柳田 功ニュース

政治結社 皇嵐社の運営するブログです。
日本で今起きていることや歴史のことなどを独断と偏見で日々綴っています。

100回目の記事

2006年10月31日 | Weblog
私ども皇嵐社のHPに「柳田功ニュース」というブログを書き始めて今日でちょうど100回目の記事になる。
私のようなものぐさがよくもここまで続けられたものと自分でも驚いている。
私が社会不在から社会復帰をするまでの間、このHPの管理を続けてくれた皇嵐社事務局のなでしこさんが、私のちょっとした書き込みを毎日のニュースにしろと、かなり無理な注文、いや半強制的に始めさせられ当初はどこまで続くか正直判らなかった。
「継続は力」とはよく聞く言葉だが、能力も力もないこの私が書く文章が、皆さんにどのような評価を受けているのかは正確なところはわからない。
しかし私がここまで続ける事が出来たのは、この拙い文章に寄せられるコメントのお蔭である。
コメントをお寄せいただく中には、まったくの未見の方からのもの、さらには偶然たどりついて覗いてくれた旧知の方、友人知人とそれぞれだがやはり私の後ろから力強く後押しをしてくれるのは未見の方のコメントである。
またなかには同じ右翼民族派の方のHPに我がHPの記事を転載していただいているものもある。これも私にはこの上なく嬉しい事実である。
先日盟友の二十一世紀書院代表の蜷川正大氏から励ましのお言葉をいただいた。
これもお世辞半分としても私にとってはこの上ない励みにもなっている。
始めたころ、一体誰がこれを読んでくれるのか、本当に私の文章を人が読んでくれるのか?などの葛藤はあったものの、パソコンのキー打ちの練習になればの思いではじめたことを考えれば上出来と考えるようになった。
これからも極力始めたころの気持ちを忘れずに続けていく所存であるは間違いないが、どうか皆様にはこれまで以上に応援をして頂きたくお願いを申し上げる次第である。
取り留めのないご挨拶で赤面の至りではあるが100回目の記事を書くにあったっての隠すところのない気持ちをここに書いてた。
皆様の応援心から感謝したい。
またこれからもご愛読のほどを。


  渋谷歌壇  風吹かば 秋の匂いの わび住まい
          大根の 菜の味噌汁か 秋深し
          ぶり大根 ほくほく食みて 秋更けし
          行く雲の 茜に染まる 秋一つ
          落花生 塩茹でにして ほくそ笑み
                           狂竜
          

またまた中川が?

2006年10月30日 | Weblog
中川昭一政調会長は今日台湾の陳水扁総統とテレビ会談をしたとのこと。その中で陳総統の「日台安全保障についての・・・」との呼びかけに「積極的な関心を持っていかなければならない」などと発言をしたという。(時事通信社)
これがどこまで正確なニュースかわからないが、これに近いことは言っているのだろう。いくらなんでも時事通信社たるものがない話を作ってまで流さないだろうからだ。
それにしてもいい時代である。政治家がこんな発言をしても無事に政治家が続けていられるのだから。これが一昔前であったら大変な騒ぎである。
先日も二十一世紀書院で行われた対談で司会役を引き受けてくれた蜷川正大氏が言っていたが「いまの日本は幸せである政治家が何を言っても首を切られない時代になったのだから」と。
一昔前なら中川のごときは即刻辞任であろう。
しかしこの中川発言、私たち民族派にとっては願ってもない発言だが、政治的に見たらどうであろう。折角時の総理大臣が上手に国と国との対話の窓口を開き、さぁこれからというときに中国を刺激する発言。
先般の核論議発言に続いてまったく時宜を得ない発言といわざるを得ない。
これだけの時局音痴、政治音痴に政調会長が務まるとは・・・これならプロレスラー(中にはちゃんとしたのも居るが)でも政治家が務まるわけがわかろうというものである。言っちゃー悪いがこの私にでも今すぐに政治家は務まりそうである。
私が思うに、この中川昭一政調会長、もう時間の問題であろう。
これが任期満了まで勤め上げられるのであれば、安倍総理はよほどのことを握られていると見てよかろう。
明日私は自民党にまた抗議のメールを送るつもりである。


  渋谷歌壇   秋の色 少し濃くする 夕べかな
           閑寂の なか粛々と 秋のゆく
           寂しさも 一入けふの 朧月
                          狂竜




ハロウィンって?

