教会史における「新しい歌」 ー賛美と礼拝の歴史神学的考察ー

「新しい歌」がどのように生み出され、受け継がれ、また新たな歌を必要とする状況を生み出したかを歴史的に検証します。

本論⑤ 創作賛美歌の流れ

2005-04-18 07:42:33 | 講義
<はじめに>
◆キリスト教会の賛美の歴史において二つの大きな流れがある。それは<詩篇歌の流れ>と<創作賛美歌の流れ>である。コロサイ3:16の「詩」(〈ギ〉psalmois)は,会堂礼拝等で常に歌われていた詩篇であり、「賛歌」(〈ギ〉humnois)は,それまでなかった全く新しい種類の賛美歌で,自由詩で書かれたキリストをあかしし伝える歌である.キリストの死と*復活によって贖われた者の「新しい歌」である。しかし、367年のラオデキヤ公会議で聖書のテキストではないすべての創作賛美歌の使用は礼拝で使用することが禁止された。正統も異端もこうした賛歌は当時非常に人気があり、グノーシス派の偽りの教義を広める上でも効果を発揮したからであった。

1. 聖アンブロシウスの貢献

◆ラオデキヤ会議において創作賛美歌が禁じられたにもかかわらず、ミラノの大司教アンブロシウス(脚注1)は、それを自らの手で創り、皆に歌わせたのである。これは教会音楽における一つの大改革であり、彼によって創作賛美歌の道が開かれたのである。そうした意味において、聖アンブロシウスは教父時代における教会音楽の最大の貢献者といえる。
◆この創作賛美歌の流れは、後に、18世紀英国におけるメソジスト運動を根底から支えたチャールズ・ウェスレーの賛美歌において引き継がれていく。チャールズ・ウェスレーは、その当時、詩篇歌のみが認められ、歌われていた英国国教会において、主観的で、感情豊かな「新しい歌」をもたらした。
◆そもそも賛歌は東方教会で起こり、礼拝の中で大きな位置を占めていた。統一したしきたりは無く、即興的に、メリスマ風に歌われることが多かった。聖アンブロシウスは、東方のやり方に倣って、賛歌をミラノで、しかもラテン語で歌うようにしたのである。その最も古いものは4世紀後期のものである。彼の賛歌はラテン語による賛歌の原型となった。彼の創作した賛歌 <Redde Mihi> (わたしに返してください)は、詩篇51篇の12節、1節に従っている。(脚注2)
この賛歌の特徴は、ことばの数よりも音の数(動き)が多いことである。つまり、メリスマ的賛歌である。

2. 教父たちの音楽観 -音楽のもつ誘惑―

◆そもそも教父時代においては、基本的に、音楽はことばのしもべであった。音楽はみずからの魅力を押しつけることなく、キリストの教えに向かって心を開き、魂が神聖な考えに向けるような音楽だけが良い音楽とされた。ことばの伴わない音楽にはそのようなことはできない。したがって器楽は公の礼拝から排除されたのである。しかし信者が家庭や非公式の礼拝では詩篇や賛歌を歌うときに、リラで伴奏することは許されていた。この点において教父たちは、詩篇にはたくさんの楽器の使用に関する言及があることに困惑した。彼らはこれをどのように説明したのか。おそらく、彼らは寓喩的な手段でそれを説明したと思われるが・・・なぞである。

