今年も今日一日で終わり。そして数時間後には新しい年を迎えることとなる。振り返ってみて今年は、私にとってどんな一年だったのか?こう考えてみると総じて悪い年ではなかったような気がする。昨年の大晦日を島根県の松江刑務所で迎えた私は年が明ければ社会復帰ということで、感慨無量の大晦日を迎えていたはずである。そして今年の4月16日晴れて社会復帰を果たし今日まで大過なく過ごしてこれた。勿論それには多くの友人知己の手助けは戴いた。また何より念願のブログを立ち上げ、それにほぼ毎日例え一文字でも残す事ができた。更には月刊雑誌に自分の連載を持つようになり、これも修養生活のなかで立てた計画通りになった。また留守中交流をもてなかった友人たちとも旧倍の交流が再開している。古い先輩達も声をかけてくれる。更には運動の上で新しい友人や仲間も増えた。これ以上の財産はない。財産といえばやはり経済面ではあるがこれについては、元々何ももたない素浪人であり多くを望むものではない。したがって貧乏生活からの脱却はいまだ計れずにいるが金は天下の回り物、お天道様と米の飯は勝手についてくるという昔の先輩達の言葉を信じて気にしないことにした。この年末年始も経済的にはかなり厳しい状況ではあったが、捨てる神あれば拾う神ありでこんな私でも拾ってくれる神様がいて助けてもらった。ここまでの幸福がついて回って不服を言ったらそれこそ神様に叱られてしまうだろう。社会復帰約8ヶ月の生活だが当初のリハビリも上手に出来た。このまま無理なく進めば来年もきっといい年になるはずであろう。そう期待して生きる事にした。来年への抱負はない!何故ならば今は一日一日を大切に生きることのみに専念をし、大きな目標などを定めても無理が生ずるだろうからである。有言実行を旨とするには下手な抱負など語らない方がいい。来年、といっても明日から来年だが、私にとっては素晴らしく嬉しい事がある。それはカレンダーに4月29日が「昭和の日」と刻まれるからである。手前味噌になるが、この運動は私共が他者に先駆けて取り組んできた運動である。平成二年から始めたこの運動だがまずは某大学教授にお願いして民間レベルの制定準備会議をひらいていただいた。そしてこれには参加せず、右翼としての私共はビラ貼り・街宣などに専念してきた。何故ならば右翼主導のこうした運動は往々にして実を結ばない傾向にあったからで、昭和の日制定だけは何が何でも絶対に!という意識があったからである。私共の街宣車に「昭和の日制定早期実現!」というスローガンを掲げて1~2年すると、他団体の街宣車にもこのスローガンが書かれるようになった。この喜びは大きなものであり実現への手ごたえを感じた一瞬でもあった。そして国会の委員会にこの議題が上がったときに、ある右翼の大先輩の先生から電話を頂き「皇嵐社が始めた運動が実現するぞ!」と、お声をかけていただいた。このときの喜びも大きなものがあった。その喜びを万倍にもしてくれたのが来年のカレンダーである。いよいよ「昭和の日」の4文字が刻まれるのである。いや既に刻まれているのであろうが私はまだ来年のカレンダーを開いていない。新年元旦になってその喜びをかみ締めようと考えているからである。残すところ十時間を切った今年だが皆さんもともにこの喜びをかみ締めて頂きたくお願いをしたい。最後に皆さん本年は公私共にお世話になりました。またこの柳田功ニュースを通じて知り合ったネット上の多くのお友達の皆さん今後ともこの柳田功ニュースをご愛顧くださいますようにくれぐれもお願いする次第です。そしてどちら様もよいお年を迎えられますこと心からお願いを致しまして、本年最後の柳田功ニュースとさせて頂きたく存じます。有り難うございました。さて次は「昭和神宮創建!」この実現に向けて取り組みたい
渋谷歌壇
歳の瀬の デパ地下が好き 匂い好き
キリキリと 胃袋痛む 大晦日
大晦日 迎えて我は 一人なり
除夜の鐘 待つこの時間 懐かしみ
カレンダー 明けるを待って めくるなり
狂竜
渋谷歌壇
歳の瀬の デパ地下が好き 匂い好き
キリキリと 胃袋痛む 大晦日
大晦日 迎えて我は 一人なり
除夜の鐘 待つこの時間 懐かしみ
カレンダー 明けるを待って めくるなり
狂竜