アロハシャツのお兄様

年中アロハな気分で元気に過ごせるよう作りました。

両親と2週間のハワイ 12 ラナイからの眺め

2011-08-12 01:00:00 | Weblog
ラナイから南西方向の眺めが、この写真だ。イリカイホテルの海側とイリカイヨットハーバーの眺めだ。ちょうど、時間によっては、夕日が、真正面になる。また、ホノルル国際空港もこの方向なのだ。また、海のネバーアイランドの航路も見える。要するに、船も飛行機も見えるのだ。

6階のお部屋なんだけど、目の前の椰子の木の先端部分より、少し高いくらいだ。イリカイホテルとの間は、風道になるのか、ビュンビュン吹いて、椰子の葉が揺れるゆれる。サラサラでなく、ザワザワくらいに。それでも、小鳥が、止まってる。乗り物酔い、いや、葉っぱ酔いだ。

すぐ下の通りを眺めるも良し、ヨットハーバーを見るも良し、もう少し遠くのマジックアイランドを双眼鏡で注視するも良し。自然の風で、涼みながら、物を飛ばされないようにして、ボーとして、時間を費やすのも良かろう。

真下のプールサイドに度々目をやって、水着の品評会を個人的にするのも良かろう。ボディービルで身体を作ってる様なライフセーバーのお兄ちゃん。身体が黒光りしてた。そして、白人のスタイルの良い、昔のチャーリーズエンジェルのファラフォーセット似のビキニスタイルのお姉さま。彼女が、ジャグジーに入ると、子供が、減って、男性が、増えた様な気が。

そうかと、思えば、お相撲さんタイプのお母さん。どうやら、プールの中の方が、軽そう。アルキメデスの原理だね。あらまあ、バスタオルとペットボトルのコーラを持ってきた旦那様らしき男性、元の曙関かと、思ったよ。奥様より、二周りは、デカイ。また、子供たちも栄養豊富。親子だなあ。

チッチ、チッチと泣き声がする。足元に小鳥が来てる。何にも餌は、無いよ。あらま、白い小鳩も来たよ。何にも無いんだよ。餌は。水でも飲むかい。

あすは、KCCの朝市①だよ。



両親と2週間のハワイ 11 ある日のお昼ごはん

2011-08-11 01:00:00 | Weblog
昨日、大買い物に行ったので、両親は、お部屋でいつものごとく、ゆるりとしていたらしい。当方は、確か、ツアー会社に頼んでのアロハスタジアムのスワップミートにまたもや、お買い物だった。その日の遅い、昼食の写真だ。

遅いお昼になったのは、当方が、ツアーで、スワップミートに行ってたからだ。お買い物にしては、暑くて疲れたが、両親は、ホテルにいたので、日焼け面の当方と違って、只単に普通に食べてた。当方は、十分な水分を摂ったが、それでも、やや脱水状態になり、あまり、食が進まなかった。

買い物の戦利品をベットに並べて、それを見ながらの食事だ。両親二人ともその戦利品の多さに驚いていた。ちなみに、Tシャツの類、バスタオル、ハワイアンキルト、ビーサン、短パン、ドライフルーツ、など、気に入ったものは、何でも買ってきた。おかげで、リュックの肩掛けが、綻びて、修理するほどだった。お義理の土産は、ここで、買って買えるつもりだった。

あた、写真に戻るが、サワークラフト、しば漬、いわしの煮付け、にんじんの煮物みたいなろくなものを食べてない。しかし、あちらで食べるとこれが、美味い。割り箸の無効は、オレンジ色のサツマイモをレンジでチンしたものだった。いわしは、塩ものだったのを簡単に塩抜きして、しょうゆ、みりんなどで、煮たものだったろう。ハワイで、いわしに遭えるとは。

ご飯も、2合のお米を2つ持って行き、その後は、フードパントリーで買ってきた。カルフォルニア米であったが、やや、ぱさつきが、気になったが、それ以外は、ABCでのスパムなどのご飯よりは、美味しかった。お漬物の容器は、昨日食べた、ヨーグルトの空の容器である。一部の調味料以外は、日本から試算したので、ほぼ、日本と同じものが、食べられた。

