景色

とおりすぎていく日々のなか
景色のなにかが
わたしに触れる

しみじみと

2008-11-28 | weblog
深いため息ばかりがもれる
はぁ
切なかねぇ
情けなかねぇ

この半年くらいまえから
胃酸過多の症状にみまわれることが頻繁@ヒンパン・にある
もともと胃腸は強いほうではなく胃腸炎や下痢といった腹痛に
みまわれてダウンということばかりだ

空腹を我慢していると食事の時間になると勝手に胃酸が噴出し
胃壁を痛め胃けいれんをおこす
だから昼食抜きなんぞという暴挙は絶対しない
お昼をとる時間がないようなハードスケジュールのときは
バスの中であろうと電車の駅のベンチ、ホームのベンチ、電車内で
みっともなかろうとおにぎり一個でもあんぱん一個でも食べる

一昨日の深夜、胃酸過多の症状がではじめた
むかむかと不愉快感で眠りもさまたげられる
またかよー
一体なにが悪いのか、なにを食べたからこんなことになるのかと
悶々と寝返りもうてずウツラウツラと食べたものを思い出していく

某日の胃酸過多は久しぶりに奮発した霜降り牛肉のステーキのとき
某日の胃酸過多はこれまた久しぶりに奮発した大トロの刺身のとき
そして今回、牛しゃぶを食べて同じはめになったところで決定だ

共通点は脂身ということか?
ならば牛肉の赤身、モモ肉あたりはセーフだろうか?
と思いながらも人体実験をする体力はない
鉄火丼を食べた夜はなんともなかったから
マグロの赤身はセーフのようだ

胃酸過多をおこす食品のトップにやはり牛肉はあった

7,8年前に急性胃腸炎をおこしたころから
牛肉も豚肉も食べられなくなり鶏肉ばかり食べていた
数年前からやたら豆料理にはまったのもちゃんと体が教えていたんだ

がしかし
年齢とともに食べられるものが減っていくこと
vegetarianniになるしかないのか
主義としてvegetarianになるのならまだしも
たまには霜降りの牛肉もトロも食べたいじゃないか
食べないのと食べられないのとでは大違いだ

年齢を突きつけられた思いで、とほほな感はぬぐえない










汚部屋

2008-11-24 | weblog

ランダムブログのなかでちょっと目を引くブログがあった
汚部屋からの脱出をはかるべくブログに記録しつつ
めでたく完遂したまでの過程がつづられていた

目をひいたのは、彼女が育った家庭が同様であったから
自分には汚部屋だという意識がなかったということだ
当たり前だと思っていたこと

仕事柄たくさんのお宅にずかずかとあがりこみ
汚部屋に通された経験も少なくない
こげん汚い部屋に人を通して、恥ずかしいと思わないのだろうか
こげん汚い部屋に住んでいて<汚い>という感覚はないんだろうか

頭のなかではでっかい疑問符が踊りまくっていたこともあるが
ワタシなりに達した答えは当人は<これが普通>
と思っているんだろうなとしかこじつけられなかった

そのときの答えが汚部屋の住人によって裏打ちされた思いだ






連休最終日

2008-11-24 | weblog

勤労感謝の日をはさんだ連休は
かつては一番のカキイレドキだったけれど
この数年、さびしいものだ
土曜日は朝から絶好の行楽日和のなかボチボチの仕事量
日曜日はチューリップの球根なんぞをプランターに植えつけた
今日は朝から土砂降りの雨だ
出かけるのも面倒なことだ、となるとついついパソにむかって
なんかお買い得なものはないかネットショッピングに興じてしまう

連休があけるとラストスパートの多忙だった日々も、もうこないだろ
明日も午後からしか仕事は入ってない

円高だ、ウォンが安いといわれても、ではちょっと韓国にお買い物に
なんてできるはずもなく、ドルが安いうちにかの地の通販で買い物でもと
一$が100円を割ったときから狙っている
商品そのものは安く買えるけれど、送料込みの価格で熟考せんならん

11月中旬からやっとこさ大量のアダルトメールから開放された、ヤレヤレだ
プロバイダー側でアダルトメールと思われるスパムメールを
ブロックするサービスが始まったが、チト遅いんでないかいとつっこみたい

それ以前のスパムメール削除サービスを設定したら
メルマガなんかも削除されてしまう始末
結局は当方のメールソフトでの設定で迷惑メールを削除していた

ところがこれもまたあれやこれやとフィルター設定をしすぎて
届くはずのメールが届かない=即効削除、ということが頻発し
結局は迷惑メールフォルダーやゴミ箱を削除の前に目を通すという
なんともアナログな作業が続いていた
毎日受信ホルダーがすっきりだ、せいせいした~












冬がくる前に

2008-11-19 | weblog
昨日から真冬の寒さだ、木枯らしが吹き荒れてさぶかったー
今日は朝から氷のように冷たい雨がふっている
仕事は午後からだが去年のブーツをはいていこう

