柳田 功ニュース

政治結社 皇嵐社の運営するブログです。
日本で今起きていることや歴史のことなどを独断と偏見で日々綴っています。

西山登氏「古希に乾杯」

2006年09月30日 | Weblog
本日16時より目黒雅叙園にて私の先輩同志に当る「政治結社・優政会」会長・西山登氏の古希を祝う会が催された。西山会長とは彼これ二十数年にわたるお付き合いで、民族運動の場で随分お世話になった方である。会場一杯の来賓の中で、司会進行役を私の盟友、二十一世紀書院代表取締役「蜷川正大氏」がつとめ冒頭に祝辞と簡単な自己紹介。来賓祝辞として、全国愛国者団体会議の筆頭議長である「吉田直紀氏」が先ず祝辞を述べられ、次に私の運動の先輩である、忠孝塾愛国政治連盟の「藤元正義氏」、続いてやはり斯界の大先輩である、朱光出版株式会社代表取締役の「阿形允規氏」のご挨拶、それぞれ西山会長の人となりなどを交えたご立派な祝辞を述べられた。古稀とは今更いうまでもないが70歳を迎えた祝いである。近年平均寿命が延びたとは言え、激動の時代を生き抜き且つ激しい民族運動を戦ってこられた西山会長の長寿は実におめでたい事と心からお喜びをした次第だ。さて本日の来賓挨拶のお三方の話し中で、とりわけ私の心を打った話しを紹介したい。先ず全愛会議筆頭議長「吉田直記氏」だが、氏がその昔優政会の久保田氏と囹圄にあったとき、彼は西山会長の素晴らしいところをよく口にしていた。そうしたいい若い方を育てる西山氏は未見のときから人物であると想像し、実際あってみるとやはりその通りの方であった。概ねこのようなことをお話になっていたが、確かに私も西山氏には運動の場で嫌な思いを受けたことがない。若く、いい運動家が育って当たり前の土壌なのだろう。次に忠孝塾の「藤元正義氏」は右翼民族派に引退はない。「いつまでもお元気にいて私達後進の指導に当ってください」とのことだったが、正しく右翼民族派には定年退職もなければ引退もない。生あるうちは生涯現役である。「生涯」読んで字の如く、生の涯まで維新運動を戦わねばならぬわけで、戦わねばならぬ以上は健康な体を維持していかねばならない。そのためにも西山会長には健康な身体を取り戻して頑張っていただかねばならない。まさにその通りと感じた。三番目に斯界の大先輩である「阿形允規氏」の祝辞だ。この方の話しはいつも感心させられるのだが例えにされる逸話に深いものがある。今日も古稀の由来、中国の杜甫の誌「曲江誌」を引き合いにし「人生古来より70歳まで生きる事は稀である」そしてこの後には、喜寿(77歳)傘寿(80歳)米寿(88歳)卒寿(90歳)白寿(99歳)祝いが続くのであるから、今後とも後進の指導の為に体調を整えられてお元気であってほしい。このような内容だった。さすが皆さん永い間民族新運動の前線でご活躍をされた方ばかりで、挨拶一つにしても中々博識あるところを披瀝され、私などはとてもよい勉強をさせて頂きお祝いの席のめでたさもさることながら、いい学習の場を与えていただいた事に重ねて感謝した。西山登会長には皆さんの仰るとおり益々健康に留意され後進を導く為に長寿の道を歩まれん事を心からお祈りする次第だ。

  杜甫「曲江誌」 

朝回日日典春衣 ( 朝は回り日日春衣を典ず)

毎到江頭尽酔帰 (江頭に到る毎酔尽して帰る)

酒債尋常行処有 (酒債尋常行く処常に有り)

人生七十古来稀 (人生七十古来稀なり)

                  
ミニ知識  
 還暦60歳の祝い 謂れ「12年の暦が12回還るので還暦という」
 古稀70歳の祝い 謂れ「杜甫の曲江誌」  
 喜寿77歳の祝い 謂れ「喜の草体の七が三つ重なったところから」
 傘寿80歳の祝い 謂れ「傘の字の略体が八と十になるところから」
 米寿88歳の祝い 謂れ「米の自が八十八となる事から」
 卒寿90歳の祝い 謂れ「卒の自が九と十になるところから」
 白寿99歳の祝い 謂れ「百の字から一をとると白になるところから」

渋谷歌壇  古希祝う 孫の花束 目に涙   狂竜

      