2006年10月29日 | Weblog
昨夜渋谷の裏道を歩いていたらドラキュラ伯爵の格好の子供がいた。さらにコンビに行くと頭から角を出した真っ赤な衣装の若い女性がいた。町の至る所にこんな格好をした連中が歩いている。私が社会を留守にした3年前にはこんなのは見られなかった。なんだろ?こんなところまでアメリカンナイズされてしまった日本ってどうなんだろう。こんな風習ばかり流行り本来日本の伝統であるお盆や正月の伝統風俗は廃れている。これでいいのだろうか?私はこれは違うと思う。恐らくこれはクリスマスにケーキを売ろうと言う商魂の菓子メーカーが、バレンタインデーなどを流行らせたのと同じケースなのだろう。最近の日本の伝統は菓子メーカーによって破壊されつつある様に感じるのは私だけだろうか。これでは日本の行く末が恐ろしい。誰かが声を上げねばならないだろう。私ども皇嵐社は今後このことに対する問題提起をし、日本の歴史伝統の崩壊を防ぐ魁となれればと考えている。


  渋谷歌壇  少しずつ 秋を濃くする 昨日今日
          研ぎ澄ます 五感の中の 秋の色
                        狂竜

検事が恫喝?

2006年10月28日 | Weblog
今日のネット配信の毎日新聞の記事に以下のようなことが載っていた。

<2次被害>参考人呼び出しで検事暴言「被害者なのに…」
(毎日新聞 - 10月28日 15:31)
 「遺族なのに壁に向かって座らされた」「検事の心ない言葉に傷ついた」--。検察に参考人として呼びだされた犯罪被害者や遺族が、検事や検察事務官の態度や発言で「2次被害」に遭っている実態が「全国犯罪被害者の会(あすの会)」の調査で分かった。最高検が今月初めて全国規模で実施した被害者対策担当者会議でも紹介され、会議で講演した会の代表幹事を務める岡村勲弁護士は「『被害者とともに泣く検察』になってほしい」と訴えた。【伊藤一郎】


 これによると、交通事故で一人息子を亡くした夫婦は「2人で来てください」と呼び出された。しかし、話を聞かれたのは夫だけで、妻は取調室の入り口付近のいすに座らされ「(夫の)聴取を見てはいけない。壁を向いていなさい」と事務官に頭を押しつけられたという。

 また、建設会社経営の父親を従業員に殺された娘は、検事から「もう少し給料が高ければ、こんなことは起こらなかったんじゃないですか」と言われた。実際には、契約通りに支払われていた給料を従業員はギャンブルで使い果たしていた。

 このほかの事例として、交通事故で子どもを亡くした母親が加害者の執行猶予判決に納得できず、検察庁が設置する「被害者ホットライン」に電話したところ、担当検事から電話があり「なぜ余計なことをするんですか」と強い口調で批判された▽性犯罪の被害者が「逃げようと思えば、逃げられたんじゃないんですか」と言われた▽休けい時間に検事はご飯を食べたようだが、自分たちは食べずに聴取を受けた--などの報告があった。

上記は本来転載禁止と書かれてあったがお借りする事にした。
私は前々からこうした事実を耳にしていた。それは検察側の証人として呼び出された方からの話しで知ったのだが、場合によってはかなりあからさまな恫喝をされるらしい。
よく言うことだが彼らは勉強一筋にここまで来て、社会のことを何も知らない。したがって検察庁が始めての社会。そこで目にするものがすべてであって、そこには自分たちが頂点のピラミッドが構成されている。これでは大きな勘違いをしてもおかしくはない。
犯罪者には平然と嘘を強要し、証人にも自分たちに都合のよい証言を半ば強制的にさせても彼らは恬として恥じる事を知らない。
ちかごろ教育者や警察官などのいわゆる聖職者と呼ばれる人たちの問題が社会的にクローズアップされることが多いが、今回のこの検察官にしても聖職者の部類に入る職業である。聖職者の中でもとりわけ検事・判事の公平性は強く問われるものであるが、近年ではその公平さを計る天秤のメモリが幾分ずれてきているように感じる。
世界の各国に比べて日本ほどこの公平さのレベルの高い国はなかったはずだが、近年のそれは余りにもその昔に比べればお粗末といえよう。
私はこの機会にこうしたすべての聖職者を監督する総合的な組織を整備する必要があるのではないかと考えるがいかがなものであろうか。


