柳田 功ニュース

政治結社 皇嵐社の運営するブログです。
日本で今起きていることや歴史のことなどを独断と偏見で日々綴っています。

大晦日雑感

2006年12月31日 | Weblog
今年も今日一日で終わり。そして数時間後には新しい年を迎えることとなる。振り返ってみて今年は、私にとってどんな一年だったのか?こう考えてみると総じて悪い年ではなかったような気がする。昨年の大晦日を島根県の松江刑務所で迎えた私は年が明ければ社会復帰ということで、感慨無量の大晦日を迎えていたはずである。そして今年の4月16日晴れて社会復帰を果たし今日まで大過なく過ごしてこれた。勿論それには多くの友人知己の手助けは戴いた。また何より念願のブログを立ち上げ、それにほぼ毎日例え一文字でも残す事ができた。更には月刊雑誌に自分の連載を持つようになり、これも修養生活のなかで立てた計画通りになった。また留守中交流をもてなかった友人たちとも旧倍の交流が再開している。古い先輩達も声をかけてくれる。更には運動の上で新しい友人や仲間も増えた。これ以上の財産はない。財産といえばやはり経済面ではあるがこれについては、元々何ももたない素浪人であり多くを望むものではない。したがって貧乏生活からの脱却はいまだ計れずにいるが金は天下の回り物、お天道様と米の飯は勝手についてくるという昔の先輩達の言葉を信じて気にしないことにした。この年末年始も経済的にはかなり厳しい状況ではあったが、捨てる神あれば拾う神ありでこんな私でも拾ってくれる神様がいて助けてもらった。ここまでの幸福がついて回って不服を言ったらそれこそ神様に叱られてしまうだろう。社会復帰約8ヶ月の生活だが当初のリハビリも上手に出来た。このまま無理なく進めば来年もきっといい年になるはずであろう。そう期待して生きる事にした。来年への抱負はない!何故ならば今は一日一日を大切に生きることのみに専念をし、大きな目標などを定めても無理が生ずるだろうからである。有言実行を旨とするには下手な抱負など語らない方がいい。来年、といっても明日から来年だが、私にとっては素晴らしく嬉しい事がある。それはカレンダーに4月29日が「昭和の日」と刻まれるからである。手前味噌になるが、この運動は私共が他者に先駆けて取り組んできた運動である。平成二年から始めたこの運動だがまずは某大学教授にお願いして民間レベルの制定準備会議をひらいていただいた。そしてこれには参加せず、右翼としての私共はビラ貼り・街宣などに専念してきた。何故ならば右翼主導のこうした運動は往々にして実を結ばない傾向にあったからで、昭和の日制定だけは何が何でも絶対に!という意識があったからである。私共の街宣車に「昭和の日制定早期実現!」というスローガンを掲げて1~2年すると、他団体の街宣車にもこのスローガンが書かれるようになった。この喜びは大きなものであり実現への手ごたえを感じた一瞬でもあった。そして国会の委員会にこの議題が上がったときに、ある右翼の大先輩の先生から電話を頂き「皇嵐社が始めた運動が実現するぞ!」と、お声をかけていただいた。このときの喜びも大きなものがあった。その喜びを万倍にもしてくれたのが来年のカレンダーである。いよいよ「昭和の日」の4文字が刻まれるのである。いや既に刻まれているのであろうが私はまだ来年のカレンダーを開いていない。新年元旦になってその喜びをかみ締めようと考えているからである。残すところ十時間を切った今年だが皆さんもともにこの喜びをかみ締めて頂きたくお願いをしたい。最後に皆さん本年は公私共にお世話になりました。またこの柳田功ニュースを通じて知り合ったネット上の多くのお友達の皆さん今後ともこの柳田功ニュースをご愛顧くださいますようにくれぐれもお願いする次第です。そしてどちら様もよいお年を迎えられますこと心からお願いを致しまして、本年最後の柳田功ニュースとさせて頂きたく存じます。有り難うございました。さて次は「昭和神宮創建!」この実現に向けて取り組みたい


     渋谷歌壇
          歳の瀬の デパ地下が好き 匂い好き
          キリキリと 胃袋痛む 大晦日
          大晦日 迎えて我は 一人なり
          除夜の鐘 待つこの時間 懐かしみ
          カレンダー 明けるを待って めくるなり
                             狂竜

