アロハシャツのお兄様

年中アロハな気分で元気に過ごせるよう作りました。

両親と2週間のハワイ 22 ヨットとダイヤモンドヘッド

2011-08-22 01:00:00 | Weblog
砂浜の水打ち際ギリギリまで進んで、赤いヨットを撮った。水面と空の割合と写真のどの部分に焦点を充てるか難しい。毎回、何を撮ったのか、分からないのが、何枚もある。当然、消去される運命だが。

また、被写体に見ず知らずの方が入らないようにするのにも、ワイキキでは、難しい。早朝は、まだ夢の中だし、日が暮れては、当方のデジカメでは、無理と言うもの。このアングルの写真は、10枚などでは、済むまい。山ほどあろう。それでも、少し前までは、向かって左にトランプタワーは、写って無かった。

もう少し、沖側に歩いて行くと、2人の女性たちが、それぞれサーフボードを頭の上に抱えて、海から上がって、歩いて行くのとすれ違った。写真では、まだ薄暗い程度だが、肉眼では、もう少し暗かったように思う。

彼女たちは、小さなビキニスタイルの水着に引き締まったボディで黒褐色の肌。一人のやや小さな彼女は、東洋人ぽい顔立ちだった。共に長い黒髪で、昨今の日本人の茶髪では、ない。
丁度、小さい方の彼女が、重そうなサーブボードのバランスを崩しかけたのに、目が合った。それを落とす程では、無かったが、にっこりして、何事も無かったように、駐車場の方へ帰っていった。その時のにっこりした顔に真っ白い歯、今でも目に焼き付いている。

あの黒褐色の色艶の肌になるまでには、相当の時間が掛かっていよう。並大抵のサーファーでは、無いと見た。いや、こんな方たちが、たんと居るのであろうか、このハワイには。あの運動神経とあの体型は、あやかりたいものだ。

話し替って、明日以降のブログの投稿は、ちと、難しいかも。今度は、家内と週末からまた、ハワイに行くので。それでも、たまには、投稿します。それでは、乞うご期待。

両親と2週間のハワイ 21 影の悪戯 足長おじさん

2011-08-21 01:00:00 | Weblog
カヤックか、レガッタか、よく分からないが、それらを浜に揚げてた若い衆が、ほぼ、こちらを向いて皆、シャカ(片手の第一指から第四指までを握って、手のひら側を見せる)をしたり、ただ手を振ったりして、挨拶または、愛想を見せていた。体型と体色は、似ててもロコじゃないよ。

先の初老の叔父さんが、何か言って、手招きをする。大きなアイスボックスの飲み物を勧めている。手振り身振りで丁重に断っていると、片言の日本語で『カタジケナイ』ってさ。それは、当方の言葉。

最も小さなペットボトルの500CCのミネラルウォーターを貰って、握手をすると、意表を衝いて柔らかい手のひらだった。そのお水は、また、ギンギンに冷えていて、さっきからさらに吹き始めた風と共に一瞬、身震いするほどだった。

幾らか払おうかとまた、手振り身振りで示すと『ヨカト』だってさ。薩摩弁かいな。どうやら、若い衆の何人かが、孫にあたるらしい。『ユー サン』などと、訳のわからない英単語もどきで聞くと、『オーバー ゼアー』とか、何とか。手を振って見せた。すると、少し離れた、トラック風の乗用車の荷台で大きく手を振る、また一周り大きな黒褐色のロコが、低い声で、何か言っていた。あれが、マイサンなのだろう。

どうやら、あちらの息子さんたちは、バーベキューの準備をし始めていた。これだけの身体つきを維持しているんだから、食物の摂取量即ち、食料は、目一杯だろう。それにしても、炭酸飲料とお水でバーベキュー。ノンアルコールは、いいねえ。酔っ払いが、居なくて。