  渋谷歌壇  秋澄みの 空で微笑む 月ひとつ
          蓑虫の  ような姿で 月を愛で
                       狂竜


昨日は「柿の日」

2006年10月27日 | Weblog
昨日は柿の日。
これは子規の有名な
   柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺
という句を発句したのが昨日であった事からこう呼ばれるようになた由。
子規は松山にいた夏目漱石の居宅「愚陀佛庵」に七十数日の居候を決め込み、帰郷する費用として漱石が当時の金で十円(現在の約十万円)を工面して渡したらしい。懐豊になった子規はその金をもってまっすぐに帰らず、奈良などを巡ったという。その時に出来たのがこの俳句であった。したがって漱石が十円も渡さず東京までの片道の汽車賃しか渡していなければ、子規のこの句は出来なかった事になる。歴史というのは面白い所以だ。
さて、私は獺祭忌の日にこのブログにも俳句・短歌・川柳の欄をつくりその日から毎日いちおう十七文字を書き連ねている。
しかし川柳は兎も角として俳句にいたってはとても人様に俳句でござい、と紹介できるようなものではない。
昨日の対談の時にメールやネットの言葉は美しくない。こう言われたが私はここに俳句を載せることで多少美しい言葉というもののあり方を自分なりに表せれば、という思いもある。
社会にいると、特に渋谷という都会の中では俳句になりうる事に遭遇する事が少ない。
いや、その道に精通している方であればどこにいてもその風景を歌に顕すことが出来るのであろうが、私のようなぼんくらにはとても難しい。
私がこの4月以前の3年余を囹圄(刑務所で暮らすこと)にあったことは以前書いた。
刑務所というところは灰色の世界であり部屋の中からは外部が見えない作りになっている。
ところが、その中に居ると不思議と自然への憧憬が強くなる。
だから毎日同じ景色を見ていても何となく歌心というものが芽生えてくるのである。
やはりそれだけ神経が研ぎ澄まされたようになるのかもしれない。
これからはこの荒んだ都会の中で如何に神経を研ぎ澄ますことができるのか、自分なりに励んでみたい。


 渋谷歌壇 
      我が耳は ショパンを聞きし 秋の雨
      何気なく 思慮深くなり 秋の夜
      無造作に 一、二輪挿す  芒かな
      無精ひげ など数え居る 秋の夕
      月を愛で 月に愛でられ 夜長かな  
                       狂竜

民族派鼎談

2006年10月26日 | Weblog
先日から予定をしていた、民族派鼎談を本日下記のように行った。   

 月刊 「実話時報」・鼎談

 日  時  ・ 十月二十六日(木)午後四時。
 場  所  ・ ㈱二十一世紀書院
 テ ー マ  ・ 「右翼、仁侠、浪漫」(仮)

 出  席 ---------------

       岡 樹延  大行社理事長
       柳田 勲  草茅出版社代表 
       綿谷政孝  政友皇志会会長

 司  会 ---------------

       蜷川正大  二十一世紀書院代表

 内 容
      一 ・ 安倍政権に何を期待するか。
      二 ・ 北朝鮮の核実験について。
           ※制裁行動も含めて。
      三 ・ 直接行動の是非。
           ※堀米氏の加藤紘一邸焼き討ち事件に関して。
      四 ・ 「侠」なるものと「狂」なるもの。
      五 ・ いわゆる「ネット右翼は」同志なのか。