晦(つごもり)の行事

2006年12月30日 | Weblog
今年も残すところ二日。晦(つごもり)には毎年決まってやることがある。お世話になっている方々に、信州から取り寄せている蕎麦を、お歳暮代わりにお届けしている。この行事は約20年以上に亘って行っているもので行く年ごとにその数は増える一方である。もっともお世話になっている方全員ではなく、年末年始故郷で過ごすという方に関してはやっていない。それぞれ皆さんの故郷に美味しい家庭の手打ちの蕎麦が待っているからである。蕎麦というのはどんなに美味いものでもやはり家庭で自分手作りのものが一番美味いはず。それはこの夏私が信州で蕎麦打ち体験をして身をもって味わったのでよく知っている。地方の家庭では今日皆さんのお母さん達が、帰省をする皆さんに食べてもらおうと、腕を奮って蕎麦を打ったり自慢の料理を作ったりしている事だろう。それとも大掃除に大童であろうか?いずれにしてもどこの家庭でも年末の行事は細かく刻まれているはず、私のように家庭を持たないものにはその忙しさはわからないが大変なのであろう。私の場合は年末この蕎麦を配る事と市場や、アメ横に出かけて正月用の食材を買い込む事だったが、今年はその買出しを中止する事にした。家にいるのは私ひとり。私の正月はノンビリ寝正月と決めたので年始の挨拶は遠慮するように言ったからだ。その方が若い者にとっては楽だろうし、私もこういう正月も一度経験してみたかった。もっとも正月にどこにも出かけないわけではない。初詣にも行くし皇居参賀にも行く。お世話になっている方へのお年始の挨拶にも行く。したがってそれほどノンビリするほど暇などはないかもしれない。初詣だけでも5ヵ神社はお参りする。折角道路がすいている都内だがそれでも有名神社の付近は渋滞する。それを考えると煩わしいが私の場合過去3年に亘り神社仏閣への参拝が物理的に出来ない状態にあった。したがって、今年に限っては無理をしてでも出かけなければなるまい。この三年間の無事の感謝の意を捧げに。日本人が故郷や海外に大移動を始めた一昨日、カイロではイスラム教の人々が聖地メッカを目指して大移動をしていたらしい。どこの国でも年末年始いろいろな行事があろうようだ。行事は伝統文化に順ずるもの大切にしたい。残りは大晦日の明日一日お怪我などせぬように気をつけて過ごされたい。


    渋谷歌壇
        つごもりの 畳を叩く 音もなし
        渋滞の ニュースに暮を 思い出し
        信州の 蕎麦届きけり あと一日
        刻々と 歳の瀬迫り 腹くくり
        青空と 富士の白雪 晦日かな
                        狂竜  

民族の大移動

2006年12月29日 | Weblog
毎年この時期になるとこのことばが新聞やテレビを賑わす。言わずと知れた帰省ラッシュの高速道や海外脱出組の飛行場の大混雑の事である。私はふるさとを持たない人間で、年末に帰る田舎もなければ訪ねる親類も余りない。今年の場合はこれといって特にどこかに行く予定も立ててはいないので、部屋で一人ノンビリと読書三昧の寝正月を過ごすつもりである。世間一般の人のように仕事納めのない私には、計画を立てて年末年始をどこかに出かけるなど及びもしない。過去大体がこの時期に出かけるといえば行き当たりばったりの急遽決めた小旅行ばかりである。したがって渋滞にはまる率はかなり高いはずなのだがどういうわけか運よく切り抜けている。この夏、甲・信州に旅行に行ったときは一応計画を立てて行った為か、各地で大渋滞のところ私たちの車だけはそれほどの目には遭わなかった。それにしてもこの年末わざわざ渋滞にはまりながら移動する人たちには御苦労だが、何故渋滞を選んで移動をするのであろうか。これほどマスメディアの発達した現在方法によっては上手に渋滞を避けて通ることは可能だろうに…冬の渋滞の原因の一つに雪があるが今日もこの雪によって空の便は130便もの欠航が出ているらしい。それによって13000人の人に影響を与えたという。また地上では中国自動車道で自動車12台が関係する玉突き事故が発生したというニュースが流れた。この自己での影響も大きなものがあったはずである。また雪がなくても今朝の首都高速の事故でも大渋滞を巻き起こした。今日は日本海側では大雪の予報が出ていたがこれ以上大きな混乱がないことを祈る。また車での移動をされる方、、帰省を急ぎあせる気持ちでの運転は事故を招きやすいので、くれぐれもご注意をされて欲しい。大方の企業は今日から五連休から長いところでは九連休にもなる年末年始休暇だが、どうか皆さん健康に留意され事故などにあわぬよう充分な注意を払って過ごしてほしい。


     渋谷歌壇
         大雪の 予報のありし 帰省かな
         故郷に 帰る家族の 笑顔良し
         雪降りて 電車飛行機 止まる午後
         クリスマス 過ぎて名残の ツリーかな
         歳の瀬の 喧騒ありし 午後のお茶
                          狂竜 