中村武彦大人命一年祭

2006年09月29日 | Weblog
本日、東京乃木坂の乃木神社に於いて故中村武彦先生の一年祭が厳かなるうちに斎り行われた。中村武彦先生は右翼民族派の良心とまで言われた方で、国学院大学在学中いわゆる神兵隊事件などに関与された激烈なる闘士であったとともに、後は私共後進を導く事に情熱を捧げてくださった方である。私自身この道に入ってから幾度となく勉強会には参加させて頂き、私が一番印象に残っている講義は「神皇正統記」である。凛々たる声で「我が国は神国である・・・」という「神皇正統記」の冒頭の言葉を聞いた瞬間、頭の中を鮮烈な何かが通り抜けていったように記憶している。私にもう少しの文章力があればまた別な表現が出来るのだが、残念ながらあの時に受けた衝撃のようなものを文字で表すのは難しい。さて本日の「中村武彦大人命一年祭」は、祭主に大野康孝熊本県本渡諏訪神社宮司を迎え次の如く行われた。
     式次第
 一、参進
 一、修祓
 一、招魂
 一、大祓詞奏上
 一、献餞
 一、祭詞奏上
 一、追悼の言葉
 一、玉串奉奠 
 一、撤餞
 一、昇魂
 一、退下
     直会
祭詞奏上では大野宮司の朗々たる声が胸を打ち、斎場は咳き一つなく水の流れるごとき祭詞であった。
また、追悼の言葉を園田天光光さんが、またこの方の声も年齢に似合わぬ素晴らしき声は勿論、理路整然とした中村先生との思い出話などを交えたとても素敵なものであった。 
私ども右翼民族派は一年前に大きな星を亡くした訳だが、一年を迎え今日その悲しみを新たにした。
中村武彦先生の御魂の安きからんことを切にお祈りしたい。
中村先生永い間有難うございました。ご苦労様でした。

渋谷歌壇  憂国の 声冴え渡り 乃木の杜  狂竜

渋谷歌壇のお知らせ。

2006年09月28日 | Weblog
先日から記事の最後に俳句・川柳のようなものが書かれているのにお気付きだろうか。実は獺祭忌の日に遡ってこれを機にこのブログでも俳句・短歌・川柳のコーナーを始めることにしたのだ。私の作る俳句は正直言って少し俳句をかじった方から見れば出鱈目である事がすぐにわかってしまう。季語は出鱈目ではなはだしいときは二重に季語を使ってしまったり、季語が抜けてしまったりという過ちを平気でやってしまう。川柳の方は素人の域は出ないが一応形になっているものもあるはず。短歌に至ってはまったく暗くこれから勉強するつもりだ。本来短歌や俳句また川柳などは誰か師匠について習えばいいのだろうが、その方法を知らぬ。したがってここに発表する作品(といえるかどうか?)はまったくの素人のものとして笑って読み流していただいても結構、また逆に歌心のある方でこいつは駄目だ!と感じられた方は私の作品を添削若しくはご指導という形で参加をしていただければ真に嬉しい限りだ。子規の命日に書いた記事にも載せているが一応雅号だけはもっている。頭の狂った柳田で狂柳、これでは威勢が悪いので柳を竜の置き換え「狂竜」とした。雅号に負けないように勉強したいと思うので一つよろしくお願いをいたしたい。また読者の皆さんのご参加をこころからお待ち申し上げるとともに今後ともご贔屓ご愛読を願う次第だ。尚、渋谷歌壇の命名の由来ですが日比谷花壇という花屋さんをもじり拝借したことをお断りしたい。


渋谷歌壇   はよ帰ろ つるべ落としの 鴉かな  狂竜

初心忘るべからず

2006年09月27日 | Weblog
今朝の日本経済新聞のコラム「春秋」に安倍晋三新首相の座右の銘「初心忘るべからず」についての事が書いてあった。内容はこの言葉の本来持つ意味と、現在使われているこの言葉の意味の違い。また、首相や新閣僚が就任して後、現在一般に使われている意味での初心を忘れないでほしい、といった事だったと思ったが喫茶店でざっと流し読みをしただけなので、多少の違いはあれどマァこのような感じだったはずだ。この言葉私たちもよく使う言葉だ。私がこの「柳田功ニュース」を始めるにあたっての初心は、最低でも一年は続けたい、ということであった。その昔私ども皇嵐社の機関紙「月間・草茅(そうぼう)」を発刊するにあたっての初心も確か同じだったと思う。私の場合何故か「せめて一年」という思いが強いらしい。「月間・草茅」はお蔭さまで十数年の長きにわたって発行を続けられた。しかし、社会情勢や私の囹圄と言うことで廃刊やむなきに至ってしまった。月間とは言え、いずれにしても十数年続けられたわけだが、下書き・清書・校正・印刷・宛名書き・発行などの煩瑣な作業がない分パソコンでの毎日の「柳田功ニュース」の方が心なし楽な感じがする。 私のような学問のない人間のやることで、文体や中身のなささへご容赦いただけるのであれば一年は軽く続けられる自信は近ごろでてきた。それは読者からのコメントという励ましで、時には激励、また時には叱咤とある。中には先日のように旧知の方からの嬉しいメッセージもあり、楽しみながら書くことを覚えたのも一つの自信につながっているはずだ。「柳田功ニュース」と題しているが、このブログは社会的ニュースだけではなく私個人の日記としてもあるので、その点をご了承願いたい。さて昨日は奈良小2女児殺害事件の小林薫被告の判決のことで脈絡のない記事を書き赤面の至りだが、今日は同じ事件でも時効を迎えた殺人犯について少し。昨日被害者の遺族が、この犯人に対して起こした損害賠償の民事裁判の判決が出た。精神的苦痛の慰謝料的部分のみ認められ,損害賠償については棄却された。このことは今後高裁・最高裁での結果がまた出るだろうから、私はコメントする立場にない。ただこのニュースをネットで見ていておかしく思ったのは、時効が成立したからといってこの犯人の罪が消えたのかということだ。どのニュースもこの男の名前を明かす事もしないし、顔を晒す事もしない。殺人を犯したのは確かなこと、いくら時効が成立をしたからといって、一般市民と同じだけの価値のあるプライバシーが存在するのだろうか。またこんな事を書いてお叱りのメッセージを頂くかもしれないが私は名前も公にするべきだし、顔だって世間に晒して余生を小さくなって生きねばならないと思う。時効の壁でその罪は問われなくなっても、道義的罰は残さねば被害者も家族も浮かばれないだろう。犯人のインタビューも聞いたが、何だか時効まで逃げ延びた犯人の言い草が、世間をせせら笑っているように感じた。また被害者にも落ち度があったような言い方もしていた。これを時効の壁で野放しにしておいて心配ないのだろうか。仮にこの男がレイプ魔であったら、どこかでまた被害者が出ないとも限らないだろう。私はこうしたケースにおいては犯人の顔を隠すべきではないと考えるが如何なものであろう?どうもしっくりしない出来事で、無性に腹が立って仕方がない。必殺仕掛け人でも現れてくれと思う。