丁重にその後を固辞しながら、また、とぼとぼ歩いた。東側、ダイヤモンドヘッドに目をやると、長ーい影が出来ていた。砂浜の所々に泳いでいる人達の荷物があった。貴重品は、無かろうか。

そうこうしてたら、金属探知機を片手に持って、もう片手は、金属性の網かご。そしてヘッドホンをつけて、金目の物を探す人。たまに止まって、網かごで、砂ごと掬う。何かたまに見つけて、懐に。ネコババじゃないでしょうね。以前、何かで読んだ。この金属探知機のレンタルがあるらしい。にわか金品回収業だ。

だんだんとまた、暗くなってきた。写真で見るより実際は、まだ暗かった。最後に、いささか写真には、撮らなかったが、日本で言うシニアカーのような、電動車椅子の砂浜版のような比較的大きなタイヤのそれにまた、デカイオバちゃま。
上手く運転しながら、やはり、金属探知機で砂浜を物色。先の金属網かごの長い柄仕様でさらに上手く救い揚げては、また移動。4つのラインを砂浜に残して行っちゃった。

両親と2週間のハワイ 20 椰子の木と夕日

2011-08-20 01:00:00 | Weblog
とぼとぼラグーンの周りを歩きながら、所々で、デジカメする。ほぼ毎年、毎回のデジカメポイントだけど、撮ってる。真昼のジリジリした直射日光でなく、長い影を創る夕日。雲もお日様に近い方が、明るい色に染まり、遠い雲は、暗くてそのコントラストも赴き深い。

そよ風の中で、少しそれが止まったら、シャターチャンス。三脚など無いので、手振れには、気を使う。手前の椰子の木の下には、初老のカップルが、寝そべって、スムジーか何かを飲んでいた。

そうかと思うと、ジョギング中なのであろう、日に焼けて褐色な肌の男性。その後ろをやはり、褐色な肌の女性。男性の息は、良く聞こえた。身体も当方と同じような恰幅の良さ。女性の方は、音楽を聴きながら走っていた。音漏れで、マイケルの『ビリー ジーン』では、なかったろうか。

もう少し沖に向かって進むと、4,5人でカヤックか、何かのボートの類を引き上げていた。恰幅の良い褐色と言うより、真っ黒に近い初老の叔父さんが、ロープでそれらを繋いでいた。若い連中が、オールなどをトラック風の車に乗せていた。トラックの荷台には、大きなアイスボックスが、2つ。さっきの叔父さんが、2Lのミネラルウォーターをがぶ飲みして、残りを若い連中に掛けていた。

両親と2週間のハワイ 19 ラグーンからダイヤモンドヘッドの眺め

2011-08-19 01:00:00 | Weblog
時間に余裕が出て、デジカメ持って、夕方のヒルトンラグーンのほとりに出てみた。まだ、水際で遊んでいる家族、木陰で、涼んでいるカップルなど、ゆったりとした時間を過ごしていた。

ラグーンのほとりの沢山の足跡の中にまた、当方が、新しいそれを残しながら、沖に進んだ。立ち止まっては、デジカメを使ったが、どこで撮っても絵葉書になろう。ただ、当方の撮影技術が、未熟なので物足りない。

今から10年以上前だったか、このラグーンは、かなり汚れていて、泳げるような状態では、なかったのを思い出した。ヒルトンハワイアンホテルのいろいろなところに古い写真が残されており、当初からの設備の一つが、このラグーンだったのであろう。

その写真の中にハリウッドスターや政財界の著名人なども沢山写っておられた。ワイキキで最も大きなホテル群の一つであるのもこれらを拝見すると肯ける。

造られた当初のレインボータワーのタイルは、まだ綺麗だったのであろう。今、真下から望むとタイルの転落防止のフェンスが廻らせれ、所々、取れてしまっていた。レインボータワーは、離れて見るもんだ。