御用納め。

2006年12月28日 | Weblog
今日は官庁の御用納めの日らしい。その御用納めに用があって官庁に電話した。家庭裁判所である。調停員の方と話をしたのだがとても親切丁寧に対応してくれた。あずかり知らぬ調停をいつの間にか立てられて腹を立てて電話をしたのだがこの方の対応ですっかり落ち着いてしまった。さすが人の間にたって調停を進める仕事である。さて今日は民間の会社でも仕事納めという会社が多いらしい。知人から電話で「年内は会えませんが」という挨拶が何本かあった。私は365日休日というものが定められていない。こうして収めるべくものを何も持たないからである。そういう意味では仕事納めというメリハリをつけられる職業を持つ人たちがうらやましく思うことも時としてあるが、考えてみたら私などは毎日が休日だか何だかわからない稼業で逆に羨まれることを思いだした。仮に普段私が出かけるとしたら休日は避けて平日に出かけることが多い。温泉などに出かけるにしても込み合う休日などよりも平日の方が交通も込み合わないし観光地にしてもがらがらでる。それを考えてみたら贅沢なことを常日頃からしていたわけだ。御用納めのある方々を私が羨ましがってなどいたら神様に叱られてしまうだろう。こういう生き方を選んだのは自分だし、これからもこの生きかたを変えるつもりはない以上は人の生き方を羨むのはよす事にしよう。皆さんは明日からしばらくの間休みが続くわけだが、健康に留意されて元気に正月を迎え、来たるべき年を佳き年にするべく励んで欲しい。取り敢えず私はこの柳田功ニュースを年末年始休まない様に努力したい。


   渋谷歌壇
         半月が 歳の瀬照らす 我照らす
         お月様 半分欠けて 冬照らす
         お飾りを 玄関先に 吊るす宵
         後幾つ 寝れば正月 吾子の声
         よい歳を こう言い友の 里帰り
                         狂竜

遠方より来る(2)

2006年12月27日 | Weblog
今日出先から戻ると宅急便が届いていた。留守中のことゆえ不在通知が入っていたのだが再配達をしてもらってみると大きな箱が。送ってくださった方の名前を見てすぐにぴんと来た。中のお品は「神稲」である。この稲は以前にもお贈りいただいて我が家の玄関先を風流にしてくれていたものと同じものだ。送り主は今月10日の柳田功ニュースでもご紹介した愛媛県松山の民族派団体・国士会会長・谷田允様である。つい先般屈原の楚辞を添えて橘(蜜柑)をお贈りいただいたばかりだというのに重ねてのお心遣いに恐縮すること仕切りである。今回も一冊の美しい写真入の冊子が同梱してあり、そこには文豪川端康成がノーベル賞受賞時にストックホルムの記念講演で日本を紹介された

春は花、
夏ほととぎす、
秋は月、
冬雪さえて涼しかりけり
の詠と、
高村光太郎の詩

「道 程」
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで護る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
というこの二篇に加えて年末のご挨拶という一文を添えてくださった。
この年末のご挨拶の一部を抜粋しよう。
 御呈上の稲は、開闢より神が宿る神聖なものとされ、命を繋ぎ、信仰、伝統、文化として今に至っております。
 神威豊穣に感謝する神嘗祭、新嘗祭を得て後、再び、寒風の中に芽吹きました「萌芽」の生命力に貴家新年、益々の御昌栄ご多幸を「祈願致しまして、暮のご挨拶に返させて頂きます。
以上含蓄のあるお手紙を添えてのお贈りものに再び感動をした。
12月10日のニュースにも書いたが私のような不勉強者かつ横着者には出来ない真似である。
この歳になってまだまだ自分自身の徳のなさに嘆く毎日だがこうして皆さんにお教えを乞いながら勉強に励みたい。


     渋谷歌壇
          贈られし 神の稲穂の 黄金色
          年末の いらぬ騒ぎの 電話かな
          多忙なり ブログを休む 冬の夜
          寝る暇も なきほど動き 師走かな
          寝食も 忘れてしまう 年の暮れ
                          狂竜
          

都合により休刊いたします。

2006年12月26日 | Weblog
申し訳ありませんが本日都合により休刊日とさせて頂きます。
後ほど渋谷歌壇のみ更新します。

   渋谷歌壇
       些事雑多 この歳の瀬に 押し寄せる
       更新も ままならぬほど 忙しく
       大雨に うたれて今日の 渋谷かな
       小夜嵐 吹かれて我を 忘れ駆け
       稲妻の 冬の雷 今日の雨       
                     狂竜