 

本日の俳句    我が家に 近付くほどの 金木犀
           秋雨の 煙りの奥の 曲がり角   狂竜

判決

2006年09月26日 | Weblog
奈良の女児殺人事件の被告小林薫に判決が出た。極刑の死刑である。この判決が妥当かどうかは私の語れる範囲ではないが、以前広島の女児殺害事件のときに書いた記事では、この手の犯罪は再犯率が高く極刑にすべしとした。その時に読者の方から性犯罪だけを・・・と言う貴重なご意見をいただいた。また私自身冤罪などを考えた時に死刑制度の見直しを、とも考えている。しかし個人的な感情と独断、更に偏見を許されるなら、小林薫被告は死刑になって当然と考える。いまだ私の中で死刑制度への矛盾がある以上、こうした犯罪へのコメントは控えるべきとも思うが、やはり犠牲となった楓ちゃん、またそのご両親の気持ちを考えるとこの意見は変わることはないのだ。今日内閣が代わって新法務大臣に長勢甚遠氏が就任した。前任の杉浦法相は宗教的個人的感情で就任中死刑の判を押さなかった。これがいい事か悪い事かも正直言って今の私には二律背反する意見があり、これもコメントをするに躊躇をする。このところ特に冤罪事件に注目をしだしてからというもの、死刑制度の恐ろしさ、また人が人を裁き人の手で殺人と言う刑の執行をする、このことへの疑問のようなものも芽生えてきた。それでも尚小林被告の死刑判決を支持したいのだから、自分の考え方が如何に脆弱であるかにも怒りを覚える。皆さんにはこんな経験はないだろうか?自分の中に二つの意見が混在する、ということが。恐らくこれは私がしっかりとした教育というものを受けていないこと、そして基本的な思想が自分の中で根付いていない事などが原因なのではないかと思う。こんないい加減な記事をブログの中に載せてもいいのだろうか、という疑問もある。支離滅裂は自分でよくわかっているが、この矛盾を自分の中でどう処理していけばいいのかがまったく判らないのだ。楓ちゃんの親御さんは極刑以上の刑をと仰っていた。この気持ちは痛いほど理解できるし、私が仮に親であればどんな方法をもってしても犯人には報復をするだろう。非常に難しい問題、取り上げるべきではなかったかも知れないが、私の正直な心情を乱れた文章で吐露する事を今日はお許し願いたい。 

本日の俳句  行儀よく 鉢並べたり 秋桜   狂竜

不思議な社会?