当初私と二十一世紀書院代表の蜷川正大氏の二人という予定だったが、二人では間が持たないということで蜷川氏の肝いりで、大行社本部理事長の岡樹延氏・政友皇志会会長綿谷政孝氏そして私の計4人でということになった。
対談のテーマなどは蜷川氏がレジュメを前もって制作をしていてくれた。
対談等に手馴れた蜷川氏が司会として一歩下がった形で場を取り持ってくれたお蔭で、私のような勉強不足のものにも答えやすい質問形式で何とか恥を書かぬ程度のコメントは出来たと思っている。
対談の内容については本年12月14日(地方によっては15日)発売の月間・実話時報に掲載予定なので書店でお買い求めの上ご覧頂きたい。



  渋谷歌壇  柿の日の 午後一時を 語らいぬ  狂竜

少6女児行方不明事件について。

2006年10月25日 | Weblog
長野県小諸市で行方不明になっていた小6女児が保護された。まずは無事の発見を喜ぶべきであろう。この女児を連れまわした男は今日未成年者誘拐の罪で逮捕され、身柄を長野県小諸署に送られた。この二人はネットを通じて以前から交流があったという。それにしても小学校6年生の女の子を連れまわし、ニュースで騒ぎになっているからと出頭したこの男の頭はどうなっているのだろう。普通に考えても小学生を何日も連れまわせば騒ぎになることは当たり前だ。最近この女児に関する事件が富に目立つのはどういうことなのだろう。いわゆるロリータ好きというのは昔から存在していたはずだが、こんな事件はよほどでなくては発生しなかったはず。日本人の善悪の判断基準がおかしくなってきているのだろうか。先日裏BUBUKAという雑誌の編集長がやはりロリコンDVDを複写して掲載したとかで逮捕されたが、こういったマスメディアのあり方に大きな問題があるのではなかろうか。需要と供給とはいっても社会的に問題のあるものを売れるからといって平気で売ってしまう、この姿勢にこそ問題があると思うのは私だけではないはずだ。最近話題になっているテレビ番組に「14歳の母」というのがあるらしい。これだって社会的に考えた時あってはならないことをドラマとして放映しているわけで、これを見たロリコン野郎がその異常な性欲に歯止めをきかなくして事件に及ぶことだって考えられなくはない。事件が起きてからその犯人を逮捕すればいい問題ではない。こうした事件の裏にはその子供の両親兄弟親戚がいる。またその子の学校の友達や近所の目、これらについても考えた時起きてしまってから犯人を逮捕罰しても何の解決にもならないだろう。ロリコンが起こした性犯罪事件の再犯率が高い事は以前からこの「柳田功ニュース」で取り上げているが、社会的にこれらの事件を防止するには刑罰の引き上げをする以外にないだろう。また法的な規制をもっと強く整備するべきではないかと私は思うし、マスメディアの自主的な規制も必要だと考える。こんな事件が続く中、小さな女の子を持った両親の心境を考えた時我が事のように胸を痛める。

  渋谷歌壇  無事であれ わが子の命 子の操 狂竜

日々進化する携帯電話

2006年10月24日 | Weblog
今日ソフトバンクが新しい携帯の通話料金体系を発表した。ソフトバンク同士であれば通話料金無料!これはありがたいことである。私は現在2機の携帯を使用している。一つはauもう一つはWILLCOMである。WILLCOMはご存知の方も多いだろうがいわゆるPHSというやつで、これはWILLCOM同士であればいくら使っても通話料は無料である。恐らくソフトバンクはこのWILLCOMを意識してこのサービスを始めたのだろうが、ユーザーとしては普通の携帯でこのサービスは大歓迎であろう。ソフトバンクが始めればいずれ最大大手のDOCOMOやauも追従するであろうし、何より今日から始まった番号継続サービスで、どこの通信会社に移ってもいままでどおりの番号が使えることでその競争は益々激しくなるだろう。日進月歩と言う言葉があるがいまや正にこの業界は秒進分歩といっても過言ではなかろう。また携帯端末を使った各種サービスも多様化の時代で、私のようなアナログオヤジにはとても付いてはいけない。思い出してみると携帯電話市販開始のころの端末は、弁当箱より大きくて重量も片手で持って歩くには重すぎ、ショルダーベルトが付いていたり太いバンドが付いたりしていた。また当時はセカンドバッグを持ち、それより大きな携帯電話を持って歩く事がある種のステータスだった。今では携帯をもたぬものは奇人変人扱いをされるほどの普及率である。鳴ればやかましいと思っている携帯だが、長時間鳴らなければ壊れているのかと自分で自分の携帯にかけて確かめる始末だ。
こんな私だがもう携帯電話のない生活など考えられない。きっと皆さんも・・・