昭和殉難者について。

2006年12月25日 | Weblog
昨日はアメリカの深慮遠謀というタイトルで天皇誕生日と昭和殉難者の話をしたが今日は処刑後の話を少し。12月23日に横浜の久保山斎場で荼毘に付された7名の遺骨はアメリカ進駐軍が東京湾に廃棄をしてしまった。ひどいことをするものである。ひとたび骨になったものは遺族に返されて当たり前である。どこの世界に犯罪者といえどその遺骨を海に捨てるという暴挙があろうか。ところが昭和23年12月25日小磯国昭の弁護人だった三文字正平氏が共同骨捨て場から遺灰(7人分が混ざった)を密かに回収し近くの興禅寺に預けたのである。この位牌は後に伊豆山の興亜観音に葬られ更にその後愛知県幡豆郡幡豆町三ヶ根山に移された。そこには「殉国七士廟」が設けられ、その中の殉国七士の墓に遺骨が分骨されて今でも安置されている。世間ではクリスマスなどといって浮かれているが現在日本の繁栄はこれらの人々と多くの無名の戦士達がその尊い命と引き換えに残してくださった大きな財産である。その方たちが眠る靖国神社はいま国の首相さえ詣でる事が出来ない。総理が外圧に屈したのか変節したのかは知らない。仮に外交の為のテクニックであるとしても我ら一国民が行かない理由にはならない。戦争という政治の延長の中での悲劇は世界中古今存在したが、我が国のようにそれを事後法で裁かれありもしない罪名をつけられて処刑されて例は世界のどこを探しても類を見ない。これこそ類希なる悲劇であるといえよう。私たち現代に生きる子孫はいまその繁栄を享受しているわけだが、その礎となった方々に感謝の誠を捧げずして彼ら昭和殉難者を始め多くの靖国の英霊に報いる方法は無いはずである。巷間A級戦犯が祀られているから靖国はいけない、こう言われているようだがABC級の等級はその罪の重さではない。いわゆる平和に対する罪という俄かにできた罪名のことであって罪の軽重のランクではないのである。したがって百歩譲ってこの裁判が正しい方法で行われたと仮定してもAもBもCもみなその犯罪においてはまったく同じなのである。であるならばA級戦犯の分祀を騒ぐこの風潮こそまやかしのいちゃもんであると考える。新年には靖国神社に御参りを!


      渋谷歌壇
          歳の瀬の 些事に追われし 日暮れかな
          ガサ市の 丸太組んでる 老いし鳶
          半纏も いなせな鳶の 腰曲がり
          消防の サイレン猛し 冬の夜
          この冬の 蜜柑の値段 手を引込め
                             狂竜
          

アメリカの深慮遠謀

2006年12月24日 | Weblog
昨日12月23日は天皇誕生日だったがもう一つ私たち日本人が決して忘れてはならない特別な日である。いわゆるA級戦犯と呼ばれている昭和殉難者7名の方々が処刑された日である。アメリカ占領軍は将来天皇誕生日として国民が国を挙げてお祝いをするであろうこの日を処刑の日に選んだのである。毎年昨日は心ある人々は皇居に参賀した後池袋サンシャインビルの陰にひっそりとた佇むこの碑にお参りをし感謝の意を捧げるのだ。この地に殉難者の碑があることは意外に知られていない。最近の右翼などは皇居に参賀したあと靖国神社に参拝すれば終わり、こう考えている人たちが多いと聞いている。右翼たるものこの碑の存在を知らなくてどうする!私はこういいたいがこれもまた時代なのであろうか?さて天皇誕生日のこの日にアメリカが処刑をしたその影にはどんな思惑が隠されていたのであろう。それは天皇誕生日に浮かれる日本人の心のどこかで欝として楽しめぬ何かを。こう考えていたに違いないと私は思う。アメリカは日本の占領政策を戦争が始まる前からシュミレートしていたと聞いた事があるが、そう考えるとアメリカという国は凄い国である。こんな国と戦って勝てるはずもないとしみじみ実感せざるを得ない。それにしても将来の天皇誕生日にこの日を…いやな国である。しかし逆に考えれば平成の御世の繁栄はこの7人を初めとする昭和殉難者があっての事。そして靖国に眠るあまたの英霊の賜物。天皇様の誕生日を祝い昭和殉難者のお御霊にお参りをする。何の矛盾も無いはずである。心ある国民の皆さんそして右翼民族派を任ずる貴方、どうか12月23日はこういう日であることを決して忘れないで欲しい。感謝のために。




    渋谷歌壇
         繁栄の 陰にひっそり 碑の建ちて
         天長の 佳節にゴスペル 流る街
         ゴスペルの 流れし町の 空騒ぎ
         ゴスペルの 胸打つ響き 聖夜かな
         何事の 空騒ぎなる 聖夜とは
         悲しみの 尚増す今日の 聖夜かな
         異教徒の 聖歌流れる 大八州

         戦犯の汚名のままに朽ち果てし御霊の祭りあるを忘るな
         天長の佳節寿ぐ今日の日は礎なりし人の御祭り
         ご聖断下りて今日の世のあるを平成の民たって忘るな
         

奉祝・天長節(恋さんの夜!)