両親と2週間のハワイ 18 アラワイヨットハーバー沖の虹

2011-08-18 01:00:00 | Weblog
厳密に言えば、マジックアイランドいや、カカアコビーチパーク沖になるのか、虹のした半分を見つけた。なぜか、上半分は、見えなかった。写真を撮る前は、もっと鮮明であったが、この程度しか写真では、無理なのか。

ここハワイでは、虹は珍しくなく、ダブルレインボーも3度見た。そのうち、1度は、鮮明な写真も撮ったはずだが、そのネガと言うか、データーは、どこかのHDDにあるはず。

『虹のかなたへ』『オーバー ザ レインボー』は、ジュディ ガーランドの歌だが、ここハワイでは、イズの方が、似合うのか。ヒルトンハワイアンビレッジの敷地内、特に建物の近くでは、朝早くから、夜遅くまで、いつもハワイアンが聞こえていた。

それにしても、白い雲と抜けるような青い空のコントラストには、毎回、目を奪われる。空気が澄んでいて、風も適度に吹いて、雲を動かす。まるで、生き物のようにすら覚える。ふと、違う方向を見た後、戻って見て見ると、また、さっきと違って見える。湿気が少ないので、特に、日陰なら、飽きずにボーっと、ただ眺めているのもよかろう。

いささか、ハワイについて、10日あまり過ぎて、時間に余裕が出てきた。と、言うよりすることが、無くなってきた。ちと、日本の仕事も、ほんの少し、気になる。かも。休んだシワ寄せが、必ずあろう。やれやれ。

両親と2週間のハワイ 17 ラナイの監視所

2011-08-17 01:00:00 | Weblog
当方は、買い物天国または、自動車の免許取得のため、毎日忙しくしていた。その間、両親は、お部屋のラナイで、特に飛行機と船舶の監視が、日課だった。

母は、お台所で、何やらやっていたが、父は、ラナイの椅子に座り、まずは、目視で、乗り物を発見し、日本から持参した双眼鏡で注視し、観察する。特に、飛行機は、大小色々な型のが、離着陸をしている。

ホノルル国際空港を飛び立ち、すぐに、メインランドに向かうもの。そして、日本を含めて、アジア方面に向かうもの。航空会社もそれぞれあり、興味深いのだ。

船舶も貨物船あり、大型の旅客船から、ヨット、カヌーに至るまで、動きは、尽きない。でも、双眼鏡を使ってまでの面白さがあるかどうかは、異論もあろう。まして、ハワイでの2週間、バカンス中にすることかいな、と言う意見もあろうが、両親にとっては、大事な日課であった。

それにしても、親父の格好は、何だ。朝起きて、着替えてないのだが、腹巻を持参してないから、バスタオルをお腹に巻いての長袖、長ズボンである。母は、お台所で、食事の用意をしていたら、海上で、変わった動きがあったのであろう。エプロン姿で双眼鏡にての監視である。

この監視をするためにビジネスクラスで、やって来ているのか。ラナイで、監視を続けながら、読書もしていた。当方から見ると、このハワイで勿体無い気もするが、両親、特に用もないので、これが、風邪気味になって、ごろ寝した日以外は、帰国する前日まで続いた。

カラッとした気候と美味しい果物、旅先での出来事などが、両親にとってのハワイなのだろう。ここ4,5年変わらない。

両親と2週間のハワイ 16 試験場の近くで日本食

2011-08-16 01:00:00 | Weblog
筆記試験は、カポレイ試験場で受けましたが、試験は、一夜漬けで、ポイントを覚えてたら、バッチリ、満点でした。何度も書きますが、落ちているロコも。

その筆記試験の受付窓口にまた、並んでいました。それを見て、職員が、一向に気を利かせて速くやる風でもなく、お役人はエライんだなあと思いました。

その手続きの間の視力検査が、最も難点でした。レンズが曇っているのか、ぼやけて見えないのです。苦労してたら、お世話をしてくれている自動車学校の先生(立会人)が、メガネを貸してくれて、余計に地球が、回りました。また、周りの人も幾人か、貸してくれて、これが、皆、牛乳瓶の底のようなメガネ。