  渋谷歌壇  リモコンを 耳に当ててる 駄目オヤジ 
        メールでは 用が足りずに 電話する  狂竜

奪われた3歳の人生

2006年10月23日 | Weblog
今日で中越地震から年が経った。現地では追悼の集会が開かれ犠牲となった67名の方の慰霊が行われた。特に被害のひどかった山古志村の小中学校の復興もなったようだが、住人の住居がいまだ復興ならず2年経ったいまも仮設住宅での生活を余儀なくされているようだ。私がこの地震で深く心に残っているのが、土砂に埋もれた車の中から奇跡的に救助され九死に一生を得た当時2歳だった「雄大ちゃん」だった。雄大ちゃん救出のニュースを見たのは刑務所の食堂であった。レスキュー隊員の腕に抱かれて救出されたその姿を見たとき、その場にいた受刑者全員が拍手をして喜んだ。拍手や奇声を上げる事に普段厳しい刑務所の職員も、この拍手には何も言わなかった。恐らく日本中の人々がこのシーンには絶大なる拍手を送ったはずだ。その雄大君が今年で4歳を迎えた。大変元気で末はレスキュー隊員かウルトラマン何とかになって、世の中の為になりたい。こう言っているそうだ。ウルトラマンになれるかどうかは分からないが、少なくともレスキュー隊員にはなれるはず。実に頼もしい限りである。さて、一方京都では3歳になる男の子が継母と実父の手で餓死させられた。これほど痛ましい事件がこの社会的発展を遂げた現代に起こりうることが不思議でならない。この男の子の名は拓夢君という。夢を切り拓くと書いて拓夢。彼はたった3歳の人生でこの世から消されてしまった。拓夢君がどんな夢を持っていたのか?きっと新潟の雄大君のようにウルトラマンになりたかったのだろう。警察官にもなりたかったのだろう。ひょっとするとレスキュー隊員にもなりたかったのかもしれない。しかし救急隊員の腕に抱かれた拓夢君の体重は通常の3歳児の半分の7キロしかなかったという。拓夢君にはお姉ちゃんがいたという。今年6歳になるお姉ちゃんが。そのお姉ちゃんは今年の3月に虐待を受けたとして児童相談所に預けられている。また近隣の人々がいじめを受けていることを通報していると言う事実がある。それをここまで放置したのは監督責任のある児童相談所であろう。お姉ちゃんが相談所に預けられた時点で弟の存在は分かっていたはずだ、それをここまで放置した責任は重大である。児童相談所のコメントは虐待はなかったと認識していた、であった。ここにも一人お役所仕事の犠牲者が出た。近ごろ公務員が色々取りざたされている。その中で真面目にやっている方も大勢いるはずだが、こんなわずか一握りの連中のせいでその評価が決められてしまうのはかわいそうだ。しかし現実に京都で起きたこの拓夢君の虐待死は児童相談所がきちんとした対応さへしていたとすれば助かった確率は高かったはずだ。このニュースを拓夢君のお姉ちゃんが知ったらきっと悔しいだろうし、大人への不信感はPTSDとして生涯彼女の心に残るのであろう。この事件の被害者は拓夢君だけではないことを京都児童相談所は知るべきだし、また全国の児童相談所の職員も対岸の火事として見ずに、これからの監督強化に力をいれ再発に防止に励んでほしい。拓夢君の小さな魂の冥福を心から祈らずにはいられない。拓夢君安らかに眠ってください・・・