2006年12月23日 | Weblog
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天皇陛下のお誕生日を心からお祝い申し上げます。
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川崎市幸区塚越というところに「恋さん」という小さなスナックがる。ここは知る人ぞ知る場所。実はこの店民族派の巨星あの壮絶なる自裁を遂げられた故野村秋介先生の未亡人の経営する店なのである。昨日5時半からここで野村秋介先生の門下生による未亡人を囲んでの忘年会が開かれた。私は野村秋介門下ではないが自他共にも認める門外の生である。門外の生という言葉はないが先生の教えはしっかり胸の中にしまってある。師が自裁するわずか一週間ほど前のことだったが赤坂の野村秋介事務所に於いて師と私の一対一で約2時間ほど師の謦咳に接する事ができた。生前野村先生は人を説くには一対一がいい、こういうことを仰っていた。要するに何千の人を相手に演説するよりも一対一での話しの方が相手に伝わるという事だと思う。私のような凡人にも先生の言葉は一つ一つ重い石のように身体に入り込んできた。この話は何度も書いていることだが、この日1時間ほど先生の話を傾聴していた私は一人で聞くにはもったいないように感じがし「先生この話を私一人で伺うにはもったいないので若い者も呼んでいいでしょうか?」と願い出た。快く聞いてくれた先生の前に当時の運転手だった若い者を呼び、改めて先生の話をお聞きする事にした。このときのお話しは今でも私の胸の中にしっかりと刻まれている。その自裁を目前にしての先生のお話しはまったく普段と変わりがなく、そのときの様子も私の脳裏にはしっかりと刻まれている。その様子が先生自裁の晩私の瞼の奥で涙に霞んではいたが走馬灯のように回ったのを昨日のことのように思い出される。その先生がその店のいたるところで笑っている。いたるところで私を見ている。そう感じながら忘年会を楽しんだ。門下生でもない私をお招きくださった一門の皆さんには感謝の念でいっぱいである。また来年も呼んでほしい。こう願って終わりたい。


    渋谷歌壇 
         群青の なか空深く 月の照り
         帳落ち 藍の流れる 冬一夜
         逆光の なかに夢見る 宴かな
         ともすれば 話しかけるか 師の笑顔
         車座の なかに主無き 宴かな
                          狂竜

ノロウィルス席巻!

2006年12月22日 | Weblog
ノロウィルスによる学校の閉鎖や休職者が多いと聞く。ノロウィルスの猛威はとどまるところを知らない。腸感冒といっても馬鹿に出来ない。抵抗力のないお年寄りにとっては命に係るものであり介護施設などではその対策にてんてこ舞いのようである。学校閉鎖に追い込まれたのは、北海道、秋田、福島、茨城、新潟、長野の6道県で計17校。内訳は小学12校、中学2校、高校2校、養護学校1校だった。学年閉鎖は5道府県で小学6校と高校1校。学級閉鎖は、12都道府県の小中45校に及ぶとのことだ。学校などの場合は学級閉鎖や学校閉鎖でその蔓延は防げるが病院や介護施設・老人ホームなどの場合は閉鎖をするわけにもいかずその対策は難しいわけで、関係者の苦労たるや並たいていの事ではないだろう。この病気空気感染をするというから性質が悪い。さてこのノロウィルスのお蔭で大変な目に遭っているのは何も病院・学校・お年寄りの施設だけではないようだ。東京築地の魚市場では風評で牡蠣の相場がぐんと下がり困っているらしい。それより牡蠣の出荷をする牡蠣の産地広島や宮城県では大打撃を受けているという。では本当に牡蠣がノロウィルスを運んでくるのかということだがどうなんだろう?産地では牡蠣とノロウィルスの因果関係はないとしているが、マスコミはその検証すらしようとしない。これこそ風評だけ垂れ流して無責任な話であろう。どなたか検証をしてほしい。何故ならば、牡蠣を安心して食べたいからである。ところで今日は冬至。冬至といえばゆず湯である。私の住むマンションの風呂はユニット式で狭くゆず湯に入れるような風呂ではない。仕方がないので今日はゆずを蜂蜜で呑んで冬至のゆず湯の気分だけを味わった。また晩飯にはかぼちゃの煮物を食いたいものである。皆さんは今日ゆず湯に入りましたか?かぼちゃは食べましたか?伝統を大切にしたいものである。


     渋谷歌壇
         冬至には ゆずの香りの 湯に入り
         洗濯の 乾く暇なき 冬至の日
         独り身の かぼちゃも食えぬ 冬至かな
         ほくほくと 湯気をたてたる かぼちゃかな
         かぼちゃ食い ゆず湯に入り 年の暮れ
                             狂竜
            

