景色

とおりすぎていく日々のなか
景色のなにかが
わたしに触れる

座右の銘メーカー

2009-12-23 | weblog

前をみて生きるため
           目は前についている

お遊びでやってみることでも
まさにどんぴしゃりの言葉がでた

ついでに知った人の名を片っ端から入力して
大笑いをしているけれど
人もそうやってワタシの名前で笑っているんだから
おあいこというもんだ

ワタシの脳内には中心に悩みがあり
周囲を楽がとりまいていた
これまた的を得ているではないか

年が明けるとまた実家への帰省が待っている
気が重いだけだが、今年の正月休暇は短いことから
次の週の連休に帰省することにしたが
父からはもっと長く居られないかとか
もっとヒンパンに帰ってこれないかとか
独居老人なら当たり前の希望ではあるが電話口でこぼす

親不孝な娘は正直言ってしんどくて嫌なんだ
帰省の度にゴミ屋敷になっていく家に
ヒステリーが起きそうになる
10トントラックでも呼びつけて
片っ端から捨てまくったらどれだけスカーッとするだろう

片付いた床を見てみたい
なにもない畳を見てみたい
およそ物を捨てることのない世代の常と人は言うけれど
家というキャパがなまじ大きいことがどれほどのゴミ屋敷になるか

父が死ぬまで家の片付けはできないと弟はさっさと悟っていたが
ワタシは帰省のたびにヒステリーを抑えることがしんどい




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