真冬の寒さがくると半信半疑に気象予報を聞きながら
まずはベランダの観葉植物をとりこんだが
思いもよらないでかさに育っていた、パキラは

一昨日はおニューのブーツを箱からだし、ミンクオイルをすりこみすりこむ
インナーにはセーターを用意したが手袋の用意を忘れていた
予報どおりに寒かったのなんの

昨夜は羽毛布団もとりだしてカバーをかけたが
カバー掛けと言う作業はとても苦手というか嫌いだ
一日分の仕事をしたくらい疲れる、なぜか
軽いはずの羽毛布団だが、初日だけはその軽さにさえ疲れてしまう
コートも苦手だ、重たくて肩がこってしまう

さてあとはなんの用意だっけ
まいっか
バタバタすればいいんだ






精米

2008-11-17 | weblog
丑三つ時なのか未明なのか激しい雨音で目が覚めた
週明けの雨はまさにブルー、ブルーマンデーだ
明日は真冬並みの寒さという予報がうるさいほどでている
ほんまかいなとは思いながらも
博多は今は誓文払いの時
はるか昔の誓文払いの初日に初雪が降ったことをおもいだした

誓文払いに出かけることもなくなった
上川端商店街が消えてしまい楽しみがなくなった
こぎれいになった川端商店街での誓文払いはイマイチ盛り上がりに欠ける

コイン精米機初体験である!
新米の時期ではあるが昨年の米を買ってくれないかともちかけられ
30キロもの玄米が届いた
さてさて精米はどうすればいいのだろうか
農村地域ではよくコイン精米機をみかける

ネットで調べてみると各地にコイン精米機を設置している会社があり
なんとわが街にもあった
玄米10キロの精米100円の料金で商売になるんかいなと
いらぬ心配にかられながら早速重たい米をかかえて行ってみた

なんごとも初めての体験はワクワクする
何度も車で通過したことのある通りの傍らの空き地にポツンと小さな小屋
驚いたことに順番待ちの車が数台もあり
しばし待つ間にコイン精米機なるものをしっかりチェックした
ヌカ部屋の扉を開けたばかりにおもいっきりヌカを吸い込んでしまい
一人げほげほとむせかえるワタシを冷ややかな視線が貫いていった

仕組みは実に簡単だった
米は10キロ単位、米をケースに落としいれ
お金を入れる→もみか玄米を選ぶ→精白度を選ぶ→スタート
文字通りのライスシャワーが隣のケースに落ちてくる、きれいだ
持参した紙の小袋に5キロくらいずつ小分けしていった

農家とは全く縁がなかったから玄米をみたのも初めてだったし
精米したての米をみるのも初めて、ホカホカだ
精米したての米をいつもと同じ分量の水で炊いたところ
べちゃべちゃといっていいほどのやわらかさになってしまい
スーパーで売られてる米がいかに乾燥しているのかわかった次第だ

炊き上がった米はまっしろしろというほどの白さで
これが白米というものなんだと一人で感激していた







moonlight

2008-11-13 | weblog
昨日、次の仕事先への移動中に異な音が聞こえ
交通事故の現場に遭遇した
軽のワンボックスカーが横転し、あっというまにワラワラと人が集まり
起こそうぜ、起こそうぜとあっというまに横転した車を戻してしまった
車は大きくバウンド

なんちゅーことをするんだ!
運転手や助手席にいた人はどんなダメージを受けているかわからないのに
衝撃のダブルパンチをくらったようなものではないか
とワタシの脳が衝撃をくらったような思いで
ヤレヤレとため息をつきながら次の仕事へと急いだ

この数日青空がひろがり
夜にはまん丸お月様が煌々と輝き月光浴を楽しんでいる

好きな漫画だったけれど最近のmoonlight mileはしんどくなった
中国、インド、パキスタンと次々と漫画どおりの現実になるし
漫画だからと楽しむことができないことになってきた

今日は満月

2008-11-12 | weblog

曇天続きのあと
ひさしぶりの青い空に真綿をひいたような雲がひろがっていた
と、形容しながらはてさて<真綿をひく>という言葉が通用するのは
ワタシの世代までではなかろうか
真綿という言葉すらもはや通用しないかもしれない

柊の白い花が可憐に咲いている
金木犀の香りは秋の訪れを告げてくれるがちょっと強引だ
香りが強すぎるところがある
柊は冬の訪れも近いですよ、とこっそりと告げてくれるようで
ひかえめな香りが好きだ

播磨屋の無料カフェにはいささか失望させられた
最近、新聞紙上でも取り上げられたせいか
一ヶ月ぶりに立ち寄ると、某年代の軍団に席は占領されていた
知名度があがったのはいいことだ

がしかし
お煎餅の種類が減っていた
オープン時には
えっ?!こんなにたくさんの種類を全部食べていいの?
食べきれない~とまで思わせてくれた
博多区の一等地での贅沢な
太っ腹な心意気はどこへやらだ

無料でお煎餅食べ放題だ、ドリンク無料だ
だから文句は言わないと思っているだろう
でも文句言うぞ
当初の心意気を貫いてこそ商売人ではないか

せこいぞ播磨屋!