◆西方教会で用いられた歌のほとんどは、東方教会からの影響である。しかも東方の教会の賛歌は個人的な感情を表現する傾向があり、一方の西方の教会はそれに比べて、客観的、公共的、形式的なものが求められた。
◆聖アンブロシウスの影響によって回心に導かれ、洗礼を受けたのが有名なアウグスティヌスである。アウグスティヌスによって、音楽は神学的な位置付けがなされた。彼によれば、・・・・
(1)音楽はことば(歌詞)と音(メロディー)の二つの要素から成っているが、まず、はじめに飛び込んでくるのはことばではなく、音である。耳を通して聴覚がまず働き、それからことばが心に届いて、初めてその音楽が理解できる。それゆえ良い音楽はことばも音もすぐれていて、調和が保たれていなければならない、と主張した。
(2)良い音楽は、信仰の弱った者に勇気を与えて、もう一度信仰に立ち上がらせることができるものであり、教会において、そのような音楽は欠かすことのできない、という考えを明らかにした。
◆しかし同時に、アウグスティヌスは、音楽の持つ官能的で情緒的な性質に対し、聞くことによって喜びを味わってしまうのを恐れていた。彼は『告白録―10巻30』の中でこう述べている。
「・・しかし、歌われる内容よりも、歌そのものによって一層心が動かされるような時、私は大きな罪を犯したことを告白し、むしろ歌を聞かなかったほうが良かったと思う。私の現在の状態はこのとおりである。・・・あなたの御目の前では、私は自分自身が謎のようになってしまいますが、これが私の弱さなのです」と。
◆このように、キリスト教の初期においては、旋律そのものに喜びを見出したり、楽の音の美しさそれ自体を楽しんだりという、この種の感情は、おそらく異教的で、非キリスト教的な音楽に伴ったものと考えられていた。
◆しかし、聖アンブロシウスは、音楽が人間の情緒に与える影響をよく知っていた。その上で彼は賛美歌を作ったのである。アンブロシウスは「賛歌の旋律によって、私が人々を誘惑したと主張している人たちがいる」と言ったあと、誇らかに「私はそのことを否定しない」と付け加えている。当時、西方教会にはキリスト教会には音楽をさげすみ、事実、すべての異教的な芸術や文化を宗教に対して有害だと見なす傾向を持っている人たちがいたことは明らかである。もっともこうした傾向は西方教会の人々に多かった。一部の人たちが極端までに禁欲的なところに線を引いたのは、当時の歴史的状況があったといえる。というのも、ヨーロッパ中の人々をキリスト教に改宗させるという事業を成し遂げるために、教会は、回りの異教社会から画然と切り離されたキリスト教的共同体を確立する必要があった。
◆西方教会において、音楽の分野における<創造力の芽生え>はやがてグレゴリオ聖歌において見ることができる。そのグレゴリオ聖歌における賛歌を以下に取り上げてみよう。

◆<Veni Creator Spiritus>(来てください 創造主なる聖霊よ)は、すべてのラテン語による賛歌のうちで最も有名なものである。各時代の数多くの作曲者たちがこの賛歌を用いた新しい歌を作っている。たとえば、ルターはドイツ・コラールにこの旋律を用いたし、ルターの音楽に関する相談相手であったヨハン・ヴァルターは、この旋律を用いて多声音楽を作曲している。他にもパレストリーナは彼のミサ曲の中でこの旋律を定旋律として使っているし、ルネサンス時代のイギリスの作曲家たちはこの旋律に対して、特別な関心を払っていた。

Veni Creator Spiritus(来てください 創造主なる聖霊よ)

1.
来てください 創造主なる聖霊よ
あなたの信者の心に 訪れてください
満たしてください 超自然の恩恵をもって
あなたのお造りになった この胸を

2.
あなたは 慰め主と呼ばれます
きわめて尊い賜物
いのちの泉 火 愛
そして 聖油を注ぐおかたとも呼ばれます

3.
あなたは 7つの賜物をくださいます
全能である神の賜物を
御父の約束は まことに救いと共に
わたしたちのはかないことばを 豊かにしてくださいます

4.
あなたの光を五官に 照らしてください
愛を心に 注いでください
わたしたちの身体の 弱さを
絶えることのない力で 強めてください

5.
敵を遠くに 追いやってください
今すぐ平安を 与えてください
わたしたちを このように導いて
すべての悪から 逃れさせてください

6.
御父を あなたの力で知らせてください
御子を 見分けさせてください
その上に両位から出た 霊なるあなたを
いつまでも 信じさせてください

7.
父である神に 栄光がありますように
また死からよみがえられた 御子にも
そして聖霊にも とこしえに
アーメン

カール・パリシュ著『初期音楽の宝庫―中世・ルネッサンス時代の音楽―』(音楽之友社、昭和49年)

(脚注1)
◆339年頃―397年.ガリアに生れ,ミラノ行政区の執政官となる.35歳の時,ミラノ司教となる.彼の作った賛歌は,ローマ*典礼に大きな影響を及ぼした。彼は賛美歌を自ら創作してその用い方や唱法を発達させた。
(脚注2)
◆カール・パリシュ著『初期音楽の宝庫』に収録されている第一曲目の曲。 
歌詞の内容は「あなたの救いの喜びをわたしに返し、自由の霊をもってわたしをささえてください。
神よ あなたのいつくしみによってわたしをあわれみ、あなたの豊かなあわれみによって、わたしのもろもろのとがをぬぐい去ってください。」である。

〔本論⑤の参考文献〕
●D・J・グラフト著(服部幸三/戸口幸策訳)『西洋音楽史―上』(音楽之友社、1969)
●カール・パリシュ著『初期音楽の宝庫―中世・ルネッサンス・バロック時代の音楽―』(音楽之友社、1975)

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