「格差ではなく貧困の議論を」

2006年11月01日 11時10分02秒 | Weblog
すでに紹介済みだが「格差ではなく貧困の議論を」という湯浅誠氏のインタビュー記事が「オーマイニュース」日本版に紹介されている。そして、湯浅氏の手になる同じタイトルのより詳細な論文(の前編)が「賃金と社会保障」という雑誌に掲載されている(この雑誌、1冊2100円、年間購読料50400円というとんでもなく高いものだが、"この分野"では貴重な情報源で買わざるをえない)。
この印象的なタイトルは竹中平蔵の次の発言に由来するのだとか。

「格差ではなく貧困の議論をすべきです。貧困が一定程度広がったら政策で対応しないといけませんが、社会的に解決しないといけない大問題としての貧困はこの国にはないと思います」(2006年6月16日「朝日新聞」)

この発言-これだけ、貧困が世間を生きてる人間には肌で感じられてるのになんでこんなこと言えるの?という批判はありなのだが、湯浅氏によれば「日本には貧困者数を確定するための公的な貧困線(official poverty line)が存在していない。(略)そのため、日本では生活保護基準が事実上の公的貧困線として機能している。しかし、政府は生活保護の捕捉率(生活保護基準以下で暮す人たちのうち、生活保護を受けている人たちの割合)も調査していない。どれだけの人たちが生活保護基準以下の生活困窮状態で暮しているのか、政府はそもそも調べようとしない。竹中は政策立案の前提として『貧困が一定程度広がったら』という条件を付けているが、その広がりを感知するアンテナを政府自身が持っていない」ということになる。生活保護基準は他の社会保障給付の基準にもリンクしており、これを下げることにより貧困はたえず「一定程度」以上には存在しないということができる。
竹中の発言にはこういうトラップがある。

しかし、それでも貧困をあえて捉えて議論する必要があるだろう。
「貧困」をターゲットにしたビジネスが隆盛になりつつある。
これは湯浅氏は触れていないが「貧困」市場の少し上層には「不安」市場が存在する。強行採決された医療制度改悪は(本山美彦なんかが指摘してるみたいに)市場がつくり出されているということを示す。

力作であり次号が楽しみな論文だった。

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