2006年09月25日 | Weblog
今日はまた嫌なニュースが飛び込んできた。川口の交通事故だ。園児の列に脇見運転の車が突っ込み、将来ある幼い命が二人も犠牲になってしまった。たかが一曲の音楽、そのカセットを取り替えるために何の罪もない子供たちの尊い命が奪われた訳だが、親の気持ちを考えるとまったく居た堪れない。車は極めて危険な存在である、一歩間違えると走る凶器となりうる事は誰でも認識しているはず、その凶器を扱うに安易な気持ちで運転をしてほしくはない。誰もが同じことを考えるはず、しかも今日の運転手は運送業に従事するものだったというが、一体どんな運送会社であったのか…私も自身で車を運転する、昔はスピードもかなり楽しむ方であった。それでも交通安全週間や、最近のように飲酒による事故が話題になっているときぐらいは自然とアクセルを踏む力が弱まっていたものだ。最近は一つ話題性のある事故が発生すると、同じような事故が連続する傾向が強いが、どうか同様の事故が起きてくれないことを切望するばかりだ。さて話題を変えたい。今日のタイトルだが何が不思議かということから入りたい。実は今日この「柳田功ニュース」に旧知の二人からコメントが入った。一人は丸三屋パスタ君、もう1人はしげ君で二人とも会いたいと思っていた青年である。パスタ君のほうはコメントをいただいてはいたが誰だかわからずに、今日どうしても知りたくて共通の知人に電話をしてしまった。「知らなかったんですか?○○君ですよ!」と聞き、私が想像していた人間との格差に驚きもしたが、大いに嬉しかった。また、もう1人は今回私が社会を留守にする原因となった事件で、勾留されていた留置場で知り合ったいわば獄窓の若き友であった。この二人恐らく将来を嘱望されたであろう優秀な大学を出て、または在学中であったりしたが、何の因果か軌道を少しだけ外してしまった。軌道を外したといっても1人は自ら民族運動の道を志したわけで、軌道を外れたという表現は適当ではないかもしれない。またもう1人の若き獄窓のともにしても現在は遠回りをしているだけで、目指すゴールは変わっていないかもしれない。いずれにしても二人とも私が会いたく思っていた人間には違いない。その二人がネットを通して連絡がついたわけで、これは一昔では考えられない出来事である。ネット社会、これは既に確立した一つのというより大きな社会構成である。私がパソコンとであったのは彼これ23年前に遡る。しかし当時はウインドウズなどという便利なソフトはなく、またインターネットにしても何の意味だか、いや、その言葉すら知らなかったというのが現実であった。どこかの文章で一度発表した事だが、私が初めてパソコンを導入した当時、ベーシック語という数字の羅列に恐れをなし、電気情報箱はただのゲーム機と化した。それが今は廉価で購入できるばかりか、女子供(こんな事をいったら叱られるかもしれないが)でも簡単に操れるようになった。そのお蔭で私のようなオヤジにさへインターネットでの買い物も、また自分のホームページやブログといったものが始められるようになった訳だ。このネット社会の広がりのスピードは目覚しいものがある。日進月歩という言葉があるが、ネットの世界の進歩はそれこそ秒単位で進んでいるといっても過言ではない。このスピードに私が付いて行けるかどうかは疑問だが、少なくとも今はこのスピードのお蔭で恩恵を享受している。その一つが今日のネットでの再会であり、各種情報の獲得である。つい先日も書いた事だが「ネットでしか話のできない…」という意見、私は違うと思うし、これからもこのネット社会はますます進化し続けるだろうし、ネット人口も増殖の一途をたどることだろう。遅れなせばがら私も…不思議なネット社会万歳である。
ネット社会!

本日の川柳  進化する ネットに追いつけ 親父殿

国語力の低下を憂う

2006年09月24日 | Weblog
皆さんは次の言葉が何だかお分かりだろうか?「じょううみぽてと」「かれきしだんご」「よんかわりょうり」これは現在二十歳になる女性の言葉である。まず「じょううみ」だが「上海」の事である。これで「よんかわ」が四川であることは理解したと思う。「かれきし」は「彼岸」のことだ。今の若い子達はこういった間違いを簡単に口にするが、本人達はいたって平気なのである。また娘や若い女性とメールの交換をしていても、どうもこれっておかしかないだろうかという言葉遣いが多い。大体言葉遣いがおかしいのだから、文字を書くことなどもおかしくなって当然なのだろう。私もまともな教育を受けていないが、私の場合当時の生活環境で高校まで上がれなかったのと、生来の怠け癖で受けられなかったのだが、最近の子達はきちんと高校を卒業してもこの程度の子が多い。メールなどの文字にしても出鱈目であり、それを指摘すると「親父はそれだから困る」と歳のせいにする。彼女・彼等はこの変な文字や言葉遣いを好んでやっているらしい。この言葉や文章は学校でも使っているというが、教師はそれを改める事をしないばかしか同じような文字や言葉で相手をするらしい。つまり教師が子供たちから爪弾きにされたくないから阿っている訳だ。これでは教育など出来ようがない。そういえば今朝の新聞に「校長や教頭が役職を辞退する」ことが多いと載っていた。自信がないらしい。校長・教頭といえば何年もの間教育現場で子供たちを教えていたベテランである、そのベテランが管理職を「自信がない」という理由で辞退するとは何をか況やである。こんな教師達が子供の教育をしている現実に私は愕然とせざるを得ない。それより何より国語力の強化を考えなくてはなるまい。ある学者が言葉は進化をする。こういっていたがいまの言葉は進化ではなく、異常な変化、つまり異変であり極端な変化は文化を崩壊させると思うが如何なものであろうか。識者の適切なる判断を願う。