  渋谷歌壇  幼子の 命の叫び とどきまじ   
        合掌を する手にはいる ちさき魂 狂竜

腐った政党

2006年10月22日 | Weblog
私は昨日政府自民党に抗議のメールを送った。中川昭一政調会長に対する退陣要求である。このところの中川政調会長の余りにも政治音痴な馬鹿な発言にあきれ果てたからである。メールとは言えこうした意見が自民党にいくつも届けば、自民党としてもそうそう見過ごすわけにはいかないだろうと考えたからである。今朝パソコンを開いてみると自民党から返事が来ていた。さすが自民党!と感心してみたが考えてみたらそんなに期待をするだけ無駄と、取り敢えず読んで見た。案の定、ありきたりの文章で機械仕掛けで届いたメールすべてに自動的に返信されるようにできている内容だった。以下がその文面である。

柳田功様

「自民党に物申す」を受けとりました。
自民党には毎日たくさんの方からご意見をお寄せいただいておりますため、
十分な返答ができないことにご理解ください。
いただいたご意見は、政策立案や党運営に反映させるべく、
担当の議員やスタッフに届けておりますので、
今後ともホームページでご確認ください。
あなたの声が、日本を変える力です。自民党が、あなたの声をかたちにします。
自民党の懐刀は、あなたです。
またのご意見・ご質問をお待ちしております。

これでは支持者もうんざりするだろうし、2度と意見など送ることはないだろう。
それでも一議員ではなく政調会長の退陣要求が何通も来ればきっとそれは何らかの形で反映されるはず。
皆でメールを送ることだけは続けるつもりだ。
 

 渋谷歌壇   一通の メールに倒る 城一つ  狂竜

断固退陣要求!

2006年10月21日 | Weblog
中川正一政調会長がまたまた物議を交わす発言をした。物議を交わす発言というより、まったく言っている事が支離滅裂である。彼が先般核の論議はするべしとの発言をしたとき、民族派陣営からは歓迎の声が上がったが、私は時局的に考えた時決してこの発言は歓迎できない旨をここに発表した。これはいまも変わらない私の意見だ。彼は昨日「私は核保有論者ではないが議論はすべき」と前置きをしてまた核の論議はすべきと演説をしていた。もっともネットのニュースでその演説の一部のみを見ただけではすべてを理解する事は難しい。しかし核保有論者でない者が何故そんな事を言うのであろうか。これを矛盾と言わずして何というのであろうか。私はいまこの時期にすべき発言ではないが、いずれは我が国も核保有国が増加するのであれば我が国も当然保有すべきであり論議は大いにすべし。この意見に変わりはない。だが時期があるだろう。また中川氏は「金総書記は美味いものを食いすぎて糖尿病だから、何をするかわかったものではない」こうも言っていた。まったく馬鹿な男である。今、世界でどれだけの子供が小児糖尿病で苦しんでいるのか、また大人も然り。「糖尿病だと何をするかわかったものではない」さらに「うにやマグロなどの美味しいものが入らなくなってしまったら、何をしでかすかすからない」こんなことも言っていた。これを聞いた子供達の心境、また糖尿を抱えた子供たちへのいじめなど多くの問題をはらんだこの発言、物議をかもすどころの騒ぎではあるまい。如何に言論の自由が保障された国とは言え、言っていいことと悪いことはある。ましてやそれが衆議員議員で党の政調会長となれば尚更のことであろう。彼は父親の選挙地盤をそっくり受け継いだ二世議員だが、自裁した父親とは政治家としてのセンスは比較にならないぼんくらである。このぼんくらにいつまでも勝手なことを言わせていたら、それこそ日本が孤立しかねない。私たち皇嵐社は提言する、このぼんくら国会議員の退陣要求を。折角国民の大きな期待を背負って船出した安倍政権もこの男一人の発言で沈没させるわけにはいくまい。
自民党への意見は自由民主党のサイトの中から「自民党に物申す」というメールがあるので、賛同する方はどしどしメールで抗議を!