やはり、食事の最後は、ヨーグルトとパパイヤだ。ほぼ、毎日3回食べた。飽きもせずに。

明日は、ラナイからの眺めについての予定。

両親と2週間のハワイ 10 ピンクのハイビスカス

2011-08-10 01:00:00 | Weblog
出先で、写真を撮ってないので、良いものが、ありません。よって、また、こんな写真です。出発した頃の当方の温室では、やっと葉っぱが、揃ってきた頃なのに、ここハワイでは、こんな立派なピンクのハイビスカスが咲いていました。真夏にも何度かやってきて、見ていますが、花数は、その頃のほうが、多いかもと思いました。これだけ大きな花になると、ハイビスカスと言うよりも、芙蓉(フヨウ)みたいと思いました。

話、戻って、ライオンコーヒー(運転手さんは、「ライアンカヒィー」)を後して、クック通りのフィシャーハワイ(大型文房具専門店)に行った。以前、何かのハワイ情報番組で、見ていたので、面白そうだが、両親には、どうかなと言うお店だった。

何のことはない、やはり大型倉庫の前の駐車場の前で、降ろされた。今度は、次の時間を聞かない。どうやら、アラモアナショッピングセンターも近くなってきたし、待ちきれないのと、待っても大した金額にならないからだろう。コーヒーショップから、ここまで、やはり、$10と少しだったろうか。

外よりもやや涼しい程度で、お店の中は、巨大な倉庫とあまり変わらなかったが、商品の量が、半端じゃない。一つ一つ見ていたら、時間が無いので、まずは、さらりと店内を流す。つもりだったが、日本との価格差、機能差、デザイン差、などを見ていたら、さらりでなく、じっくりになった。お腹も空いてきたが、コーラで我慢。

その間、母を発見し、飲み物を渡して、レジ横の長椅子で休むよう促した。しかし、思ったより元気だった。母は、明らかに日本にいるより、元気だ。こんなにハードなのに。親父は、さらに、超元気だ。齢78歳なのに。50歳前の当方より、良く歩く。

話戻って、店内を2周目くらいに、親父に遭遇した。何も買うものは、無いかと尋ねるともう既に、母に持たせてあると言う。母は、買い物カートを預けられ、半分ほど入っていた。実際、ここでの買い物は、親父が、半分以上だった。

良く、日本にない機能の文具や新しいものを探していた。値段も一部のIT商品以外は、安かったろう。デザイン面でも、ハワイ風のものが、多く、お土産にも事欠かなかった。
3人の荷物は、それぞれ、1つないし、2つから、みんな、2つ以上。当方は、両手に花とリュックに満タンとなった。

帰りは、フリーペーパーにあった、日本語で呼べるタクシーを呼んでグランドワイキキアンまで、連れて帰ってもらった。当方、一人なら、アラモアナまでで、また、無料のトローリーなんだけど、両親にこれ以上の負担は、掛けられまい。

それにしても、特に親父は、堪能したのであろう。疲れもあろうが、両親、機嫌は、悪くなかった。タクシーを待つ間にお店のパンを買って、食べてもらっていた。結局、これが、この日の昼食になった。しかたあるまい。

最後に、このフィッシャーハワイの文具店には、滞在中、親父の希望で、もう一度行くことになったのは、この時点では、思いもしなかった。そのときは、何と、当方の運転するレンタカーで。

ハワイに10回を超えて行ったけど、レンタカーを運転する羽目になるとは。この話は、またいつか。あすは、何のことはない、ある日のお昼ご飯とeta.

