独白

全くの独白

自転車の私と、遠足の子供

2017-10-26 15:56:37 | 日記
一昨日も好天気で、愛(自転)車モーグ(愛称)で、山の方へ行って来た。
今日は一昨日以上の好天気で、天候に恵まれず乗る機会の少ない今年の事とて、喜び勇んでモーグを駆る事にして出た。
一昨日は「急がば回れ」「短気は損気」を思い知らされてしまった。
悪天候の今年はあちこちで経験したが、一昨日も沢からの土石流に因る土砂が、林道を覆っていた。もう林道の終点近くであり、引き返して迂回すれば、登る小一時間のアルバイトを強いられる事に為る。
癪に触るので、モーグを引いて突っ込んだ、底迄沈んでも窒息はしない深さのように見えたので。
まだ乾いて居らず、如何にも軟らかそうに見えた泥土は想像以上の軟らかさで、股関節まで浸かってしまう。こうなってしまったら引き返す訳にも行かない。底迄は沈まないだけに、力が入らず歩き難い。這這の体で10米程を歩き切った。
暫く行くと、農家の人が掛け流しにしている地下水があり、普段は人気も無いのに、折良く遣って来た其処の方が同情してバケツ迄貸して下さったので、助かった。御蔭で綺麗には為ったが、土石流の置き土産に出合ってから、身体と車体とパニヤバッグに、セメント並みにこびりついた泥土を、洗い流す迄に一時間掛かった。而も濡れ鼠に為るには涼し過ぎる昨今ではある。
今日はそんな事も無く、一昨日と同様に敷かれた、台風に落とされた杉の葉の絨毯の上を走った。里山は杉の木だらけである。杉の枝や葉には棘が多いのでパンクの心配をし乍らであったが、それも杞憂に終わった。
昨日も雨であり、車体は自ら撥ね上げた泥に汚れたがそれは覚悟の上である。
街に出るといつもの河川敷を行く。
生憎遠足の小学生が前方を行く。子供は可愛いが、此の辺りの子供の、道というものの歩き方は可愛いとは云えない。
普段から自転車では右を、徒歩では左を、当たり前のような顔で歩く。
当然遠足でもその通りで、引率の教師もさっぱり注意する気配が無い。引率とは名ばかりで、只一緒に歩いているだけである。途中で、一人二人居なくなっても気付くまい。
今日も狭い舗装路を塞いで歩いている。10米程離れて三人の先生らしい人達が殿を務めているが、こちらも道一杯に広がって居る。真ん中が空いていたので割って入った。
併しここからは、いつもの遠足と違っていた。今抜いた後ろの先生が笛を吹いて「自転車が通るから、右に寄って」。先頭の数人が、聞こえなかったのか広がった儘歩いていると、それを叱る声が後ろで聞こえる。素晴しい対応である。当然の事ではあるが今迄はこんな事が無かったので、素晴しく思われる。
少し前方に同じ学校の別の一団がいる。その先頭の先生も、屡振り返って周りを見ているらしく私を認めると、殿の先生同様に鋭く笛を吹いて注意を喚起してから「自転車が通るから道を空けて」。
これでこそ学校の遠足である。迷惑する者は無く、教育の一環と為り、生徒の安全も保たれる。
一昨日はちょっと苦味が有ったが、今日のサイクリングは今日の空の様に、飽迄爽やかであった。