見えなくても、何か答えてと、言われて、手ぶり身振りで、何か合ってたのでしょう。ギリギリ合格だったとのこと。ちなみに、日本で、視力検査に問題があったことは、ありません。

仮免許を頂いて、後日、路上の試験を受けるため、実際の試験コースで、練習しました。事情によって、レンタカーでもしましたが。実際、路上試験は、想定していた、コースとズバリ同じでした。試験官の英語での指示もまったく同じで、違っていたのは、女性だったのと、あまりに冷静で、必要事項しか、喋らないのが、不安でした。

路上試験は、90点だったと思います。試験の初めの頃の鈍角なカーブが、大回りしたらしく、このカーブは、練習でも左折の割りに中央線につけて回るんだなあと、不思議に思いながらも、毎回同じように、回っていました。初めから、間違って、覚えていたのでした。

それと、減点には、ならなかったのですが、縦列駐車の時に指示されたところを緊張で過ぎてしまい、2台前に止めることにしました。見ると消火栓が、前側にあり、縦列をした後、消火栓との距離を空けて、停止しました。これは、減点なしでした。指示に従わなかったのでなく、安全が完全に保てないとの判断で、次に縦列駐車したと言うことらしい。

確実に停車させて、サイドブレーキを引くと、路上試験が終わって、何点かチェックの後、直ちに当方の場合は、『OK』と小さな声で、言われ、車を降りられました。その後、立会人と話をされていました。この時に採点について、言われていたそうです。

でも、立会人の先生が、手を叩きながら車に戻って来られるまで、まだ、合格の確信は、持てずやや不安でした。なぜなら、当方の前の女性は、いち早く路上試験が、終わったので、何故かと聞くと、危険行為で、検定中止だったのでした。その後が、当方だったので、緊張しました。落ちると、次回、ハワイに来る予定の今月の末(8月)に来ることになってました。

今、思うと、たまたま路上試験の直前にスコールがあり、当方の乗る時には、ワイパーをつけるような状況で、方向指示器との間違いは、なかったのでした。

写真の日本食は、デリンハム試験場の近くの日本食店でのものです。レンタカーで練習の途中によったものです。今まで、ワイキキを含めて最も、本格的な日本食でした。そばとお寿司(巻物)は、及第点ですが、てんぷらは、抜群でした。また、タクシーを使ってでも行きたいと思います。

両親と2週間のハワイ 15 免許証で、人相書きでは、ありません。

2011-08-15 01:00:00 | Weblog
人相書き、いや、ハワイ州における当方の免許証なのだ。本当に、レインボー柄で、綺麗な免許証。写真が、人相書きのようなのが、今一、いや、今二。

どうみても、人殺しか、婦女暴行で、刑期が130年は、頂くような人相に見える。本当は、小鹿のバンビちゃんみたいなのに。私的には。

でも、いろいろ書いてあるよ。まずは、氏名と本人のサイン。当然、誕生日と、有効期限も丸8年先の2020年の誕生日まである。長いよ。更新を忘れちまう。その他色々、書いてあるらい行けど、よくわからん。ただ、目の色なんてのもある。ちなみに、BROとあり、どうやら、ブラウンと言うことらしい。

免許書を傾けたりすると、偽造防止のための、ホノグラムが現れるし、免許証の右上は、ハワイの主要な島々の形が、透き通ってて、カッコよろし。

裏は、それに対して、黒のみの印刷だ。大きなバーコードと生年月日がある。



まだ、路上練習について書こう。どうしても、交差点で、ブレーキに足が行って、減速気味になることを特に注意された。教官が言うには、『そんなにブレーキを踏む、または、踏みそうになれば、車速が安定せず、まして、優先道路なのに、追突を生じさせる要因となる。』と、幾度も言われた。