本日の川柳  絵文字打つ 父の手遅き メールかな  狂竜

祭り・縁日そして経済

2006年09月23日 | Weblog
今日のタイトル、一見して何の関係があるのだろうと思われる向きもあるだろうが、これが大有りなのだ。いま日本中で秋祭り真っ盛り、毎週どこかの町々で祭りが開かれている。祭りは子供たちの一年の内の大きな催しの一つで、この祭りのなかの一つが、あるいは全てが人生の大きな思い出となって残るほどの最大事ともいえると私は考える。祭りといえば皆さんはどのような思い出があるのだろう。私は神輿、そして縁日に並ぶ屋台である。たこ焼き・綿菓子・くじ引き・かた抜き・金魚すくい・ヨーヨー釣りまだまだたくさんの夜店が出ていた。お祭りのきらいな子供はいないはず。マァ、稀に人混みが嫌だという子供もいるかもしれない。しかし私たちの子供の頃も、恐らく現代の子供たちにとっても祭りや縁日、夜店は子供たちの一種の社交場ではないだろうか。縁日の人ごみの中に同級生の可愛い女の子を見つけ、または人気の男の子を見つけては胸をときめかせた淡い想い出は誰にでもあるはずだ。私たちの子供の頃の夜店は、まだ電灯が少なく照明の主体はカーバイトという化学物質を使ったカンテラだった。この光は薄暗く、また一種独特のにおいは子供心にも何か不思議な魅惑を持って迎えてくれた。そんな縁日での楽しみといえばなんといっても少ない小遣い中での買い物だろう。そこには日常生活では決して味合えない魅力溢れる商品が並んでいる。しかし与えられた小遣いは限られておりその限られた中での買い物は、子供たちが経済というものを初めて実践できる機会ではなかっただろうか。さて話は変わるが平成3年に暴力団対策法通称暴対法が施行された。このときに各地方自治体はお祭りや縁日から的屋を追放するという暴挙にでた。今でもこれはその地方によっては生きており、指定暴力団とされた組織が関係する者を一切排除している。その結果生じた現象は子供たちのお祭り離れである。それはそうだろう、縁日の屋台の出ていない祭りなど何の楽しみもなく、神社に行ってもただお参りして帰ってくるだけの祭りに誰が行くだろうか。的屋を排除した自治体は何年かは自分たちの手で模擬店などをだしてその対策を練ったが、本物のテキやさんの手による縁日とは程遠いものばかりでますます祭りは廃れるばかりになってしまった。的屋さんたちは日々売れ筋の研究にその努力をおさおさ怠る事をしない。年に一度の俄か的屋がその人たちにかなうはずがないのは理の当然であろう。最近になってようやくこのことに気付いた地元の人々の要請で本物の的屋さんの手による縁日が復活しつつある。このことは大変喜ばしいことで、子供たちの将来の経済を学ぶ場所としても歓迎すべき現象である。何でもかんでも法律で一括りにしようという風潮は戦後の悪しき体質だが、これを作っているのは戦後生まれの官僚や法律家。この人達は世に出るまで何の社会経験もなくただ勉強一筋に生きてきたがり勉君ばかりである。机上の空論という言葉があるが、正にこの人たちの作る法律こそがその机上の空論ではあるまいか。コンビに世代の青二才が作る法律こそが我等が日本を駄目にする元凶と言わざるを得ない。子供たちがお祭りや縁日で経済を学びそれを実践できる世の中こそ健全であるといったら暴論に過ぎるであろうか?皆さんの意見は如何なものであろうか。

本日の俳句  母の手に 引かれ縁日 笛太鼓  狂竜

国旗・国歌って?

2006年09月22日 | Weblog
昨日、東京地方裁判所は卒業式などで国旗掲揚。国歌斉唱などの強制は「思想・良心の自由の侵害に当たる」という判決を出した。この判決を出した裁判官はどこの国の判事なのだろうか?国の法律で決められた国旗に敬意を払うのは常識以前の問題、国歌を斉唱する事は国民の喜びとすべきことではないのか。しかも今日都立高校の教師達が都に控訴をするなと圧力をかけに行ったという。その理由が「教育現場が混乱する」「精神的苦痛を受ける」教育現場を混乱に貶めているのは一体誰なのかと言いたい!精神的苦痛を受けているのは誰なのかと言いたい!文部省が指導要領通達した国旗掲揚の際の起立、国歌斉唱を生徒に指導するべき教師たちがそれを遵守せずに処分されて当たり前のこと、それを不服とした裁判で、判事がそれに従がう義務はない、とすること自体法に違反しているのではないのか。しかもこの判決の時期がこれから卒業式・入学式をひかえ、教育現場の混乱を引き起こすであろうことが充分に予測できるいま出される事自体おかしくはないだろうか。言うまでもなく「教育現場の混乱」は文部省指導要領を無視した教師の側にある訳で、東京都でも国でもない。またこうした騒ぎに巻き込まれる生徒達こそ一番の被害者であり「精神的苦痛」を受けている張本人たちであろう。教職員組合は左翼運動の衰退で自らのアイデンティティを失いつつある中で、その中での活路をこのようなゆがんだ形で見出そうとしている事は明白である。実は私の娘も都立高校の2年生である。我が娘をこんな教師たちに、その教育を委ねねばならぬ親の気持ちをどう思っているのだろうか?彼らこそ教育現場を混乱させている元凶であり、これらを排除できない文部科学省の責任、教育委員会の責任は一体どうなっているのか?教育基本法の改正よりも、先ず教育現場の改革を推進すべきだと思うがいかがなものだろうか。また今回この判決を出した裁判官の罷免を、我々は本気で考えなくてはならないであろう。