政治結社・大行社平成十八年度納会

2006年12月21日 | Weblog
政治結社・大行社の年納めの宴が港区西麻布の香港ガーデンで開催されお招きにあずかった。納会は今時にない盛大なもので香港ガーデン2階の大広間は多くの来賓で埋め尽くされた。近年は世の不景気が繁栄されて年々忘年会等の規模が縮小されている中この日の宴席はそんな不景気間を吹き飛ばさん勢いであった。料理は中華料理でその味もよく興が乗ってきた頃にマジック・ショーなども入り楽しませてくれた。私の席にも周りの席にも馴染みの方ばかりだったが、特に私の席には盟友蜷川正大氏・友人の作家三浦和義氏・幼馴染の忠孝塾理事長石井敏夫氏の3人と、やはり作家の郡順史先生や大吼出版編集長などが同席した。蜷川・三浦・石井の三氏とは気心知れた仲であり会話も砕けた話ばかりで三浦氏の隣に座った某編集機関の美人編集者も驚きの様子だった。終わって件の女性編集者に写真を撮っていただき今日メールで送信していただいたがさすがプロよく撮れていた。二次会に誘われるままに参加し三浦氏らとともに遅くまで楽しませていただいた。このところ疲れがたまっていた私だがこの納会の楽しさですっかり体の疲れも癒えたようである。


   渋谷歌壇
        枯れ葉舞い 公園通りの 黄の絨毯
        一夜明け 丸はだかん坊 冬木立
        舞い落ちる 木の葉に埋もる 町の角
        ちかちかと 道路工事の 冬の道
        歳の瀬に なりてほじくる 地べたかな
                             狂竜        

マスコミ拝金主義

2006年12月20日 | Weblog
このたびみのもんた司会TBS朝ズバッ!に「いじめ問題」で投書されたものが一冊の本になった。
サンデー毎日増刊「いじめ緊急レポート 死んではいけない」である。
今日のネットの毎日新聞の記事で知った。
これはこの番組でいじめ問題を取り上げたときに、過去・現在いじめを受けたものやいじめから脱出できた人たちの悲痛な叫びをメールやファクスで投書したものとの事である。
この番組でいじめ問題に取り組んだ事はよしとしよう。折角取り組んだ問題を一過性のものにせず継続して取り組む姿勢、このこととこの投書されたものを一冊の本にまとめるのもまぁよしとしよう。
しかしこの本を商業ベースで発売すのはいかがなものであろうか?
私はこの本は売られてはならない種類のものと認識する。
何故ならばこれを投書した子供あるいは大人達がこれを果たして諒としているのか?
私は決して快くは思っていないはずと思うし、匿名で寄せられた投書のうちのいくつかには必ず大げさな表現や嘘が書かれていると見てもいいと考える。
その過表現や嘘を見抜くのは難しいだろう。
匿名で投書されたすべてのものに許諾を取るのも難しいはず。
そうした問題は必ず潜んでいるはずだ。何よりこうした善意の投書を有料で出版すること自体常識にはずれていると考えるがいかがなものだろう。
この記事の下には下記のような但し書きがあった。
-------------------------------------------------------------------------- 全国の書店などで発売。定価950円(税込み)。【佐藤敬一】
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毎日新聞記者の実名での記事だが彼らはこの本が世のいじめ被害者を救えるバイブルとなりうると考えているのだろうか?
折角作ったこの本の価値は販売をされることでゼロに等しくなった。
金儲け一本やりの日本人が教育というものから目を背けてきた結果が現在のいじめ問題である、こう考えているのは私だけではないかもしれない。
願わくばこの本が学校や文部科学省・各地域教育委員会に無償で配布され学校に寄贈され教室には一冊。これこそ真のマスコミの姿勢ではなかろうか。
社会の木鐸マスコミが拝金主義に走ればろくなことはない。
広告を多く出す企業への特別な記事を生む元凶であろう。


     渋谷歌壇
          あの月の 欠けし円は いずこなり
          つきかけて うさぎの家も 狭くなり
          朝晩と 掃いてもつもる 落ち葉かな
          ひらひらと 落ちる銀杏葉 追う子猫
          風吹いて ころころころと 落ち葉かな
                             狂竜
          
          






人間は何の為に存在するか?出生率低下の根をえぐる(長谷川光良)