幾ら優先道路だと言っても、向こうが、止まるとは、限らない。ただし、それでは、通行できないので、相手との距離、性別、角度、速度、その他を瞬時に判断して、臨機応変に走っているのが、今の日本の、いや、当方の運転だ。
ちなみに、運転暦31年、人身事故、1回物損事故2回、その他、交通違反無し。人身事故は、おじいさんの自転車飛び出しで、手首を骨折された。

よって、こちらが、優先道路であっても、相手によっては、止まることもある。事故は、お互いが、進むから、ぶつかるのだ。理屈では、ない。相手に非があろうと、事故を未然に防ぐには、こちらが、止まらねば、ならない。

どうも、これが、教官には、いや、アメリカの運転には、そぐわないと言うのだ。未然に防ぐために止まるのなら、優先道路の意味がないと、言う理屈だ。いや、そうかも、知れないが、やはり、ぶつかりたくは、ないし、その後のいざこざや、まして訴訟なんていやだもの。

でも、理屈を言ってても駄目。ハワイ、米国で免許を取ってるんだから、郷に入れば、郷に従え。らしい。運転試験官の指示に従わないと検定中止になるらしい。言うことが、英語で分からぬまま、適当に運転してて、その場で、検定中止も最近あったとのことでした。くわばら。くわばら。

あすは、試験場での話。

両親と2週間のハワイ 14 レンタカーでKCCの朝市その2

2011-08-14 01:00:00 | Weblog
親父は、いつも、母を見ているのだが、ほぼ、離れて見ている。何かのことがないと、隣には、居ない。十分に吟味して、パパイヤを購入。今回は、当方が居るので、やや、遠慮かと思えば、そうでもないらしい。母によると、相談して一緒に買うことは、ほぼ無いとのこと。後で何か言うなら、相談してやれよな。夫婦は、いろいろ。

蜂蜜屋さん、食べ物屋さん、飲み物屋さん、お花屋さん、その他いろいろなお店で、家内と来たら、足が疲れるほどに堪能するのだが、物欲の無い、仙人みたいな親父には、もう、これで十分堪能とのこと。母に帰るよ。と言う目線のワンシーンが、この写真。

まだ、帰れません。ホテルに帰って、駐車場に車を入れて、野菜や果物を冷蔵庫に入れて、休憩とトイレを済ませて、また、路上練習なのです。

お部屋とラナイで、コーヒーを飲みながら、KCCの朝市の話やこの後の予定について相談。強い日差しの中から、ちと、一休み。お昼すぎまでは、日陰が続く。海風が吹くとヒンヤリすることもある。ふと、山手を見ると半分青空で、半分グランドワイキキアン。この建物は、頭でっかちなので、ちと、不細工。

おいおい、上から目線で、ラグーンタワーの貧乏人って見るなよな。聞いたところによると、お部屋は、取り易いらしい。色々な理由で、当方には、ワイキキイヤンなのだ。



練習がてら、免許の試験コースを何度か走って、近くの日本食店でお昼にして、その後、フィッシャーハワイの文具店に寄る予定と告げた。あまり乗り気でなかった親父が、文具店には、また行きたいと言って、その後の路上練習に付き合うこととなった。

まあ、特にすることもないんだから、行こうかと言うような消極的な参加でなく、文具店に再び行きたいと言う積極的な目的のためと日本食の魅力に喜んで、レンタカーの同乗となったのだ。

運転は、真っ直ぐ行くのは、問題ない。曲がるのが、大問題。後ろに下がるのは、1度やったのみである。方向指示器を出そうとすると、ワイパーが動き。ワイパーを動かすと方向指示器。左ハンドルは、難しい。運転席座ろうとすると、助手席だ。こんなんで大丈夫かいな。