両親と2週間のハワイ 9 モンステラ デリシオーサ

2011-08-09 01:00:00 | Weblog
その後の良い写真が無かったので、大きな葉っぱのモンステラ デリシオーサの写真にした。当方の温室でも大きな鉢に植えているが、どの育て方の本にも直射日光は、駄目とかいてあった。ところが、意外にも、ハワイでは、バリバリの直射だ。慣れるとよいのであろう。
やや黄色に日焼け感は、見えるが、色艶も申し分ない。南国の雰囲気を醸し出す観葉植物だ。もう二周り(ふたまわり)は、小さな姫モンステラもあり、他に斑入りもあったりして、切ると毒の成分を含む樹液が出るが、低温にもまあまあ強いので、南国狂の方は、育ててみては、どない。

話、戻って、タクシーの運転手さんとのやりとりからだ。ばずは、両親にタクシーの中でお水を飲ませた。そうしながら、ここから、比較的近い、カラニ通りのハワイ コーヒー カンパニー 通称ライオンコーヒー工場へ行くよう頼んだ。

すると、まったく通じない。こちらの英語は、当然、分かってくれない。彼が言うのは、どうやら、片言の英語が、こちらに聞き取れるのみ。ほぼ、タガログ語に聞こえた。よって、こちらの意思が届かない。そうこうしていると、フリーペーパーのお土産欄にライオンコーヒーが、出ていたのを思い出した。

リュックの中からそれを探し出して、示すと、彼が「ライアンカヒィー」と何度も言って、伝わったようだ。何でもない。当方も「ライオンコーヒー」を復唱し、彼も「ライアンカヒィー」を復唱した。ほんと、伝わって、発車するとすぐに工場についた。倉庫群の一角にあるようだった。

また、その駐車場で幾らか払い、今度も1時間後のピックアップを頼んだ。やはり、早く連れに来てくれることを期待しつつ。なにやら、無線で喋りながら、彼は、工場を後にした。

薄暗い駐車場兼倉庫の中から、お店に入った。さらにコーヒーの匂いが、強くなった。コーヒーサーバーに何種類ものコーヒーが入れてあった。また、試飲に対する説明も表示してあった。どうやら、無料の試飲は、限られた種類のみで、あとの大半は、有料で、大きな紙コップのは、それらしい。良く見ると、小さな試飲用のも言えば出してくれるのか。

そうこうしてたら、目の前の種類の多さと、家庭用の20オンスの大袋など呆気に取られていたら、両親は、勝手に大きな紙コップで、また、勝手にどれかのコーヒーを試飲してた。頼んでは、いないのだろう。老人たちの勇み足に違いない。その後、親父は、お腹が空いたとパンを買って食べてた。親父は、お昼になると必ず、食べないといけないのだ。
当方は、こんな身体だから、もう少しくらいは、我慢して、後に腹いっぱい食べたらと、思うが、そうは、いかない。

出先で、簡単なおやつでも持ってくればよかったと、後の祭り。母は、当方と同じで食べなかった。その間に、山ほどのコーヒーを買った。ほんの少し、100%コナを買って、あとは、フレーバーも買った。お土産は、10オンス以下。自宅、親戚は、20オンスにした。ロゴ入りTシャツやカップなど記念品、お土産に事欠かない。両親にも、背負ってもらい、工場兼ショップを後にした。ちなみに、先よりコーヒーを飲んでた運転手に次の場所を告げた。

明日は、次に行った、フィシャーハワイ(大型文具店)の話。の予定。

両親と2週間のハワイ 8 金刀比羅さんと太宰府天満宮へ

2011-08-08 01:00:00 | Weblog
ただ、お買い物だけなら、まだ10日以上あるから、いつでもと。バス停で待っている間に親父とショッピングは、またにした。特にお土産の物色を。そこで、2ヶ月前に持って帰ってもらったフリーペーパーの中にハワイ金刀比羅神社、ハワイ太宰府天満宮があった。

情報によるとハワイならではの南国風のお守りや護符もあるらしい。両親特に希望も無く、嫌でもないようなので、勝手に行くことに決めた。でも、ヒルトンからタクシーでは、高かろう。少しでも、目的地近くに行って、タクシーだ。よって、アラモアナショッピングセンターの山側でトローリーを降りて、トイレを済ませて、タクシーへ。ペットボトルの水を忘れずに。