本日の俳句  君が代に 秋の実りの 大八州   狂竜

手紙をしたためる喜び

2006年09月21日 | Weblog
私のところには現在2日か3日に1通の割で手紙が届いている。これは刑務所からの手紙である。職業柄というか稼業がらといったらいいのか、どうしても刑務所との縁が切れることがない。若い者は1人出てくれば1人入ってしまったりと、少ない時でも常時2~3人は囹圄にある。監獄法が改正になり友人知人といった第三者にまで外部通信が認められるようになって、今年5月からは若い者以外からも来るようになった。私は来た手紙には基本的に返事は必ず書くようにしており、筆不精の若い者への一方的な手紙を入れると、当然届いた枚数より多くの発信をすることになる。今回私が社会復帰をしてすぐの頃は、まだパソコンが手元になく、これを全て手書きで書いていたのでかなり大変な作業であった。便利なものでパソコンが来てからは1日に2~3通は軽く書けるようになった。一般の方でも思わぬ人からの便りは嬉しいものと思うが、刑務所の中のその喜びといったら社会のそれの数倍、いや数百倍といっても過言ではないほど嬉しいものである。恥ずかしながら私も過去何度かの囹圄経験の中で、この手紙にどれほど励まされた事か判らない。その喜びを知っているだけに自分で書いているときも、彼等の喜ぶ姿を想像しながら書いており、それが余計に書く楽しさを増してくれる。信じられないかもしれないが、腕の先からくるぶしまで真っ黒に刺青を入れたヤクザ者が、たった1通の手紙に一喜一憂している姿を何度も見ている。それほど手紙という外部との交通手段は中に居るものにとっては命のつなぎともいえるものなのだ。また、私たちの若い頃はまだ電話もない家庭の方が多く通信の手段はほとんどが手紙で、初恋の相手にラブレターなどを汚い字で書いては捨てて書き直したりと手紙には淡い思い出がある。そういえば歌手の稲葉某が「寂しさの徒然に、手紙をしたためています」という歌を歌っていたがこれも何故か私の淡い思い出の中に入っている。携帯電話やメールといった瞬間的に相手に言葉の伝えられる現代、何故か言葉が年々安っぽくなっていくような気がするのは私だけであろうか。言葉を文字で伝える、このことをもう一度見直して日本語の持つ美しさを文字にしたためる喜びを、次代の若者達に伝えていくのも私たち現代に生きる日本人の大切な役割と考えるがいかがだろう。

本日の俳句  文の来て 夏去りし田の 緑かな

戦後生まれの初総裁

2006年09月20日 | Weblog
自民党の総裁選挙の結果が今日出たわけだが、戦後生まれの総理が初めて誕生した事に、同じく戦後生まれの私も喜ばしい事と素直に感じた。この若き新総裁に国中が大きな期待を抱いているはずだが、果たして安倍氏はどこまで我々国民の期待に応えてくれるのか?これを機会に新総裁が景気回復の原動力となってくれる事を、ただ祈るばかりである。51歳の若き日本のりーダーは「美しい国日本」という言葉を使っていたが、この言葉、実は今から20年ほど前に私ども「皇嵐社」そして「皇道主義統一青年戦線」の前身「皇道戦線社」が「護ろう美しい緑の国日本」というスロ-ガンを掲げ自然保護を訴えた事があり、その時の基本的理念とまったく同じなのである。「美しい国日本」という言葉は思想であり、この言葉ははるか万葉の時代にまでさかのぼって使われており「美し国(うましくに)」すなわち新総裁の言う「美しい国日本」であると私は解釈した。安陪新総裁が今日のこの「美しい国日本」という言葉を任期中に忘れることなく職務の遂行を計ってくれる事を願って止まない。また拉致問題では議員の中でも急先鋒の呼び名も頼もしかったその姿勢が、総理総裁になったとたん尻すぼみにならない事も併せて祈って止まない。
さて、話し変わるが今日私に一本の電話が入った。坊ちゃんや子規で有名な松山の民族派団体「国士会」からで、我が皇嵐社のHP掲載中の当社政治指導部顧問「長谷川光良」の手記を国士会のHP「郷風(さとぶり)」に転載をしていただく旨の連絡だった。現在当社政治指導部顧問「長谷川光良」は平成16年3月30日の「国会前車両炎上事件」(当社では惜しくもならなかったが、炎上車両国会突入の義挙と考えている)で横浜刑務所に在監中であり、この手記は公判闘争中東京拘置所で書かれたものである。手記の内容はいくつかに別れているが簡単明瞭誠に判りやすく書かれており、当時の世相を反映したものである。これが当社のHP以外で発表される事は私ども皇嵐社にとって、また私個人にも更に長谷川光良本人にとっても喜ばしい事に変わりはなく、これを申し出ていただいた「国士会」谷田允会長にはこの場を借りて心から感謝の意を表したい。私のこのブログの読者の皆様に於かれましては国士会のHP「郷風(さとぶり)」をぜひとも一度お訪ねいただきたくお願いを申し上げます。とても美しい民族派らしい画面で音楽入り、私どものHPが恥ずかしくなるほどのHPです。

