不思議に説得力を感じさせる'magic'のような部分です)。ブルースがそれを臆することなく、自分自身のコンサートと変わりなくフェスティバルでも口にしたことは、私にはとても誠実に感じられました。だから、これらの歌詞や語りを字幕付でしっかり意識しながら聴くというのはとても意味があることだと思うのです。"Outlaw Pete"もそんな1曲だと思います。

いろんな人がいろんなことを既に感想として述べていらっしゃるので、私の個人的なことをもう1つ。今回のDVDは2枚に別れていて、1枚目はThe Clashの"London Calling"のカバー、2枚目は"The Rising"の演奏で始まっています。この編成が私には、ブルースとの出会いを思い起こさないではいられないものだったのです。私がブルースに心を奪われたのは、これまで何度か書いてきたかもしれませんが、2003年のグラミー賞授賞式での演奏でした。そこで"The Rising"のこれまでどんな音楽からも見出したことのなかった鬼気迫る演奏に人生が変わるような衝撃を受けて、そのショックが残るうちに更に畳み掛けるように演奏されたのが、2002年12月に亡くなったジョー・ストラマーの追悼のためにブルースやリトル・スティーブンエルヴィス・コステロデイブ・グロール等による"London Calling"だったのです。この曲の衝撃も"The Rising"には及ばなかったものの、あのイントロは人生で1度も耳にしたことの無い独特の世界に私を引きずり込みました。今回、改めてブルースが演奏する"London Calling"を最初に聴いて、当時の新鮮な気持ちをまざまざと思い出しました。7年というと長いようだけど、実際には私の人生のたった3分の1の期間でしかない。けれど、この7年間の選択や出会いに際してブルースが果たしてきた役割はきっと何よりも大きいと思います。そして、今もう60歳でありながら(ハイド・パークでの演奏時はまだ59歳だったけれど)、こうして現在進行形で新しいものを届け続けてくれていることは私にとって本当に幸せなことです。"Out in the Street"でステージを降りてオーディエンスの傍まで行った後、ステージに戻る階段で息を切らして倒れこむ真似をして、「冗談じゃないぜ!ファッキン・エレベーターをつけてくれよ!俺はもうファッキン60歳なんだから!」と叫ぶシーンは笑ってしまったけど、ブルースのコンサートにかけるただならぬエネルギーを意識して胸がいっぱいになった瞬間でもありました。この曲は私がライブで聴くのが好きな1曲でもあります。Eストリートのメンバーと交代で"Meet me out in the street"と歌うところも素敵だし、オーディエンスが"Oh-ohh"とシンガロングするところも胸を揺さぶられるし、音楽もロックンロールの楽しさ、今その場でコンサートに身を任せることで得られる解放感を最高によく表していると思うからです。

他にも書きたいことはきりがないくらいあります。私の観たオルバニーとピッツバーグでのコンサートとセットリストが似ていたから、感慨深く思い出したところもあれば("Badlands""Promised Land")、改めて何ていい曲なんだろう!と思った曲もあったし("Night"や"Bobby Jean")、これまで他のブルースファンの方々から伺っていた思い出や思い入れのお話を思い出して心を惹かれた曲("Racing in the Street")、野外コンサートのしかも夕暮れ時という時間だからこその自然の演出が絶妙だった曲("Lonesome Day")などはそのほんの一部です。そして、やっぱり"Born to Run"は思わず涙が出ました。フェスティバルなのに大勢のオーディエンスが声を合わせてこの曲を歌っているのを聴いて、この曲がロックミュージックの1つのアンセムとして35年間広く愛されてきたんだと思うと胸がいっぱいになりました。そして、今でもあれだけ古びることなく全力で走ってくれるブルースやEストリーター達の姿も感動的と言う外ありません。ボーナス映像の"The River"と"Wrecking Ball"もDVDとして形に絶対に残すべきだというような名演です。"Wrecking Ball"の方は昔の写真やサウンドチェックの時の空っぽのジャイアンツ・スタジアムの写真なんかも織り交ぜて、とても奥行きのある余韻を残す素敵なクリップになっていました。



Bruce Springsteen "Land of Hope and Dreams"

2010-05-30 23:36:20 | Bruce Springsteen Live
乗車券とスーツケースをその手に握れ
雷鳴が線路の向こうから聞こえてくる
どこへ行くかは分からない
だけど決して戻っては来ない
もしも疲れ果ててしまったら
俺の胸に手を乗せればいい
持てるものだけを携えて
残りはあとにして行こう

大きな車輪が回る
日の光の射す広い野を切り開いて
希望と夢の地で会おう

俺が君を支え
君の傍にいる
いい連れが必要だろうから
この旅には
悲しみはあとにして
この日限りにしよう
明日には太陽の光が見られるだろう
闇はすべて過去になる

この汽車は  聖人と罪人を乗せる
この汽車は  敗者と勝者を乗せる
この汽車は  娼婦と賭博師を乗せる
この汽車は  はずれ者を乗せる
この汽車では 夢は挫かれない
この汽車では 信念は報われる
この汽車の  鋼の車輪が歌声が聞こえるか
この汽車の  自由の鐘が鳴っている
この汽車は  失意に沈む者を乗せる
この汽車は  盗人と優しき死者を乗せる
この汽車は  愚者と王者を乗せる
この汽車で  みんな出発しよう