山側でタクシーの集まっているところに行った。すぐに、数人の運転手が、寄ってきて、ハナウマベイ(湾)やダイヤモンドヘッドやその他、遠くの観光地を勧めてきた。この3人の格好を見ろよな。ハナウマベイに見えるかい。足元が不安な3人、ダイヤモンドヘッドは、無理やろ。

持参したフリーペーパーを開けて、指先で示して、『ハワイ金刀比羅神社、ハワイ太宰府天満宮』へ行くように。すると、意外な顔をして、他の運転手に相談していた。どう見ても、嬉しそうでもない。少し、相談して、またやって来た。どうやら、金刀比羅だけかと言うことらしい。
手振り身振り、片言の英単語。変なイントネーションの日本語を駆使して、他にも行くことを伝えた。すると、最初の運転手が、うれしそうに、他の運転手を振り切って、3人乗せてくれた。どう、見てもこの運転手、白人では、ない。名前も英語の発音もフィリピン系か、華僑では、なかったろうか。

そうこうしてたら、遠回りもせず、『ハワイ金刀比羅神社、ハワイ太宰府天満宮』へ着いた。運転手と1時間後に、この駐車場でと、別れた。$10と某くらいの支払いだった。
誰も周りにいない。宮司さんも参拝者も猫もいない。鳥居を潜って、お賽銭の後、社務所に。

やはり、誰もいない。綺麗に並べられた、お守り、護符が、たんとある。母と物色して、何種類も買った。と言っても、自己申告で、決められた容器にお金を入れるだけ。州税などは、掛からなかった。こんなところで、過少申告して不正をはたらく輩は、いないのだろう。

それにしても、カラフルなお守り群だ。お安いものもある。帰国後、ペットお守りは、好評だった。他のも、もう少し、買ってくればよかった。お守りと護符で$60は、買ったのに。

社務所を出ると、周りの状況が、まったく分からなかった。あと、時間は、30分強ある。両親を残して、周りを彷徨う。いや、散策。何にも無い。只の住宅地。そうこうしてたら、タクシーが戻ってきた。また、予定の時間に15分は、ある。降りてきて、タバコを噴かしていた。

散策から帰ってきて、運転手さんに頼んだ写真がこれである。両親そんなに楽しそうに見えない。不機嫌でもなかったろう。ただ、暑かった。当方は、写真うつりほど、太くないのに。大きく見えるのは、何故だろう。リュック背負い、サイドポシェットを着け、オノボリサン第一号だね。

でも、これが、総て出先でいるんだ。お水や緊急時のお薬。地図。情報誌。携帯電話。タオル他。手ぶらなら、楽なんだけど。ただ、写真見て、思うけど、狛犬さん達、高くねぇかい。お顔は、見えないんだけど。

この後、タクシーの運転手との話は、また。

両親と2週間のハワイ 7 バス停で無料バスを待つ

2011-08-07 01:00:00 | Weblog
両親、特に用も無く、行くところもない。このハワイ、ワイキキにて。やれやれ。もったいない。とは、言っても老人2人、どこへ行く。英語も分からず。

でも、まずは、お土産の物色でもと誘った。暑いがしぶしぶ外出。食べては、寝てばかりじゃ、太りまっせ。歩くのは、長くは、無理。タクシーは、高い。レンタカーは、怖い。
市バスは、一人$2.5要る。よって、ワイキキトローリーのJCBカード提示によるピンクトローリーの無料バスに乗ってアラモアナ方面だ。

ヒルトンの敷地を3人揃って、ぞろぞろ歩く。カリア通りを渡って、市バスの停留所へ。日本なら、自動車は、向かって左側通行だから、つい、通りの手前側で、待ちたくなる。反対なんだ。ワイキキ方面に行くのかい。まあ、特に当てもないので、そちらでも、良いけど。食料の買出しもあるので、白木屋のあるアラモアナへ行くことに。