何せ、教官がコツを教えてくれた。身体に左側通行が染み付いているので、右側通行のために自動車左に常に中央線があるよう努めることなのだ。こうすれば、原則的に右側通行が保てる。
交差点での右折時には、他の車線(左折レーンや直進レーン)があって、車体左の中央線の原則が崩れるが、これは、例外。ところが、それが気になって、ふらつくことがある。日本では、考えられない。

右折は、小回り。左折は、大回り。これが、大難題。頭で考えるより、身体で慣れろだね。運転は、疲れる。嫌いだ。

今日は、ここまで、書くのも疲れるが、読むのは、なお、辛かろう。
あすは、この続き。


両親と2週間のハワイ 13 レンタカーでKCCの朝市①

2011-08-13 01:00:00 | Weblog
ハワイに着いて、4日でほぼ、自分の衣類やサプリメントや食べ物土産は、購入した。元々、観光は、2の次、3の次だから、後は、泳ぐか、どこかで散歩して、涼んで、時間を費やすくらいか。特にすることもないので、ラナイで、フリーペーパーを見ていたら、自動車の免許取得、ドライビングスクールなるものがあった。以前から見て、知っていたが、時間がないので、特に気にしてなかった。

早速、その中から、美辞麗句ばかりの所でなく、特に具体的に記述してある所に電話して、結局、入校することとなった。運転するのは、日本でも、仕方なしの方なので、まさか、ハワイで運転免許取得に志すとは、母も疑ってたよ。

ハワイ即ち、米国で免許取得すると、メリット、デメリットとあろうが、メリットは、また、後に書くとして、デメリットは、なんだろう。

①免許取得の為の時間、費用が、惜しい。
②日本の免許でも1年未満に限り、原則国際免許所持の場合は、乗れるため、ハワイの免許無くても、レンタカーに乗れる。
③取得の為に、多少努力をしないといけない。
④英語恐怖症などと、言ってはおられず、自動車学校の教官の指示に総て従わねばならない。

など、他にもあろうが、④が、最も苦労した。教官の指示が、よく分からないのだ。詳しくは、おいおいに。

学科試験の後、2時間路上練習をしたが、ちょうど、米国のメモリアル デイと重なり、日程が空くので、スクールの先生の提案によって、レンタカーで、色々走って、右側通行に慣れなさいとの指令。よって、レンタカーを借りることに。

ヒルトンハワイアンの中のアラモさんや、ダラーさんのレンタカーの取次ぎコーナーへ行って、交渉してみたが、英語力不十分と恥ずかしさで、断念。ホテルのコンシェルジュを呼ぶからと言っているようだったが、丁重に手振り身振りで、遠慮。

結局、DFSで、ニッポンレンタカーで日本語で、日本人の係員にお借りすることに。すると、レンタカーは、ヒルトンハワイアンの斜め前のホテルの地下駐車場にあって、そこでまた、手続きのあと、やっと、路上に出たのでした。

その間、両親を引き連れて、ぞろぞろ。一路、カラカウア大通りを東へ、土曜日なので、KCCの朝市に辿り着けました。右側通行の左ハンドルを練習の中心にとの指示がある位の技量とは、情けない。日本の運転暦は、32年近くなのに。

命からがら、辿り着いた朝市で、両親、喜ぶかと思えば、大違い。親父なんか、買うもん要るもんが、無い。と言って、トイレに行ったら、帰ろうと言う始末。母と野菜や果物を買うため、親父は、カメラ係りに。

朝、10時半ごろで、既に帰る人の方が、多かった。昨日、ドンキホーテに行っていたので、正直、特に買わねばならない物は、無かった。毎日、1個食べるパパイヤを買うことに。丸っこいの長が細いの。熟れているの、硬いの。いろいろある。熟れすぎて、柔らかいの。これは、苦かろう。1個選んで、購入。秤売りだった。

奥のお店の緑色の果実は、アボカド。カチカチのまだ、食べられない。これから追熟。それにしても、新鮮。

明日は、KCCの朝市②の予定。