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独白

全くの独白

平和は夢

2016-10-06 16:15:36 | 日記
吾人は恐らく始原より平和を希求し続けて来た。にも拘らずいまだにそれは手に入っていない。あらゆる場所で誰も戦っていないという時間は一瞬も無かったのではあるまいか?戦う事に肯定的な者も戦う事でしか生きられない者もいよう。私は理念としては平和を希求しているが、感性は結構戦闘的である。そもそも多面的なる人間存在は誰に於いても同様に、矛盾や反対を自身の中に抱え込んでいるのが寧ろ自然であろう。戦争を描いた映画によく出てくるが、徴兵された牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡を掛けた男が、最初は上官に無理強いされても鉄砲を撃つ事さえできなかったのに軈て笑いながら人を射殺するようになって行くといった描写は、観客に対して強い説得力を持っている。又若い頃これでもかこれでもかという位只管戦い続けた宮本武蔵の姿にも吾人は強く激しく共感する。これらは私などのように一見穏やかに見える人間に内在する凶悪さや戦闘性が図らずも露見したものと云って良かろう。実際ナチスやISなどの事例を見る迄もなく、到底信じられない程の残虐な事件は枚挙に暇がない。実は信じられないというのが錯覚であって誰でもが同様の素質の持主であるというのが本当の所であろう。そのような吾人が平和を招来し得る訳はないというのが寧ろ自然な考え方である。この際目指す方向を変えてみるのも良いかも知れない。何の義務も必要も無いのにわざわざ志願して死地に赴く者もいるのであるから、戦闘を強く嗜好する者達を一か所に集めて好きなだけやらせればよかろう。女性にもそのようなものはいるから具合の悪いこともあるまい。ただ強制はいけない。似た者を集めるとその中で凹凸が出来てくるものである。穏やかな者の中にもより凶悪な者が現れる。凶悪なものの中にも軈て穏やかな生活を望む者が出て来るに違いない。そんな時のために門戸は何らかの形で開けておくべきである。さらに不毛の地に閉じ込めてしまってもいけない。生活が成り立たぬから成り立たせるために越境して来るからである。
無論こんな事は他愛ない夢に過ぎない。併しそもそも人生など畢竟夢でしかあるまい。

大隅良典氏敢えて曰く

2016-10-05 14:43:10 | 日記
基礎的分野を冷遇せざるべしと。同感である。経済優先の昨今では何かにつけ二言目には費用対効果、である。しかもその効果の求め方は余りにも性急である。その為何につけても腰を据えてやるという事が難しくなっており、結果として求められる効果は逆に出にくくなってしまっている。私はそもそも甲という事の為に乙という事をする、というやり方を好まない。乙という事は乙という事自体の為に成されるのが本来の在り方のように思われるのである。就中学問や芸術などというものは完全に自由で独立していなければ純粋性を保つことができず、その成果は砂糖で食べる刺身の様なものになってしまう事であろう。此の本来の在り方に背いた為にしくじったのがソ連であろう。ソ連の目指したのが全く見当違いの方角であったとは思われない。学者の中には、資本主義の後に来るべきものは科学的社会主義しかないと言い切る人もいる。戦後の日本の奇跡的復興はひとえに特有の(法と規制でがんじがらめになった)社会主義的資本主義に負うという説もある。現にその反動としての行き過ぎた規制緩和が、様々な分野で混乱を生んだりしたのは記憶に新しい。ソ連の明らかな間違いは方便である。目指す国家建設の為にあらゆる事物を強制的に利用したやり方である。文学、芸術、科学は言うに及ばず個人の職業や住む場所さえ(この点で私は転勤という制度が好きではない)専ら国の為に利用され国に支配され国の都合で決められたのである。ショスタコーヴィチなどもそのような制度の下で音楽的に生き延びる為にどれだけ苦労を強いられたか知れぬらしい。末期のソ連の、企図に反した疲弊ぶりも又記憶に新しい。尤も甲の為に乙を利用する事自体が悪という訳で無いのは勿論である。昨年一昨年辺りの日本の受賞者には、有用であってこその学問だという人が多かった。それはそれで又一つの立派な見識であろう。ただ彼らにあっても、学問は飽く迄その学問の為に追及された筈である。そして本来なら別に存在した筈の、彼らの学問的成果を人類の健康で文化的な生活に生かす方法を追求するべきものが、偶然彼ら自身の中にいたという事に過ぎない。問題となるのは、本来独立してあるべき甲と乙の間に第三者の強制が介在した時である。