 渋谷歌壇   ついすべる 口が命を 絶つ刀  狂竜

体調不良のため本日も休刊日とさせてください

2006年10月20日 | Weblog
今日10月20日は烈士野村秋介先生の13年目の命日になる。
伊勢原常発願寺にある先生の墓前では門下生・関係者がその供養に集まった。
私は今日も体調悪く残念ながら出席を見合わせた。
申し訳ないが今日も「柳田功ニュース」は休刊とさせていただく。

 渋谷歌壇
 惜別の銅鑼は濃霧の奥でなる。
 先駆けて散りにし人の悲しみををわがものとせむこの道を行く
 さだめなき世なりと知るも草莽の一筋の道かはることなし
 俺に是非を説くな激しき雪が好き
 白雪の白が溢れてとどまらぬ
 憤怒とはかくも静けき夜の梅      野村秋介

上記は野村秋介先生の句集「銀河蒼茫」より抜粋した私の好きな先生の句でる。先生の句は将に魂の叫びだった。
私の俳句などただ文字を17個並べているだけのものだが、いつかは俳句になっていくのではとここに書き連ねているが、俳句になっていないのは自分が一番承知している事。どうか笑って読み流してほしい。
 
 病床の 窓に落日 今日も暮
 風邪引きの 薬の袋 塵の山
 群青の 歌に聞き入る 寝床かな
 あきひと日 薬にむせし 熱の床 
                 狂竜     

明暗

2006年10月18日 | Weblog
今日は二つの遭難事故のニュースが入った。一つは神奈川県の大山登山。もう一方は新潟県と群馬県の境、三国山での遭難。どちらもそれほど険しい山ではない。三国山にしても県道から200メートルほど入ったところ。たしかに急峻な崖は有ったにしても気をつけていれば滑落するような場所ではなかったように思う。女性二人がどの程度の登山経験者であったかは知る由もないが、結果残念にお二人ともに命を落とされた。ご家族の心中察するに余りある。神奈川の大山では祖父・母・子の4人の家族が遭難し、今日4日ぶりに無事保護された。その映像を見たときには自分の様にホッとしたものだ。この4人が登った丹沢山系の大山だが、私も実は中学2年のときに沢登りを楽しんだ事がある。私はこのとき初めて沢登りを経験したのだが、まず驚いたのはその登り方であった。登り始めたのが民家の裏庭のようなところからで、いきなりなんでこんなところから?と思うほどで、道などまったくないところを草を掻き分け掻き分けて上っていく。途中休憩するのも生い茂る木に持たれかけてだったり、斜面にはいつくばって休んだりとまったく初心者には行き当たりばったりという感じであった。上へ上へと目指して上がっていくのだが、どこまで行っても山頂には着かず、本当に頂上があるのかとさへ思ったほどだった。山登りの経験のある人なら大山の沢登りなど登山のうちには入らないのかもしれないが、私はこのまま永久に登り続けなくてはいけないのかと悲観したものだった。ところが苦労して山頂に着いたときの嬉しさ、そしてかいた汗の清々しさを覚えたとき、なんとも言えぬ喜びが沸いてきて思わず笑っていた。当時山頂の茶屋ではただの水が一杯5円だったか10円だったかで売っており、普段水道の蛇口をひねると水はただで飲めるものだと思っていた私は、大きなカルチャーショックを受けたのだった。当時の大山は今のようにケーブルカーなど走っておらず、強力と呼ばれた男達が背中にしょって山頂まで運んだという。私はその話を聞いた時、この強力と呼ばれた男達に恐れにも似た感慨を持った。今でも私はこの大山に時々出かけては阿夫利神社にお参りをするが、今では自動販売機までが山頂に設置されている。思えば便利な世の中になったものである。便利になったこんな今でも登山愛好者にとって、山は登る対象であってみるものではない。この季節軽い気持ちで紅葉見物に登山をする人もいるだろう。しかしくれぐれも山を舐めてはいけない。ひとたび事故が起きれば大山でも、三国山でもその命を落とすことがあることを忘れずに。


  渋谷歌壇  明暗を わけし二山の 山登り  狂竜

素晴らしき表現者たち!

