「戦争で死ぬ、ということ」

2006年08月28日 18時59分32秒 | 感想
なんで左翼に、じゃないけど戦争についてかかれた本でもルポでも読んでなお、戦争を正当化できるのだろうか、などということはやはり思っていたことがある(とはいえ「VS」本を読んでなおrya)。
それでも、戦争について考えるということはやはりそこで何が起こるのかということと切り離しては考えられない。
「薬害による死、公害による死、安全の手抜きによる事故死……人が不当に生命を奪われる悲劇がいまもあとを断たない。だが、それらの悲劇においては、『殺してよかった』と殺人が正当化されることはない。『戦争で死ぬ』ということは他のあらゆる死と一線を画している、それは『正当化される大量殺人』であるという点において。」(19ページ)

大阪大空襲の場合、6月の空襲で焼夷弾による火災の煙は高度4000メートルから6000メートルに達したという。
昼というのに真っ暗になったなかで、焼夷弾といっしょに投下された破砕集束弾(「一個の爆弾から多くの片鋼弾が飛び散るもので、効率的に人を殺すことができる)により、多くの「首のない死体」がうみだされる。P51からの機銃掃射により「一人の少女は頭を撃ち抜かれて倒れ」「学徒動員の少年の頭が半分吹き飛び、そこから白い木綿糸のようなものが何本も垂れ下がって」いた。空襲は8月14日にも行われ、爆弾とともに「戦争が終わりました。お国の政府は降伏して……」という宣伝チラシがまかれている。

「戦時のメディア」-このへんの空気は清沢洌「暗黒日記」なんかを読んでもとても学ぶところがあるのだが、この本でもたとえば1943年の次のような朝日の記事が紹介されている。
「アメリカを叩き潰せ(下) 海軍の現地の幕僚が『かつて日清、日露両戦争のときには、国民は”チャンコロ””露助”という合言葉をもって、当時の的に対する憎悪を端的に表現した。ところが大東亜戦争が始まって一年になろうとしているのに、アメリカに対する憎しみの称呼がないのはどういうわけだ』と言っていた。内地でも識者の間に同様の意味のことが言われていると聞いた。銃後に今こそ必要なものは『チャンコロ』あるいは『露助』にあたる言葉がおのずから生まれてくるほどにたぎるばかりの敵に対する憎悪の昂揚なのだ。憎しみに徹すれば、いかなる困難にも耐え抜く力が生まれる。われわれは不倶戴天の敵アメリカに対する憎しみの火を燃やそう」(1943年2月2日付だという)
「醜鬼」「血祭り」「米鬼」「わが南西諸島は敵撃滅の吸血ポンプ」「米獣を田楽刺し」など「いま読めば、よくもこんな言葉が印刷されていたなと驚くほどに『どぎつい』表現が充満」していたのが当時のメディア(これもまた既視感があったりするのだ、、)、それは書かされたものではなかったのだと思う(広い意味ではそういえるが)。

ありがちな表現に流れることをなるだけ避け、とても抑制的で判りやすく島本さんの文章力・表現力の高さを感じる。
知り合いにすすめたら「衝撃的すぎて眠れなくなりそう」だからと断られた。

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