      下記が郷風のURLです。

  homepage2.nifty.com/satoburi/title.htm

本日の俳句  郷風に 吹かれ田毎の 稲穂かな  狂竜

半日の嵐に折るる葵かな

2006年09月19日 | Weblog
タイトルは子規の句である。このたびの台風13号は葵どころか列車までなぎ倒して通り過ぎていったが、台風一過の今日、9月19日は正岡子規の命日「獺祭忌(だっさいき)」である。子規忌ともいい、また最後に糸瓜(へちま)を題材にした辞世<糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな>他を三句残した事から糸瓜忌ともいう。明治35年9月19日亡くなるその日まで俳句を残し、正に俳句の人であった。彼の代表作<柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺>は小学校で習うので誰でもが知っているはず。私は子規の句の中でもタイトルにした句のほかに<名月に飛び去る雲の行方哉>というのが好きである。私も下手な横好きで俳句や短歌・川柳をやる。号は「狂竜」柳田の柳を竜にかけ狂った柳田と理解していただければ結構なのだが、雅号はあっても俳句は決して上手くはなれない。本年4月まで私が囹圄にあったことは既にご承知の事と思うが、この3年余のあいだ私は自分で4,000作の句を作る事を務めの中で目標としてきた。一応目標は達せられたのだが、出来はといえばまったくの駄作ばかりで全国の刑務所から応募される俳句・短歌・川柳などが載る「人」新聞で唯一川柳が佳作をいただいた。また中国管区のコンクールでは銀賞を獲得するも、その他はまったくかすりもしなかったのだ。私の場合どうも写生が下手で、ふざけた事ばかり言っているので川柳が向いているのかもしれないが、いずれにしても才能はほぼ無きに等しい。刑務所で俳句帳をつけていたのだが、出所までに大学ノート3冊に及びそれを今読み直してみると見るに堪えない句ばかりが書いてある。もっともこの「人」新聞に載っている中の恐らく半数近くが盗作若しくは模作ばかりなのだが・・・さて、写生力も何もないまったくの素人が、俄かにひねってもそんな簡単に傑作が作れるほど俳句の世界は甘いものではない。芭蕉や子規にしても一茶も山頭火もみんな血を吐くほどの苦労をしていたはずだ。子規の場合は私の知る限りかなり戦闘的な俳人ではなかったかとも思える。特に芭蕉に対しては異常とも思える敵愾心というか、時代を超えたライバル心を持っていたように感じた。とは言っても私は俳諧の世界の事をそれほど詳しく勉強したわけではなく、俳句や短歌・川柳を始めた時に少しばかりの書物を手にしただけで、これらを語れるほどの知識を持っているわけではないのだ。そういえば子規は<芭蕉忌や吾に派もなく伝もなし>という句を残していたが、今日の獺祭忌をあの世で何と思っているのだろうか?因みに「獺祭忌」の獺は「かわうそ」のことで獺の生態として、獲った魚を一度並べて食べる習性がありその様がまるで祭祀を行っているように見えたことから獺祭というようになったとのことだ。子規が何故この雅号を用いたか?子規の部屋には薬がそこいらじゅうに並べてあり、それが獺の行う祭祀のようであったことから自らこう名乗ったとのことである。秋は芸術の季節、柿を食いながら一句ひねってみてはいかがであろうか。
ここで一句
  <嵐去り 水溜りあり 獺祭忌> 狂竜

注 葵とは徳川家の紋所で有名な花で葉はハート型
  これを三つ合わせたものが三つ葉葵です。

本日限定・吉牛復活

2006年09月18日 | Weblog
吉野家の牛丼が本日限定で復活をした。BSE問題で長期にわたり看板商品の牛丼封印をしてきた吉野家が1日限りの復活をしたわけだが、高々牛丼一個にマスコミは大騒ぎをしている。テレビを見ない私だが、たまたまガソリンスタンドで目にしたニュースの場面に「吉野家」に長蛇の列を作る吉牛ファンが映っていた。アナウンサーが相も変らぬ馬鹿な質問をしている「アメリカ産牛肉の心配はないですか?」そんなことを聞いて何か意味があるのだろうか。アメリカ産牛肉を食べる事に賛成派か反対派かの統計まで出していたが、それでどうにかなる問題なのであろうか。実は私も吉野家の牛丼の隠れファンである。だからもし並ばずに買えるのであれば誰かに頼んで、お持ち帰りを買ってきてもらいたいぐらいである。そこで私にBSEは心配ないですか?と質問されたら「食いたいやつには食わせろ!お前たちそんなことを報道して不安を煽っているのか、吉野屋の宣伝の為にやっているのかわからないが、実際問題このことに対するキャンペーンでも張ったのか?」といいたい。今回の一日限定の牛丼復活、これは輸入の絶対数が足りないとの理由であるが、私は企業戦略の最たるかたちと考える。それは誰が見てもわかるはず。こういった企業戦略が見抜けないマスコミなど、日本にも世界のどこの国にも存在しないはず。一企業の、たかが牛丼一杯のことで貴重な電波を垂れ流す裏には、商業ベースの何かがあるのではないか?と私は考えるのだが穿ちすぎだろうか。以前アメリカ牛輸入再開のときにも同様のことをいったが、ニュースで不安を煽るより前にアメリカ産牛肉の安全性についてもっと専門的なデータを集めて、安全か否かを報道するべきではないのか。いたずらに市民にインタビューしたところで何の解決にもならない事は、マスコミが一番よく知っていることだ。丼一杯がこれだけのニュースになるのだからそれだけ平和ということなのだろうが、世界には丼どころか釜のそこにこびりついた米一粒食えずに亡くなっていく多くの子供たちがいる中で、何とマァ平和ボケした国のピントの外れたニュースにただただ驚くばかりである。

猛威!

