酒の力で駄文を投稿

2006年01月09日 00時02分06秒 | Weblog
全三里塚勢力の対話と団結を求めますという草加耕助さんの「旗旗」のエントリーに対する「元反戦高協」さんのコメントに、

「横レスです。
元反戦高協さんの
>これってネットウヨの"中核派人殺しキャンペーン"じゃないか、と思います。一体どこにネットで中核派批判をしたら身の危険を感じることがあるのでしょうか。
とのコメントについて。

そういう「身の危険」を感じざるをえなくなるような所業に少なくとも私は手を染めてしまいました。
もっとも最近知り合いの息子さんがいわゆるネットウヨみたいな考えにハマってしまい、彼から杉並で中核派をからかった経験を聞くという貴重な機会を得て、「ああ、わが派(笑)もここまでなめられるようになったか」と感じたものでしたが。
私自身の経験から、たとえいまだに中核派がそうした「身の危険」を感じさせてしまうことについて今は根拠がないんだとしても、その責任は「戦争責任」を総括できない中核派にあげてあるのだと言い切りたいと思います。「戦争犯罪者」の一人として。
80年代後半から90年までの過程で私(たち)が行ったことは、とりかえしのつかない(豊かな発展の可能性のあった)運動の破壊でした。」

というコメントを投稿し、
アッテンボローさんのところの「党のあり方って何だろう?」というエントリーにも、

「『党としてのたたかい』と『党のためのたたかい』とかというタームがあったと思いますが、分業主義から両面において、とりわけ前者において代行主義が蔓延したことは大きかったと思います。弱い者(ノンセクトのみなさん)いじめにだけは長けていた私(たち)は革マル派との集団戦にすら勝てないぐらいに弱体化してました(同じ時期青ヘルの学生戦線はキャンパスで革マル派を撃退している、武器の差にもかかわらず)。運動も「戦争」も生き物なのだから、ひとりひとりが現場に身をおいてもがいているっていうことと、そういうなかでの経験を蓄積して承継していけるっていう機能が、求められるとすれば「党」に求められるんだろうし、それとは全く逆に経験ある現場の人が「党活動」の中で疲弊し、あるいはあからさまに「党」によって排撃されるようなところまで落ち込むと、「あり方」云々を論じる対象ですらなくなると感じます。」

というコメントを投稿した。酔った勢い、、。

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