ヒルトンから出ると、もはや、木陰くらいで、直射日光が強い。5月末でも、日焼けします。真っ黒に。日焼け止めは、入念に。団子3親子は、やっとのことで、バス停に。途中、記念写真もどきがあるので、なかなかたどり着けぬ。沢山の昔の写真があるので、なかなか、写真のために、止まってくれない。

タダの無料バスは、待つときには、なかなか来ない。来たと思ったら、市バスや他社のトローリーだ。H○SやJ○L系のツアーバス。そして、オリオ○トローリーだ。やっと、ワイキキトローリーのピンクが、やって来たら、満員だった。これも、ここの停留所では、多々ある話。ワイキキ方面からアラモアナ方面へ沢山乗ってくるから。

やっと、来た。乗れそうだ。まずは、降りる人が、先。もよりが、ヒルトンハワイアンホテルだから、降りる人も多い時もある。それじゃ、乗ろう。外人さん、特に若い人は、このトローリーは、少ないが、まず、周りを見て、お年寄りより先には、乗らない。

我先に乗るのは、悲しいけど、日本人だね。並んでたんだから、当然のような顔で。ところが、トローリーの運転手さんによっては、それを手で制して、近くのお年寄りを優先する場合が多い。その恩恵に与ることが多い両親。

托鉢僧のような格好の親父と足元の不安の見える母は、どうみても、並んだ最優先なのだろう。JCBカードによる無料搭乗なのに。すみません。その上、100%座れる。いや、座席を譲って貰って、座るよう促されるのだ。まあ、この方が、安心だけど。無理して、立ってたりして、何かあると、年寄りの冷や水だから。

ところが、このピンクトローリー、外人さんが、$2払ってるのは、JCBカードの普及率が低いからかと想像できるが、意外にも日本人も払ってる。当方は、この無料搭乗のために年会費タダのJCBカードを所有しているんだけど。まさか、ピンクトローリーが、JCBカードを提示するとタダだと、知らないのかな。せこい話で何だけど、ワイキキトローリーのチケットも安くないんだ。PCで事前購入しても。

一人の外出なら$2.5の市バス。3人以上で、大荷物なら、タクシーだ。割安だもの。それにしても、親父の顔は、写真なんだから、笑えよな。ワイキキだぜ。今から、病院で検査を受けるんじゃないんだよ。怒っては、ないんだけど、やれやれって感じ。どうやって、機嫌を損ねないように。難題だなあ。

また、また長くなってます。明日は、金刀比羅さんへ行くの話。

両親と2週間のハワイ 6 キッチンと大理石のテーブル

2011-08-06 01:00:00 | Weblog
写真は、インベーダーに姿かたちを吸い取られたわけでは、ありません。母が、何気ないインナーで調理をしていたため、検閲で白抜きに致しました。他意はございません。

調理設備は、電気コイルによる電熱器でなく、電磁調理器4口でした。意外に火力は、強かったです。母には、テーブルの高さが、高くて、胸にエプロンをしているようでした。

母は、何度かの経験もあるようだが、この電磁調理器(IH)を思ったよりも上手く使ってた。火力の強いもの。弱いもの。その中間と。毎日、麦茶も沸かして貰ってた。麦茶パックを持って行ってた。

本当に自宅で食べる料理に近いものを作ってくれた。特に親父には、かの地での体調管理の基本として、食事面では、それほど日本と変わってなかったろう。むしろ、気分と環境の変化で良く食べたかもしれない。

見て分かるように、やかんが小さかった。麦茶には、特に小さい。また、電気ポットや保温ポットが、無かったので、毎回沸かさなければならず、やや不便だった。まあ、小さなお鍋でお湯を沸かせば、良いけど。

包丁、まあ調理ナイフだが、セットで何本かあったが、予想通り、切れない。100均の包丁研ぎを2週間滞在するのなら、あっても可。切れないと、野菜もお肉も何でも、引き切りで、押し切りなんて、全部潰れちゃう。キッチンバサミは、あったし、これは、良く切れた。手でも切れるよ。