2006年10月17日 | Weblog
今日までこの『柳田功ニュース」のトップを飾っていた「Risorgiment!ナイト4野村秋介自決十三年」」ライブに参加してきた。会場は広いとは言えなかったが立ち見の客が出るほど一杯だった。私は今日どうしても連れて行きたい人がいて、町田まで迎えに行ったのだが、時間的に間に合わず途中車を捨てて小田急で新宿に着いた。野村秋介思想研究会会長の藤巻強氏と待ち合わせをしていたのだが、私の遅れで彼まで会場入りを遅らさせてしまった。開演に少し遅れて入った私達は会場の知人に挨拶もそこそこに席に座った。ステージには、若き友人であり同志でもある古澤俊一君と大熊雄二君がマイク片手にトークを始めていた。それほど上手ではない語り口だが、やはり題材が題材だけにみな聞き入っていた。第一部の彼等のトークが終わると第二部『石原慎太郎著「ある行為者の回想」より「独白・河野邸焼き討ち事件』と題して、俳優本多菊次郎君・ドラマーヒコ君の二人によるコラボレーションが始まった。ステージに本多菊次郎君が上がったとき、真っ白いスーツに深紅の鉢巻といういでたちに奇異を覚えたものの、ショーが始まるやそのせりふの巧さに私は彼等の世界にのめりこんでしまった。特にドラムで表現をしていたヒコ君のスティック捌きは神業かと思えるほどで、紹介に「高速カリスマドラマー」とあったのを思い出し「なるほど」と関心仕切りであった。それにしても役者とはすばらしいものである。アーティストとはすばらしいものである。私の今までの概念ではドラムスはバンドのバックでリズムをとるもの、役者は演技をしてその役に徹するものであった。しかしドラムス単体で一つのドラマのストーリーを表現でき、役者はその台詞だけで観客をそのドラマの中に引きずり込む事ができる。表現者とは、なんと素晴らしいものであろうか。途中ヒコ君のドラムの音に会場のPAがついていけずに菊次郎君の台詞が聞こえなくなるというハプニングはあったものの、彼等の表現が終わってみて万雷の拍手でその出来がわかろうというものであった。私はこの石原慎太郎の「ある行為者の回想」は何度も読み返しており、ところどころの文章は諳んじている。しかし初めて読んだそのときから著者の何かにおもねる姿勢が感じられていた。したがってそれほどの感動は得ることが出来なかった。ところが今日のこのライブでは本多菊次郎君の独白と、ドラマー・ヒコ君の表現で見もしないその光景が私の瞼の中にまざまざと現れ、まるで私がその現場にいたかのような錯覚に陥ってしまった。彼らがステージを去ると再び古澤俊一君が上がる。そして会場の人に感想を聞き始めた。いきなり指名された最初の方は理路整然と感想を述べ、野村先生に関心を待ったいきさつなどを話した。話を聞いていて頭のいい人だ、とすぐにわかった。次に古澤君が何を迷ったのか私にマイクを向けてきた。思わず私は「俺?俺はヤクザだぜ」「俺でいいのか?」と聞いてしまった。こんな会場でマイクを向けられるのも初めてだし、大勢の人の前でたった今見たことの感想がすらすら言えるほど利巧ではない。何の言葉も用意していない私は、さっきまでの興奮冷めやらぬままに、墓場まで持って行くつもりだった逸話を披瀝してしまった。話しをし終わって冷や汗をかくと同時に、あんな話しをしてしまった事に後悔仕切りであった。それにしても口の堅い私にあんな話しをさせてしまった、今日のこのライブとは一体なんだったのであろうか。今まで野村秋介追悼の集会「群青忌」でもたくさんの感動をもらったが、今日のそれはまったく形の違った新しいものであった。今年は群青忌の開催はない。今後こうした形での群青忌もあっていいのではないか、また色々な形の群青忌があってもいいのだろうの思いを深くした。


 渋谷歌壇  群青の 歌が聞こえて 秋深し  狂竜