2006年12月19日 | Weblog
 我が国の出生率は年々低下している。このまま行けば、この一世紀の間に6000万人にまで減少するらしい。
人口が減少することは、この狭い列島での居住環境を考えると悪いこととは言えない。
ただ、それが何故大きな社会問題として叫ばれるかというと、世代比のアンバランスにある。
人口6000万のうち、65歳以上の老人が占める割合が40%近くになるからだ。
つまり産業に従事し社会を支える世代比が低くなり、社会を支えることが出来ない社会になるからに他ならない。
 大体、我が国の家庭での子供は二人が圧倒的で三人居ると「多い」と感じるのが日本の現状だ。
夫婦二人で二人の子供を持つと、大体人口の増減は無いことになるが現実には結婚しない人も居るし、それが近年増加傾向にある上、ひとりっこ家庭も増えている。
一方で寿命は伸びるのだから、年寄りばかりで若者が少ない”頭デッカチ”社会となる。
 こうなった一番の”原因”は人間の”頭デッカチ”症候群にある。
人間は何故存在するのか?と尋ねたら、どういう答えが返ってくるであろうか?
恐らく哲学的とも言うべき回答が寄せられるであろう。そういった回答は全て×(ペケ)であると私は断定する。
 では答えは何なのかとなるが、それは「人間は種の保存の為に存在する」これが正解である。
 人間といえども地球上の他の生物と同じで種の保存つまり子孫を残すために存在するだけなのである。
たまたま他の動物と違って前頭葉を始めとする脳味噌が異常に発達した為に”空想”が可能となり、その産物として「いかに生きるか」とか「何の為に生きているか」などと考えるに至ったが、突き詰めてみると”種の保存”以外に合理的な説明など出来ない。
 もっとも地球全体のことを考えると人類の滅亡は地球にとって好ましいことなのかもしれない。が、単純に人類滅亡を喜ぶ訳にもいくまいから一応その対策を世に問わなくてはなるまい。
 大きな問題は医療である。医療の発達が自己のDNAの保存の可能性を高くした。それはそれで良い事なのだが、問題は異常な発達、つまり臓器移植等、人の死を前提にする医療行為と非自律的延命治療である。
それが人間の精神に与える影響を考えてみるとどうだろうか?何となく心臓すら取り換えて生き延びることが出来るのを目の当たりしたら、自己のDNAを少しでも多く残す必要性を感じなくなるだろう。
 自然界の生物たちが厳しい環境に自己を適応させながら種の保存を続けられるのは「1個でも多くの種を残そう」というDNAの作用に他ならない。
人間が・・・今のところ日本のみに顕著だが・・・1個でも多くの種子を残すという動機を失ったら、それは自然界に於ける種の絶滅を意味するのである。
 地球の歴史を突き詰めて考えると進化と滅亡の歴史と言っていい。
今日ある種が絶滅し、代って新しい種が生まれ且つ進化の過程を辿り、又、滅びていく。
 人類と言えどもこの連鎖から逃れることは出来ない。それを、ほんの少々、頭脳が発達した為に基本的原理を忘れているのではないか。
その生物的原理を無視した結果は、自ら社会的動物と呼ばれる人間の社会そのものを崩壊させるのである。
それを防ぐには、まず人類も他の生物同様に進化、滅亡の連鎖の中に居る事、それは即ち人類生存の目的は”種の保存”であると知らねばならない。


     渋谷歌壇
          野良猫の さらに猫背の 寒の夕
          歳の瀬の 猫早歩き 日暮れ時
          漸くに 冬の寒さと なりにけり
          日々早し 我が歳の瀬の 時間かな
          毎日に 追われ歳の瀬 今日もまた
                            狂竜


日本に言論の自由はあるか?(長谷川光良)

2006年12月18日 | Weblog
手っ取り早く結論から言ってしまおう。「ありません!」
多分、多くの人から「エ?」と言われそうですね!でもないものは無いんだから仕方がないですね。
 じゃあ言論の自由がないことを証明する為に、言論の自由を保証する必要十分条件を考えてみましょう。
 必要条件は、他人の名誉や人権を侵害しない限りにおいて「何を言っても書いてもいい」ことです。
これは我が国では一応保証されていますね。
十分条件では、何を言うか何を書くのか、その対象に対する情報が自由に入手できるかと言う事です。
 日本は憲法第九条で防衛行為を越える軍事行為は禁じています。つまり攻撃的兵器、その典型とも言うべき核兵器の保有は認められていないと考えていいと思います。
では核を保有しているかいないか、将来保有する為の基準があるかないかと言った情報が正確に国民が入手出来なければ、十分条件は満たされないわけですね。
 どうですか?ここ2~3年、全国自治体で「情報公開条例」が制定されるなどしていますが、軍・警察・検察関係の情報は法律あるいは条例に基づいて情報請求しても、ほとんど肝腎の所は黒く塗りつぶされて出てきます。
これって言論の自由の前提が崩れているってことじゃないんですか?
 言論の自由を抑圧する組織は主として検察と警察ですが、ここの所の情報に関しては異状と言っていいほどに入手出来ないようになっています。
理由は、それだけ悪いことをしているに他ならないんですが、それを批判出来てこそ言論の自由があると言える訳です。
 日本国内を見ると、言論の自由が溢れているように見えますね。でもそれは”井戸端会議の自由””オシャベリの自由”でしかないんです。
 多くの国民が言論の自由があると思い込んでいるのは、真剣に考えることをしないからです。
日本は”お上”に逆らわなければ、そこそこに生活できます。
多くの国民はそこそこに”食べさせて”もらえば満足しています。つまり飼い犬状態です。
本当は”もっと良い”生活があるかもしれないと考えることは狼になることでもあります。
 狼は権力にとって都合が悪いに決まっています。権力にとって国民は去勢された羊であってくれると一番いいのです。
 かつて石原慎太郎氏が国会議員を辞める時の演説の中で日本の多くの国民を”去勢された宦官”と言いました。
ペンでメシを食ってきた石原さんは日本に真の言論の自由がないことを最も良く知る一人だと言う事でしょう。