最も、奥に写ってるのが、日本から持参した調味料の軍団。みりん以外は、用意してきました。まな板も牛乳の紙パックの開いたやつを持参してました。意外に重宝します。毎回。料理によっては、果物、お肉、野菜など、まな板を洗わねばならず、これなら、酷く汚れれば、ホカします。

IHの上に少し写っている電子レンジ。これも、高いところにある割には、上手く使ってました。野菜の下茹でや、ちょっとした温めに。総て英語表示だけど、数字は、アラビア数字。パワーが、強く、調理時間が短いので感心していました。ただ、高いので、レンジを覗く光景は、やや滑稽でした。

一応、対面式のキッチンのように作られてたけど、母には、やはりテーブルが高く、IHと反対のテーブルは、調理台として、使ってました。大理石は、滑るけど、しっかりしていると感心してました。すべて、手の届く範囲に何でもある本格的なキッチンでした。

また、また長くなっちゃた。明日は、両親を連れ出した話。の予定。



両親と2週間のハワイ 5 朝食②

2011-08-05 01:00:00 | Weblog
綺麗に写っている写真がないんだ。酷いピンボケだったり、ぶれてたり。まあ、何か分かれば可。当方のメインの朝食。日本と同じ、シリアル(コーンフレーク)ミルクだ。

このシリアルもえらい種類がある。量り売りもあるらしい。ドライフルーツ入りなどあったが、今回は、マカダミアナッツのフレーク状のが、入っているのにした。やや、甘いがミルクを入れるのでよかろう。もう一つプレーンタイプを買って混ぜるとベストか。
このシリアルミルクを作ると、一気に食べないと、麺類で言うノビノビの形になる。ふやけてしまうと、不味い。これを食したあと、食パンまで手を出すんだから、体型が、ハワイアンになっちゃうのは、明らか。

端っこに写ってるハムエッグのハムも色々な種類があった。厚いの薄いの。四角なの丸いの。お肉の種類。例えば、ポーク、ビーフ、変わったのは、ターキーもあったよ。塩分が強いの弱いの。英語の勉強もなおさらながら、遠視用の眼鏡をもって行くべし。

このハムにしても、ヨーグルトにしても、何せ、あらゆる容器の開け方が、硬くて難しい。日本じゃ考えられない。小さな持ち手や、くぼみもない。はさみが無いと開けられないものが、実に多い。大きな手の不器用な、かの地の方は、どうやって開けるのかな。毎回、キッチンバサミかな。

食品の量もバカでかい。多いのだ。だから、エレベーターのような冷蔵庫が要るんだ。コーラやミルクは、どうだい。灯油のポリタンクじゃあるまいし。そりゃ、買い物カートが要るはずだ。子供3人は、乗れるね。あんだけ食べて飲んじゃう民族にあの戦争じゃ負けたけど、なでしこジャパンよく勝ったよ。国民栄誉賞おめでとう。

あまり強くなったら、国民栄誉賞の乱発だー。

乱発の『ら』つづきで、写真のランチョンマット良かった。お皿が滑らなくて。小奇麗で。何故か豪華に見えたりして。食卓のティッシュペーパーは、写真的には、ペケだったね。以前、ティッシュの配給が少なくて、これは、日本から持参したのだ。箱のタイプでなく、袋タイプのかさ張らないのにした。正直、紙質は、日本の方が良かったから。これは、トイレットペーパーでも言えるけど。ごめん。食事のお話中に。

写真の上に、親父が食ってら。お箸で。当然、日本から持参したものだ。ハワイでお弁当を買って貰った割り箸で、まともなのを貰った覚えが無い。まあ、ナイフとフォークが、まともに使えないのにも問題があるけど。

また、長々と書いちゃった。明日は、キッチンの話。


両親と2週間のハワイ 4 朝食① 

2011-08-04 01:00:00 | Weblog
荷物を降ろし、まずは、お部屋の物色。限られた空間ではあるけど、何がどこにあるのか。トイレは、シャワーは、キッチンは、冷蔵庫は、どない。なんてね。一通り見周って、ラナイに出た。真正面は、イリカイホテルの東側。即ち、お部屋は、西向きの6階だった。夕日の見える方向だ。

