本日16時より目黒雅叙園にて私の先輩同志に当る「政治結社・優政会」会長・西山登氏の古希を祝う会が催された。西山会長とは彼これ二十数年にわたるお付き合いで、民族運動の場で随分お世話になった方である。会場一杯の来賓の中で、司会進行役を私の盟友、二十一世紀書院代表取締役「蜷川正大氏」がつとめ冒頭に祝辞と簡単な自己紹介。来賓祝辞として、全国愛国者団体会議の筆頭議長である「吉田直紀氏」が先ず祝辞を述べられ、次に私の運動の先輩である、忠孝塾愛国政治連盟の「藤元正義氏」、続いてやはり斯界の大先輩である、朱光出版株式会社代表取締役の「阿形允規氏」のご挨拶、それぞれ西山会長の人となりなどを交えたご立派な祝辞を述べられた。古稀とは今更いうまでもないが70歳を迎えた祝いである。近年平均寿命が延びたとは言え、激動の時代を生き抜き且つ激しい民族運動を戦ってこられた西山会長の長寿は実におめでたい事と心からお喜びをした次第だ。さて本日の来賓挨拶のお三方の話し中で、とりわけ私の心を打った話しを紹介したい。先ず全愛会議筆頭議長「吉田直記氏」だが、氏がその昔優政会の久保田氏と囹圄にあったとき、彼は西山会長の素晴らしいところをよく口にしていた。そうしたいい若い方を育てる西山氏は未見のときから人物であると想像し、実際あってみるとやはりその通りの方であった。概ねこのようなことをお話になっていたが、確かに私も西山氏には運動の場で嫌な思いを受けたことがない。若く、いい運動家が育って当たり前の土壌なのだろう。次に忠孝塾の「藤元正義氏」は右翼民族派に引退はない。「いつまでもお元気にいて私達後進の指導に当ってください」とのことだったが、正しく右翼民族派には定年退職もなければ引退もない。生あるうちは生涯現役である。「生涯」読んで字の如く、生の涯まで維新運動を戦わねばならぬわけで、戦わねばならぬ以上は健康な体を維持していかねばならない。そのためにも西山会長には健康な身体を取り戻して頑張っていただかねばならない。まさにその通りと感じた。三番目に斯界の大先輩である「阿形允規氏」の祝辞だ。この方の話しはいつも感心させられるのだが例えにされる逸話に深いものがある。今日も古稀の由来、中国の杜甫の誌「曲江誌」を引き合いにし「人生古来より70歳まで生きる事は稀である」そしてこの後には、喜寿(77歳)傘寿(80歳)米寿(88歳)卒寿(90歳)白寿(99歳)祝いが続くのであるから、今後とも後進の指導の為に体調を整えられてお元気であってほしい。このような内容だった。さすが皆さん永い間民族新運動の前線でご活躍をされた方ばかりで、挨拶一つにしても中々博識あるところを披瀝され、私などはとてもよい勉強をさせて頂きお祝いの席のめでたさもさることながら、いい学習の場を与えていただいた事に重ねて感謝した。西山登会長には皆さんの仰るとおり益々健康に留意され後進を導く為に長寿の道を歩まれん事を心からお祈りする次第だ。
杜甫「曲江誌」
朝回日日典春衣 ( 朝は回り日日春衣を典ず)
毎到江頭尽酔帰 (江頭に到る毎酔尽して帰る)
酒債尋常行処有 (酒債尋常行く処常に有り)
人生七十古来稀 (人生七十古来稀なり)
ミニ知識
還暦60歳の祝い 謂れ「12年の暦が12回還るので還暦という」
古稀70歳の祝い 謂れ「杜甫の曲江誌」
喜寿77歳の祝い 謂れ「喜の草体の七が三つ重なったところから」
傘寿80歳の祝い 謂れ「傘の字の略体が八と十になるところから」
米寿88歳の祝い 謂れ「米の自が八十八となる事から」
卒寿90歳の祝い 謂れ「卒の自が九と十になるところから」
白寿99歳の祝い 謂れ「百の字から一をとると白になるところから」
渋谷歌壇 古希祝う 孫の花束 目に涙 狂竜
杜甫「曲江誌」
朝回日日典春衣 ( 朝は回り日日春衣を典ず)
毎到江頭尽酔帰 (江頭に到る毎酔尽して帰る)
酒債尋常行処有 (酒債尋常行く処常に有り)
人生七十古来稀 (人生七十古来稀なり)
ミニ知識
還暦60歳の祝い 謂れ「12年の暦が12回還るので還暦という」
古稀70歳の祝い 謂れ「杜甫の曲江誌」
喜寿77歳の祝い 謂れ「喜の草体の七が三つ重なったところから」
傘寿80歳の祝い 謂れ「傘の字の略体が八と十になるところから」
米寿88歳の祝い 謂れ「米の自が八十八となる事から」
卒寿90歳の祝い 謂れ「卒の自が九と十になるところから」
白寿99歳の祝い 謂れ「百の字から一をとると白になるところから」
渋谷歌壇 古希祝う 孫の花束 目に涙 狂竜