この汽車では 夢は挫かれない
この汽車では 信念は報われる
この汽車の  鋼の車輪が歌声が聞こえるか
この汽車の  自由の鐘が鳴っている

ENGLISH


</object>
5月は昨年のことをよく思い出しました。というのも、昨年5月は私が長い間持っていた2つの夢が叶った月だったからです。その夢の1つはブルース・スプリングスティーンEストリート・バンドと共に行なったコンサートを観られたこと。2つ目はブルース・スプリングスティーンのデビューアルバムのタイトルでも馴染み深い、ニュージャージーの海辺の町、アズベリー・パークを訪ねたことでした。そして昨年の良い思い出を振り返りながら、自分の観ることのできた公演の音源を聴いていると、当時も今も、私が最も心を惹かれる演奏が、"Working On A Dream"であることに気がつきました。歌詞や途中にはさまれる語り、そして2008年の大統領選挙の直前に発表されて以来、聴き続けてきたこの曲が私自身にとって持つ意味、それらがこの演奏をとても特別で、際立ったものにしているのでした。

「俺達Eストリート・バンドは今夜、このハコ(house)をロックするためにここにいる!だけどそれだけじゃない。今夜俺達は家を建てる、この空間の中に。俺達は恐怖を取り除き、愛の家を建てる。疑いを取り除き、信念の家を建てる。絶望を取り除き、希望の家を建てる。悲しみを取り除き、歓喜と幸福の家を建てる。 ・・・ 俺達は今夜ここにいる。何故なら、自分達だけでこの家を建てることはできないからだ。Eストリート・バンドは毎晩毎晩毎晩ステージに立ち、音楽の力を届ける。何故なら、この家は自分達だけでは建てられないからだ。俺達は音楽、スピリット、ノイズを通じてこの家を建てる。俺達バンドは音楽の力を届ける。だけど、オルバニー、俺達は君達のノイズが必要だ・・・!」(2009/05/14 オルバニー公演より)

私がこの"Working On A Dream"の途中の語りを初めてオルバニーで聴いた時に思い出したのは、ライブアルバム『Live in NYC』(2001)に収められている"Tenth Avenue Freeze Out"での語りでした。ここでは、「家を建てる」という表現の代わりに「川を渡る」という比喩が用いられていますが、そこで彼が見つけ出したいものは、愛から幸福に至るまでどれも「家」の理想と同じものです。(どちらの語りでも'sexual healing'も目指しているとブルースは言っていますが、オルバニーの語りの中で、何を取り除いて'sexual healing'の家を建てると言っているのか何回聞いても分かりませんでした。すみません。)そして、幾夜もEストリート・バンドがステージに立ち続けるのは、そうした理想は自分1人では実現し得ないからだとブルースは言います。

私はこうした語りの中に、ブルースがこの頃からずっと実感として抱いてきた願いがこもっているのだと思います。だからこそ、Eストリート・バンドとのツアーの中で何度も形を変えて、こうした語りを行なっているのだ、と。その思いの原型となっている音楽が、今日取り上げた"Land of Hope and Dreams"なのではないかと思います。2002年のRolling Stone誌とのインタビューの中でブルースは、『The Ghost of Tom Joad』(1995)の前後、自分の「rock voice」たるものを見失ってしまっていた、と語っています。そしてそれを回復し、もう1度Eストリート・バンドとやっていけるという確信をもたらしてくれたのが"Land of Hope and Dreams"だったと言うのです。また、この曲はそうしたブルースのパーソナルな、仲間とロックンロールをすること、の再び見出した意義を歌ったものであり、同時に音楽によって彼がそれまで目指してきた世界の理想を集約したものだとも言えるのではないかと思います。よく指摘されるように、"Land of Hope and Dreams"はゴスペルカーティス・メイフィールド"People Get Ready"を下敷きにしている一方で、その歌詞はそれらと対照的です。元になった楽曲が栄光への道は清く正しい人だけに開かれている、と歌ったのに対して、ブルースはすべての人と「希望と夢の土地」へ向かおうとしています。それは、昔から彼が報われない人の視点に立ち、『Tom Joad』に至るまで、驚くほど広くその視野を広げてきたことからを考えても、全くぶれることのない理想でした。

まだブルースをに夢中になり始めて間もなかった10代半ば頃、『Live in NYC』を聴いて、2枚目のCDの最初の3曲、"Tenth Avenue Freeze Out"、"Land of Hope and Dreams"、"American Skin (41Shots)"の流れにいつも呆然とするほど、聞き入り、心を奪われていたのを覚えています。圧倒的なエネルギーとそれを雄弁に説明する、「川を渡る」という語り、そしてその夢を歌い上げるかのような、"Land of Hope and Dreams"の後に、厳然と立ちはだかる現実として、ニューヨーク市で起きたギニア系移民に対する市警察のヘイトクライム事件を扱わずにはいられなかった。それを無視しては先に歌われた夢や希望は決して実現しない。この流れの中には、今はまだそうした理想は手中に無いという認め難い事実と、しかしそれを諦めることはないのだ、というアメリカに対するブルースの引き裂かれた思いを感じたものでした。この3曲は、41発の銃弾を受けて黒人が殺害されるという事件が未だに起きるアメリカにおいて、どれが欠けても、メッセージとしては伝わりきらないものだったように思います。それはあまりにも絶望的に過ぎるか、楽天的に過ぎるものになってしまう。そして、そうした思いが、それから10年近い時を経てもなおブルースの心の中にあって"Working On A Dream"という楽曲となって、私が経験したということは、ある意味複雑な心境をもたらすものでもあります。何故なら、「夢に向かって努力をする、でもその夢は時々とても遠くに感じられてしまう」からです。けれども、私が結局はこの曲に圧倒的な魅力を感じずにいられないのは、1人で家を建てることはできないけれど、「俺達は音楽の力をもたらす」ことによってそれを助ける、だから一緒に汽車に乗るといい、と手を差し伸べ、「夢と希望の土地で会おう」と夢を語り、そのために「力を尽くす」ことをブルースが決して諦めないからでいした。それはずっと昔から私にとってとても個人的な支えでもあってきたし、それだけに留まらないものにもなり得るものだということです。