人生相談

2008-11-08 | weblog
暇なときはつい人生相談のコーナーなんぞをのぞいてみる
色恋めいた話なんぞにはとんと興味がなくなり
関心はもっぱら年相応に定年後の問題やら介護の問題やらと移ってきた
ある相談が目をひいた
親の介護をめぐり、<娘である自分だけが貧乏くじを引いてるような思い>
をかかえていた、どこも同じだー

親の介護にからみ、大きな問題は男と女の格差であると断言できる
それはワタシ自身が体験してきた
娘には世話になって当然、娘が世話をして当然という親
遠くに住む息子、えてして長男であるが、には心配をかけたくないという親
どうやらこの構図は普遍のようだ

実家の母がおかしいことに気づいたのはまずワタシだった
そのときの感覚は、ついに始まったかと覚悟したものがあったが
一緒に住んでいる夫=父親に注意を促しても父にはなんの意識もなく
一笑にふされることばかりで、コイツはなんて鈍いんだと
わが親ながらののしっていたりもした

遠くに住む弟もやはり同様に一笑にふすだけで
具体的に母親の言動を比較すると
ワタシに対する言動と息子に対する言動は信じれれないほどの差があり
夫や息子に対しては普通なんだとわかった
男は鈍いんだろうかとすら思っていたが
違ったんだ

女である母は異性である夫や息子の前では普通であり
同性である娘にだけ呆けの兆候をみせていた
数年もの間はワタシの言うことは大げさなことであり
母親をボケ扱いするのかとういう叱責すらあった

少しずつ少しずつワタシの目には明らかにボケが進み
父の目にもやっと明らかになったのは他人様に迷惑をおよぼすような
そんなことが頻発するようになってからだった
ワタシの言うことに半信半疑な弟には、盆正月以外では
初めての普通の月に帰省を促し、母の様子をみてもらおうとした

母は何十年も同じパターンの帰省のリズムが壊れたことで
受け入れられなかったのだろう
弟は会社のお金を使い込んでしまい、逃げ帰ったという
とんでもない話を作り上げ、その話をふれまわったことで
やっと弟も母のボケに気づいたという顛末がある

娘であるわたしへの対応と夫、息子への対応の差
これはいったいなんなんだろう
つくづくと考えされられたもんだ
母にとっては夫や息子は異性であり、男なんだ
本能とはおとろしかもんだ





衣がえ

2008-11-03 | weblog
連休にしなければならない家事は決まっている
まずは最優先で衣がえだ

びったれおどしの風が吹いた夜
あわててマフラーをとりだしてきたり
長袖インナーをひっぱりだしたりで毎度のことながら
箪笥の引き出しはぐちゃぐちゃとなり引き出したままだった、何段も

衣がえという作業の簡便化のためには
押入れの衣装ケースなんぞには服をいれないことだときわめた
箪笥の引き出しにしか服をおさめない
おさまりきらん服は迷わず捨てる、捨ててきた
よって衣がえという作業は箪笥の引き出しの入れ替えのみだ
上から下へ、下から上へ、右の箪笥から左の箪笥へ

よってワタシの辞書には箪笥のコヤシという言葉がない
まぁ、ここまでいさぎよく服を捨てることができるようになったのも
数年前の鬱気味状態からの脱却を図ったときのことからだ

扇風機もやっと押入れに押し込んだ

そして土鍋をとりだしてきた
いよいよ鍋の季節だわん








あるいは裏切りという名の犬

2008-11-02 | weblog
映画の世界ではかつてはフランスが全盛を誇っていた時代があるらしい
アラン・ドロンやJ・P・ベルモンドの名は知っていても
リアルタイムで映画をみていない
洋画といえばアメリカ映画だった

仏映画ってなにかみたっけと思い出すと
TAXiぐらいではないだろうか
モショモショとしか聞こえないんだ、フランス語は

ケーブルテレビで仏映画<あるいは裏切りという名の犬>をみた
福岡での上映はあっただろうか?
映評ではたいへん評価の高い作品だったとは覚えているが
なんとも凄い作品だった、これこそ大人のための大人の映画!
仏映画もやるもんだ
香港映画<無間道Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ>に匹敵すると拍手しながらも
仏映画のほうが元祖らしい

実話に基づくというリアルさもさりながらなんといっても脚本の素晴らしさ
俳優人は正直いってなじみのない重鎮ばかりだが
映画のつくりになんというか伝統の重みのようなものを感じ
ハリウッド映画なんか目じゃないと思わせてくれた

主役の刑事二人はおいといて刑事仲間の連中のすごさと言うか見事と言うか
ギャング団の連中にしろとにかく俳優人たちの半端じゃない凄さに
さすが外人部隊の国だとまるで関係ない賛辞がうかんだ

ネオナチかと間違えてしまいそうな部下の一人の最後の最後の言葉
銃で撃たれるよりナイフでえぐられるより残酷ななぶり殺しの中
最後に吐いた言葉にやられた