ふと、あとの二人を見ると、親父は、ソファに腰掛けてる。母は、ラナイとサッシの間に立って、当方と同じ、景色を見ていた。どうやら、昨年もこの部屋の付近(同じ6階)辺りだったらしい。ラナイの机の前の椅子にドカリと腰を下ろして、母にも座るよう促した。

でも、そうゆっくりとしてられない。荷物も片付けないと。さっきの冷蔵庫は、空っぽだったし。そうこうしてたら、親父が、先述したように、サブベットを広いほうのお部屋の窓際に置いて帰ってもらった。このサブベットの件は、親父と当方で、1階のロビー(何度聞いても、ラビーと聞こえた?)に直訴したものだ。

よって、寝室のダブルベット脇のチェスト(小タンス)みたいなのが、母と当方の衣類を入れることになった。まあ、大したものはないから、すぐに片付いた。2,3枚づつの短パンとTシャツの類と4日分の下着だ。今回の旅では、洗濯機、乾燥機があるので、これで十分。また、買って着れば、本人のお土産になろう。

母と今日の夕食と明日の朝食のメニューを決めて、ホブロンレーンのフードパントリーへ行くことにした。今回初めての買出しは、両親も一緒に行って貰った。何せ、少々のお米と調味料以外は、手に入れないといけないので。重いからね。水物は、重いので、ヒルトンの敷地内のABCにしよう。

調味料は、材料が違う上に味が違うと尚更、嫌だし、2,3日でなくほぼ2週間だから、我慢するには、辛すぎるもの。現地で買うには、量が多すぎるし、お安くないから。2,3のドレッシング以外は、ほぼ持参した。残れば、捨てちゃえ。大概は、100均で買ってきたものだった。

母が、ほぼ調理を担当していたので、お皿を並べたり、冷蔵庫から出したりして、準備ができると、毎回、記念撮影だ。まあ、大したものは、ないけど、これが美味い。家で食べるものと違わないのにかの地で食べると、実に美味いのだ。まあ、特に、これと言って観光する訳でもなく、特に何もしないので、食事は、大きなイベントの一つだ。

長くなったが、写真の説明だ。何のことはない、目玉焼きだ。日本の卵よりは、黄みが
黄色い。当たり前のようだが、餌がトウモロコシメインなのであろうか。当方の家では、地鶏卵をいつも食べているので、正直、味は、日本よりどうだろう。ご愛嬌か。

中央部にナイフの下にあるのが、マーガリンのつもりで買ったものだ。バターでも良かったけどお安いのを。何故か、乳製品の種類は、凄い。ビタミン某が入っているだの、脂肪分が、多いの少ないの、滅法ある。安かったいいや。どうせ、半分は残ってホカスんだから。

薄いパンだった。日本の8枚切りよりも薄い。サンドイッチ用よりも厚い。何故か、パン自体に味がついてたと思う。昔風の飛び出すトースターに入れて、焼いた。薄く軽いので、いつも、どちらかのパンが飛び出してた。例のマーガリン風をたんとつけてみた。あまり付けすぎて、すべては、溶けてなかったが、美味かった。

コーヒーは、ライオンコーヒーの7オンス10%コナ入りを淹れた。コーヒー工場に行く予定があったので、それまでは、ほんの少し買うだけにした。ハワイに来て、インスタントでは、カッコつかないから。100コナのピーベリーでは、ないけどね。

それにしても、分厚いお皿たち。備え付けのそれらは、総てこんな分厚いの。どうやら、皿洗い機のせいだね。日本の皿洗い機の倍は入る。流しの中に備え付けなんだけど、凄いの。4,5枚のお皿のみの場合は、どうやって洗うのかって感じの大きさ。フライパンも鍋も入れちゃえって感じ。どやねん。ただ、お皿の種類が少ないので、小鉢がどうのう、お碗がどうのうこうのうは、言えない。見た目の美味しさは、二の次かな。