2006年09月17日 | Weblog
台風13号は九州各地、特に宮崎県でその爪痕を大きく残していった。立木や電柱、家や塀・看板・店舗のウインドウなどをなぎ倒したばかりか、あろう事か列車まで脱線転覆させてしまった。この台風での被害は死者9名を数えた。それにしても九州というところは、正に台風銀座といやな称号を与えられている通り台風の通過しない年はないが毎年毎年のこの被害、心からお見舞いを申し上げたい。さて東京では台風のさなか各地で秋祭りが開かれ、叩きつけるような風雨の中神輿を練り歩く一団を目にした。夜などは雨にぬれた神輿の飾りがきらきらと輝き、車のウインドウを通してみるその姿の神々しかった事、言葉では言い表せないほどであった。本日7時新宿は歌舞伎町ロフトプラス1で「塀の中で懲りちゃった面々」と題する、トークライブが開催された。司会を任侠界から華麗な転進をした、若手作家の中野ジロー氏、出演これまた「塀の中の懲りない面々」でベストセラー作家となった安部譲二氏に元赤軍派議長・塩見孝也氏。ゲストコメンテーターに私の盟友、右翼の蜷川正大二十一世紀書院代表、同じく友人の作家三浦和義氏、これもまた古い友人の一水会代表木村三浩氏という錚々たるメンバーである。開演すると先ず司会の中野ジロー氏が安部・塩見の両氏を舞台上に紹介着席、いよいよトークライブの始まりだったが、どうもこの3人は口下手で盛り上がらない。中野氏もまだ慣れない司会で進行もうまくいかず、前日三浦和義氏と植垣康博氏のテンポのいい絶妙なトークを聞いたばかりの私にはどうも間が持たない。隣にいた三浦氏の「俺はこのテンポで1時間付き合ったがこれ以上は無理だ」といって中座する事にした。三浦氏も「柳田さんじゃ無理だよね」と理解を示してくれたので、楽屋によって蜷川・木村の両氏と、先輩の鈴木邦男氏の退席する旨のお詫びを言って会場を後にしてきたが中野ジロー氏には申し訳のないことをしたと反省仕切りであった。最後まで残った私の若いものの報告で「その後3人がステージに上がると大きく盛り上がりました」の言葉に「さもありなん」と納得するが、中野氏の今後の活躍に期待をするばかりである。
なおこの記事は9月18日朝更新したものです。

第2回三浦和義トーク・ライブ

2006年09月16日 | Weblog
今回で2回目の「三浦和義トークライブ」に行って来た。場所は前回と同じ代官山のライブハウス「晴れた空に豆まいて」というちょいとこ洒落たお店。今回のゲストは先日の{お知らせ(2)}にも紹介した、元連合赤軍兵士「植垣康博氏」で、私も今回始めて紹介をされたのだが、若い奥さんと小さなお子さんを連れたその姿はかって世間を震撼させた、あの連合赤軍の第一線の闘士とは思えないほど、好々爺然としていた。もっともメガネの奥でキラリと光るその目は、将に現役の闘士そのものであった。しかし紹介をされて先ず感じたことは「さっぱりとしたいい感じの男」だった。トークの内容は、やはり聞き上手の三浦さんの力量もさることながら、植垣氏本人の明晰な頭脳とそれが相俟って、わかりやすくも楽しい内容であった。その内容を軽くご紹介すると「爆弾作り」赤軍の資金調達の一部の手段であった「銀行強盗」自己批判・総括の名の下に起きてしまった「殺人」などに始まり、拘置所・刑務所合計27年にわたる獄中生活の中での闘争の推移、また獄中生活の過ごし方等など多岐にわたり、お二人の出会いから今日に至るまでの関係、そして前回同様三浦さんの絶妙な語りで爆笑トーク炸裂、全てが興味深く前回のゲスト蜷川正大氏の回を凌ぐほどの盛況であった。同行した私の若いものもお二人の話に感心仕切りで「ためになりました」と。植垣氏はいわずと知れた極左活動家であるが、私たち右翼民族派にもかなり相通ずるものを持っており、今後、私は彼に学ぶところ大であると痛感した次第。次回からは毎月第1月曜日を定例日とし異色のゲストを順次予定しているとのこと、楽しいトークショーこれを見ない聞かない手は絶対ない!機会があれば是非一度ご参加をお勧めしたい。