   渋谷歌壇
         迎春と 書きしその手の 凍えけり
         賀状には 春の一文字 踊りけり
         寂しげに ツリーの灯り のらの犬
         寒気団 襲いし街の 急ぎ足
         わだかまる 心の晴れぬ 師走かな
                          狂竜 

残留左翼(長谷川光良)

2006年12月17日 | Weblog
 所謂"55年体制”の崩壊以後、日本における左翼勢力は今や”落ち目の三度傘”で、旧社会党の社民党は単独議案提案権も持たず、共産党も国政選挙レベルでは供託金没収が相次ぐアワレな状況になっている。言ってみれば戦後60年かかって、敗戦後遺症の日本人も、かなりの人たちが健康体になって来たと言う事であろう。めでたい限りである。
 そして敗戦後遺症の病原菌発生元の一つである「教育基本法」にもメスが入り、病原の”総本山”日本国憲法も国民の過半数が改正を望むという至って健全な状況になって来た。これ又、喜ばしい限りである。
 安部首相は、首相に就任してからも「九条が独立国家にふさわしいとは思わない」と明言し、自らの内閣で改憲を実現する意気込みを示している。そしてそれが意気込みだけで終わらず、改憲を実現する可能性は至って大きいのである。自民党と民主党の相当数の議員は改憲を主張しており、その総数は改憲に必要な「衆参両議員の総議員の2/3」を優に超えているからである。
 さて戦後の首相の中で”大”という接頭辞をつけて良い総理が3人居る。一人は日本に独立をもたらした吉田茂、日米安保を日米対等のものに改定した岸信介、そして沖縄返還の佐藤栄作であるが、安部首相が憲法改正を実現すれば、祖父である岸信介を超える”大大”首相として日本政治史にその名を残すことは間違いない。
 さてそういった中で、このところ「憲法九条を守れ」という新聞広告がときに出てきている。呼びかけ人は「ベ平連」の小田実や、その相棒の一人であった鶴見某や広島の原爆を情緒的に語って”河原乞食”から”文化人”入りを目指している吉永小百合といった”残留左翼”の面々である。
 その叫ぶところの論理は、かつてと全く同じで「九条を守ることが戦争を防ぐ」「九条が改正されれば戦争になる」というお粗末なものである。すでに破綻した論理を相変わらず振り回してエツに入っている。その論理に不安を感じる国民が増えた結果、改憲派が過半数を超え、又、国会議員も改憲派が増えたのではないか?
 大体、彼ら残留孤児ならぬ残留左翼諸君が必死に頑張り、戦後世界を席捲した社会主義を応援した結果、どれ位の血が流れ、どれ位の難民が生まれたか?カンボジア、ベトナム、中共etc。
 彼らの運動が結局人民の為にならず、結局は破滅しかなかった社会主義の採用という無駄をした結果、ベトナムもカンボジアも何十年か発展の遅れをとった上、人的被害においても甚大だったことを認識していないのだろうか?
 全くもって反省というものをしない連中である。これでは”サル以下”と言うしかない。彼らの広告で大衆が踊るとも思えないが、彼らの宣伝上手というかウソのうまさはこれまで証明済みである。
 であるからして良識派(今後は改憲派とは言わず、こう呼ぼう)は、今こそ憲法改正の天王山と認識し、憲法改正の必要を訴え、残留左翼の護憲策動をハネとばさなくてはならない。



    渋谷歌壇
         年忘れ 集いし知己の 笑みやよし
         鍋つつく 箸のからみて 笑みかわし
         流星に 願いもむなし 年の暮れ
         流れ星 寒の夜空に 弧をかきて
         星流れ 時も流れし 冬一夜
                        狂竜