長くなったのて、続きは、明日の朝食②。


両親と2週間のハワイ 3 クヒオビーチのトーチショー拝見

2011-08-03 01:00:00 | Weblog
両親が、ホテルと空港の往復にいつも使っているタクシーに事前に連絡していたので、空港を出て、すぐに公衆電話からフリーダイヤルし、迎えに来て頂いた。
母親は、すぐに運転手に気がつき、手を振っていたが、当方は、初対面でみんな同じ、タクシーの運ちゃんに見えた。何やら手振り身振りかと思えば、流暢とまでは、言えないが日本語の会話。母親の満悦な笑み。

そうこうしてたら、ヒルトンのグランドワイキキアンの正面玄関の車回しに着いた。当方は、2年ぶりのハワイだが、両親は、70日ぶりだったね。チップ込みスーツケース4つで$32をいつものように、事前に、ぽち袋に入れて渡した。『かりんとう饅頭』のお土産と共に。感じの良い背の高い外人さんの運転手さんで、奥様は、日本人とのこと。個人旅行の際は、必ず、お願いしています。

タクシーから降りると、すぐにヒルトンの係員からレイの歓迎。その後、チェックイン。ここまでは、スムースなのだが、お部屋の準備が整うのが、15時半だったか、16時半だったような。貴重品以外を預けて、休憩する施設や徒歩で行けるお店を訪問。ただし、単なる時間潰しだね。到着したばかりだし、これから約2週間もあるし、荷物も嫌だから。

やっとのことで、お部屋に入れることに。スーツケース等は、各自で持参。係員に頼むとチップが要るよ。セコい様だけど、ホントにセコい。$の使い方には、メリハリを。

両親は、昨年のお部屋と同じ設備のようだと言ってた。当方は、何年か前に見せて頂いて以来のラグーンタワーのお部屋だ。でも、この大きさで大人4人は、正直、辛かろう。今回は、親父がサブベットで寝ることになったが、これも、本人が、フロントへ直訴して、持って来て貰った。
柔らかいダブルベットは、嫌だったらしい。よって、母と当方のペアで、ダブルベットになった。それにしても十分な大きさのベット。キングサイズは、あったね。柔らかいけど。

それにしても、寝室は、あまりクーラーが効かず、窓も十分には、開かないので、暑かった。親父が、広いほうの居間にサブベットを置いて寝たので、こちらは、クーラーも良く効いて、窓も大きく開き、むしろ、寒かったそうだ。ちなみに、2週間の間に3日間風邪を引いて、余計にごろごろされてた。後の祭りだが、最初にサブベットを寝室に置いて、当方が、ソファで寝れば良かった。正直、暑くて、寝難かった。

この辺りの写真が、特に無く、最初のころに、散歩がてら、連れて行ったクヒオビーチのトーチショーを見に行ったときの写真だ。以前は、大盛況で、今回も少し早めに行ったら、拍子抜け。まだ、ガラガラで、後ろには、ロングボードを置いてたりした。
そう言えば、この時期にハワイに来たのは、初めてだけど、両親も同意してたが、やはり、人が少ないみたいだった。アメリカの景気も良くなく、日本は、ご承知の状態。その中でやって来た、親子3人。すみません。$を使いますので、よろしく。

トーチショーの内容だが、以前は、ほぼ毎日開催していたが、今は、火、木、土日だったか。違っていたら、ごめんなさい。そのように、回数が減ったのと、ショーのレベルが、下がったように見えるのは、偶然だろうか。
ケイキ(子供)のフラは、増えたように見えるけど、見慣れて感動が減ったからかな。これなら、大きなホテルで見るディナーショー辺りのフラの方が、良いかも。

ただ、このクヒオビーチのフラショーは、10年以上前のコダックのフラショーのように、ハワイに来たと印象付ける大イベントだった。たとえば、空港や機内からダイヤモンドヘッドを拝見するのや、パパイヤをお部屋で食べることなどのお決まりハワイコースの一つだったのに。やや寂しくなったね。

明日は、朝食の話①なのだ。